うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

ほんと、ごめんなさい

2022年08月09日 | うんこの事

8という文字は、

末広がりで、縁起がいいとされている。

 

おはようございます。

そんな8月8日は、『ライオンゲートの開く日』でもあったらしい。

占星術では、ライオンゲートなる門が開ききって、

しし座の良いエネルギーが、最大限に降り注ぐ日なのだそうだ。

 

末広がりで、ポジティブにエネルギッシュな8月8日、

私は、ウンコを踏んだ。

出勤途中で、ウンコを踏んだ。

 

そして私は、ウンコを漏らした。

ウンコを踏んだ靴のまま、どうする術もなく、

とりあえず車に乗り込み会社へ向かう道中、

ちょっとウンコを漏らした。

靴底のウンコにばかり気を取られて、油断していた。

 

会社の駐車場に車を停めた私は、一旦放心状態になった。

どっちのウンコを先に洗い落とせばいいのか、もう分からなくなった。

けれど、腹がまた痛み出したおかげで、心が決まった。

焦る気持ちを抑えて、2度と漏らさぬよう、外階段を慎重に上り、

社のドアを開けた矢先、

挨拶をしながらトイレへ流れるように向かい、パンツを洗った。

綺麗に洗い流されたパンツを履きなおして、

私は、「セーフ」と呟いた。

どういう訳か、「セーフ」だと思った。

 

パンツが程よく乾いた頃、所用で出かけたら、

私の運転する車の上周辺だけに、雨がザーッと降った。

極めて限定的なお天気雨だった。

「これはいいぞ」

喜ばしい雨だった。

私の車には、小鳥の糞があちこちに落とされていたからだ。

雨で洗い流せて、「これはいいぞ」と思った。

 

けれど、会社に戻り駐車した瞬間、糞を落とされた。

雨で洗い流された糞は、小鳥の物だったのに、

この時落とされたのは、カラスの糞だった。

ウンコが、倍以上になって戻ってきた。

 

そんな中、ずっと着ていた白い上着は、

まだらにピンク色に染まっていた。

洗濯を失敗したせいだろう。

それに気づいたのは、社に戻り、とりあえず落ち着きたくて、

アイスを食べようと、冷凍庫からヨーロピアンシュガーコーンを取り出し、

開封したら、チョコの付いたシュガーコーンがバキバキに割れていて、

それが白い上着の胸に付着したせいだった。

慌てて上着を脱いで、チョコをふき取ろうとしたら、

それ以前に、白い上着は、まだらなピンク色だった。

まだらピンクの上着に付着した、ウンコみたいな色のシミなんて、

もう拭く必要などないと思った。

 

私は、さすがに思った。

誰か、ライオンゲート閉じて!

 

ここまで、辛抱強く読み進めて下さった皆さん、

ウンコばかりで、ごめんなさい。

なのに、極めつけに、うんこです。

うんこ「ちょっと、母さん?!」

ごめんごめん。

うんことウンコを一緒にしないでよって言いたい訳だね?

 

うんこ「これはないわ~。小さすぎるわ~。」

あっ、そっち?

帽子のサイズに文句言いたいのね?

 

うんこ「ヘローうんちゃんよ。母さんに呼ばれてきたわって、あや近い!」

いや・・・あの・・・

こっちのうんこを呼んだ訳じゃないっていうか、なんというか。

 

うんこ「皆さん、暑い日が続くけど、食って飲んで屁こいて乗り切って~」

こっちも下品で、ごめんなさい。


願いの栞

2022年06月22日 | うんこの事

一年で最も太陽が長く留まっている日、

私は、猫ベッドをひとつ捨てた。

 

おはようございます。

いつ買ったのか覚えていないくらい、

うんと前から置いていたベッドだった。

鼻炎持ちの猫の鼻水で酷く汚れていたが、

いつからこんなに汚れが酷くなったのかも覚えていない。

けれど、これ以上鼻水が飛び散る心配は、

もうしなくていいということは、はっきりと分かっていた。

 

だから、私はそのベッドを捨てることにした。

ようやく、捨てることに成功した。

死んだはずの鼻炎持ちが、

呑気な帽子を被った姿で栞になってて、それを見たら笑っちゃったからだ。

                       ポンちゃんまま作

「君は呑気だな」

そう思ったら、気持ちが楽になって、

部屋の隅っこに置き去りになっていた汚れたベッドの現実がはっきりと見えた。

「汚いなぁ」

本当に、哀れなほど汚れていた。

この、呑気な帽子を被った猫が、こんな汚いベッドで寝ていただなんて嘘みたいだ。

だいたい、なんという面白い帽子を被っているんだい?

誰が被せたの?

あっ、私だ・・・。

「うんこ、これ、もう捨てるね」

そう呟いて、ベッドをゴミ袋に押し込んだ。

 

私は、栞が好きだ。

自分でも、いくつか作ったことがある。

そして、それは大体、なにか願いのある時に作る。

四つ葉のクローバーを見つけて、それを栞にすれば、

願いが叶うような気がするからだ。

 

けれど、願いが叶った記憶は無い。

だから、猫が死んだのは、栞を作って願わなかったせいじゃない。

猫は死ぬものなのだ。

神仏に跪き、滝に打たれ、万策尽きて栞を何百枚も作りながら願ったって、

猫は死ぬ。

そして、私もいつか死ぬんだ。

 

だけど、私は呑気な栞に願う。

「あの子らを、どうか、最期まで私に守らせて。」と。

この願いは叶うだろうか。

私は運命をへし曲げたって生き続け、

また猫は死に、あり得ないぐらい泣き、

それでもまた猫が死んでも、私は生き続ける。

最後の猫が、呑気な姿の栞になって、思わず笑っちゃったら、

その時が大願成就なのだ。

 

大丈夫。

とりあえず働いて、飯食って、屁こいて、寝て、

その合間に猫の頭を撫ぜていれば、

この願いは叶うのさ。

呑気なのは、猫ばかりだ。

それでいいんだ。


ぼっこいって、言わないのぉ!

2022年06月18日 | うんこの事

私は、昔から栞というものに、

ある種の憧れを持っている。

 

おはようございます。

たまに、本当にごくたまに本を買うと、

栞が挟んであるでしょう?

出版社の広告でもあるのだろうけれど、素敵なデザインだとやっぱり嬉しい。

そんな私は、やりたがり屋な性格だから、

「素敵な栞を作ってみたい」とも思ってしまう。

不器用なくせにだ。

 

今から20年前になるだろうか。

好きだった男と別れる時、

当時私が一番大切にしていた物を栞にして贈った。

さようならの代わりに、

「ありがとう。幸せに。」と伝えたかったからだ。

そして実は、男は今でも、これを持っていた。

「おひさ~。俺、まだこれ持ってんだけどさ」

と、画像を送ってきたのだった。

当時を振り返れば、私の脳内ではキメにキメた自分と栞の姿だ。

本当は「別れたくない」と縋りつきたい気持ちを我慢して、

精一杯の笑顔で、大事に持っていた押し花を素敵な栞にして渡した。

そういう、とっても美しい回想だったけれど、現実は、これだ!

しょぼっ!  (※去年、男が撮影した現存の栞の雄姿です)

おっどろいた。

こんなクオリティーだったっけ?

もちろん男には言えなかったが、様々な思いから、

「返してくれないかい?」

と言いたかった。

 

そして、先日も驚いた。

ねこなんて大っ嫌いのぽんちゃんままさんが作った栞だ。

「なななななななな、なんですか、これはーーーー!!」

と、大げさではなく本当にこれっくらい、驚いた。

それが、こっれっだ!

本と共に、『うんこ』がやって来た。

なんでしょうか、この愛らしい栞。

ままん、ありがとうございます。

20年後も、いや一生涯、大切にします。

 

ヘロー、うんちゃんよ。

ビューリフォーボディーのうんちゃんが、栞になったわ。

母さんのペチャパイくらい、ペラペラになったってわけ。

ままさん、

うんちゃんはね、当分極楽でご馳走食べてるから、

これからも、ぼっこい我が家の仲間達をよろしくね。

よろしくぺろりんちょ!うふふふふふふ

 

おまけ

カキーンと固まる、たれのん・・・。


青空の奇跡

2022年04月23日 | うんこの事

休日になると、

あやが容赦ない。

 

おはようございます。

ドカッと乗ってくるものだから、

トイレにも立てやしない。

 

あやの凄い所は、平日にはこういうことをしないところだ。

あやは、非常に頭のいい猫だ。

元々、分かりやすい性格で、甘えたいとなれば、素直に甘える。

ただ、こんな風に膝に乗るタイプではなかった。

こんなことをするようになったのは、うんこが逝ってからだ。

そして面白いことに、うんこと同じような乗り方をする。

 

うんこが逝って、半年が過ぎた。

私は、この世の終わりかのような顔で延々と泣いていたのに、

最近は、めっきり泣かなくなった。

あの時に涙が枯れてしまったのかもしれないと思うくらいだ。

でも、枯れてなんていない。

あくびするだけで、涙は出るのだから。

ただ、うんこを思い出しても、いちいち涙は出なくなった。

 

うんこの大事なネズミさんを、我が家に残したおかげだろうか。

あやがうんこみたいに甘えて来るからか、

うんこが可愛がった、たれ蔵が元気でいるからかもしれないし、

単純に、のん太が極端なかかぁっ子だからかもしれない。

「のんちゃんが、可愛く寝てるよ~」とおじさんがカメラを構えると、

こんな顔で睨んでいて、笑っちゃうからかもしれない。

それより、おたまが、どんどん心を開いて行っている気がするからか。

 

「うんこの奇跡は、終わった」

私の人生が丸ごと全部、うんこが起こしてくれた奇跡のように感じていたから、

だから、私の人生も終わったような気がして、

それでも容赦なく、きちんと昇ってくる太陽が恨めしかった。

窓から見える朝の空が奇跡みたいに青いのに、

うんこが隣にいないだなんて嘘みたいだった。

私の人生が丸ごと全部、嘘だった気がして怖くなって泣いた。

 

だけどいつからか、朝の空が、

今日みたいに青くても、私はもう泣かなくなっていた。

ネズミさんが、机の上にあるからだろうか。

あやを膝に乗せて、窓から空を見ているからだろうか。

たれ蔵とおたまが、なんだか楽しそうに追いかけっこしているからか、

のん太が、じとっとした目で、かかぁを恨めしそうに見ているからかもしれない。

ただ、どういう訳か、猫らに

「ありがとね」と言うと、その時だけは涙が出るようになった。

この世は、なんとも上手くできているものだね、うんこよ。


鬼が逃げる名前

2022年04月03日 | うんこの事

私は、牛若丸が

実は源義経だったとは、知らなかった。

驚いた。

それにしても、源義経って何した人でしたっけ?

 

おはようございます。

私は日本史において、その程度の学識しかない訳ですが、

牛若丸の丸の意味は知っていた。

ちなみに、日本史にこんなに疎い理由は、

子供の頃の勉強を怠っていたからだ!

そのくせ、「そんなことも知らないの?」と驚かれた時、

私は、堂々と言い放つ。

「あたしって女は、過去を振り返らない女なのさ。」と。

 

あたしって女は、そういうポジティブ馬鹿な訳ですが、

丸の由来は日本史の勉強を犠牲にしてでも調べていた。

本当に、馬鹿だ!

 

その『丸』の由来は麻呂だったとされており、

子どもや動物を呼ぶ際の愛称のようなものらしいが、

そもそも、丸とは当時の便器(おまる)を意味しているらしく、

愛する我が子を、わざわざ○○便器と呼んでいたことになる。

理由は、厄除けのためではないかと考えられている。

可愛い子供が鬼にさらわれないように、

『臭い子』と呼んでいたのだ。

 

この風習は、モンゴルにもある。

例えば『バースト』さんという名前の人が居られるらしいが、

バーストの意味は、『うんこまみれ』だ。

魔除けの意味で、変な名前をつける。

 

そう、魔除けであり、厄除けであり、親の愛なのだ。

だから私は、小さな猫に『うんこ』と名付けた。

実は、うんこの名前の由来は

「カラスの糞みたいに落ちてきた」だけではなかった。

当時の私は、離婚直後であり、まったくツイてなかった。

何をやっても上手くいかず、神社でお祓いしてもらったほどだった。

そんな、疫病神に憑かれている気分の私に拾われた猫だ。

せめて、この子には災いが及ばないようにと願った。

 

とはいえ、考えに考えて、『うんこ』にしたわけじゃない。

それは本当に、カラスの糞みたいに落ちてきたから、

素直にそう浮かんだだけだ。

浮かんだ『うんこ』を憚る事無く、命名した。

憚らなかったのは、魔除けにもなると確信したからだった。

「これでいい!うん、うんこでいいんだ!!」

 

あれから、うんこは2度、命の危機を経験した。

感染症で死の淵を彷徨い、

避妊手術で腹膜を破り緊急手術をした。

その度、私は

「うんこを連れて行かないで。」と懇願した。

鬼か悪魔か知らないが、

私は鬼の形相で、うんこうんこと連呼したから、

逃げて行ったのかもしれない。

 

3度目の危機である、あの時だって、

私は何度も何度も、うんこうんこと呼んだ。

でも、私は分かっていた。

うんこが鬼や悪魔になんて、さらわれる訳がないんだ。

もう、大丈夫なんだって。

まっすぐ、極楽へ行くんだよねって。

あっちでも、「ヘロー、あたし、うんこよ」って、言うんだろうなってね。