うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

猫と尻尾と金太郎

2024年05月17日 | うめの事

闇が覆う真っ暗な夜空に、

私は、あの美しい猫との輝かしい日々を、

月光を探すように思い出していた。

 

おはようございます。

昨夜は、うめを思い出して久しぶりに涙が流れた。

一筋の涙は、頬に懐かしさを伝えた。

だからといって、あの日々よ、再び!などと思わない。

形がないからこそ、過去はそのままに、そっとしておきたい。

 

ただ、これは

「あれ?なんか見覚えあるぞ?!」

と過去をほじくり出すほかなかった。

かずこがデイサービスで作った、『金太郎さん』だ。

これは、金太郎さんなのだそうだ。

持って帰ってきたかずこは、作ったこと自体忘れていたが、

連絡帳にスタッフの文字で、

「工作クラブで金太郎さんを作って下さいました。」

と書かれていたから、金太郎さんなのだ。

 

私は戦慄が走った。

どこをどう見て金太郎さんなのだという戦慄じゃないし、

奇跡的に眉間に『ガーーーン』という時に出る影が出来ていて、

この何とも言い難い悲劇的な表情への戦慄でもない。

 

金太郎さんばりにガーーーンっと眉間に影が現れたのは、

これのせいだ。

『か久"こ』の久"だ。

これのせいで、

忘れたい過去をほじくり出すしかないじゃんね。

去年のクリスマスに書いた己の誤字を!

『メリー久リスマス』

ああ、遺伝子って恐ろしいですね。

ボケた母親の誤字と、娘の誤字が、完全に一致!!

ガーーーン・・・・

 

そんな我が家の、のん太はうめに似ている。

あの輝かしかった日々は、

のん太の織り成す独創的かつ愉快な日々によって、再開された気分だ。

 

で、のんちゃん、何してるの?

のん太「かかぁ、邪魔ちないで」

しないけど・・・。

 

ああ、それ見ちゃダメよ。

 

もう完全にロックオンしちゃってるじゃん?!

 

それは、あやの罠だぞ。

その尻尾に乗せられると、100倍返しで弄ばれるんだぞ。

 

のん太「かかぁ、のんを止めて!」

止めないけどね。

あやも、うめさんが大好きだったもんね。

男嫌いなはずが、のん太だけは可愛がる。

そういえば、

うめは、たった数回しか会ったことのないかずこのことが

どういうわけが、とても好きだったなぁ。


うめ、感謝でなく謝罪を求めて戻ってきた?

2022年11月11日 | うめの事

私は普段、

今日は何日かなど気に掛けない。

何曜日かが大事であって、何日かなんてどうでもいいんだ。

 

おはようございます。

火曜と金曜は、燃えるゴミの日で、

第一水曜日は金属ゴミを出し、第三水曜日には埋めるゴミを出す。

それさえ覚えていれば、我が家の平和は保てる。

 

けれど、昨日は特別な日だった。

曜日がではなく、日にちが特別な並びを示していた。

とはいえ、待ちわびていた訳じゃない。

仕事をしている最中、出納帳に日付を書き込んだ時、

「あっ、今日はうめさんの命日だ。」

と気付いた次第だ。

 

11月10日は、うめの命日だ。

待ちわびていた訳じゃないから、特別なことはしない。

うめとの日々を思い出す時間も設けずに過ごした。

むしろ、思い出そうにも記憶が遠すぎて、

脳内であっても、うめは蘇らない。

もう、恋しいという感情も見つからない。

 

その訳は、うめとよく似た猫が、我が家にやってきたせいかもしれない。

私はうめの生前、うめに伝えたことがある。

「うめさん、私はあんたが死んでも、もう一度会いたいとは言わない。

この世に生まれ変わってきて欲しいとは思わない。

もう一度、うめとの別れの儀式をするのは嫌だから。

ただ、もし生まれ変わって、ここへ来るなら、

お願い、まっすぐ来てちょうだいよ。

産まれたら、すぐに私のところへ来なさい。

親とはぐれて辛い思いをしたり、餓えに苦しんだり、怖い思いをせず、

私の所へ、真っすぐに来るんだよ。

もちろん、分かりやすい派手な外見でないと、ダメだ。

うめらしいインパクトのある姿でないと、私は気づけないから。

分かった?それが条件だ。」

と。

 

この条件に、ぴったり合っているのが、のん太だ。

のん太は産まれて数時間で、私の手の中に来た。

6兄妹がゆえ、熟女さんと手分けして育てようとなり、

その時、私はのん太を選ばなかった。

あの時もしかすると、うめさんは、

「おーい、おいおいおーい!」と叫んでいた?

 

しかし、だからなのかもしれないが、5日後に、

「この子だけ元気がないの」

と熟女さんが心配したのが、のん太だった。

当時は『からし』という仮名だったが、

「じゃ、こっちで世話してみるわね。」

と言って、私はのん太を連れて帰った。

 

その後順調に育ったから、

私は張り切って、のん太の里親さんを探したわけだが、

のん太は、そうなると体調を崩したり、

持ち直したから、再度プロフィール写真を撮ろうとすると、

もはや自ら、マヨネーズの中へ突っ込んで顔中をベタベタに汚した。

今考えると、

どんな手を使ってでも、この家に残ってやるという執念のようだった。

 

ねえ、うめさん?

のん太はうめの生まれ変わりだなんて、

私のバカバカしい空想物語だと思うかい?

まあ、それでもいい。

ただ、いずれにせよ、

のん太と出会えたのは、うめのおかげだと、私は勝手に感謝している。

 

のん太大好きっ子のあやさん?

あや「可愛いわね、コロンちゃんしてて」

あやは、知ってる?

 

あや「うふふふ、のんちゃん。」

ねえ、聞いて!

のん太ってさぁ・・・

 

あや「お手々コロンちゃんしてるわ~可愛いわ~」

ねえ、あやさん?

 

あや「あら、寝ちゃったわ。可愛いわ~」

もう、ええわい!

 

あやは、うめさんも大好きだったよね。

とにかく、うめさん、ありがとう。

うめ「今度こそ、ちゃんとしてってことじゃ!」

今度こそって?

前回はダメだったってこと?

そゆこと?


今日は、うめさんの命日ですって

2021年11月10日 | うめの事

うんこが極楽へ行って、

今日でちょうど1か月過ぎることになるが、

今日は、そういう日ではない。

 

おはようございます。

今日は、うめの6回目の命日だ。

うんこが10月11日に逝き、

うめの命日は11月10日なのだ。

なんて、覚えやすいんだろうか!ありがとう。

 

私は、今でも時々、絶望を覚える。

うんこが居なくなった、この世が、

ひどくつまらなく感じて、ふと絶望する。

一瞬の絶望だ。

 

だからといって、泣き暮らしている訳ではない。

案外、笑っていることが多い。

おたまとたれ蔵のライバル対決や、

相変わらずエナジーが凄まじいあやや、

とにかく我が道をゆくのん太との暮らしに、笑うことが多い。

 

一瞬、絶望したって、時は止まらないし、

過去に戻るなどということは、絶対に出来ない。

けれど、今、

私がこんなに笑っていられるのは、過去が繋いでくれた今があるからだ。

 

うめが全力で守ってくれた我が家があるから、

私は笑っていられるのだ。

過去は、私の財産だ。

辛かったことも悲しかったことも楽しかったことも、一瞬の絶望も、

全部、愛しい財産であり、今を生きる道しるべだ。

 

うめ、よね、きく、うんこ、そしてチビっこだった、あや

 

うめと、うんこと、あや

 

まだ頭にゴーストマークが残ってるおたまと、うめ

 

みんな、うめが大好きだった。

みんな、うめが全力で守ってくれた愉快な仲間達だ。

うめが繋げてくれた、この今を、

私も全力で守り続けていけるだろうか?

 

うめさんみたいに、出来るだろうか?

うめ「どうかしらね~うふふふふふ~」

うめさんったら、応援してくれよ~!

 

うめ「んじゃオマケ、残しとこうかね~ふふふふ」

オマケ?

あぁ、この記事のために、

うめの画像を探してたら出てきた、これね?

おたま、保護直後

うっはっはっは、なんという顔しているんやー!!

笑っちゃった。

ありがとう、うめさん。


お久しぶりの、うめさん

2021年05月29日 | うめの事

私は、

野良猫みたいに怖がりだ。

 

おはようございます。

子どもの頃は、黒豚と呼ばれていたけれど、

なんでもかんでも、怖かった。

ひょうきんな振りをしていたけれど、

本当は、なんでもかんでも怖かったから、人を笑わせて誤魔化していた。

 

誤魔化していたくせに、

明日はきっと良い日だなんて期待して眠りにつくほど、

楽天的ではなかった。

 

今だって、そうだ。

なんでもかんでも怖い。

明日、私は生きているのだろうか。

1年後、母さんは私を覚えているだろうか。

10年後、私はこの家にいて、猫達は穏やかに過ごしているのか。

人を笑わせていられるのだろうか。

ダサいダジャレしか言えず、すごくスベッていたら、どうしよう?

それは、今と大して変わりはしないから、まあいいか。

 

そんな怖がりな私には、やり過ごすための呪文がある。

胸の中に、ざわっと風が吹いた時、

私はいつだって、「うめさん、守って」と口にする。

そうすると、たいていは風が止まる。

止まらない時は、「うめさん、見ててね」と言ってみる。

そうすると、胸の中に日の光が差すような、微かな勇気が湧いてくる。

 

うめが居た17年間だけは、私は怖がりじゃなかった。

それまで重かった自分の命が、半分に軽くなった気がした。

私は独りで私を生きなくて良かった。

うめと一緒に生きていれば、なんでも半分になった。

布団も座布団も机も、半分はうめのスペースだったし、

私のどちらかの腕は、いつも、うめを撫ぜるためだった。

おかずが刺身だった時は、その時だけは例外だった。

うめが6、私が4の割合で食べることになるから、

この時ばかりは、理不尽だと嘆いた。

「稼いでるのは、私なのに」と、まったく大人げない事を言ってしまった。

 

猫を拾ったら、私とうめで育てた。

猫達が喧嘩したら、私が叱り、うめが慰めた。

うめが叱る時は、私も続いて叱ってしまうから、

叱られた猫は、私への遺恨だけが残った気がした。

 

考えてみたら、力量は半分ずつじゃない。

完全に、うめが上だった。

器量も気立てもだろうが、それは仕方がない。

だって、うめは、柔らかな被毛を持つ、美しい猫だったのだから。

私は、超合金みたいな髪質のくせに体毛は薄いから、仕方ない。

これを読んで、「そこじゃない」と言いたい人も多いだろうが、

分かっています。

 

うめが居なくなって以来、

私の半分が私に返されたから、

私は、また野良猫みたいに怖がりに戻ってしまった。

 

おたまとたれ蔵は、仲良く過ごして行けるのだろうか。

酷い喧嘩なんてしたら、どうしよう。

20年後、私は私のもとに居る猫達を、

無事に極楽へ見送ってやれているだろうか。

私は、空を見上げて、笑っているのだろうか。

 

そんなことを考えると、ざわっと風が吹き、

私は、ほんの少し、うめに似ている、のん太に言う。

「うめ、守って。見ていてね。」

 

のん太、たれ蔵を頼むぞ。

 

なぜか、のん太は人望ならぬ猫望が厚い。

というか、猫達の愛されキャラだ。

 

そういうところも、うめに似ている。

似ていると、思いたいだけなのかもしれないな。

 

うめさん、見ててね

うめ「へっ?あたしゃ、とっくにプロバンスの豪邸で

美人のお姉さんとテレビ観てるんだけど?」

生まれ変わって、プロバンス地方の豪邸で暮らしてんの?

プロバンスて!


11月10日は、うめの命日だった

2020年11月13日 | うめの事

私は、それほど、

泣き虫ではない。

ただ、今年はおおいに泣いた気がする。

 

おはようございます。

私には、高次脳機能障害という脳の後遺症がある。

いろいろと、こんがらがっちゃってるんだよね。

 

そんな後遺症など気にならないほど、

もともと、こんがらがっているタイプではあるのだが、

今年の夏は、どういう訳か、

突然、私の脳の中で記憶の混濁が起きた。

 

家に帰ったら、うめとよねときくが居ない事に混乱した。

とっくに極楽へ旅立った3匹が居ない事が、理解できなかった。

今現在、取り戻している記憶もあるが、

どれが消えてて、どれが取り戻したか、これまた、こんがらがっている。

そこは、深く考えないようにしている。

 

そういう点においては、もともと、深く考えたいタイプだからだ。

 

ただ、一部であっても、ごっそりと記憶が抜けると、

人は、これほどまで空っぽに感じるのかと、我ながら戸惑った。

 

そして、

どうあっても、うめが居ない事が受け入れられなかった。

うめが側に居ないことが、恐ろしく頼りなかった。

何度も何日も何か月も、うめを呼びながら泣いた。

 

5年も前に、死んでいるのに。

 

去年から、新たな2匹が加わったことで、

猫達の関係性がギクシャクしていたこともあった。

だから、余計にうめが居なくて、不安だったんだ。

「どうしたら、いいの、うめ?」

「うめなら、どうするの?」

そう言いながら、涙がちょちょぎれた。

 

きっと、極楽で、

「知らんがな」って笑ってんだろう?

 

でも、うめさん、見てるかい?

今、あたし笑ってるだろう?

へっぽこ男子チーム、面白いだろう?

 

皆で頑張ったんだ。

去年は、ジジババ保育園のジジィとババィも久しぶりに活躍した。

老体どころか、ほぼ片足を棺桶に突っ込んでるけど、

両足突っ込む前に、冥途の土産にすべく鞭打ってたよな。

 

そして、特に、おたまは頑張った。

受け入れられない現状を、時間を掛けて受け入れて行った。

私が、うめのいない我が家を受け入れていくように、

ゆっくりゆっくり、静かに。

 

でも、思うんだ。

5年も経ってるくせに、

うめを想って号泣するなんて、

私にとっては、また大事な記憶が出来たって。

この記憶は、忘れない。

 

11月10日、うめの命日だったが、

今日は、昔のおたまを振り返ろう。

うめさんも大好きだった、ババァとおたま。

まだ、ジジババ保育園に居た頃だ。

 

6年前のババァ

 

今より、ボケてなかったんだ

 

猫が大っ嫌いだったくせに、

 

うめのことも、大好きだったよな。

 

こんな事する奴も、今ではいい兄ちゃんになっている。

 

うめさん、見てるかい?

みんな、笑ってるよ。

うめ「ちゃんと見てるさ。のん太に乗っかって見てるのさ」

うん、そんな気がするんだよな~。