「前記事のつづき」
11月10日(朝)
へたって歩けない様子のうめ。
朝ごはんを食べたら、また歩き出した。
うん、大丈夫だ
そう思い、あやに留守を託し出勤。
11月10日(昼)
昼休みに、うめの飲水のため家へ。
水を飲ませて、再びあやに託し、社へ戻る。
道中、我が家のおじさんから電話が。
「今日は、手が空いたから、僕、家に帰りますね。」と。
11月10日(17時過ぎ)
帰宅した私に、おじさんが、
「うめさん、さっき、お水飲めたのに、今になって動かなくなってる。」と。
寝ているうめを見た瞬間、まずいと感じた。
反射反応がない。
急いで、病院へ向かう。
「どうして?なんで?痴呆じゃ死なんだろ?
数値だって死ぬ程じゃないはずだろ?」
病院にて
院長は、うめを見るなり急ぎ出す。
診察順をすっ飛ばし、強力なステロウド注射と輸液。
「おかっぱさん、覚悟いるかも。
とにかく頭を下げさせないで。意識混濁するから。
もう、精算は後でいいから、すぐ家に戻って!」
11月10日(18時~)
家に戻り、うめを寝かす。
しばらくして、うめが小さく、「うぅぅ」という声。
「おじさん、あかん!うめ逝くよ!」と。
うめの息が少しだけ荒くなる。
私は、「うめ、頑張れ。あともう少しだ、逝け。逝け。」
おじさんは、「うめ、頑張れ。逝くな。逝くな。」
お互い、うめを撫ぜながら、
「逝け!逝くな!」の引っ張り合戦をすること、約5分。
二人して「うめ!うめ!うめ!うめ!うめ!うめ!・・・
ん?・・・うめ?・・・あれ?・・・死んだの?」とスットンキョウな瞬間。
お互い顔を見合わせ、
「死んだの?はないだろうが。」と笑う中、うめは静かに逝きました。
11月10日(18時15分)
うめ、永眠。
17年前、
定価25万円のところ、なんと4万円。
大幅に値下げされた、メインクーンの子猫。
それが、うめでした。
食べても食べても、下痢ばかり。
痩せた子猫でした。
下痢を乗り越え大きくなって、うめ3歳のころ
よねを迎え、優しく世話してくれました。
多頭の難しさなど全く感じないまま、うめ4歳、
きくを、優しく迎え入れてくれました。
離婚してボロアパートに越した直後、うめ8歳、
混乱の中にあっても、うんこを穏やかに世話してくれました。
流れ流れて今の家に越して、うめ14歳、
あやを、そっと舐めて迎え入れてくれました。
これで我が家は打ち止めと思っていた時、うめ16歳、
小さくて、性別に悩んでいた時、おたまを見るなり、
「この子、オスよ」と教えてくれました。
今年、うめ17歳、
保護猫3兄妹、お尻を優しく舐めてくれました。
その後、闘病に入る、うめ。
私の不慣れな強制給餌、投薬、頻繁な通院、
寝相の悪い私の添い寝、うっとおしい程のマッサージ、
うめは、全部全部、穏やかに受け入れてくれました。
「あんたの気が済むまで、やんなさい」
そう言われているようでした。
歩き続ける、うめ。
もう、いいよ。うめ、もういい。
そう思った、私に、
「そうかい?じゃ、そろそろ逝くよ」と言わんばかりに
穏やかに、そして最後も笑顔をくれて、逝きました。
闘病は辛いモノ。
そう思い込んでいた私に、
楽しい、優しい、面白い、闘病を体験させてくれました。
うめは、出会ってから今まで、
私の永遠の「憧れの師匠」でした。
うめ師匠、ありがとうございました。
うめの写真を探すも、うめだけの写真は、無いなぁ。必ず、誰かと。
「うめと愉快な仲間達」
これで、おしまいおしまい。
訪問いただいた、皆様。楽しいコメントをたくさん下さった皆様。
本当にありがとうございました。
一旦休んで、ブログをリニューアルしようと考えております。
どうぞ、皆様が素敵な笑顔で日々を過ごせますように。
あっ、あたし?あたしは、おっかない程の笑顔で過ごしていきますよ~!