白ウサに踏まれた日

うさぎと人間のこと
うさぎブログ

葬儀に行く

2013-12-07 15:13:10 | 人間のこと
従兄妹が亡くなった。
母と伯母とともに葬儀に行く。
伯母が高齢で足元がおぼつかないため、
杖役が必要なのだという。

かなり年長のその従兄妹は、
子供の頃結核にかかり肺を切除したが、
その後は就職、結婚し、孫もできた。
ただ、残念ながら、年を経て再発したらしい。
最期は、肺炎だったという。

このあたりでは珍しく、牧師がつかさどる、
キリスト教の葬儀だった。
従兄妹はキリスト教ではなかったが、
その奥さんが、キリスト教徒だからだという。

だからか、牧師の話を聞いていて、
なんだか違和感を感じた。
この人は、
従兄妹のことを何一つ知らないのだなと思わされた。

どんな宗派でもよい。
ただ、葬儀では、故人を偲べるような話をしてほしいと思った。
故人が、病弱という重荷を背負い苦しい人生を送ったが、
今は開放された、では、なんだか、
従兄妹の人生が淋しいものに感じられてしまう。

そうではなかった筈だ。

体は強くはなかったが、
穏やかに微笑んでいるような人だった。
最期に会ったときには、庭の植木の手入れをしていた。
息子さんや、娘さんとも仲が良かった様子だった。
4人兄弟の次男で、従兄妹以外は遠く九州に暮らしていたが、
とても仲のよい兄弟だった。
私の知っていることは、多くはないけれど。

悲しいことや、辛いこともあっただろうし、
健康ではないことから、抱える重荷もあっただろうけれど、
たくさんの喜びも嬉しさもあったに違いないと思いたい。

死ぬことは終わりではないし、悲しむことではない。
でも、それだけではなく、そのまえに、
その人が生きていたことが、かけがえなく尊いもの。
だから、死は終わりではないが、
それまで生きたことを認め、悼んでほしかったと思った。

・・・

久しぶりに讃美歌を歌った。
かなり、忘れているし、最近歌うこと自体していないので声もでない。

「主よみもとに近づかん」は、葬儀の讃美歌ではないと言ったが、
そういえば、葬儀の讃美歌って、何なのだろうか。