アメリカに行った宮里藍がスランプだと報じられている。同様に福原愛はエースだと言うが国際試合で勝つとは限らない。石川遼(こんな字だったか?)は高校生でプロになったが、海外では惜しくも予選落ちした。浅田真央だって何れはぶつからざるを得ない壁があるだろう。
とまー、こんな具合で20歳前のスポーツ選手の出現をマスコミが大歓迎する。結果は贔屓の引き倒しか、大方は現れた頃から見れば希望的観測ほどには伸びてくれない。
当たり前だ。彼らマスコミの好みの「世界」とはそんなに簡単なところではない。それに「二十歳過ぎればただの人」と昔から言うではないか。年端のゆかない子供が一寸勝つと神童だの天才だのと持ち上げる。そして世界を目指させ、オリンピックだと囃し立てる。自分の経験からもそんなに同じ人間が際限なく成長し続けるわけがない。そのくらい解っているだろうに。私だって中学2年までは将来有望の新人だった!!
それなのに散々煽てて、一寸成績が下がると今度は掌を返してスランプと言い、限界説を唱える。スランプなどというものは一度名を為した人が陥るのだと知って言っているのか?
宮里藍だが、今朝の6チャンネルでは張本が「早く日本に帰ってこい」と言っていた。ある程度は賛成だ。伸び悩みとか何とか言う前に、女子が一人であの国に行って、外国人の中に入って、じゃなかった宮里が外国人だった、世界中から来た人たちの中で思うように話が出来るようになるだけでも大変なことだ。
それだけではない。年がら年中広いアメリカを移動して、時差を乗り越えて、乗り物や宿泊の予約、食事等をこなして、尚かつ生活のためにゴルフもするのだ。これがどれだけ大変か自分でやってご覧。我々会社員は移動の後で仕事をするのだ。しかも、こちら往々にして夜の部まである。スポーツ選手は夜遊んで歩くのは自殺行為に等しい。しかも、あの国では昼夜を問わず出歩くためには自動車を運転せねばならない。まさか宮里が運転手さんを雇うか?
それだけではない。彼らの中で暮らしてみなければ解らないことがある。それは身体の大きさと体力と身体能力の違いだ。男と女は違うかも知れないが、自慢じゃないが女のことは解らない。おっと、これでは話が横道に逸れる。彼らの体格を目の前で見ると「こりゃ大変なところに来てしまった」と感じるだろう。彼らの身体能力には、残念ながら我々では容易に対抗できない凄さがある。
余談だが、彼らは上半身民族と言いたい体形。それに比べて我らは下半身民族と言うべきか?初めて日本に来たアメリカ人が3日間東京の中を文字通り歩き回らされた後に言った「ナルホド、君らはこれだけ歩くから足からすり減って身長が縮んだのだ」と。我が国ではかくのごとくに下半身は鍛えられざるを得ないが、彼らは車社会の住人。足が弱いのは事実。だからジョギングなどに励まざるを得ないので、それを下半身民族が有り難がって真似してどうする。
最近の宮里は、音声が出る限りではかなり流暢風に英語を話している。あそこまでになるためには、かなり精神的な負担があったと思う。
と、いう具合で、宮里の身体能力のみではなく、これだけの有形無形の負担を強いられているのだ。それに負けないだけの精神力も必要だ。だから、過去2年(だったかな?)は良くやっているなと見ていた。この辺りまでの壁を乗り越えないと、あの国で自分の力だけで暮らさなければならないので、負担が大きすぎると懸念する。
そこをどうするかは、周囲がとやかく言うことではない。自分で判断することだと思う。あの国で暮らすとイヤという程思い知らされることが一つある。それは「頼りにできるのは自分だけ」という冷酷と言うよりも、余りにもハッキリとした現実。マスコミも張本も、そこまで解ってから言って貰いたいものだ。□<o:p></o:p>
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