部活動を終えて、家に帰ると、
どういう訳か、母親は家を空けていた。
母の帰りを待っていられない程、空腹だった少年は、
滅多に立ち入る事のない台所へ向かう。
不貞腐れながら、食べ物を探していたが、
目につく物は、テーブルに置かれた、
茶碗1杯の冷や飯だけ。
その時、少年は初めて、料理と出会った。
おはようございます。
無我夢中で作った料理は、不味いチャーハンだった。
失敗に終わった料理を、
誰にも知られたくない少年は、
それを急いで口にかき込みながら思った。
「もっと美味しい料理が作ってみたい」と。
これを機に、少年の未来への道は一筋となり、
その道を迷わず、ひた走る事となる。
調理師学校へ進み、そこでフレンチを学ぶ。
そしてフレンチレストランへ就職、
と少年から大人の男へと順調に進み続け、
更に速度を上げて、坂道を登って行った。
下積みは、想像以上に辛いものだったが、
フレンチに魅了された男は、なんでも貪欲に学び続け、
気付けば、周囲から一目を置かれる存在となって行き、
ついに厨房を任される位置にまで登りつめた。
その頃、人々は、男を「若き天才シェフ」と持て囃すようになっていた。
それが、今じゃ、猫だらけの狭い部屋で、小汚い半袖で寝てるという訳だ。
私が、この男に出会ったのは、丁度、坂道が下り始めた頃だった。
アルマーニだかなんだか知らないが、
えらく派手なシャツを着た、プライドの高そうな男に見えた。
その実態は、162cm大のプライドの塊で出来ていた。
男の自己申告では、165cmだが、嘘つきめ!あんたは、絶対162cmだ!
経歴を聞いてみれば、覚えられぬ程の転職回数に、
「飽き性なんですか?」と問うと、
「条件のいい店に引き抜かれて、移っていただけです。」とぴしゃりと言ってくる。
「へぇ、凄い人なんですね。」と、ノッてみると、
「いや、今の店では規模が小さくて、思うようなものが作れません。」と続けた。
どちらかというと、ストライクゾーン広めの私が珍しく、
あぁぁ、こういう人嫌いと思った。
だがしかし、男は、けっこう気前が良かった。
というより、ケチじゃない。
自他ともに認めるケチな私は、ケチな男が大嫌いなのだ。
「出会った記念に、何かプレゼントしたいのですが、欲しい物はありますか?」
と聞いてくる。
一応「何も要りません」とは答えたが、ちょっと好きになった。
さすが、ストライクゾーン広めで、ゲンキンな女だ。
そうこうしているうちに、いつの間にか男が我が家に住みついていた。
気付いた時には、すでにクローゼットの中が、
ヘンテコな舶来製の紳士服で埋め尽くされていたり、
ぶ厚いフランス語の本で、本棚の底が抜けていたり、
猫たちが、じゃっかん懐いていた。
居るのならば仕方ないので、私は男に料理を作ってみた。
いみじくも、チャーハンだった。
「いかがでしょうか?」と、おっかなびっくり聞いてみた。
すると、男は、なんと、
「ん~・・・田舎料理ですね。」と、告げた。
田舎料理?
私は、田舎料理という言葉を、なんとか誉め言葉として捉えようにも、
胸のむかつきが止まらない。
「田舎料理って、どういう意味?」と聞くと、男は、
「大丈夫ですよ。食べられます。
でも、おかっぱちゃん。お料理はしなくていいんですよ。
僕は、基本、家庭料理は頂かない事にしています。
味覚が狂うと困るから。」と。
その言葉を聞いて、私は泣きながら言った。
「あんた、家庭料理を馬鹿にしてる。
家庭料理は、食べる人が目の前にいる。
その人が、毎日、生きるために作るんだ。
美味しくなれ、元気になれっという願いを込めて作るんだ。
願いという、調味料は最強なんだ。
それをさ、あんたに教えてやるよ。見てろよ!」
男が完全に坂道を下り切るのは、その後まもなくの事だった。
男が雇われていた店は、小規模ではあったがフレンチレストラン。
その店のオーナーから、解雇を言い渡られた。
しかし、男は就職活動をしようとはしない。
きっと、どこかの店から誘いが来るだろうと高を括っていたのだ。
しばらくして、携帯電話が鳴る気配がないと悟り、
男は、ようやく動き出した。
調理師募集のフレンチレストランを数件当たるも、
男の輝かしい経歴が邪魔をする。
「こんな凄い経歴の人に来てもらえる程のギャラが払えないので。」を、
決まり文句のように聞かされて、断られる。
やっと受け入れてもらえたのは、フレンチレストランではなく、
給食会社だった。
それを聞いた私は安堵したが、男の顔は死人のようだった。
その死人に、鬼と化していた私は、さらに攻め込んだ。
「場所なんて、問題じゃない。
食べてくれる人に喜んでもらえれば、それが本望なはずだろーが。
ここで腐ったら、あんたは、本当に料理の神様に見捨てられるからな。」
と、そう言いながら、期限が2日切れた豆腐の匂いを嗅いで、
煮ればイケると、味噌汁を作った。
勤務が始まって以来、
男は、毎日しょんぼり出かけて、ぐったり帰ってくるようになった。
どんどん弱っていく男に、
鬼は、隙ありーと言わんばかりに、怒涛の攻撃を始める。
「今日はね、ボルシチっての?作ってみた」と不敵な笑みを浮かべる。
食べた事もない鬼が作るボルシチは、
例えるならば、血の池地獄に浮かぶ、しかばねだ。
見た目に反して、不思議なくらい、無味だ。
こうして、意地でもうまいと言わせてやると息巻く鬼によって、
男は無限地獄の体験をしていく。
鬼は、「ステーキ」は、ゴムのようになるまで、焼き尽くし、
「てこねパン」は、炭へと導いた。
「手打ちうどん」は、讃岐をはるかに上回る、腰を生みだし、
結果、男は、噛む事を諦めて、丸飲みした。
「エスニック焼きそば」は、普通に醤油味にまとまり、
今度は、大量の「稲荷寿司」という名の、地獄に住まう化け物を生んだ。
何をどうしたら、こんなに不味い稲荷が作れるのか、鬼も驚いたが、
無の境地で食べつくさんとする男の姿に、さらに驚いた。
「スパイスで作る本場のカレー」は、どこの本場かを見失い、
「お薬」と名称を変えた。
男の決死のリクエストに応えて作った「シンプルな塩やきそば」は、
シンプルに塩がすべてを覆い尽くす、喉がひどく渇く一品となった。
男は、1リットルのお茶のおかげで、完食を果たした。
頂き物の新鮮で見事な鯛は、刺身にすると旨かろう鯛は、
見事な「ごった煮」となった。ウロコとのごった煮だ。
鬼は「見事なウロコとともに召し上がれ。」と、のたまった。
終わることのない、無限地獄に落ちた男は、
いつの頃からか、
「美味しいですよ。ちょっと辛いけど。ありがとう。」
と言うようになった。
美味しいか?地獄の辛さだぞ?と、辛さに悶絶する鬼に、男は、
「美味しくなれっというスパイスは、最強ですからね。」と笑った。
人生をフレンチに捧げてきた男が、
7年間、会社の社員食堂で、慣れない味噌汁を作り、
医療機関で、初めて流動食を作った。
少しでも喜んでもらえるように、盛り付けにこだわって、
そのためにちょっと遅れて、𠮟れたりもした。
それでも、男は、その姿勢を貫いた。
そんな、ある日、男の携帯電話が鳴った。
昔、勤めていたレストランの先輩からだった。
「おお、元気か?お前さ、うちの店に来ないか?」との事だった。
こうして、男は、再びフレンチの道を進む事となった。
それを聞いて、鬼は思った。
「おじさんの味覚、大丈夫なのだろうか?」ってね。
そんな鬼に抱かれる、おたまは・・・
おたま「あんがい、心地よか~」
それを見ていた男は・・・
おじさん「今度は、おじさんの抱っこだよ」
おたま「おら、いやだ、離せ!」
おたま「離せよ~!」
おじさん「離さないよ~ん」
あんたも、鬼か?!