くるくるしんぶん 999号(1998年 7月17日)より
< ロシアの自然のエチュード>
月日は人のごとく ニコライ・オメリュシク
月日は人のようだ。生まれ、生き、死んでゆく。人がたがいに似ていないように、それぞれの日々も似ていない。
こんな比較がわたしの頭に浮かんだのはある夏の日の終わりだった。それを覚えているのは30度ちかく、あるいはそれ以上のとても暑い日だったからだ。一日中わたしは野原で過ごした。
わたしはその日が生まれるのを見た。鳥たちの囀りが一日の始まりを告げた。うっすらと霧が低地を這っていた。まだ熟れていないライ麦畑でウズラが大声をあげ、草原でクイナが鋭く鳴いた。
太陽が高く昇るにつれて暑くなり、鳥たちは声をひそめた。霧が気づかないうちに一瞬で消えた。ハエやアブやブヨにうんざりさせられだした。草の中でキリギリスが鳴き、チョウが舞い、トンボが飛んでいた。夏の焼けつくような草いきれのにおいがした。一点の曇りもない空だった。すべてが暑さの前になすすべを持たなかった。
夕方が近づくにつれ、ふたたび鳥たちが元気を取り戻し、クイナとウズラの声がし始め、キリギリスは鳴りをひそめ、ハエやアブは姿を消した。太陽は低く低く沈んで遠い森にかかり、後ろへと隠れた。涼しくなってきた。空はずっと夕陽に燃えて晴天を約束していた。
だがそれはもう新しい日だ。今日という日は決して繰り返されない。同じように生命も――ちいさな虫たち、鳥たち、獣たち、人の――。
もうどれくらい鑑定室にいるでしょうか。長いですね。
< ロシアの自然のエチュード>
月日は人のごとく ニコライ・オメリュシク
月日は人のようだ。生まれ、生き、死んでゆく。人がたがいに似ていないように、それぞれの日々も似ていない。
こんな比較がわたしの頭に浮かんだのはある夏の日の終わりだった。それを覚えているのは30度ちかく、あるいはそれ以上のとても暑い日だったからだ。一日中わたしは野原で過ごした。
わたしはその日が生まれるのを見た。鳥たちの囀りが一日の始まりを告げた。うっすらと霧が低地を這っていた。まだ熟れていないライ麦畑でウズラが大声をあげ、草原でクイナが鋭く鳴いた。
太陽が高く昇るにつれて暑くなり、鳥たちは声をひそめた。霧が気づかないうちに一瞬で消えた。ハエやアブやブヨにうんざりさせられだした。草の中でキリギリスが鳴き、チョウが舞い、トンボが飛んでいた。夏の焼けつくような草いきれのにおいがした。一点の曇りもない空だった。すべてが暑さの前になすすべを持たなかった。
夕方が近づくにつれ、ふたたび鳥たちが元気を取り戻し、クイナとウズラの声がし始め、キリギリスは鳴りをひそめ、ハエやアブは姿を消した。太陽は低く低く沈んで遠い森にかかり、後ろへと隠れた。涼しくなってきた。空はずっと夕陽に燃えて晴天を約束していた。
だがそれはもう新しい日だ。今日という日は決して繰り返されない。同じように生命も――ちいさな虫たち、鳥たち、獣たち、人の――。
これは『窓辺のななかまど』というベラルーシのミンスクでソ連崩壊前の1980年代に出版された小さな本に載っていたエチュードです。(「ベラルーシの自然のエチュード」とすべきでしたね。)
身近な自然に人生の断片を織り込んだオメリュシクの素朴なエチュードは読者になかなか人気があり、私も楽しんで訳していました。それにしては下手?
『窓辺のななかまど』の最後のページにのっている「月日は人のごとく」は、くるくるしんぶんにとっても最後のエチュードとなりました。
身近な自然に人生の断片を織り込んだオメリュシクの素朴なエチュードは読者になかなか人気があり、私も楽しんで訳していました。それにしては下手?
『窓辺のななかまど』の最後のページにのっている「月日は人のごとく」は、くるくるしんぶんにとっても最後のエチュードとなりました。





【鑑定室】めぐちゃんに似ているって私が気になっていた子はまだいますね。
レポートから。
▽白黒長毛 メス 推定1~2才 10kgくらい
手を伸ばすと体を固くする様子がありますが、
攻撃性は全くなく穏やかな子だと思います。
右目の様子は前回レポート時よりも改善しているような印象でしたが、
近くで見ることができなかったので定かではありません。

レポートから。
▽白黒長毛 メス 推定1~2才 10kgくらい
手を伸ばすと体を固くする様子がありますが、
攻撃性は全くなく穏やかな子だと思います。
右目の様子は前回レポート時よりも改善しているような印象でしたが、
近くで見ることができなかったので定かではありません。

もうどれくらい鑑定室にいるでしょうか。長いですね。