新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

スポーツ界における「監督」とは

2023-09-04 08:23:59 | コラム
我が国における「監督」を考えてみると:

1980年代の初めのことだった。本部の技術サービスの担当者が初めて我が国に出張してきた。彼の高校時代にフットボールを本格的にやっていた経歴に敬意を表して、高校のフットボールの試合に案内した。彼が先ず驚いたのは「日本の高校は土のグラウンドでフットボールをやっていること」で、「何故芝生ではないのか」と訊いてきた。次に監督を見て「あの人がヘッドコーチか。オフェンスやディフェンスのコーチは何処にいる」と尋ねてきた。

「彼は監督だ」と言いたかったのだが、ジェネラルマネージャーといえば意味が違うと思った。即ち、やや意表を突かれた質問で「監督」を英語で何と言えば良いのか戸惑ってしまった。そこで、反対に「ヘッドコーチとは何を意味するか」と尋ねてみた。彼の説明では「ジェネラルマネージャーはティ―ム運営の責任者で、ヘッドコーチが試合の指揮を執るが、その下にオフェンスとディフェンスのコーチがいて、それぞれ攻と守の責任を負っている」となっていた。

これを聞いて痛感したことは、昭和20年(1945年)から慣れ親しんできた蹴球部には監督はいたがコーチなどおらず、監督が攻も守も全て指導され、試合の指揮も執っていた。監督とは言わば「ジェネラル・コーチ」だった。あの時に説明された攻守の分担制など考えてもみなかった。昭和24年に甲子園で優勝した野球部だって佐々木監督だけが常時指導され甲子園でもベンチで1人で指揮しておられたと記憶している。

プロ野球だって往年の大選手が監督に就任され、言わば全知全能の如き力を発揮して指揮を執っている仕組みだと思っていた。そこにアメリカ式にピッチングやバッテイングや守備のコーチも採用される分業制に移行し始めたが、某永世名誉監督などはキャンプや試合の場に現れては後輩の打撃指導などをされている。選手たちも畏まって指導を受けている。「あれはバッテイングコーチの仕事を奪う越権行為ではないか」と私は叫んでいる。

要するに、この辺りに我が国とアメリカの文化と歴史の違いが顕著に表れていると思ってみている。それは「我が国では先輩は常に後輩を気遣って親切丁寧に指導して進歩と成長を助けてやるべし」という後進を育てるという美しい文化(習慣)があること」を示しているのであり、某監督の行為は越権でも余計なお節介でもないと言えるのではないのか。

ということは、先輩である監督とコーチは具体的にも精神的にも後輩を指導すべき立場にあると認識されているというか理解されていると思う。現に、かく申す私は高校卒業後には躊躇することなく、後輩を指導すべく、グラウンドに駆けつけたものだった。

ここで、我が男子バスケットボール代表ティームを来年のパリオリンピック出場に持って行かれたトム・ホーバス(Thomas Hovasse)氏を取り上げよう。彼は「ヘッドコーチ」となっていると理解している。だが、マスコミでは「トム・ホーバス監督」と表記されている。マスコミはホーバス氏ばかりにだけ脚光を当てている以上、オフェンスとディフェンスのコーチもいるはずだが、その人たちの名前すら報じられていないのは何故だろう。

また、大谷翔平君が所属するLAエンジェルスではジェネラルマネージャーの指揮下にヘッドコーチ(監督)のネヴィン氏と、投手が何時ものように打たれる度にベンチから出てくるピッチングコーチがいるし、他には守備や打撃のコーチやトレーナーもベンチにいるはずだ。

ここまでで言いたかったことは、我が国の文化では「ヘッドコーチ」を「監督」と訳して表記していることなのである。そこで、「ヘッドコーチ」と「監督」の違いを検索してみた。最も平易な表現で解りやすいと思ったのが「英語の達人」というサイトだった。以下に引用してみよう。

>引用開始
スポーツで最も一般的な「監督」は「コーチ:coach」という表現で、スポーツクラブや部活の監督という意味でも[coach]を使うと良いでしょう。
日本語で「コーチ」と言うと、監督の下について練習を補佐するイメージがありますが、日本語的なコーチは英語で「アシスタントコーチ:assistant coach」という違いがあるので気を付けましょう。
また、バスケットやアメフト(アメリカンフットボール)では、監督の英語として「ヘッドコーチ:head coach」という表現もよく使われ、これは「コーチ陣の長」という事ですね。
<引用終わる

ここまでは主として「名称」の違いを論じてきたが、文化というか習慣の違いは「我が国では後輩や部下を指導するのが上に立つ者の責務乃至は役目である」という辺りになると思う。であるから会社組織では、その部下や後輩を思う一念が強すぎて、当節何かと言えば使われる言い方の「パワハラ」になっていくのだと解釈している。体育会の組織だって「後輩を可愛がる」というのがあるではないか。

アメリカのように何事でも個人が主体であり、会社組織では殆どが中途採用で、ジェネラルマネージャー(GM)の指揮下に全員が横一線で並んでいて年功序列制ではなく、地位と身分に違いがない世界では、部下の指導などという項目は職務内記述書には記載されていない。現実問題として、私はGMよりも10歳も年長だったが、一度たりとも仕事の進め方で指導されたことなどなかった。要するに各自が自分のやり方で進めていく世界である。

あのW杯でオリンピック出場権を獲得したティームでは最年長の比江島は33歳、大活躍した河村も富永も22歳。外から見えた彼ら12名は年功序列も先輩後輩の分け隔てもなく、ヘッドコーチの下に一丸となって勝ち上がっていったのは美しくもあり、勇ましくもあり、立派だったと褒め称えたいと思う。印象的だったことは「ホーバス氏が試合中に選手たちを鼓舞する時には言わば精神論だけで、何らの具体的な指示をしていなかった」点である。



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