白ウサに踏まれた日

うさぎと人間のこと
うさぎブログ

伯父のこと

2010-06-09 23:41:00 | うさぎのこと
母の次兄が亡くなった。

土曜日に見舞いに行った翌週、火曜日の早朝だったそうだ。
90歳だったから、十分長生きしたといえるんじゃないかな。
友人が多かった筈の伯父の葬儀が寂しい。
皆、先に逝ってしまった。

昔から、ふらっと突然訪れる伯父だった。
数年前までは、月に1日、園芸市の帰りに訪れた。
そして、だんだん体力がなくなり、片道1時間の運転が大儀になった。
時々、母を連れて行くと喜んで迎えてくれた。
娘さん2人が独立し、80代の二人暮らしだった。

母から、伯父の話をよく聞いた。
農学校に行ったこと、山羊を連れてきたこと。
若い頃は背が高く体格も良かったので、甲種合格で戦争に行ったこと。
1度目はモンゴルに、2度目は広島に。
原爆直後の広島で、後片付けをしたというがその時の話は、けして口にしない。
当日は、たまたま離れた場所に居て、被爆しなかったらしい。

この伯父は、なんとなく運が良い人で、何回も死に損なっている。

戦後、肺結核になり、大きな傷跡の残る手術をした。
年をとってからも、時々、入院した、危篤だと電話がきた。
そのたびに、母は慌てて見舞いに行ったが、どうも、冷房が体にあわなかったらしい。
しばらくすれば、すぐ回復して、居心地のよい自宅に戻っていた。
80台になって、足の骨を折ったときは、年も年だしもう寝たきりかと思われたが、
本人曰く、こんな辛い思いをしたからにはあと3年は生きなければ、というリハビリに耐え、
杖をつきながらも、歩けるようになった。
背筋をピンと伸ばして歩き、大好きな庭の手入れもしていた。

だから、なんとなく、いつまでもこんな風に、100歳位まで生きちゃうんだろうなと思っていた。

食べられない、入院したという伯母の電話で、土曜日に見舞いに行った。
また、以前みたいに、すぐによくなるのではないかなという気持ちで、
半分は、おろおろしている伯母を慰めようという気楽さで。

娘さん2人が来ていた。
これから、医師の話を聞くのだという。

病室の伯父は、酸素の呼吸器をつけ、おむつをつけられて横たわっていた。
良かったほうの足を骨折してしまったそうだ。
お土産にと持って行った苺も、あげることができなかった。
飲み込む力がないので、とろみのついた流動食しか食べられない。
話す声も、力がないので、かすれて聞き取れない。
それでも、頭ははっきりしていた。
どうしても、寝たきりにはなりたくない。
ようやく聞き取れた声は、立つからそこにある杖を貸してくれだった。
そして、痛くても手術をしてほしいということ。
体も言葉も不自由だったけれども、知性も意思も失われていなかった。

リスクがあっても手術できればいいのにね。
そうすれば、ご飯も食べられるようになるんじゃないかな。
そんなことを言いながら帰ったんだけれど。

思っていた以上に、弱っていたんだろう。
寝たきりになるまでもなく、亡くなってしまった。

安らかな死に顔だったそうだ。

晩年まで、何人かの親しい友人が居て、
離れて暮らしていても、娘さんとも仲が良く、
好きな庭仕事もできて、いい人生だったんじゃないかな。

草花の好きだった伯父の祭壇は、娘さんの希望で、生花で彩られていた。