私は、子供の頃から、あまり本を読まない。
自慢じゃないが、生粋のテレビっ子だ。
そんな私でも、時には本を読んで、
学んだり、笑ったり、泣いたり、感動したりするんだ。
そして、今回、読んだ本は、
ポンままさんに薦めていただいた、
「旅猫リポート」
号泣でした。ままん、号泣でした。
とっても、感動しました。
内容について書くと、絶対ネタバレしちゃう私なので、
そこには触れないかわりに、
この小説を読んで、どうしても被ってしまう自分の事を
書こうと思うんです。
もちろん、この小説のような感動はありません。
ごめんなさい。
私は、1度だけ、
共に暮らす猫達を手放そうと考えた時期があった。
当時、私は念願の自分の店を開業させた。
アロマテラピーとカイロプラクティックの店だ。
とても小さな店だったが、私独りで切り盛りする店だ。
これくらいが丁度いいと思った。
その店で、私は、たくさんの素敵なお客様と出会い、
毎日が充実していた。
人生の中で、これ程、生きていて楽しいと思える時期はなかった。
そろそろ、一周年記念の企画をと考えていた、4月のある日、
私は、突然、酷い頭痛に襲われ、意識を失った。
手術は成功し、めでたく生還はできたが、
私の脳内は混乱していた。
退院した私は、ご迷惑をお掛けした関係者各位に
知らせのメールを打とうとしたが、
文字が全く浮かばない。
メールの打ち方が、さっぱり解らない。
数字すら、ろくに数える事ができない。
その事に気づき、私は愕然とした。
主治医に聞けば、
「術後の後遺症だと思われますが、リハビリで、
ある程度取り戻せる事もあるから、焦らず過ごしましょう」
と言われ、私は焦りに焦った。
店へ行かなくては。
そう思っても、店への道も解らなくなっていた。
自分が情けなくなってしまい、店を手放す事にした。
数か月が経ち、
症状は、日常生活を送るに支障のない程度に回復した。
といっても、残念な事に、
私の元来生まれ持ってきた、おっちょこちょいな性格や、
すっとこどっこいな部分、ケチは、そのままだった。
回復に安堵するはずが、
私は、ますます不安に苛まれていく。
人間なんて、いつ、どうなるか、わかりゃしないんだ。
本当に、私が死んだら、どうするんだ、と。
そんな思いで、
呑気に昼寝をしている猫達を見ていたら、
膝の上のうめさんが、私をじっと見上げていた事に気づき、
私は、うめさんに話しかけた。
よねは、誰にだって可愛がってもらえる、大人しい猫だし、
きくは、ここなんかより、もっと居心地の良い場所があるかもしれない。
うんこは、何処へ行ったって大丈夫。きっと可愛がってもらえるはず。
ねぇ、うめさん?
私さ、あんた達が死ぬまで、守り抜く自信が無くなっちゃったんだよ。
私は、さっそく、顔が広い友人に連絡を取ってみた。
「うちの猫を貰ってくれる人、いないかな?
せめて、一番若い猫はどうだろう?」と聞いてみると、
友人は、
「はっはっは。あんなドデカい猫、欲しい人なんて居ないって」
と笑った。
笑うな、うんこを笑うな。
あんな良い猫は、どこ探したって、いないんだ。
こいつじゃ、話にならんと思い、帰った。
実家に行き、軽い感じで、
「ねぇ、きく、要る?」と聞いてみた。
母さんは、軽い感じで、
「要らん」と答えた。
ばっかだな~、
損したな~母さんは。
次は、別れた亭主を思い付いた。
そういえば、別れ際のあいつの最後の言葉は、
「せめて、よねを置いて行って」だった。
それを思い出し、携帯電話に掛けてみた。
電話番号が・・・変わっていた。
バッキャロー!
そして、里親サイトにアクセスしてみると、
まず注意事項が案内された。
「里親詐欺に、気を付けてください」と。
悪いヤツも居るのかと気を引き締めて、
とりあえず、募集中の猫達を見ていたら、
皆、素敵な人に出会えよ~がんばれよ~っと、
願う事に気をとられ、
うちの猫達の募集記事は、いつまで経っても作れなかった。
そんな、悶々とした日々を過ごす中、
ある日、実家で父が古い1枚の写真を見せてきた。
子犬と、幼い少女が映った白黒写真だった。
その写真を手にした瞬間、心臓がドクンと鳴り、
その拍子に、脳内で、映像がまるでフィルムが早送りするように
激しく、ぐるぐる回り始めた。
その激しさに、めまいを覚え、ぐっと体に力を入れていると、
めまぐるしく回っていた映像が、あるコマで、ピタッと止まった。
そのコマは、遠くで立ち尽くす1匹の犬の姿だった。
そして、今度は、ゆっくりとフィルムが回り始めた。
私が、うんと幼い頃、父は会社を経営しており、
その会社で、犬を飼い始めた。
当時、母も会社を手伝っており、
幼い私は、知り合いに預けられる事も多かったが、
預けられるより、会社で犬と過ごす方が好きだった。
昔、この地方は、まだ野良犬も当たり前のように居て、
飼い犬であっても、リードで繋がれず、自由に暮らす犬も珍しくなかった。
会社の犬も、自由な飼い犬だった。
だから、私達は、いつでも自由に、
一緒にいろんな所へ冒険をしに出かけた。
時には、その冒険の途中、犬が500円札を発見して、
それを咥えて、会社へ戻った。
皆に褒められる犬を見て、私はとても誇らしかった。
どんな冒険も、私は不安に感じた事なんて1度もなかった。
犬と一緒なら、どこへ行ったって、楽しかったんだ。
しかし、ある時、父の会社は、倒産した。
そして、父は、「犬は、ここへ置いて行く」と言った。
「近所の人が世話してくれるから」と。
その言葉を聞いて、私は、父に何も言えなかった。
せめて、どんな人が飼ってくれるのかくらい、聞けばいいものを、
私は、そんな事さえ言えずに、ただ茫然としていた。
その数日後、父の運転する車で、
たまたま倒産した会社の前を通り過ぎた時だった。
後部座席から、後ろを振り返った私は、
その時、犬が必死に追いかけてくる姿を見た。
必死に追いかけて、追いかけて、それでも追い付けず、
犬はついに、足を止めた。
犬の姿が、どんどん小さくなっていき、
とうとう見えなくなった。
その立ち尽くす姿が、犬を見た最後の記憶だった。
私は、そこまでを思い出し、ようやく、
忘れるはずのない犬の記憶を、
長い間、脳のどこかにしまいこんでいた事に、気付いた。
この写真に写っている犬と少女は、ボクと私だ・・・。
記憶と共に、
あの時に感じた、すべての感情が甦り、
私は写真を見る事ができなくなった。
泣きそうな自分を両親に悟られたくなくて、
急な用を思い出したと言いながら、
急いで写真をカバンに入れ、実家を飛び出した。
家に戻ると、いつものように、うめが玄関で待っていてくれた。
私は、靴も脱がずに、跪いて、うめに何度も謝った。
涙が、うめの頭にポタポタ落ちて、
それを何度も両手で拭きながら、謝り続けた。
自信なんて無くたって、私は生きてる。
生きている限り、私はボクに謝り続けなければならない。
そんな、もう今となっては、どうにもならない事を、
せめて、やり続ける責任が、私にはあるんだ。
私は、一日でも長く生きて、ボクに謝り続けていく。
そして、この猫達を、絶対に守り抜いてみせる。
そう思い、猫達の里親探しを止めた。