白ウサに踏まれた日

うさぎと人間のこと
うさぎブログ

食べて、出して、動けます。

2012-12-30 00:11:24 | うさぎのこと

弱ったかなと思っていたノンタンですが、

クリスマスを過ぎても、ぼちぼちやってます。

相変わらず、朝・晩の薬は、

シロップで甘いので、喜んで飲んでいます。

そういう様子をみていると、

幸いなことに、腫瘍自体の痛みはないのかもしれません。

歩いている姿は、だいぶよたよたしていますが、

年も年・・で、白内障でまず見えてないことを考えると、

まぁ、普通によぼよぼになったのかなという感じです。

真っ白だった毛は、さすがに毛繕いが行き届かず、

かといって、足やお尻を拭くのも嫌がるので、

すっかり茶色に汚れてしまいました。

でも、好物の春菊を口元にもっていったら、

匂いでわかるのか、

こちらを向いて食べたいと意思表示をします。

少しずつ与えているうちに、2本食べました。

朝のペレットは、なんとか夜にはなくなっています。

夜は、殆ど食べませんが、

野菜なら、自分から食べる気力があります。

ノンタン、なかなかがんばっています。

人間も休暇にはいったので、

少しは一緒に居られるかと思っていますが、

ノンタンにしてみたら、

人間がいようが、いまいが、

どうでもよさそうな感じではあります。


夜明け前、

2012-12-25 23:39:12 | うさぎのこと

ノンタンがひゅんひゅん鳴き声をたてていた。

最近、こういう小さな鳴き声をたてる。

なんだか、悲しそうな声だ。

いつもは熟睡している人間だが、

土日で睡眠不足を解消したせいか、ふと目覚める。

気になったので、少し撫でてみる。

しばらく撫でてみたが、物足りなかったので、

残っていた小松菜をあげてみる。

なぜか、がしがし食べる。

ついでに、牧草を与えてみたら、食べる。

いつのまにか、ショコラが走ってくる。

仕方ないので、ショコラも撫でてみる。

・・・・

朝の4時に、

何をやっているのだろうと思ったので人間は寝る。

ほんと、何やっているのだろう。


まだまだ大丈夫

2012-12-24 23:08:00 | うさぎのこと

2週間に1度の通院日、

裏返されて、腫瘍を診てもらう。

腫瘍は大きくなっていませんね。

と言われる。

腫瘍の上に、はがれた瘡蓋のようにかぶさっていた、

固まった毛を切ってもらいながら、

「次は来年ですね。」

まだまだ、大丈夫だな。

 

今日は珍しく、うさぎさんの患者が2匹来ていた。

1匹は、ノンタンと同じく、保護された子だった。

もう1匹は、6歳というのに、小柄なホーランドロップ。

思わず、見とれてしまうかわいらしさだった。

・・ショコラってでかいと、改めて思った。


ノンタンの環境

2012-12-21 23:22:36 | うさぎのこと

白内障が進行し、目は真っ白になった。

たぶん、見えていないのではと思う。

 

ノンタンのケージは、

100均の水切りかご、アイリスのトイレ、

片側にはすのこをしき、その上に、

ペットヒーター、わらの座布団、毛布を置いてある。

トイレと、水切りカゴの下には、

気休めにホッカイロを置いてある。

その中には、傷に障らないように、

バミューダグラス、3番牧草を敷いてある。

ノンタンは、トイレに座っていることが多い。

それでも、人間が不在の長い間、

あちこち動いているらしく、そこら中に、

トイレの痕跡が残っている。

昨晩は、それにまじり、かなりの出血もあった。

 

相変わらず、夜は寒いのもあって、

ケージから出して、部屋に放している。

たいてい、そのあたりの、マットの上に座っていることが多い。

それでも、あちこち動くこともあるらしく、

今朝は、気がついたら、人間の布団の隅にノンタンがいた。

暖かいからかもしれない。

もう一度寝なおしたら、居なくなってしまった。

危険を感じたのかもしれない。


人間は忙しいらしい

2012-12-20 01:34:46 | うさぎのこと

11月頃から、職場の体制変更に伴い、残業が増えた。

平日の帰宅時間が22時を過ぎる。

あれやこれやして、うさぎの世話をはじめるのが12時過ぎ、

それまで、ほぼ、放置に近い状態。

今のノンタンの状態を考えると申し訳ない。

まして、気がついたら電気をつけっぱなしで寝こけて朝だったり、

病気のウサギには、言語道断な環境だったりする。

 

それでも、相変わらず、薬は喜んで飲んでくれる。

ペレットの食べはあまりよくないが、

朝与えたペレットが夜にはなくなっているから、

まぁ、よしとするか。

野菜は喜んで食べる。

有難いことに、ご近所の家庭菜園から、

大根や人参の葉をいただいた。

もちろん、それはそれは喜んで食べていた。

 

今週は土曜日まで仕事、でも、日・月は休み。

だから、それまで調子を崩さないように。

切に願っている。


出血する。

2012-12-15 23:31:22 | うさぎのこと

腫瘍が大きくなったせいか、出血している。

その血や、しっこを踏んでしまうので、

きれいだった足の裏が、すっかり汚れてしまった。

せめて拭いてやりたいと、

「きえーる」を沁みこませた布で拭いてみるが、

ひゅんひゅんと、悲しげな鼻息をたてて嫌がる。

それでも、自分でも気になるのか、

お腹か胸を毛繕いしようとする。

真っ白な、鼻先に、赤い血がつく。

辛いね、ノンタン。

 

だけど、そんな状態なのに、

乾燥イチゴを口元にもっていくと喜んで食べる。

ケージの中でも、あちこち動いている。

朝あたえたふやかしペレットも、

半分以上食べ終わっている。

人参葉も食べたし、

顔についた血を拭いたついでに鼻面を撫でると、

以前と同じように、目をとじて軽く歯軋りをする。

がんばってるね、ノンタン。

生きてるね、ノンタン。

 

ありがと、ノンタン。


うさぎの薬

2012-12-13 00:44:34 | うさぎのこと

人間はうっかり者なので、

動物病院の帰り道、

せっかく処方された塗り薬を

落としてしまったらしい。

 

夜中、塗ろうと思った薬がない。

翌朝、思い当たる先に問い合わせるが、

そういう落し物はないとのこと。

最近残業続きなので、

土曜日まで病院に行くこともできない。

 

困り果てて、病院に電話をする。

快く、郵送で送ってくださるとのこと。

代金はいつでもいいですよと有難い言葉。

昨日、薬が届いた。

ノンタンのお腹は、血膿はぬぐわれて、

赤裸になっている。

以前に処方された粉薬と同じ、ニューキノロン系の、

ビクタスSMT軟膏。

仰向けにされるのも辛いし、

腫瘍のすぐそばを弄られるのも嫌らしい。

鼻息が荒くなるが、我慢してもらう。

 

それにしても、

朝、晩、ひっくり返すと、

腫瘍がすごいことになっている。

ぱっくり口を開いて、ざくろのようになって。

なのに、ノンタンは食べて、出して、

自分の足で立っている。

 

すごいね、

うさぎもなかなか、侮れないね。

がんばれ、ノンタン。

 


ノンタン、通院する。

2012-12-09 22:30:52 | うさぎのこと

腫瘍はかなり大きくなり、

こすれて出血があったりもしたが、

食べれるし、動けるし、

呼吸も苦しくなさそうなので、

2週間ぶりの通院をする。

 

なぜか、前回1.9キロだった体重が、

1.95キロに増えている。

腫瘍が大きくなったからか?

 

かなり血膿の匂いがすることを伝える。

仰向けにして診察、

腫瘍はやはり手をつけないほうがよいらしいが、

腫瘍の上の部分が赤くなっているのは、

固まった血がへばりついているらしい。

皮膚炎になりかけているようなので、

お湯でぬぐって毛を刈ってもらう。

処置の間、立たせているノンタンの目が、

だんだん飛び出てくる。

固まった血がとれると、肌がやはり

赤くなっていた。

塗り薬を処方される。

 

ノンタンは、医師の目からも、元気らしい。

一時的にでも、放浪生活に耐えたから、

丈夫なうさぎかもしれない。

そういえば、歯のトラブルは全くない。

牧草も大好きだし。

また2週間後に通院、

次回は12月23日または24日、

クリスマスだね。

それまで、元気で。

 

 

 


いじめ

2012-12-03 00:34:37 | 人間のこと

たまたま、テレビでやっているので。

 

昔々、まだ人間が小学生だった頃、

小学校5年のとき、3人組みの男子にいじめられていた。

 

担任は、いじめられていたということさえ、知らなかったらしい。

卒業文集だったかな、書かれた言葉が、

「男子はみなおびえていた」

彼は、今はどこかの校長になっているが、

その頃はまだ若く明るい性格の独身男性で、

クラスでダンスをさせたりするのが好きで、

生徒を自宅にまねいて、ごちそうしたりもしていた。

彼は、彼なりに、よい教師だったし、

親しみやすく生徒からも好かれていたが、

私には、全く合わないタイプだった。

だから、最初から期待はしていなかったが、

あの言葉を見た時は心底がっかりした。

 

もちろん、当時の田舎の小学校のいじめなので、

今考えればなんとも、他愛なく、少々汚いものでしかない。

屋根の上で干したミミズに石灰をまぶしておいておくとか、

縦笛をゴミ箱に隠して、鼻くそをつっこむとか、

上履きを隠すとか、

嫌いなあだ名で呼ぶとか、詳しくは覚えていないが。

ただ、その程度の嫌がらせでも、

とにかく嫌だったことだけは、覚えている。

ストレスが溜まると、太る体質だったので、

思いっきり太ったことも覚えている。

 

その頃の私は、今もあまり変わりがないが、

顔も性格も全くかわいげがなかった。

妙に正義感があり、勉強はできるが、

マイペースで、親しい友人がいない。

4年の学期末に、一番仲の良かった友人が転校し、

仲の良かった友だちが別のクラスになった私には、

味方がいなかった。

当時のクラスの女子の主流派が、

私的には苦手なタイプだったので、

女子の中にも味方になる者がいなかった。

普通に遊ぶ相手はいたが、

いずれも、おとなしく、目立たない子であり、

何かの時に味方になってもらえるほど、親しくはなかった。

今考えても、いじめの標的にしやすいタイプだと思う。

 

現代のいじめの話を聞きながら、まだまだ、昔でよかったと思う。

 

いじめられていた2年間、考えていたこと。

どうやって復習するか、

どうやって、いじめをやめさせるか。

正攻法で、学級会で訴えてみたが、

説明が下手なので、何の改善にもつながらなかった。

先生も、同級生もあてにできないのだから、

あとは、自分でカタをつけるしかない。

3人組みの男子は、ガラが悪かったが、頭は悪かった。

学力なら、完全に、私のほうが上位だった。

1人は、体も小さく、1対1なら、負ける筈もなかった。

1人は粗暴で、1人は体が大きかったが、

弱点がないわけではない、

ばらして、3人の弱点を狙えば、などと、

こっそり考えては、ウサを晴らしていた。

 

今考えれば、考えるだけで、実行しないでよかったと思うが、

随分、陰湿な趣味だとも思う。

そういうところも、嫌われるのかもしれない。

 

いじめについての番組をみていると、

いじめに関して、親に言わない、と言っていた。

その気持ちは、ものすごくよくわかる。

私も、一切、家庭には持ち込まなかった。

たまたま、その年は、祖父が寝込んでおり、年末に亡くなった年であり、

半ば専業主婦の母も看病に忙しく、心も手もわずらわせたくなかった。

ましてや自分と、自分の仕事のことしか頭にない父は論外だった。

それに最初から、学校でのことを、とやかく親に言う趣味はなかった。

人に弱音を吐くなんて、恥ずかしいことだと思っていたので。

心底、可愛げのない性格だったと思う。

 

どうやってその年を耐えたのか、覚えていない。

やがて、班替えやら、転校生が来るやらがあり、

いじめはおさまったのだと思う。

 

あれ以上続いていたらどうしただろうか。

とりあえず、それでも、教師には訴えたかもしれない。

あとは、直接行使か。

 

そういえば一度だけ、あまりにも腹がたったので、相手を、

校長室か応接室のドアに、叩きつけたことは覚えている。

結果は、私が苛められていたからではなく、

あの子はすごい(すごく乱暴、すごい女の子とか)と言われただけだった。

世の中は、理不尽だとよくわかった。

そして、世の中は、わかってくれないものだということも。

 

1年間でおさまってよかったとつくづく思う。

あれ以上続いていたら、どういう人間になっていたか、

自分のことながら心配になる。

 

今のいじめはもっと陰惨に、もっとひどいものになっているらしい。

毎日、どういう気持ちで過ごしているのだろうか。

 

それでも、

できるなら、人も、自分も傷つかずにすむように。

下手なプライドをもたず、おびえず、助けて欲しいと言えるように。

親も、友人もダメでも、他に話せる相手がいたらよいのに。

 

私は、随分後で、4年生の時の担任から、

5年の頃の私のことを、

「あの頃はかわいそうだったね」と言ってもらえた。

それでも、気づいてくれている人がいたのだということに、

当時でさえ、随分前のことだったのに、泣きそうになった。

 

誰も見ていないわけではない、

だから、一人でも味方がみつかりますように。

 

あの頃の私には、転校した友だちと合えることが、救いだった。

彼女も新しい学校でがんばっているのだから、

泣き言なんて絶対いえないけれど、

会えて、話ができて、遊べるだけで救いだった。

 

どこでもよいから、そういう場所、相手がもてますように。

 

もう、40年近く前のことです。