
◎2022年8月8日(月)
前回、スッカン沢の滝めぐりをした際、出発時に犬連れのご夫婦のダンナさんに声をかけられ、先週も学校平から歩いたとおっしゃっていたが、好きなもんだなぁと思ったぐらいでその時は終わったが、確かに、通行止めを律儀に守るなら、スッカン沢と桜沢にある名のある滝を一遍に観ることはできずに二度歩きになる。こちらは、律儀ではないから一回で終わらせたが、天気予報の雲行きも気になり、桜沢側に課題をいくつか残してしまった。今回はそれを片付けるつもりでやって来た。ご夫婦と意図は違うが、立て続けに来たという点では同じになってしまった。
土日と出勤になり、8日はその代休。天気予報は前回と同じで昼過ぎに怪しくなるようだ。それでいて家を出たのは8時過ぎで、山の駅たかはらの学校平駐車場から歩き出したのは10時20分近くになっていた。空はどんよりしている。少々嫌な感じがしたが、出発時に確認した天気予報は終日曇りで、崩れるのは夕方からだった。それを信じるしかない。
今回持ち込んだいくつかの課題の一番は、やはり、咆哮霹靂の滝の上に出て桜沢を歩いてみることだ。正面左の霹靂の滝は水勢があるので無理として、右手の咆哮の滝は自分にもフリーで登れそうだったが、一人での滝登り、まして本日は平日。携帯はつながらないエリアだ。万一のことがあるので、前回目をつけていた霹靂の滝寄りにある小沢(とはいっても水は湿り気程度だった)から迂回して滝上に出るつもりでいる。
(山の駅たかはら。天気はどんよりしている)

(八方ハイキングコースへ。正確には前山八方ヶ原線歩道というらしい)

(前半は緩い下り。歩道の標識は豊富だが、ベンチや階段はところどころが朽ちかけている)

駐車場で沢靴に履き替えて遊歩道を歩き出す。ほどなく戻って来る犬連れのファミリーと出会う。そしてもう一組のファミリー。子供は夏休みだし、近くに泊りがてらにやって来たのだろうか。以降、だれにも会うことはなかった。出発時間が遅いし、平日ではそんなものだろう。
遊歩道は緩やかに下っている。スッカン沢でもそうだったが、そちらの遊歩道は距離が短く、最後まで緩やかだったから登り帰路でのきつさはほとんどなかった。こちらの「八方ハイキングコース」は後半で下りの傾斜が増すようで、単純に350mほどの高低差がある。遊歩道歩きに徹して立入禁止を無視すれば、八方ハイキングコースから雄飛の滝線歩道に出た方が楽だろうが、その後の車道歩きが長くなる。ちなみに、学校平から咆哮霹靂の滝までは標識によれば片道3.3kmのようだ。
(山神。歩道はここでUターンの形になる)

途中で<山神>の石碑を見かける。裏を見ると明治45年建立になっている。お堂や石祠があるわけでもなく、なぜこんなところに山神なのか不思議だ。山神を過ぎたあたりから左下に沢が見えるようになる。沢に水はない。桜沢の本流と出会うのはまだ先だ。ここで頭の中が混乱する。スッカン沢も桜沢も南から北に流れるが、桜沢にかかるおしらじの滝は逆に流れているような気がする。沢は上流部のどこかでカーブでもしているのだろうか。よくわからない。もしかしたら、おしらじの滝は別沢の滝なのだろうか。
(歩道は次第に傾斜を増す。この時はたいして気にもならなかったが、帰路は疲れた)

(桜沢が歩道沿いになる)

(スッカン沢ほどではないが、桜沢もきれいだった)

(雷霆の滝の落ち口。歩道から)

(雷霆の滝1)

(雷霆の滝2)

遊歩道は方向音痴の自分には紛らわしい分岐が2か所ほどあった。左に大回りするところを直進したりした。踏み跡があるから行ってしまう。そして途切れる。皆んな同じように勘違いをしては戻る。もう一つは標識の微妙な向きだった。だからというわけでもないが、曇り空でだれもいないせいか、陰湿な遊歩道に感じる。ただ、ここはずっと広葉樹が続き、スッカン沢歩道に比べ、陽が出ていれば、紅葉時期ならがきれいな歩道かもしれない。
桜沢が左下に見えるようになり、沢歩きに転じようかなと思ったが、ここで遊んで時間をつぶすわけにもいかず、雷霆の滝もまた、歩道を外れて落ち口を覗き込んで眺めただけ。この時は、帰路では沢歩きにするつもりでいたし、第二課題の、雷霆の滝の先にある桜沢に東から入り込むナメ沢(地図では薄い青線が記されている)も帰路で探索するつもりで素通りした。
(雷霆の吊橋)

(スッカン橋分岐。もちろんそちらは通行止め)

(咆哮の滝)

(霹靂の滝1)

(霹靂の滝2)

次第に「傾斜は緩やか」とは表現できなくなってしばらくすると通行止めのスッカン橋分岐を通過し、咆哮霹靂の滝に出た。まずは右の咆哮の滝。前回と同じくらいに水は流れてはいる。目の前にしてもフリーで登れそうだとは思うが敢えてしない。左に行って霹靂の滝。今回は深入りはせずに眺めただけだが、こちらがむしろ「咆哮の滝」の名にふさわしい。まさに獣が吠えている流れだ。「霹靂」とは雷が激しく鳴る意味のようだ。右滝に「咆哮」の字をあてがっている以上、鳴りを潜めた滝も、雷雨の時には怒涛の流れになるのだろうか。
(ここから入りこんだ)

(ここは左下から上に)

(見下ろして)

(霹靂の滝が見えている)

いずれにせよ、両滝を直登できないのでは巻くしかなく、予定通りに下見をしておいた沢の入口に移動した。ヘルメットは必要あるまいと思ったが、持って来たことだし、念のためにかぶる。すぐに濡れた大石がいくつか重なって立ちふさがった。簡単に越えられそうにないので左からかわした。大石の上に出るとあとは簡単だった。右の枯れ沢を渡るだけで踏み跡は明瞭だった。右下に霹靂の滝を見ながら、難なく滝上に出られた。ネットで調べたわけではないが、ここを巻いて滝上に出る人も多いようだ。おそらく、自分と同じ非本格的で単独の沢歩き好きの人たちかと思う。あるいは釣り人だろうか。
(滝の上のナメ床に出た)

(中の岩を挟んで右が霹靂の滝、左が咆哮の滝にそろそろ流れている)

(霹靂の滝の落ち口)

(こちらは咆哮の滝)

広いナメが広がり、上流には小滝の連瀑が見えている。先ずは咆哮霹靂の滝の上を覗きに行く。咆哮の滝の真上に出るには段差があり、そこまでする気もなく眺めただけで終える。さて、ここから桜沢を遡行することになるが、せめての雷霆の滝あたりまでは水遊びをしてみたい。
(上流に向かう)

(振り返って。広い)

(簡単に登れて気持ちがよい)

(段瀑が続く。ここは深いので右から巻いた)

(右岸に滝のような流れ込みが見える)

(水が澄んできれい)

(右岸からの滝)

(上部をアップで)

(ずっと続くことを期待したが)

(吊橋が見え、ゴーロ状になったので切り上げるか)

広いナメ床がしばらく続く。左手からは滝が流れ込む。段差の下の淵は深く色は青い。これもそう限りなくは続かない。石がゴロゴロし出すと沢幅は狭くなり、ナメ床もまばらになってくる。こうなると、楽しみもまた半減してくる。先に雷霆の吊橋が見えてきた。雷霆の滝までは沢歩きのつもりでいたが、吊橋を見て気が変わった。あそこで切り上げよう。第一目的は済んだのだから。それを終わらせたわりには、あまりすっきりした気分にはならなかった。滝上に出るのにもっと刺激が欲しかったし、ナメ歩きがもっと続いて欲しかった。すべてがあっけないものだったというのがその理由。だったら、桜沢をもっと上流まで行けばよかったかもしれないが、上流部の渓相は、自分には力量不足もあって魅力がなかった。
(ここから支流の左に上がってみる)

(最初はこうだったが)

(まもなくこうなった。歩きづらそうなので先に行くのはやめた)

(こちらは分流。すぐにこれだ。水も細い)

吊橋に上がり、次は支流のナメ沢へ。実のところさらにがっかりした。前述したが、この沢は細いながらも地図には水線が記載されている。それなりに期待していた。沢はすぐにナメになり、右から半分幅の沢が合流。こちらもナメ。取りあえずは直進して本流を登ったが、すぐにゴロ沢になった。戻って、右沢に入ると同じくゴロでかなり狭い。つまりはショボ沢。さっさと遊歩道に戻って収穫なしで終わった。
(雷霆の滝が見えたので桜沢に復帰)

(この滝を観るのは最後だろう。3回も観た)

ここは前回歩いたし、雷霆の滝の近くになって桜沢に入り、苦労もなく雷霆の滝に出てしまった。なんだか期待したほどでもなかったなと半分がっかりし、滝を見ながらモナカを2個食べた。今朝は普通通りの朝食をとってから出て来たから、菓子パンだのは用意せず、おやつの類で昼食代わりにするつもりだった。
ここでしばらく休んだ。もう桜沢に課題はない。ヘルメットを脱いで、ストックを一本出す。雷霆の滝から先はきつい感じがした。沢沿いなのにまったくの無風。かなりの汗で下着が身体にへばりついてこよなく不快。
(桜沢を右に見ながら歩いているうちはよかったが)

(こうなるとつらくなってくる)

たかが350mとはいっても休みなしにまる7日フルに出勤し、しかも涼しい内勤ではなく暑い外に出ての仕事をしていた身体には、一時の睡眠では追いつかなかった。きつい。ちょっとした坂道もストック頼りになった。この時、ダブルストックだったらもっと楽だったろうが、ここのところ、ストックは一本にしている。不快な汗まみれの登り帰路が続く。
モナカを食べたからか、しばらくしたら胃腸がうめき出した。あそこまで登れば、後は緩やかになるだろうと思ったところで、我慢できなくなった。遊歩道から外れた高台(尾根か?)に登って、下りかけのところで太い枝で穴を掘って用を足した。あっという間ですっきりだったが、6月の塔の峰歩きと同様に、すぐにハエが押し寄せてきた。10匹はいた。こいつらはきっと鋭い嗅覚を持っているのだろう。いったいどこに潜んでいたのか。害はないからいいが、遊歩道に戻る途中ででかいアブがやってきて、手首にとまったのですぐにつぶしたが間に合わなかった。いきなり腫れてきたので、すぐにキンカンを塗ったら、間もなく収まった。
ようやく緩い道になり、後は、標識に表示された八方ヶ原までの距離表示が救いになる。基本的に200m単位で標識が置かれている。
(帰着)

学校平の駐車場には車が7台ほどあった。人の姿は見えない。天気はどんよりしている。山の駅たかはらに入っても何かありそうな気配もなかったのでやめた。駐車場の縁石に腰をかけてタバコを吸って終わり。着替えはせず、濡れた沢靴のままでおしらじの滝に向かう。
(おしらじの滝)

(同じく上から)

おしらじの滝に寄ったのは、前回のおしらじの滝が暗かったためで、この時間なら少しは明るいかと思ったからのことだが、今日の天気では陽が当たっているわけでもなく、結果としては、前回よりは少しはましで終わった。こちらの滝では6人ほどに出会った。
駐車場に戻るとすでに2時半になっていた。ここで全部着替えた。これから桐生の新里の友人宅に寄らなければならない。栃木県民がこよなく愛するというチタケが今年は豊作で、やるから来いということで、あまり興味はなかったが、せっかくの好意だし、断わるわけにもいかず、赤城山にでも登った帰りに寄るつもりが那須塩原になってしまった。ここからではかなり不便だ。苦肉の策というよりもこれしかないようだったが、矢板ICから日光宇都宮道路、足尾経由で向かった。おしらじの滝駐車場が24℃と涼しかったのに、南下するにつれてどんどん暑くなり、高速に乗ると10℃以上高くなっていた。その暑さも手伝い、運転しながら無性に眠かった。
前回、スッカン沢の滝めぐりをした際、出発時に犬連れのご夫婦のダンナさんに声をかけられ、先週も学校平から歩いたとおっしゃっていたが、好きなもんだなぁと思ったぐらいでその時は終わったが、確かに、通行止めを律儀に守るなら、スッカン沢と桜沢にある名のある滝を一遍に観ることはできずに二度歩きになる。こちらは、律儀ではないから一回で終わらせたが、天気予報の雲行きも気になり、桜沢側に課題をいくつか残してしまった。今回はそれを片付けるつもりでやって来た。ご夫婦と意図は違うが、立て続けに来たという点では同じになってしまった。
土日と出勤になり、8日はその代休。天気予報は前回と同じで昼過ぎに怪しくなるようだ。それでいて家を出たのは8時過ぎで、山の駅たかはらの学校平駐車場から歩き出したのは10時20分近くになっていた。空はどんよりしている。少々嫌な感じがしたが、出発時に確認した天気予報は終日曇りで、崩れるのは夕方からだった。それを信じるしかない。
今回持ち込んだいくつかの課題の一番は、やはり、咆哮霹靂の滝の上に出て桜沢を歩いてみることだ。正面左の霹靂の滝は水勢があるので無理として、右手の咆哮の滝は自分にもフリーで登れそうだったが、一人での滝登り、まして本日は平日。携帯はつながらないエリアだ。万一のことがあるので、前回目をつけていた霹靂の滝寄りにある小沢(とはいっても水は湿り気程度だった)から迂回して滝上に出るつもりでいる。
(山の駅たかはら。天気はどんよりしている)

(八方ハイキングコースへ。正確には前山八方ヶ原線歩道というらしい)

(前半は緩い下り。歩道の標識は豊富だが、ベンチや階段はところどころが朽ちかけている)

駐車場で沢靴に履き替えて遊歩道を歩き出す。ほどなく戻って来る犬連れのファミリーと出会う。そしてもう一組のファミリー。子供は夏休みだし、近くに泊りがてらにやって来たのだろうか。以降、だれにも会うことはなかった。出発時間が遅いし、平日ではそんなものだろう。
遊歩道は緩やかに下っている。スッカン沢でもそうだったが、そちらの遊歩道は距離が短く、最後まで緩やかだったから登り帰路でのきつさはほとんどなかった。こちらの「八方ハイキングコース」は後半で下りの傾斜が増すようで、単純に350mほどの高低差がある。遊歩道歩きに徹して立入禁止を無視すれば、八方ハイキングコースから雄飛の滝線歩道に出た方が楽だろうが、その後の車道歩きが長くなる。ちなみに、学校平から咆哮霹靂の滝までは標識によれば片道3.3kmのようだ。
(山神。歩道はここでUターンの形になる)

途中で<山神>の石碑を見かける。裏を見ると明治45年建立になっている。お堂や石祠があるわけでもなく、なぜこんなところに山神なのか不思議だ。山神を過ぎたあたりから左下に沢が見えるようになる。沢に水はない。桜沢の本流と出会うのはまだ先だ。ここで頭の中が混乱する。スッカン沢も桜沢も南から北に流れるが、桜沢にかかるおしらじの滝は逆に流れているような気がする。沢は上流部のどこかでカーブでもしているのだろうか。よくわからない。もしかしたら、おしらじの滝は別沢の滝なのだろうか。
(歩道は次第に傾斜を増す。この時はたいして気にもならなかったが、帰路は疲れた)

(桜沢が歩道沿いになる)

(スッカン沢ほどではないが、桜沢もきれいだった)

(雷霆の滝の落ち口。歩道から)

(雷霆の滝1)

(雷霆の滝2)

遊歩道は方向音痴の自分には紛らわしい分岐が2か所ほどあった。左に大回りするところを直進したりした。踏み跡があるから行ってしまう。そして途切れる。皆んな同じように勘違いをしては戻る。もう一つは標識の微妙な向きだった。だからというわけでもないが、曇り空でだれもいないせいか、陰湿な遊歩道に感じる。ただ、ここはずっと広葉樹が続き、スッカン沢歩道に比べ、陽が出ていれば、紅葉時期ならがきれいな歩道かもしれない。
桜沢が左下に見えるようになり、沢歩きに転じようかなと思ったが、ここで遊んで時間をつぶすわけにもいかず、雷霆の滝もまた、歩道を外れて落ち口を覗き込んで眺めただけ。この時は、帰路では沢歩きにするつもりでいたし、第二課題の、雷霆の滝の先にある桜沢に東から入り込むナメ沢(地図では薄い青線が記されている)も帰路で探索するつもりで素通りした。
(雷霆の吊橋)

(スッカン橋分岐。もちろんそちらは通行止め)

(咆哮の滝)

(霹靂の滝1)

(霹靂の滝2)

次第に「傾斜は緩やか」とは表現できなくなってしばらくすると通行止めのスッカン橋分岐を通過し、咆哮霹靂の滝に出た。まずは右の咆哮の滝。前回と同じくらいに水は流れてはいる。目の前にしてもフリーで登れそうだとは思うが敢えてしない。左に行って霹靂の滝。今回は深入りはせずに眺めただけだが、こちらがむしろ「咆哮の滝」の名にふさわしい。まさに獣が吠えている流れだ。「霹靂」とは雷が激しく鳴る意味のようだ。右滝に「咆哮」の字をあてがっている以上、鳴りを潜めた滝も、雷雨の時には怒涛の流れになるのだろうか。
(ここから入りこんだ)

(ここは左下から上に)

(見下ろして)

(霹靂の滝が見えている)

いずれにせよ、両滝を直登できないのでは巻くしかなく、予定通りに下見をしておいた沢の入口に移動した。ヘルメットは必要あるまいと思ったが、持って来たことだし、念のためにかぶる。すぐに濡れた大石がいくつか重なって立ちふさがった。簡単に越えられそうにないので左からかわした。大石の上に出るとあとは簡単だった。右の枯れ沢を渡るだけで踏み跡は明瞭だった。右下に霹靂の滝を見ながら、難なく滝上に出られた。ネットで調べたわけではないが、ここを巻いて滝上に出る人も多いようだ。おそらく、自分と同じ非本格的で単独の沢歩き好きの人たちかと思う。あるいは釣り人だろうか。
(滝の上のナメ床に出た)

(中の岩を挟んで右が霹靂の滝、左が咆哮の滝にそろそろ流れている)

(霹靂の滝の落ち口)

(こちらは咆哮の滝)

広いナメが広がり、上流には小滝の連瀑が見えている。先ずは咆哮霹靂の滝の上を覗きに行く。咆哮の滝の真上に出るには段差があり、そこまでする気もなく眺めただけで終える。さて、ここから桜沢を遡行することになるが、せめての雷霆の滝あたりまでは水遊びをしてみたい。
(上流に向かう)

(振り返って。広い)

(簡単に登れて気持ちがよい)

(段瀑が続く。ここは深いので右から巻いた)

(右岸に滝のような流れ込みが見える)

(水が澄んできれい)

(右岸からの滝)

(上部をアップで)

(ずっと続くことを期待したが)

(吊橋が見え、ゴーロ状になったので切り上げるか)

広いナメ床がしばらく続く。左手からは滝が流れ込む。段差の下の淵は深く色は青い。これもそう限りなくは続かない。石がゴロゴロし出すと沢幅は狭くなり、ナメ床もまばらになってくる。こうなると、楽しみもまた半減してくる。先に雷霆の吊橋が見えてきた。雷霆の滝までは沢歩きのつもりでいたが、吊橋を見て気が変わった。あそこで切り上げよう。第一目的は済んだのだから。それを終わらせたわりには、あまりすっきりした気分にはならなかった。滝上に出るのにもっと刺激が欲しかったし、ナメ歩きがもっと続いて欲しかった。すべてがあっけないものだったというのがその理由。だったら、桜沢をもっと上流まで行けばよかったかもしれないが、上流部の渓相は、自分には力量不足もあって魅力がなかった。
(ここから支流の左に上がってみる)

(最初はこうだったが)

(まもなくこうなった。歩きづらそうなので先に行くのはやめた)

(こちらは分流。すぐにこれだ。水も細い)

吊橋に上がり、次は支流のナメ沢へ。実のところさらにがっかりした。前述したが、この沢は細いながらも地図には水線が記載されている。それなりに期待していた。沢はすぐにナメになり、右から半分幅の沢が合流。こちらもナメ。取りあえずは直進して本流を登ったが、すぐにゴロ沢になった。戻って、右沢に入ると同じくゴロでかなり狭い。つまりはショボ沢。さっさと遊歩道に戻って収穫なしで終わった。
(雷霆の滝が見えたので桜沢に復帰)

(この滝を観るのは最後だろう。3回も観た)

ここは前回歩いたし、雷霆の滝の近くになって桜沢に入り、苦労もなく雷霆の滝に出てしまった。なんだか期待したほどでもなかったなと半分がっかりし、滝を見ながらモナカを2個食べた。今朝は普通通りの朝食をとってから出て来たから、菓子パンだのは用意せず、おやつの類で昼食代わりにするつもりだった。
ここでしばらく休んだ。もう桜沢に課題はない。ヘルメットを脱いで、ストックを一本出す。雷霆の滝から先はきつい感じがした。沢沿いなのにまったくの無風。かなりの汗で下着が身体にへばりついてこよなく不快。
(桜沢を右に見ながら歩いているうちはよかったが)

(こうなるとつらくなってくる)

たかが350mとはいっても休みなしにまる7日フルに出勤し、しかも涼しい内勤ではなく暑い外に出ての仕事をしていた身体には、一時の睡眠では追いつかなかった。きつい。ちょっとした坂道もストック頼りになった。この時、ダブルストックだったらもっと楽だったろうが、ここのところ、ストックは一本にしている。不快な汗まみれの登り帰路が続く。
モナカを食べたからか、しばらくしたら胃腸がうめき出した。あそこまで登れば、後は緩やかになるだろうと思ったところで、我慢できなくなった。遊歩道から外れた高台(尾根か?)に登って、下りかけのところで太い枝で穴を掘って用を足した。あっという間ですっきりだったが、6月の塔の峰歩きと同様に、すぐにハエが押し寄せてきた。10匹はいた。こいつらはきっと鋭い嗅覚を持っているのだろう。いったいどこに潜んでいたのか。害はないからいいが、遊歩道に戻る途中ででかいアブがやってきて、手首にとまったのですぐにつぶしたが間に合わなかった。いきなり腫れてきたので、すぐにキンカンを塗ったら、間もなく収まった。
ようやく緩い道になり、後は、標識に表示された八方ヶ原までの距離表示が救いになる。基本的に200m単位で標識が置かれている。
(帰着)

学校平の駐車場には車が7台ほどあった。人の姿は見えない。天気はどんよりしている。山の駅たかはらに入っても何かありそうな気配もなかったのでやめた。駐車場の縁石に腰をかけてタバコを吸って終わり。着替えはせず、濡れた沢靴のままでおしらじの滝に向かう。
(おしらじの滝)

(同じく上から)

おしらじの滝に寄ったのは、前回のおしらじの滝が暗かったためで、この時間なら少しは明るいかと思ったからのことだが、今日の天気では陽が当たっているわけでもなく、結果としては、前回よりは少しはましで終わった。こちらの滝では6人ほどに出会った。
駐車場に戻るとすでに2時半になっていた。ここで全部着替えた。これから桐生の新里の友人宅に寄らなければならない。栃木県民がこよなく愛するというチタケが今年は豊作で、やるから来いということで、あまり興味はなかったが、せっかくの好意だし、断わるわけにもいかず、赤城山にでも登った帰りに寄るつもりが那須塩原になってしまった。ここからではかなり不便だ。苦肉の策というよりもこれしかないようだったが、矢板ICから日光宇都宮道路、足尾経由で向かった。おしらじの滝駐車場が24℃と涼しかったのに、南下するにつれてどんどん暑くなり、高速に乗ると10℃以上高くなっていた。その暑さも手伝い、運転しながら無性に眠かった。
おしらじの滝、綺麗ですね!水の深みもあり、柵は無くなったのでしょうか。山の駅、たかはらに飾ってあってもおかしくないかなと思います。チタケですが長年、栃木に住んでながらまだ食してません。どうだったんでしょうか?それよりも高木さん家で猫達と夕陽を見ながらまどろむ幻想を忘れられません。コロナが無かったらなぁと思う次第です。
おしらじの滝、そこまでお褒めいただくと、しらじらしくもなりますよ(笑)。もっと明るさを期待したのですが、全体が薄暗いところですから、しかたないですね。
柵というのがよくわからないのですが、正面の展望台にはこぎれいな柵はありますが、バリケードの類いではありません。落ち口に行くには立入禁止のガードがありますから、私はそれを越えて上に行ったということになります。
チタケのことは以前から知っていましたが、友人の手元にあったチタケは、生もありましたが、調理寸前の冷凍物をもらいました。ナスもすでに入っていて、湯戻しすればそのままスープになるやつです。これをラーメンとうどんで食べてみました。結果は<?>で、どこが違うのか私にはわかりませんでした。YOU TUBEを見ながら作ったのですけどね。うどんが一杯1500円くらいするようですが、そんな高値の味にはなりませんでした。おそらく、本場でない群馬産のチタケだからでしょうかね。
高木の家にはよく行きます。トウモロコシをもらいに行ったり、猫とウサギを見に行ったりと。その都度、そろそろやろうかと話は出るのですが、私自身がまだその気分になれないのですよ。