白ウサに踏まれた日

うさぎと人間のこと
うさぎブログ

いじめ

2012-12-03 00:34:37 | 人間のこと

たまたま、テレビでやっているので。

 

昔々、まだ人間が小学生だった頃、

小学校5年のとき、3人組みの男子にいじめられていた。

 

担任は、いじめられていたということさえ、知らなかったらしい。

卒業文集だったかな、書かれた言葉が、

「男子はみなおびえていた」

彼は、今はどこかの校長になっているが、

その頃はまだ若く明るい性格の独身男性で、

クラスでダンスをさせたりするのが好きで、

生徒を自宅にまねいて、ごちそうしたりもしていた。

彼は、彼なりに、よい教師だったし、

親しみやすく生徒からも好かれていたが、

私には、全く合わないタイプだった。

だから、最初から期待はしていなかったが、

あの言葉を見た時は心底がっかりした。

 

もちろん、当時の田舎の小学校のいじめなので、

今考えればなんとも、他愛なく、少々汚いものでしかない。

屋根の上で干したミミズに石灰をまぶしておいておくとか、

縦笛をゴミ箱に隠して、鼻くそをつっこむとか、

上履きを隠すとか、

嫌いなあだ名で呼ぶとか、詳しくは覚えていないが。

ただ、その程度の嫌がらせでも、

とにかく嫌だったことだけは、覚えている。

ストレスが溜まると、太る体質だったので、

思いっきり太ったことも覚えている。

 

その頃の私は、今もあまり変わりがないが、

顔も性格も全くかわいげがなかった。

妙に正義感があり、勉強はできるが、

マイペースで、親しい友人がいない。

4年の学期末に、一番仲の良かった友人が転校し、

仲の良かった友だちが別のクラスになった私には、

味方がいなかった。

当時のクラスの女子の主流派が、

私的には苦手なタイプだったので、

女子の中にも味方になる者がいなかった。

普通に遊ぶ相手はいたが、

いずれも、おとなしく、目立たない子であり、

何かの時に味方になってもらえるほど、親しくはなかった。

今考えても、いじめの標的にしやすいタイプだと思う。

 

現代のいじめの話を聞きながら、まだまだ、昔でよかったと思う。

 

いじめられていた2年間、考えていたこと。

どうやって復習するか、

どうやって、いじめをやめさせるか。

正攻法で、学級会で訴えてみたが、

説明が下手なので、何の改善にもつながらなかった。

先生も、同級生もあてにできないのだから、

あとは、自分でカタをつけるしかない。

3人組みの男子は、ガラが悪かったが、頭は悪かった。

学力なら、完全に、私のほうが上位だった。

1人は、体も小さく、1対1なら、負ける筈もなかった。

1人は粗暴で、1人は体が大きかったが、

弱点がないわけではない、

ばらして、3人の弱点を狙えば、などと、

こっそり考えては、ウサを晴らしていた。

 

今考えれば、考えるだけで、実行しないでよかったと思うが、

随分、陰湿な趣味だとも思う。

そういうところも、嫌われるのかもしれない。

 

いじめについての番組をみていると、

いじめに関して、親に言わない、と言っていた。

その気持ちは、ものすごくよくわかる。

私も、一切、家庭には持ち込まなかった。

たまたま、その年は、祖父が寝込んでおり、年末に亡くなった年であり、

半ば専業主婦の母も看病に忙しく、心も手もわずらわせたくなかった。

ましてや自分と、自分の仕事のことしか頭にない父は論外だった。

それに最初から、学校でのことを、とやかく親に言う趣味はなかった。

人に弱音を吐くなんて、恥ずかしいことだと思っていたので。

心底、可愛げのない性格だったと思う。

 

どうやってその年を耐えたのか、覚えていない。

やがて、班替えやら、転校生が来るやらがあり、

いじめはおさまったのだと思う。

 

あれ以上続いていたらどうしただろうか。

とりあえず、それでも、教師には訴えたかもしれない。

あとは、直接行使か。

 

そういえば一度だけ、あまりにも腹がたったので、相手を、

校長室か応接室のドアに、叩きつけたことは覚えている。

結果は、私が苛められていたからではなく、

あの子はすごい(すごく乱暴、すごい女の子とか)と言われただけだった。

世の中は、理不尽だとよくわかった。

そして、世の中は、わかってくれないものだということも。

 

1年間でおさまってよかったとつくづく思う。

あれ以上続いていたら、どういう人間になっていたか、

自分のことながら心配になる。

 

今のいじめはもっと陰惨に、もっとひどいものになっているらしい。

毎日、どういう気持ちで過ごしているのだろうか。

 

それでも、

できるなら、人も、自分も傷つかずにすむように。

下手なプライドをもたず、おびえず、助けて欲しいと言えるように。

親も、友人もダメでも、他に話せる相手がいたらよいのに。

 

私は、随分後で、4年生の時の担任から、

5年の頃の私のことを、

「あの頃はかわいそうだったね」と言ってもらえた。

それでも、気づいてくれている人がいたのだということに、

当時でさえ、随分前のことだったのに、泣きそうになった。

 

誰も見ていないわけではない、

だから、一人でも味方がみつかりますように。

 

あの頃の私には、転校した友だちと合えることが、救いだった。

彼女も新しい学校でがんばっているのだから、

泣き言なんて絶対いえないけれど、

会えて、話ができて、遊べるだけで救いだった。

 

どこでもよいから、そういう場所、相手がもてますように。

 

もう、40年近く前のことです。