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11月5日、「炉開きと口切の会」を終えた安堵感もあって、
畠山記念館へ向かいました。
「茶人 畠山即翁の美の世界」展が10月8日(土)~12月18日(日)まで開催中です。
お目当ては、伊賀花入「からたち」と「煙寺晩鐘図」(伝 牧谿筆)です。
一人なので、白金台駅から初めて歩くことにしました。
駅員さんに教えられた道を行くと、すぐにわからなくなり、きょろきょろ。
通りすがりの女の方が懇切丁寧に教えてくださって、
欅の巨木が聳える道を行き、階段を下り、稲荷社の前を突っ切って左へ曲がると
道案内を見つけ、畠山記念館へ辿りつきました。
徒歩10分位でしょうか。
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2階の展示室へ階段を上っていくと、水音がしました。
しばし立ち止まり、清らかな音を愉しみながらゆっくり上りました。
茶室「省庵」(せいあん)の蹲の筧から流れる水音です。
土曜日の午後にもかかわらず、見学者が少なくラッキーでした。
一番に伊賀花入「からたち」を拝見しました。
大きく欠けた口を持ちながらも堂々とした立ち形、
そっけないような四方片耳とそのバランス。
へらで豪快に六角形に削りとられた、胴からの下部の膨らみと線。
上から下まで釉薬の変化が生み出す色彩の妙、
焼け焦げた肌にはイボのようなひっつきがいっぱいあって、
からたちの棘(とげ)を連想して銘がつけられたとか。
歴戦の古武士の面影がありました。
花を入れるとしたら・・・
「うーん、難しい!
上臈ホトトギス一枝、なんてどうかしら?」
即翁は昭和9年に光悦会で初めて席を持った際、
その下見に催した茶事で「からたち」を用い、
花と実をつけた綿一枝を入れたそうです・・・。
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作品解説(エピソード)を読んだとたん、涙があふれてきました。
「からたち」は、16世紀桃山時代の作ですが、加賀金沢に伝わりました。
金沢は裏千家四代仙叟が前田家茶堂として活躍したところで、昔から茶の湯が盛んでした。
昭和9年、即翁が金沢の道具商梶乙を通じて「からたち」を入手した時、
加賀に伝来された「からたち」を県外へ出すことについて抵抗もあり、
問題になったそうです。
即翁が能登畠山氏の末裔ということで了解を得たとか。
「からたち」が東京へ運ばれる日、別れを惜しむ人たちが大勢金沢駅に集まり、
見送ったそうです。
その知らせを聞いた即翁は、人を集め、全員紋付き袴の正装で上野駅に集まり、
心を尽くして「からたち」を出迎えました。
美術品や茶道具を見て、解説を読んで泣くなんて、自分でもびっくりです・・・。
(2)へつづく
畠山記念館へ向かいました。
「茶人 畠山即翁の美の世界」展が10月8日(土)~12月18日(日)まで開催中です。
お目当ては、伊賀花入「からたち」と「煙寺晩鐘図」(伝 牧谿筆)です。
一人なので、白金台駅から初めて歩くことにしました。
駅員さんに教えられた道を行くと、すぐにわからなくなり、きょろきょろ。
通りすがりの女の方が懇切丁寧に教えてくださって、
欅の巨木が聳える道を行き、階段を下り、稲荷社の前を突っ切って左へ曲がると
道案内を見つけ、畠山記念館へ辿りつきました。
徒歩10分位でしょうか。
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2階の展示室へ階段を上っていくと、水音がしました。
しばし立ち止まり、清らかな音を愉しみながらゆっくり上りました。
茶室「省庵」(せいあん)の蹲の筧から流れる水音です。
土曜日の午後にもかかわらず、見学者が少なくラッキーでした。
一番に伊賀花入「からたち」を拝見しました。
大きく欠けた口を持ちながらも堂々とした立ち形、
そっけないような四方片耳とそのバランス。
へらで豪快に六角形に削りとられた、胴からの下部の膨らみと線。
上から下まで釉薬の変化が生み出す色彩の妙、
焼け焦げた肌にはイボのようなひっつきがいっぱいあって、
からたちの棘(とげ)を連想して銘がつけられたとか。
歴戦の古武士の面影がありました。
花を入れるとしたら・・・
「うーん、難しい!
上臈ホトトギス一枝、なんてどうかしら?」
即翁は昭和9年に光悦会で初めて席を持った際、
その下見に催した茶事で「からたち」を用い、
花と実をつけた綿一枝を入れたそうです・・・。
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作品解説(エピソード)を読んだとたん、涙があふれてきました。
「からたち」は、16世紀桃山時代の作ですが、加賀金沢に伝わりました。
金沢は裏千家四代仙叟が前田家茶堂として活躍したところで、昔から茶の湯が盛んでした。
昭和9年、即翁が金沢の道具商梶乙を通じて「からたち」を入手した時、
加賀に伝来された「からたち」を県外へ出すことについて抵抗もあり、
問題になったそうです。
即翁が能登畠山氏の末裔ということで了解を得たとか。
「からたち」が東京へ運ばれる日、別れを惜しむ人たちが大勢金沢駅に集まり、
見送ったそうです。
その知らせを聞いた即翁は、人を集め、全員紋付き袴の正装で上野駅に集まり、
心を尽くして「からたち」を出迎えました。
美術品や茶道具を見て、解説を読んで泣くなんて、自分でもびっくりです・・・。
(2)へつづく
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