暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

「クリスマスの茶事」支度に勤しんでいます

2024年12月15日 | 「立礼の茶事」(2023年~自会記録)

    (ユニークなクリスマスの飾りつけ   霜月の京都にて)

 

街へ出かけると、ショーウインドウの飾り付けや派手なイルミネーションにクリスマスが近くなったことを知らされます。

そんな霜月の或る日のこと、久しぶりにクリスマスの茶事をしたくなりました(前回は2019年)。

10月末に「丘の上チャリティ茶会」へ出かけ、茶の湯とキリスト教について考える機会を頂いたせいかもしれません。

 

   (春日部福音自由協会・丘の上記念会堂の礼拝堂)

でも一番の理由は、今年何度も茶事や茶会にお招きいただいたSKさま、コラボ茶会のステキな相棒のYさま、何かとお世話になっているFさまを今出来ることでおもてなししたい、出来たら今年中に・・・と思いました。

それで、比較的身体の負担が少ない飯後の茶事(立礼)とし点心をお出しすることにしました。社中AYさんが茶事の手伝い(半東と点心づくり)を申し出てくださり、「クリスマスの茶事」が実現することになりました。ふっ~ 

 

    (丘の上記念会堂にて)

お席入りは14時とし約3時間、17時過ぎに解散の予定です。

この3時間に初炭、点心、濃茶、薄茶を差し上げるには、お点前がもたもたしてはいけませんので重い腰を上げて稽古を始めました。

特に濃茶(薄茶は半東AYさんにお願いしています)、3人分を暗い中で練るので茶の量と湯の量をきちんとすることが大事です。

熱く美味しい濃茶を差し上げたいので、微妙な指先の感覚を探りながら練る稽古をしています・・・。

 

 

一番頭を悩ませているのは花です。

茶花ではなくクリスマス仕様のモダンな花にしたい・・・という願望がありますが、イメージ不足で難しさを感じています。

クリスマス近くになって花材がなくなってはいけないので、早めに確保だけしましたが・・・。

花入は? どんなイメージで? う~~ん!ムズカシイ・・・

     (蝋梅の花が咲き始めました・・・)

一方、楽しいのは手持ちの茶道具や小物でクリスマスを感じる演出をどのようにするか・・・あれこれ試行錯誤しながらウキウキとやっています。

多すぎても少なすぎても・・・ネ! こちらも12月23日の当日まで悩みそうです・・・。

いつも心がけているのは、道具はあり合わせで心は熱く、サプライズ(感動)があったらステキかな・・・。  

 

     令和6年クリスマス・飯後の茶事・・・(1)へ  (2)へ  (3)へ  (4)へ続く

 

               


茶道具こわい・・・令和6年師走

2024年12月11日 | 茶道具

    (散歩道の柿の実・・・今はいくつ残っているかしら?)

   (心に残る言葉・・・・新潟県五泉市 慈光寺にて )

 

光悦会の素晴らしい道具の後で恐縮ですが、久しぶりに茶道具こわい~!のお話です。

10年前に3年ほど京都・灑雪庵で暮らし、その間に何度か楽美術館と楽美術館茶会を訪れました。

楽美術館茶会では、所蔵の楽茶碗で薄茶を頂き、楽茶碗を手に取って鑑賞する機会を得ました。
席主の15代・楽吉左衛門氏の話が興味深く、歴代の楽茶碗の魅力や特徴、また自らの体験を通して作り手の葛藤や思いを伝える話に毎回魅了されました。そんなこともあって、「当代(現・直入)の楽茶碗が欲しい・・」と憧れたのです。

しかし暁庵に手が届く金額ではなく、すぐに諦めました・・・。

3年ほど暮らした京都を去る時に茶友Wさんの案内で伊勢方面へ出かけ、黒楽茶碗に出逢いました。一入作の黒楽茶碗で15代・楽吉左衛門の極めがあり、一目で気に入りました。

それから十年を経てこの度、赤楽茶碗と嬉しいご縁があったのです。

心ひそかに赤楽茶碗が欲しいと探していたのですが、出不精のうえ道具屋さんの敷居が高く感じて、なかなか出合いがありませんでした。

赤楽茶碗にはもう出合わないかも・・と半ばあきらめていたのに、不思議なご縁を感じて赤楽茶碗を連れ帰りました。

師走10日に新潟県五泉市からI氏が我が家へいらしたので、早速その赤楽茶碗で薄茶を差し上げました。I氏がお客様第1号で嬉しいです。

 

 

今年6月30日の「雨月の茶事」で2年にわたる茶事10回をやり終えましたが、燃え尽き症候群になっていない自分を発見。来年もそんな自分に付き合っていこうと決心したところでした。

今、茶道具が持つ不思議な力(暁庵の茶の湯を後押ししてくれる)を感じています。そして、一緒に楽しんでくださるお客様のパワーもひしひしと温かく・・・。

黒楽茶碗と共にいろいろな物語ができそうで、赤楽茶碗を使うのがとても楽しみになりました。

腰や膝と相談しながら他力本願をモットーに、茶事や茶会一つ一つを丁寧に大事にできたら・・・と祈っています。

令和7年もどうぞよろしくお付き合いください。 

 

(参考)
 茶道具こわい    2010年12月29日
 茶道具こわい in Kyoto     2014年12月18日
 楽茶碗に恋して・・・茶道具こわい in Kyoto Ⅱ    2014年12月27日

 茶道具こわい・・・茶碗「玉帚」 2019年1月3日

(おすすめ)

 忘れたくない「茶の教え」  2014年12月24日  

 

 


令和6年 第百七回 光悦会・・・2

2024年12月06日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)
 
 
3席目は濃茶席の徳友庵(京都世話人)へ。
・・・流石に疲れてきました。待っている間に頂いた主菓子がもう絶品でした。栗きんとんですが、きんとんが超柔らかく、中の餡のお味も素晴らしかったです。思わず「お菓子が美味しかったです!」と係りの方に言うと、裏で菓子職人さんが作っているとのこと。光悦会で頂いたお菓子はどの席も美味しかったのですが、こちらが一番でした。菓子名は「金風」、恵那すや製とありました。
 
寄付に上村松園の「紅葉狩り」図、鹿の赤楽香合は光悦造です。こちらにも炭道具と煙草盆が展示されていました。
疲れているせいか、本席床の石山切貫之集は重要美術品だそうですが、何を見ても頭や心に入ってきません・・・お腹もすいてきたのでササッと見ることにしました。 
 
茶入は名物 銘「増鏡」 玉柏手 雲州蔵帳とあり、十文字模様のような釉薬の景色が印象に残っています。
遠州が「拾遺集」の人麻呂の歌「ます鏡に取持て朝な朝な みれとも君にあく時そなき」から命名し、遠州箱があり、外箱は不昧公。
 
茶碗は釘彫伊羅保 銘「音羽山」 小堀宗慶箱があり、「秋風のよそにふきくるおとは山 なにの草木かのどけかるべき」より命名。
インドネシアの裂地という袱紗 花紋金更紗が華やかで美しく目を惹きました。茶杓は道安共筒です。
 
やっと一番奥の翹秀軒(ぎょうしゅうけん)へ入り、瓢亭の点心を美味しく頂き、少し落ち着いて疲れもとれたかしら?
 
 
こちらからは鷹峯三山や遠く京都の街並みが見えます。
 
 
最後の4席目は薄茶席の三巴亭(さんばてい)(東京席)へ。
混んでいたのと薄茶なので最後に回ることにしたのが大正解、東京世話人さんの意気込みが感じられる、もの凄い道具組のお席でした・・・。
 
三巴亭は八畳2つの茶室ですが、奥の八畳が寄付になっていて
床に圓鑑国師 一行「秋風吹渭水落葉満長安」が掛けられ、しみじみと拝見。
 
御菓子(「紅葉・銀杏形清香殿」藤丸謹製)と薄茶(「路の白」柳桜園詰)をいただきました。
 
廊下を通って本席の八畳間へ移動すると、付書院に床の間があり、なんと!大好きな「煙寺晩鐘」が掛けられていました。
中国南宋時代(13世紀)の禅僧、牧谿筆と伝える「煙寺晩鐘」、画中に吸い込まれていくと、幽かに晩鐘が聞こえてくる・・・そんな味わいのある名作です。
もう1つの荏原・畠山美術館の「煙寺晩鐘」は国宝ですが、こちらは重要美術品 伝牧谿筆 外箱相阿弥 松浦伯爵家・益田家伝来。
表装も書いておきます。 一風 角龍金襴  中 茶地小牡丹金襴  上下 大黒屋金襴
 
しばし「煙寺晩鐘」の醸し出す空気感に浸って・・・動きたくない・・・。
 
 
 
「煙寺晩鐘」の前に置かれていた花入には白玉椿(…だったと思う)が生けられていました。
花入は織部所持 古銅菱雲耳付 織部在判 
 
「煙寺晩鐘」図が2つあることにびっくりしましたが、「馬蝗絆」茶碗が2つあることを知りました。
茶碗が青磁輪花 銘「馬蝗絆」 足利将軍家・織田有楽・角倉家・平瀬家伝来でした。
青磁の青を表わす「雨過天青」を思い出しながら、青磁輪花「馬蝗絆」に遭遇し拝見できて好かった!(青磁好きなので)
替茶碗が 光悦所持 青井戸 銘「有明」 光悦箱書 というのも贅沢なお取合せでした。
 
どれも凄すぎるのですが、ガラスケース越しに拝見した香合が政子所持とのことで、興味深く拝見しました。
保元時代籬菊蒔絵 銘「九重」 平瀬露香箱書 平瀬家・赤星家伝来。源頼朝が後白河法皇から賜わり、その後政子が愛用したという。
御香も書いておきます・・・後水尾天皇・東福門院勅命 古伽羅 銘「常盤」 香包紅心宗慶書付
 
書院に置かれた硯箱も心に残っています。 重要美術品 鎌倉時代菊蒔絵硯箱 見返菊  観空庵伝来
 
他にもたくさんあるのですが、三巴亭(東京席)は薄茶席というより濃茶席の道具組で、ひしひしと東京世話人さんの思いが伝わってきました。キリがないのでこのへんで御終いにします。
 
 
 
 
光悦会へ来る前には、終わったら折角の京都だから茶道資料館か北山会館へ寄りましょう・・・と言ってましたが、飽和状態でもう茶道具は見たくありません。それで、ホテルへ直帰しました。
 
秋晴れのもと、充実した光悦会の一日でした。  
 
 
 

 

令和6年 第百七回 光悦会・・・1

2024年12月05日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

 

令和6年(2024年)11月13日に第百七回・光悦会へ参席しました。

前回は2014年11月13日、約10年を経て2回目の光悦会です。

その間にコロナもあり、京都はいつしか遠い存在になっていましたが、S先生のもとで共に茶の研鑽に励んでいる茶友O様が茶券の手配をしてくださり、Y様と3人で出かけました。

8時半にホテルから予約のタクシーに乗り、北区鷹峯の光悦寺へ向かいました。

9時頃に到着し、楓(いつもなら紅葉しているのですが・・・)と敷石が美しい参道を進み、中門をくぐります。

中門前に「南無妙法蓮華経」の石碑があり、日蓮宗のお寺とわかります。

受付して荷物を預け、本阿弥光悦像が祀られている本堂に上がり、三人でお参りしました。渡り廊下を渡り、庫裏の裏口から草鞋を履いて庭づたいに茶席を回ります。

光悦会の案内によると次の5席ですが、待っている人数の都合で①~⑤の順で回りました。

 ⑤  薄茶  三巴亭  東京席

 ①  薄茶  太虚庵  金沢席

 ③  濃茶  徳友庵  京都席

 ②  濃茶  騎牛庵  大阪席

 ④  点心  翹秀軒(ぎょうしゅうけん)

第百七回光悦会・会記をいただきましたが、見どころ満載で覚えきれず、印象に残ったことだけを書き留めておきます。

 

 

最初に太虚庵(金沢席)へ。寄付(了寂軒)の床に掛けられている俵屋宗達筆「西行物語絵巻断簡 大堰川図」、大堰川を見下ろしながら座禅を組んでいる西行法師が鮮やかな色彩で描かれ、烏丸光廣之詞書 小倉山のふもとにて詠まれた和歌が書かれています。香合は古染付「荘子」です。

干菓子(「錦秋路」吉はし製)と薄茶(「松の齢」林屋詰)をいただきました。

本席(太虚庵)の床には春屋宗園筆の「閑叓(=事)」、垂涎の青磁中蕪塁座の花入、水引、足摺野地菊、黄色の小菊が生けられていました。

こちらの席主は輪島在住の数寄者だそうで、ご主人の七回忌に当たり、しのぶ会として遺愛の茶道具で構成されていると説明がありました。芦屋秋草地紋の釜に忍草蒔絵の炉縁が目を惹き、忍草蒔絵がこのように華やかさと静けさをもたらすことを初めて知りました。

源氏蒔絵中次について、「いろいろな蒔絵が描かれていますが、最初何の意味か、分かりませんでした・・・源氏物語の巻にちなむ蒔絵だったのです」と世話人さんのお話を伺って大いに納得でした。伏籠に雀は若紫、桐は桐壺、紅葉は紅葉賀、箒は箒木・・・判じ物みたいな源氏蒔絵中次は松浦鎮信箱です。

茶杓は金森宗和 共筒、金森宗和の茶杓は初めて拝見・・・かもです。姫宗和にふさわしく華奢と思いきや、がっしりした印象で小堀宗慶による追銘「黎杖」(れいじょう、黒い杖の意味)があります。

嬉しいことに茶碗三碗が拝見に回され、「皆様に見て楽しんでいただいて某茶人も喜んでいると思います」と世話人さん。

主茶碗は光悦の黒茶碗、覚々斎が「のきマド(軒窓)」と銘をつけています。光悦作の茶碗を手に取ると、思ったよりしっかりした造りで釉薬の胴下の流れが力強い印象で、覚々斎・碌々斎・不識斎箱があります。替茶碗は小井戸 銘「菊水」、もう一つの替茶碗は仁清 色絵龍田川図です。

光悦会で手に取って名椀3つを拝見させてもらって幸せでした。中でも仁清・龍田川の色絵の寂びた風情が好ましく、寄付の西行物語・大堰川図と気持ちの中で呼応して心に残りました。

 

2席目は濃茶席の騎牛庵(大阪席)へ。

先ず寄付の本阿弥庵へ入ると、床に尾形光琳筆「寒山拾得ノ図」が掛けられ、志野一文字香合が置かれていました。こちらは炭道具と煙草盆が飾られていて、「好い炭道具を見る機会があったらよく見るように・・・」と言われたS先生の言葉を思い出しながら拝見。

七面鳥の羽箒(益田鈍翁箱)と紙縒組の釜敷が印象に残っています。紙縒を組んだという釜敷は紹鴎所持、立派な曳家があり、元伯書付、如心斎箱と、古の茶人が愛蔵していたもので垂涎でした。

待合の自得軒の腰掛でお菓子(「銀杏餅」半田 松華堂製)をいただいていると、向こうの縁台に腰かけているS様を発見! まさかここでお会いできるとは・・・びっくりしながらご挨拶を交わしました。お変わりないご様子がとても嬉しいです。

 

       (騎牛庵の躙口)

だいぶ待たされてから(騎牛庵は狭いため2つのグループに分けた)本席・騎牛庵の躙口から一番にて躙り入りました。すると、突上げ窓から陽光がスポットライトのように床の花と花入を照らしていて・・・光悦会で一番心を震わせた瞬間でした!

思わずそのことを申し上げたら、すぐに世話人さんが他のあかり(電気?)を消してくださったのです。小ぶりの花入は砧青磁、照葉と白の野路菊がことさら愛おしかったです・・・。

その明かりの中で拝見した兀庵普寧(ごったんふねい)の墨蹟、小さな横物でしたが長文を丁寧に読み上げ、解説してくださいました。もうすでに朧ですが、修道の心掛けを書いていたように思い、墨蹟の中の「心火」という文字が今だ心に留まっています。「心火」を大切に・・絶やさぬように・・・もう一度、どこかでお目にかかりたい墨蹟です。

突上げ窓からの明かりで茶碗(青井戸 銘「何陋」読み方は?「かろう」、意味は??)と帛紗を拝見し回しました。帛紗が珍しく素晴らしく、会記に「明錦」とありました。点前座の釜は天明 繰口霰、木地の炉縁が利休所持・久以作、その向こうに南蛮縄のれんの水指。

茶入は中興名物 古瀬戸肩衝 銘「可中」、「可中」は「わくらば」と読むそうです。小堀遠州箱、鴻池家伝来。
「わくらばに問う人あらば須磨の浦に 藻塩たれつつ侘ぶとこたへよ」(在原行平、古今)からの歌銘
・・・落葉が降り灑ぐ藁ぶき屋根の茶室・騎牛庵に全ての茶道具がピタリとあてはまり、最高の道具組のように思いました。
 
次々と名物の拝見や説明があり座に慣れてきた頃、騎牛庵の変わった造りが気になり始めました。下座床で三畳台目が基本のようですが、茶道口に1畳、躙口から入った右側に1畳あり(後から増築とのこと)、相伴席でしょうか?・・・不思議な茶室でした。忍者屋敷のように躙口右側の畳の処から退席したように思うのですが、人の流れに付いて行っただけなのでよくわかりません・・・。