不意に、ハッと閃いた。
まるで、虫の知らせみたいに、閃いたんだ。
金曜日は、燃えるゴミの日だ。
小さな運送会社だからといって、ゴミ出しの日までには、
パンパンに詰め込まれたゴミ袋が、3つは出来上がっている。
これが重いのだ。
午前8時半、空は青い、真っ青だ。
そこに浮かぶ雲は、白い油絵具を何層にも塗り重ねて、
丁寧に描かれた絵のように様になっている。
美しい朝だ。社内の窓から覗けば、まったく美しい朝だけれど、
外は、「あっつーーーー」
としか、言い表しようのない、暑い朝だった。
ゴミ収集場までは、100メートルもない。
100メートルは、平均150歩でたどり着けるという。
たった、150歩、されど150歩だ。
そんな朝、私はゴミ袋だけでなく、スマホも持って行くと決めた。
社内でゴミを纏めながら、不意に閃いたのだ。
「私は、これからチョウトンボに会える。」
そう閃いたから、この大荷物の中、スマホも持って社を出た。
チョウトンボとは名前通り、蝶々のような羽根をしたトンボだ。
ヤフーニュースに、その写真が載っていて、私はくぎ付けになった。
まるで、蝶の形をした黒蝶貝みたいに美しい。
羽根の色が、光によって、
虹色に煌めく海みたいだったり、星々が散りばめられた夜空みたいに見える。
まるで、小さな宇宙だ。
調べてみれば、それほど希少種でもないらしいが、
私は、チョウトンボに会ったという記憶は無い。
少なくとも、その存在を知らずに50年もぼけっと生きて来てしまった。
とにかく、まずは、100メートルだ。
ゴミを収集場に出すべく、150歩完歩しなければならない。
ゴム袋を3つぶら下げ、一歩踏み出すごとに、全身から汗が絞り出される。
会社の敷地から出ると、細い道路に沿って行く。
両脇には、休耕田が広がっている。
人の手の入らない休耕田は、様々な草が生い茂る野原のようだ。
目を凝らすと、紫色の小さな花も咲いていた。
見上げれば、空は相変わらず、青い。
栗の木には、緑の毬栗が生っていて、
花が咲いていない桜の木は、桜だなんて到底分からない。
「桜の木って、こんな葉をしていたのか」
鮮やか過ぎて、作り物みたいに見える葉が茂る枝の隙間には、
タコ糸で作られたみたいな、頑丈な蜘蛛の巣が見えた。
そろそろ、ジョロウグモが繁殖の準備をしている。
冬に見たイチョウは落葉し果て、まるで老人のような佇まいだったのに、
今では、無数の緑の蝶々が集っているように葉が茂り、若々しく見える。
「あっ?!」
そのイチョウの木のてっぺんから、ヒラヒラと黒い影が南へ飛んで行った。
「チョウトンボだ!」
私は、咄嗟にゴミ袋をその場に捨て置き、
スマホのカメラを起動させ、その影を追った。
ヒラヒラ優雅な羽根の動きに反して、早いスピードだ。
「さすが、トンボだ!」
トンボは、羽根の構造が、素晴らしくよく出来た虫だから早く飛べる。
さすが、トンボだ・・・さすが・・・・
撮影はおろか、影としてしか見ることが叶わなかった。
だけど、本当に会えたんだ。
私は、その日の前夜、虫を助けた。
部屋の天井近くの壁に張り付いている、1cmの虫だった。
私は、虫は好きだが触れない。
あの、夢にまで見たチョウトンボであっても、
目前に迫ってきたら、悲鳴を上げて一目散に逃げるだろう。
それくらい、好きだけれど、怖いんだ。
わざわざジェットコースターに乗って、
泣き喚き、少量ちびりながら、「いえーーーい」と言ってる人の心理と似ている気がする。
けれど、壁に固まる虫が哀れに思えた。
ここで、好きという感情が怖いを負かした訳だ。
私は決死の覚悟で、グラスで捕獲し、外に逃がしてやった。
その間、私はおそらく、ずっと無呼吸運動だったと思う。
これほど息をせずいられるのなら、
プールで50メートル息継ぎ無しで泳ぎ切れるのではないだろうか。
私は、息継ぎが苦手だからカナヅチになった訳だが、
今なら息継ぎ無しで、それなりの距離を泳ぎ切れる気がした。
本当に、虫をグラスに入れた、今なら・・・。
そして、その翌日の金曜日の朝、またしても我が家に入り込んだ虫を助けた。
今度は、2cmを超えるカナブンだ。
コロンとした2cmが、部屋の床にいる。
コロンとした2cmが、侵入できる隙間が、この家にあることに、
まず衝撃を受けた。
たしかに、数年前は、アオダイショウも侵入した。
かなり大きなアオダイショウだった。
窓に佇むアオダイショウを発見した時の、第一声は、
「かかかかかかかか、かっこいい」だった。
私は、爬虫類も大好きで、そしてやっぱり触れないのだけれど、
あの時は、アオダイショウの美しさに魅せられて、
つい、家中の隙間を探すことを、忘れていた。
アオダイショウが入れる家だもの。
そりゃ、2cmのカナブンなら、
手に手を取り合って2匹並んで楽々入れる隙間があるのだろう。
そのカナブンは、A4の書類の上に乗せて、外へ逃がしてやった。
なぜか、夜の1cmより、恐怖心が低かったのは、
カナブンが、コロンとしていたおかげだろう。
夜の1cmはスリムで、すばしっこそうだったから。
チョウトンボは、民家の塀の奥へと飛んで行った。
せっかく持って出たスマホでの撮影も出来なかった。
「でも、会えた。」
私は、来た道を戻りながら考えていた。
どうして、今日会えるって、さっき閃いたのだろう?
もしかして、あれは、
私が助けた2匹の虫が寄こした、虫の知らせだったのじゃないかしら。
これは妄想。
でも、今後も出来る限り、虫は助けておいて損はないかもしれないと、
浅ましく思った私であった。
さて、我が家ののん太が、おじさんに撮影されている。
のん太「なんら?おじさんめ、のんを見りゅな!」
のん太「ねえ、かかぁ。たちゅけて」
のん太「こいちゅめ、まだ見てりゅのか?!やっちゅけるぞ」
のん太「ねぇねぇ、かかぁ。のん、怖いら~」
この二重猫格、助けるべきなのだろうか?