暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

令和6年 第百七回 光悦会・・・1

2024年12月05日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

 

令和6年(2024年)11月13日に第百七回・光悦会へ参席しました。

前回は2014年11月13日、約10年を経て2回目の光悦会です。

その間にコロナもあり、京都はいつしか遠い存在になっていましたが、S先生のもとで共に茶の研鑽に励んでいる茶友O様が茶券の手配をしてくださり、Y様と3人で出かけました。

8時半にホテルから予約のタクシーに乗り、北区鷹峯の光悦寺へ向かいました。

9時頃に到着し、楓(いつもなら紅葉しているのですが・・・)と敷石が美しい参道を進み、中門をくぐります。

中門前に「南無妙法蓮華経」の石碑があり、日蓮宗のお寺とわかります。

受付して荷物を預け、本阿弥光悦像が祀られている本堂に上がり、三人でお参りしました。渡り廊下を渡り、庫裏の裏口から草鞋を履いて庭づたいに茶席を回ります。

光悦会の案内によると次の5席ですが、待っている人数の都合で①~⑤の順で回りました。

 ⑤  薄茶  三巴亭  東京席

 ①  薄茶  太虚庵  金沢席

 ③  濃茶  徳友庵  京都席

 ②  濃茶  騎牛庵  大阪席

 ④  点心  翹秀軒(ぎょうしゅうけん)

第百七回光悦会・会記をいただきましたが、見どころ満載で覚えきれず、印象に残ったことだけを書き留めておきます。

 

 

最初に太虚庵(金沢席)へ。寄付(了寂軒)の床に掛けられている俵屋宗達筆「西行物語絵巻断簡 大堰川図」、大堰川を見下ろしながら座禅を組んでいる西行法師が鮮やかな色彩で描かれ、烏丸光廣之詞書 小倉山のふもとにて詠まれた和歌が書かれています。香合は古染付「荘子」です。

干菓子(「錦秋路」吉はし製)と薄茶(「松の齢」林屋詰)をいただきました。

本席(太虚庵)の床には春屋宗園筆の「閑叓(=事)」、垂涎の青磁中蕪塁座の花入、水引、足摺野地菊、黄色の小菊が生けられていました。

こちらの席主は輪島在住の数寄者だそうで、ご主人の七回忌に当たり、しのぶ会として遺愛の茶道具で構成されていると説明がありました。芦屋秋草地紋の釜に忍草蒔絵の炉縁が目を惹き、忍草蒔絵がこのように華やかさと静けさをもたらすことを初めて知りました。

源氏蒔絵中次について、「いろいろな蒔絵が描かれていますが、最初何の意味か、分かりませんでした・・・源氏物語の巻にちなむ蒔絵だったのです」と世話人さんのお話を伺って大いに納得でした。伏籠に雀は若紫、桐は桐壺、紅葉は紅葉賀、箒は箒木・・・判じ物みたいな源氏蒔絵中次は松浦鎮信箱です。

茶杓は金森宗和 共筒、金森宗和の茶杓は初めて拝見・・・かもです。姫宗和にふさわしく華奢と思いきや、がっしりした印象で小堀宗慶による追銘「黎杖」(れいじょう、黒い杖の意味)があります。

嬉しいことに茶碗三碗が拝見に回され、「皆様に見て楽しんでいただいて某茶人も喜んでいると思います」と世話人さん。

主茶碗は光悦の黒茶碗、覚々斎が「のきマド(軒窓)」と銘をつけています。光悦作の茶碗を手に取ると、思ったよりしっかりした造りで釉薬の胴下の流れが力強い印象で、覚々斎・碌々斎・不識斎箱があります。替茶碗は小井戸 銘「菊水」、もう一つの替茶碗は仁清 色絵龍田川図です。

光悦会で手に取って名椀3つを拝見させてもらって幸せでした。中でも仁清・龍田川の色絵の寂びた風情が好ましく、寄付の西行物語・大堰川図と気持ちの中で呼応して心に残りました。

 

2席目は濃茶席の騎牛庵(大阪席)へ。

先ず寄付の本阿弥庵へ入ると、床に尾形光琳筆「寒山拾得ノ図」が掛けられ、志野一文字香合が置かれていました。こちらは炭道具と煙草盆が飾られていて、「好い炭道具を見る機会があったらよく見るように・・・」と言われたS先生の言葉を思い出しながら拝見。

七面鳥の羽箒(益田鈍翁箱)と紙縒組の釜敷が印象に残っています。紙縒を組んだという釜敷は紹鴎所持、立派な曳家があり、元伯書付、如心斎箱と、古の茶人が愛蔵していたもので垂涎でした。

待合の自得軒の腰掛でお菓子(「銀杏餅」半田 松華堂製)をいただいていると、向こうの縁台に腰かけているS様を発見! まさかここでお会いできるとは・・・びっくりしながらご挨拶を交わしました。お変わりないご様子がとても嬉しいです。

 

       (騎牛庵の躙口)

だいぶ待たされてから(騎牛庵は狭いため2つのグループに分けた)本席・騎牛庵の躙口から一番にて躙り入りました。すると、突上げ窓から陽光がスポットライトのように床の花と花入を照らしていて・・・光悦会で一番心を震わせた瞬間でした!

思わずそのことを申し上げたら、すぐに世話人さんが他のあかり(電気?)を消してくださったのです。小ぶりの花入は砧青磁、照葉と白の野路菊がことさら愛おしかったです・・・。

その明かりの中で拝見した兀庵普寧(ごったんふねい)の墨蹟、小さな横物でしたが長文を丁寧に読み上げ、解説してくださいました。もうすでに朧ですが、修道の心掛けを書いていたように思い、墨蹟の中の「心火」という文字が今だ心に留まっています。「心火」を大切に・・絶やさぬように・・・もう一度、どこかでお目にかかりたい墨蹟です。

突上げ窓からの明かりで茶碗(青井戸 銘「何陋」読み方は?「かろう」、意味は??)と帛紗を拝見し回しました。帛紗が珍しく素晴らしく、会記に「明錦」とありました。点前座の釜は天明 繰口霰、木地の炉縁が利休所持・久以作、その向こうに南蛮縄のれんの水指。

茶入は中興名物 古瀬戸肩衝 銘「可中」、「可中」は「わくらば」と読むそうです。小堀遠州箱、鴻池家伝来。
「わくらばに問う人あらば須磨の浦に 藻塩たれつつ侘ぶとこたへよ」(在原行平、古今)からの歌銘
・・・落葉が降り灑ぐ藁ぶき屋根の茶室・騎牛庵に全ての茶道具がピタリとあてはまり、最高の道具組のように思いました。
 
次々と名物の拝見や説明があり座に慣れてきた頃、騎牛庵の変わった造りが気になり始めました。下座床で三畳台目が基本のようですが、茶道口に1畳、躙口から入った右側に1畳あり(後から増築とのこと)、相伴席でしょうか?・・・不思議な茶室でした。忍者屋敷のように躙口右側の畳の処から退席したように思うのですが、人の流れに付いて行っただけなのでよくわかりません・・・。