母さんが、
あのドロップみたいな指輪を外した。
おはようございます。
母さんは、昔から派手な女だった。
大胆な柄の洋服を着て、どんな時でもパンプスを履く。
運動靴なんてものは、決して履かない。
ばっちりフルメイクを施し、指に大きなダイヤモンドの指輪をはめる。
身支度は、入念だった。
で、どこへお出かけするかといえば、
パチンコ屋か飲み屋だ。
正確には、パチンコ玉を打ってから飲み屋へなだれ込む。
勝てば上機嫌で酒をあおり、負ければやけ酒だ。
いずれにしても、帰宅する頃には、泥酔状態で父さんに噛みついていた。
これが、毎日のように続く、当たり前の日常だった。
私が学校で、85点を取ったと自慢したって、
酔っぱらって帰ってきた母さんは聞いちゃくれない。
100点なら褒めてくれるのだろうか?
でもね、このテストは100点は無理なんだ。
すっごく意地の悪い問題が多かったんだ。
あの、藤原さんだって100点取れなかったくらい、
難しかったんだから。
だから、85点は上出来な方なんだ。
そんな言い訳は、いつも私の脳内の独り芝居に終わる。
心配しなくともいい。
母さんは、私の学校での成績など、気にもしないのだ。
0点を取ったって、報告する必要もない。
報告したって、叱られる心配もない。
母さんは、勉強しなさいだなんて、そんなありふれた叱り方はしない。
むしろ、うっかり母さんの前で勉強なんてしようものなら、
「おまえ、勉強しとる暇があるんやったら、家の掃除をせんかい!」
と、こっぴどく叱られてしまう。
家の手伝いは大げさに堂々と、勉強はこっそりとするものだ。
私は、隠し事が好きじゃないタチだから、勉強は断固として一切しなかったが、
その代わり、母さんの真ん前で大げさに掃除機を唸らせたかった。
でも、母さんはそんな時間には帰ってくれない。
夜遅くに酔っぱらって帰った母さんに、
「今日はね、家中、すっごく綺麗になってるでしょ?ねえ、見てよ。」
なんて、言う気にもなれなかった。
だから、私は、パチンコと酒を憎んだ。
そして、大きなドロップみたいな指輪を恨んだ。
酔っぱらって、父さんと喧嘩をしている声を聞きながら、
煎餅みたいなみすぼらしい布団にもぐって目を閉じると、
脳裏に浮かぶのは、あのドロップみたいな指輪をした、母さんの白い手だ。
触れた記憶のない手だ。
今すぐ起き上がり食卓へ行けば、あの手がある。
「母さん、あたしの頭を撫ぜてよ。」と言ってみようか。
いや、出来ない。
そんなこと、してくれやしない。
それに、どうせ、
あんなドロップみたいなごつい指輪のせいで、
撫ぜられたって、頭に当たって痛くなるじゃないか。
そんな妄想をしながら、眠りにつく。
これが、私の日常だった。
今は、さすがにパチンコ屋へも飲み屋へも行かなくなった。
その代わりに病院で血を取られた後、スーパーへなだれ込むわけだが
そんな時でも、ドロップみたいな指輪をはめて出掛けるのだ。
が、ある日、
母さんの指から指輪が消えた。
「母さん、指輪ははめんのか?」
そう問うと、母さんは指を擦りながら
「売ったんや。この前、家に来た人に、全部、売ったんや。」
と言った。
私は狼狽たまま、
「いくらで?」と聞いた。
「10個全部売ったら、13万円も貰えたんやで。」
安い、安すぎる。
金の相場で換算したって、安すぎる。
私は、咄嗟に、
「やられたー。」っと突っ伏した。
売った先は、訪問型の悪徳買い取り業者だろう。
今の母と話せば、誰だって認知症を疑うくらい、ボケている。
そんな老人の貴金属を買い取りに来るなんて、
悪徳と付けていい類の買い取り業者だ。
しかし、家中を探しても、明細も何もない。
業者の会社名も分からないんじゃ、どうにもならない。
まったくもって、してやられた訳だ。
当の母さんは、
「もう要らんから売ったんや。」
と、ケロッと言う。
それならいい。
損して得取れだ。
どんな得かは知らないが、母さんがいいなら、それでいい。
改めて、見てみれば、
指輪を外した母さんの手は、昔みたいに白くなかった。
シミだらけで酷く乾燥している。
私は、今更、こんなしわくちゃな手で撫ぜてもらおうと思わない。
家の掃除は、子供の頃と何ら変わらず、
四角い部屋を丸く掃除する訳だから、褒めらたもんじゃない。
だから私は、その代わりに、シワシワの手にハンドクリームを塗ってやった。
触れたくて、触れられたくて、恋焦がれた母さんの手。
手を伸ばせば触れるはずが、一番遠くに感じた手だ。
それなのに、
指輪を外した母さんの手は、今、いつだって触れられる。
なんと、不思議なものだろう。
こっちも恋焦がれ中なのだけれどね
のんちゃん、かかぁは今、お洗濯物を畳んでいるんだよ。
のん太「かかぁ、かかぁ、のんを撫ぜろ」
うん、撫ぜるけど撫ぜるけども
のん太「かかぁ、かかぁ、かかぁったら~」
うん、撫ぜるけどもが、畳みたいのだよ
さて、そろそろ降りようか?
畳みたいから
のん太「いやら!のんは絶対、撫ぜられるのら!」
しがみ付いている
のん太「のんを撫ぜろ、かかぁ、かかぁ」
もはや、この恰好では撫ぜられんぞ