うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

みかんの食べ比べのような今年を振り返る

2019年12月30日 | 日記

今年を漢字で表すならば、

これに尽きるだろう。

 

おはようございます。

命。

今年は、命と真剣に向き合わざるを得ない年だった。

ふざけているのかと思うほどの頻度で、

命と向き合ったが、ふざけてはいられなかった。

正直、今の私は、すっからかんだ。

決して連休が始まったからではない。

・・・とは言い切れないが、すっからかんなのは確かで、

年の瀬を迎えても、今年の出来事を上手く言葉に表せないでいる。

 

現状、どれくらい、すっからかんかというと

ブランドみかんと普通のみかんを食べ比べようとして

机に置いたら、どっちがどっちだったか分からなくなった。

という程、すっからかんな訳だ。

 

そんな中、振り返ってみよう!

始まりは

まだ、よねさんも居て、

 

お元気だった。

 

春が過ぎ、そろそろ覚悟をしなければと思っていたら、

よねの鼻くそ黒子みたいなのが、我が家に舞い込んだ。

よねの介護が増えていく中、生後間もない子猫を育てるのは、

想像を絶する大変さかと思いきや、

私にとっては、不思議と、

介護も育児も、互いが互いの支えとなっていた。

ブランドみかんと普通のみかんを交互に食べ進めることで、

新たな味を作り出すといった具合だ。

結局、どちらも上手く(美味く)いくという、

昇太師匠に座布団をねだってもいいレベルにまとまった。

とはいえ、これは私だけでは成せなかった。

我が家には、暗黙のルールがある。

新入りの世話は、我が家最年少の猫が請け負うというルールだ。

しかし、ほくろたれ蔵の時は、そのルールが崩れた。

なぜか、最年長のうんこが、筆頭世話役を請け負ったのだ。

もはや、付きっ切りで面倒を見てくれた。

うんこが世話役なら、何も心配はいらない。

これが、あややおたまだったらと思うと・・・。

いや別に、あややおたまを信用していない訳ではないが、

目は決して離せなかっただろう。

これを巷では、信用していない、というらしい。

 

やっと、ほくろたれ蔵が生後2か月になったと

安堵しようかなっと思ったところで、

赤ちゃんが追加された。

取り急ぎ、しお・こしょう・からしと名付けて育て始めたが、

今思い返すと、この時の私は、無の境地だった。

「えぇぇ~」とか、「やだ~ん」とか、あるべきリアクションもとらず、

とても静かな心で、もはや微笑みをたたえて、始まった気がする。

想像を超えると、人はそうなるのだと学んだ瞬間だ。

あまりに小さいから

 

老眼鏡が手放せなかった。

しかし、この時も、

ほくろたれ蔵の存在が、私のモチベーション維持に役立った。

この幼さで、懸命にお手伝いしようとする姿に胸打たれた。

ヤンチャしたい時は、

やっぱり、うんこが相手を買って出てくれた。

うんこは、赤ちゃん猫は好きだが、

実はヤンチャ盛りの子猫は、決して好きではない。

だって、引っかかれると、痛いしね。

それでも、うんこは、この見事なボディーを

惜しみなく、たれ蔵に差し出していた。

 

そうしないと、

ヤンチャ盛りの矛先があややおたまに向くだろう。

それでは、彼らが、この混乱の波に溺れてしまったに違いない。

超敏感なおたまと

 

超内弁慶なあや。

うんこのおかげで、あやとおたまは、

たれ蔵とも程よい距離感の中で、追加の3匹も受け入れることができた。

彼らのストレスは、最小限に抑えられたと思う。

 

うんこ、君は全部、分かってたの?

 

実際に、うんこが、すべて分かっていたかは分からないが、

うんこには、頭が上がらない事態となった。

だからといって、おやつを追加される事はなかった。

そこは、うんこの誤算であったかもしれない。

 

ここまで記すると、そろそろ、

あれ?

おじさんは?

と思われる人もおられるだろう。

おじさんは、メロメロだった!

それだけ!!

 

そして

こしょうが動かなくなった時、

私より泣いていたっけね。

この時、こしょうは、我が家の正式メンバーになった。

 

しおとからしは

無事に育った。

しおは、本当の家族とも出会え、

今も幸せに暮らしていることだろう。

 

からしは、何度も里親探しを試みたが、

その都度、気絶したりするもんだから、

さすがに私も諦めた。

からし改め、のん太も、我が家メンバーになったが、

ここでも、

どっちがどっちだが、見分けがつきません。

はっ!みかんと同じだ!!

 

と、我が家は、まるで振出しに戻ってしまったかのように、

うめと愉快な仲間たちは6匹に戻り、相変わらずバタバタとしている。

しかし、戻った訳ではない。

決して戻ることのない今が、刻々と未来へ進み続けている。

過去の思い出を胸に留めて、私達は進み続ける。

 

おじさんのお母さん、ありがとうございました。

よねさん、ありがとう。

こしょう、ありがとう。

そして、銀ちゃんのイチ大ファンとして、

ありがとうございました。

 

皆様、今年も、ここへお越しくださり、

誠にありがとうございました。

最後に、今年のベストショットで締めます。

「漫画のようなタッチの子猫~たれ蔵」

良いお年をお迎えください。


実験:大型連休

2019年12月27日 | 日記

ついに、この日が来た。

やって来た。

たどり着いた。

 

おはようございます。

自分、年末年始の大型連休に突入いたしました。

おかっぱ47歳、まだまだ若輩者ではございますが、

ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。

ってね、何を?ってね。

 

もう何度目だろうか?

今の会社に入社して以来、

盆暮れ正月に大型連休を取ってくださるトヨタ自動車様のおかげで、

多くの関連企業は、トヨタ様と足並みをそろえて大型連休になるのだが、

私は、この大型連休の過ごし方を、何度経験しても下手くそなのだ。

9日間の時もあれば、10日間という時もある。

その連休を、予定で埋めた経験がありません。

逆に言うなら、

ゴロゴロした経験しか、ない。

 

もし、健康な人間が、10日間ゴロゴロ横になりつづけたら、どうなるか?

という研究を始めようと思っている科学者がいるのならば、

私が身をもって、実験した結果を、ご報告いたします。

結果は、心が腐る。です。

生きながらにして、心が腐っていくという恐ろしい結果が得られる。

しかし、腐っていく過程は、いまだ正確には記録できていない。

なぜなら、自意識が薄い状態が続くからだ。

気付いた時には、もう相当部分、腐っているという始末だ。

この気付いた時というのは、連休最終日だ。

しかし、そんな薄い自意識の中、覚えている限りを記すると、

連休中間期に入る頃、いったん、

「会社行きてーーー」という、かなり危うい状態に陥り、

結局、連休最終日には、

「会社行きたくねーーー」と唱え続け、

そこに音程が付いて、「会社行きたくねー」という歌さえ歌い始め、

時には自分の歌声に涙さえ流す事態に発展する。

 

これは、約10年の間で、19回経験した結果だ。

寸分たがわず、19回、こうだった。

そして、この度、20回目を迎えました。

おめでとう、私。

よく頑張ったね、私。

もういいんだよ、予定を入れてもいいんだよ、私。

 

と、連休前は、そう思っていた。

が、しかし、連休に入ってしまった。

こうなると、もうすでに自意識が薄くなり始めているから、

自分の力では、どうにもできない。

私の予想では、

最終日、やっぱり泣きながら歌っていると思います。

 

そんなわけで、

10日間、ずっと、かかぁと一緒だぞ、のん太!

嬉しいだろう?

う・・・うれしい・・・よな?

なんという仏頂面だ!

 

おたまも、嬉しいだろ?

また睨み合ってんのか?

やめろ!

 

あぁぁ、もう負けてんな~

なんという負け犬顔だ!

 

たれちゃん?

たれ蔵「ぼくは、嬉しいよ、母ちゃん!」

たれ~たれちゃ~ん、アイラービューそこに登る事許す~。

 

さてと、うんこさんや?

そろそろ、オチをお願い。

 

うんこさん?

 

うんこ「正直言って、鬱陶しい」

そうなるよな。

10日間も生ける屍と共に暮らすと、猫もそうなるよな。


サンタクロースに、なれない日

2019年12月25日 | 日記

今年のクリスマスは、

なんだか静かじゃありませんか?

 

おはようございます。

以前は、世の中がクリスマス一色だった気がする。

スーパーに至っては、陳列棚が、

強制的にパーティーを促していたが、

今年は、クリスマスが来る前に、鏡餅が売っていた。

 

そんな中、私は昨夜、サンタクロースになり損ねた。

23日の夜、友人と食事に出かけると、

その駐車場で、猫の鳴き声が聞こえた。

並んでいる車の下を1台ずつ這いつくばって覗いていたら、

いた!いたいた!!

「うわっ。けっこう小さい・・・」

生後3か月程度だろう。

にゃ~っと鳴きまねをしてみると、

「びゃーん」と返ってくる。

「どうした?母さんとはぐれたんか?」

そう問いかけると、今度は黙ってこちらを見ていた。

一応、「おいで」と声を掛けてみたが、来るつもりは無さそうだった。

 

食事中も、友人には悪いが、心ここにあらずだった。

いや、私はそんなつもりはなかったが、友人からはそう見えたのだろう。

食べ終えてすぐ、友人は、ため息交じりに

「猫が気になってんでしょ?」と私より先に席を立った。

 

今年の冬は、それほど寒くはないが、

しかし夜となれば、やはり冷え込んでいた。

子猫の声は、食事前に居た場所から少し移動して別の車下で、響いていた。

「おいで。勇気を出して。大丈夫だから。」

30分ほど粘ってみたが、子猫が車下から出てくる気配は無かった。

これ以上続けると、子猫を余計に怖がらせてしまうと思い、

声を掛けるのをやめ、静かに立った。

「そりゃそうだろうね。怖いよね。」

そう呟き、自分の車に乗り込んだ。

 

そして、昨夜、前日とほぼ同じ時刻に、

私は、その駐車場に居た。

今度は、猫用のウェットフードと洗濯ネットを持って。

しかし、猫の声は、どこからも響かなかった。

「そりゃそうだろうね。」

そう呟いても、なかなか車に戻る気になれず、

私は、そのまま、立ち尽くしていた。

 

こんな事、クリスマスイブじゃなかったら、

しようとも思わなかった。

昨日は、特別な夜なんだから、

あの猫に、特別な日を贈りたいと思ったんだ。

しかし、私は何も贈ってやれなかった。

サンタクロースにはなれなかった。

 

さて、我が家のイブは、

のん太の初お留守番の日だった。

夕方、家に戻ってみると・・・

のん太「かかぁ~、おかえり~」

うん、ただいま!

と言いたいところだけどね、のんちゃん?

 

たれ「おおおお、おかえり、母ちゃん。ごめんなさい」

いいのいいの、たれちゃん?

たれちゃんの仕業じゃないんだから。

見てなくたって、どいつの仕業かくらい、かかぁは分かってる!

 

のん太「おい、かかぁ!見ろ!」

もう見ろって言っちゃってるもんね。

 

のん太「のんは、こうちて、やるんらぞ!」

再現してくれちゃってるもんね。

そんなわけで、昨日は、静かとは程遠い、

悲喜こもごもなイブであった。

 

うんこ「皆さん、メリークリスマス!」

 

うんこ「ところで母さん?なぜ、これなの?普通、あれじゃないの?」

 

いや、あれは、こっちに被ってもらったもんで・・・

 


冬至の団子

2019年12月23日 | 日記

昨日は、冬至でしたね。

 

おはようございます。

我が家は、おじさんのお母さんの四十九日の法要だった。

これを機に、お父さんのお骨も、

お母さんのお骨と一緒にお寺に納めた。

我が家には、もう、あの奇麗な箱が一つも無くなった。

不思議なことだが、それが寂しい。

本当に、不思議なことだ。

 

もともと、和菓子が苦手だった、おじさんが、

お骨に供えたお団子やおはぎを食べているうちに、

好きになっていくのも、不思議だ。

きな粉団子や大福を、自ら買ってくるようになって、

まったく、不思議なものだ。

 

そんな、団子か大福みたいな猫も、

ちょっと不思議なことになっている・・・

決して、仲がいいとは言えない、この方々ですが?

 

この、不本意な顔ったら!

 

うんこ「うんちゃん、負けないんだから」

あやに、陣地を取られそうになってんだな?

たまには、いいんじゃない?

お団子も、悪くないだろ?


突然ユーチューブ

2019年12月21日 | 日記

別れは、

突然やってくる・・・。

 

おはようございます。

昨日は、明らかに、様子が違っていた。

いつもなら、実家に着いて、キャリーケースの扉を開けると、

すぐに飛び出して、ババのところへ行くが、

昨日ののん太は、一向に出て来ようとしない。

「のん太?出ておいで」

声を掛けると、そろそろと出てきて、

ババではなく、私を見上げた。

 

いつものように、

通勤前に実家で食べるはずのサンドウィッチが食べられない。

ぐずって甘えるのん太を抱いているから、手が空かないのだ。

 

そのまま、コーヒーにもサンドウィッチにも手を付けず、

出勤の時刻まで抱き続け、そろそろだという頃に、

「ほいっ」と母さんにのん太を渡した。

私は、一口だけコーヒーを口に含み、

「限界かな?」という言葉とともに飲みこんで、

素知らぬ顔で、実家を後にした。

 

夕方、迎えに行くと、

父は、真っ先にこう言った。

「のん太、限界だぞ」

母も、続き

「もうよ、自分の家におりたいんや。

そういう歳になったんや」

と、寂しさを隠すような笑顔で言った。

 

どうやら、ずっと玄関で鳴いていたらしい。

それが、のん太からのメッセージだった。

 

限界だね。

のん太、ジジババ保育園、卒園です!

 

私は、保護した子猫は、

可能な限り、独りぼっちにしない事が望ましいと考えている。

本来ならば、母さんと一緒に居る時期の子猫だ。

母さんの代わりに、ずっと一緒にいてくれる存在は

居ないより居た方がいい。

そして、その存在は、猫より人が好ましいとも考えている。

先住猫に親代わりになってっと頼んだって、

あたし生んだ覚えない!って思われるだろうし、

人と暮らす以上、親代わりは人が担った方が、

猫も腑に落ちるだろう。

 

社会化期の子猫は、いろんな人や猫と触れ合って

育った方が飼いやすい子になるというらしいが、

私の経験上、飼いやすい子になるかどうかは、分からない。

そんなの、分かんないよ。

だって、うんと小さい時から猫たちだけで留守番してた子が、

飼いづらい子になったかと言われれば、そんな事はないのだから。

むしろ、手のかからない子に育った。

とっても良い子に育ってくれた。

留守番育ちのうんこさんが、まさにそうだ。

寂しい思いをせず育った、あやなんて、

8歳になっても手がかかるし、加えて底意地の悪さが

ババ→私→あやと完全に受け継いでしまっている模様だ。

あれ?

私の子猫育て法、逆効果か?

 

 

いいの、それでもいい。

私は、ただ、単純に、子供は安心させてやりたいだけ。

それだけだし、今の環境なら可能だから、そうしているだけだ。

とはいえ、ある日突然、強制的に、

実家に子猫を置いていくという、テロリストのやり口なのだが。

しかし、その時点では、私の心は一切、痛まない。

子猫は楽しそうに保育園で過ごすし、

両親の運動不足の解消にもなる。

「良いことずくめだろ?」と豪語している。

 

しかし、子猫が成長して、

環境の変化を好まなくなってくると、

のん太のように、メッセージを出す。

それは、いつも、突然だ。

前の日までは、いつも通りなのに、

その日は、突然、

何もかもが変わるんだから、気付かぬふりをする訳にはいかない。

その時、ようやく、胸が痛む。

突然の別れを、笑顔で受け入れようとする老夫婦の姿に、

胸が痛むという訳だ。

 

いや別に、一生の別れではない。

歩いて1分のところに居るのだから、

別にいつでも、会いに来ればいいのだけれど、

それとこれとは、心境が違うらしい。

そして、マンションの2階まで階段を上るのが面倒くさいらしい。

じゃ、しかたねーな!

 

と、突然といえば、

このブログに、突然、動画が載りますよ。

私をよく知る人なら、驚くだろう。

泣く子(機械)も黙らす(壊す)機械音痴の私が、

動画を載せるですって?

どうやって?

 

そう思われだろう。

かずさんです。

かずさんに色々段取りして頂いたうえで教えてもらったんです。

あじちゃんのぼやき。。

ブロガーのかずさんが、おもちゃを贈ってくださいました。

嬉しさのあまり、後先考えず動画を撮った訳です。

写真ならブログにも載せられるスキルは持っているが、

動画を載せるスキルなど、持っていないのにだ。

しかし、神はいた!

ラインに動画を送ることは、できる。

そこで、かずさんのラインに動画を送り、

そこから、かずさんのご努力により、ここでも披露するに至りました。

 

どうぞ、観てやってください。

私のゆ・・・違う、猫たちの雄姿を~!(注:俺の声がかなりうるさいです)

かずさん、本当にありがとうございました。

 

 

たれのん「かずさん、ありがとございましゅ!」

なぜか、突然フォントが変わってるけども、

それさえ直せぬ機械音痴め!

今後とも、どうぞ、よろしくお願いいたします。