もうすぐ、今年も終わる。
そして、平成の時代も・・・
おはようございます。
5月からなの?
5月から変わるんかな?
ということで、
今年の締めくくりは、今年をおさらいするのではなく、
私の平成ヒストリーを振り返ってみたいと思う。
平成元年、私は16歳だった。
その頃、ゲームボーイという小型ゲーム機が発売され、
私は親にねだって、買ってもらった。
あれ以来、私はテトリスと共に生きたといっても過言ではない。
その数年後、私は都会へ嫁に行き、こっぴどい目に遭った。
いや、私も悪かった。
世間知らずの人見知りが、人の嫁になるほど、
大人になり切れていなかったからだ。
今考えれば、自業自得だった。
そんな私は、辛い時、近所のゲームセンターへ向かい、
大画面のテトリスに没頭するのが常だった。
目に涙をいっぱい浮かべて、テトリスを続けた。
辛くて泣いていた訳ではない。
テトリスがどんどん早く落ちてくるようになると、
瞬きが出来なくなるからだ。
私は、それほどに、テトリスの腕を上げていた。
その頃だったろうか。
携帯電話の普及が一気に高まり、私もガラケーを持つ事となる。
もちろん、ストラップはテトリスのブロックを模した物を付けた。
そのガラケーからは、悲しい電話を沢山掛けた。
「お義母さん、チロ、安楽死しました」(嫁ぎ先の犬)
「姉ちゃん、パンチョ、死んじゃった」(自分で初めて飼った子犬)
「おい、夫よ!知らん女が刃物持って来たけど、早く帰ってこい!」(元夫の愛人)
「やい、テメー!どんだけ借りてんだ、このやろー!」(元夫の借金)
ちょっと待てよ。途中から腹立ってきた。
自業自得は撤回するが、嬉しい知らせも掛けたっけ。
実家の母さんに思わず掛けた、1本の電話。
「母さん?私ね、猫を飼う事にしたんだよ。うちに見に来ない?」
そこから、私の人生は、テトリスではなく、
猫と共に生きることと相成った。
平成10年、うめという猫と出会う。
原因不明の下痢が元で、もう売り物にはならないと聞き、
パンチョを亡くした直後の私は、思わず「引き取りたいです」と言ってしまった。
しかしタダではなかった。
手数料として、4万円取られたよね。
なんの手数料か知らんが、4万円払ったよね。
その3年後、平成13年
よねがやってきた。
ぐったりしていて、死んでしまいそうな子猫だったが、
元気になってからは、黒い悪魔と呼ぶようになった。
壁を垂直に登る姿は、まるでゴキブリだった。
1年後、平成14年
小さな女の子が泣きながら、「誰か、この子を貰ってください」と叫ぶ手に、
子猫が抱かれていた。
私は、その猫を貰い受けて、きくと名付けた。
不器用な性格だが、うめに、たいそう可愛がられた。
その後、離婚してボロアパートに越した直後、
まるで、テトリスのブロックのごとく空から落ちてきた。
平成18年、うんこが空から降ってきた。
うんこの子猫時代の写真は一枚もないが、
それはそれは、可愛い赤ちゃんだった。
私は、うんこと名付けながらも「親方~」と呼んでいた。
そういう顔だったのだ。
これで、我が家の猫メンバーは揃ったと思ったが、
平成24年
稀に見る、お転婆がやってきた。
その名は、あやだ。
あやは、川の縁にしがみ付いていたという事実からも、
不屈のド根性を生まれ持って来たのだろう。
まいった。
もう無理!
もう、これ以上、猫は増やせん!
なのに、平成26年
こんなの拾っちゃった。
ぴかーんと真っ白なのに、顔はいつでもぼんやりな、おたまだ。
里子にと考えたが、なんやかんやで我が家に残留した。
そして、その後
我が家から、うめときくが、旅立った。
平成の時代、
私には、これ以外にも、様々な出会いと別れがあった。
出会いにぶつかり、別れて消えた。
それは、まるで、テトリスのようだった。
ここへお越しくださる皆様、
今年も、誠にありがとうございました。
次は、来年にお会い致しましょう。