たまたま、テレビでやっているので。
昔々、まだ人間が小学生だった頃、
小学校5年のとき、3人組みの男子にいじめられていた。
担任は、いじめられていたということさえ、知らなかったらしい。
卒業文集だったかな、書かれた言葉が、
「男子はみなおびえていた」
彼は、今はどこかの校長になっているが、
その頃はまだ若く明るい性格の独身男性で、
クラスでダンスをさせたりするのが好きで、
生徒を自宅にまねいて、ごちそうしたりもしていた。
彼は、彼なりに、よい教師だったし、
親しみやすく生徒からも好かれていたが、
私には、全く合わないタイプだった。
だから、最初から期待はしていなかったが、
あの言葉を見た時は心底がっかりした。
もちろん、当時の田舎の小学校のいじめなので、
今考えればなんとも、他愛なく、少々汚いものでしかない。
屋根の上で干したミミズに石灰をまぶしておいておくとか、
縦笛をゴミ箱に隠して、鼻くそをつっこむとか、
上履きを隠すとか、
嫌いなあだ名で呼ぶとか、詳しくは覚えていないが。
ただ、その程度の嫌がらせでも、
とにかく嫌だったことだけは、覚えている。
ストレスが溜まると、太る体質だったので、
思いっきり太ったことも覚えている。
その頃の私は、今もあまり変わりがないが、
顔も性格も全くかわいげがなかった。
妙に正義感があり、勉強はできるが、
マイペースで、親しい友人がいない。
4年の学期末に、一番仲の良かった友人が転校し、
仲の良かった友だちが別のクラスになった私には、
味方がいなかった。
当時のクラスの女子の主流派が、
私的には苦手なタイプだったので、
女子の中にも味方になる者がいなかった。
普通に遊ぶ相手はいたが、
いずれも、おとなしく、目立たない子であり、
何かの時に味方になってもらえるほど、親しくはなかった。
今考えても、いじめの標的にしやすいタイプだと思う。
現代のいじめの話を聞きながら、まだまだ、昔でよかったと思う。
いじめられていた2年間、考えていたこと。
どうやって復習するか、
どうやって、いじめをやめさせるか。
正攻法で、学級会で訴えてみたが、
説明が下手なので、何の改善にもつながらなかった。
先生も、同級生もあてにできないのだから、
あとは、自分でカタをつけるしかない。
3人組みの男子は、ガラが悪かったが、頭は悪かった。
学力なら、完全に、私のほうが上位だった。
1人は、体も小さく、1対1なら、負ける筈もなかった。
1人は粗暴で、1人は体が大きかったが、
弱点がないわけではない、
ばらして、3人の弱点を狙えば、などと、
こっそり考えては、ウサを晴らしていた。
今考えれば、考えるだけで、実行しないでよかったと思うが、
随分、陰湿な趣味だとも思う。
そういうところも、嫌われるのかもしれない。
いじめについての番組をみていると、
いじめに関して、親に言わない、と言っていた。
その気持ちは、ものすごくよくわかる。
私も、一切、家庭には持ち込まなかった。
たまたま、その年は、祖父が寝込んでおり、年末に亡くなった年であり、
半ば専業主婦の母も看病に忙しく、心も手もわずらわせたくなかった。
ましてや自分と、自分の仕事のことしか頭にない父は論外だった。
それに最初から、学校でのことを、とやかく親に言う趣味はなかった。
人に弱音を吐くなんて、恥ずかしいことだと思っていたので。
心底、可愛げのない性格だったと思う。
どうやってその年を耐えたのか、覚えていない。
やがて、班替えやら、転校生が来るやらがあり、
いじめはおさまったのだと思う。
あれ以上続いていたらどうしただろうか。
とりあえず、それでも、教師には訴えたかもしれない。
あとは、直接行使か。
そういえば一度だけ、あまりにも腹がたったので、相手を、
校長室か応接室のドアに、叩きつけたことは覚えている。
結果は、私が苛められていたからではなく、
あの子はすごい(すごく乱暴、すごい女の子とか)と言われただけだった。
世の中は、理不尽だとよくわかった。
そして、世の中は、わかってくれないものだということも。
1年間でおさまってよかったとつくづく思う。
あれ以上続いていたら、どういう人間になっていたか、
自分のことながら心配になる。
今のいじめはもっと陰惨に、もっとひどいものになっているらしい。
毎日、どういう気持ちで過ごしているのだろうか。
それでも、
できるなら、人も、自分も傷つかずにすむように。
下手なプライドをもたず、おびえず、助けて欲しいと言えるように。
親も、友人もダメでも、他に話せる相手がいたらよいのに。
私は、随分後で、4年生の時の担任から、
5年の頃の私のことを、
「あの頃はかわいそうだったね」と言ってもらえた。
それでも、気づいてくれている人がいたのだということに、
当時でさえ、随分前のことだったのに、泣きそうになった。
誰も見ていないわけではない、
だから、一人でも味方がみつかりますように。
あの頃の私には、転校した友だちと合えることが、救いだった。
彼女も新しい学校でがんばっているのだから、
泣き言なんて絶対いえないけれど、
会えて、話ができて、遊べるだけで救いだった。
どこでもよいから、そういう場所、相手がもてますように。
もう、40年近く前のことです。