アメリカのビジネスマンたちは家庭と家族を大切にする:
「何だ、そんなことは当たり前ではないか」などと言われずにお読み願いたい「信じられないほど猛烈に働くアメリカの経営者たちは、常に何とかして家庭と家族を大事にしようと最大限の努力をしている」お話なのであるから。
我々日本の偉い方々の中には「家庭を顧みる暇もなく、仕事に最大限の時間を割いてきた」との例は「流石である」という尊敬の対象であったように思える。その辺りでアメリカ人の感覚は一寸違うと感じた。
手っ取り早い所で、私自身の経験から振り返ってみよう。私はこれまでに何度か述べてきたことで「1年の3分の1をアメリカ出張、3分の1を来訪する副社長か技術サービスマネージャーと日本国内の取引の本社と工場を訪問し、残る3分の1を東京に事務所に出勤していた」のだった。即ち3分の2は家に居ないのだった。その為か、副社長はこちらに来る度に会食等の機会を作って家内と会って「何時も彼を出張させて貴女を一人にさせて申し訳ない」と、言わば慰めていたのだった。
この例などは彼らが家庭を大事に出来なくなってしまったことを詫びでいるのだが、要点は彼らアメリカの経営者や管理職たちは仕事に多くの時間を当てているが、何とかして最低でも週に1日は家に居て家族と過ごす時間にしたいと最大限の努力をするのである。そこにある事はと言えば、「家庭を顧みない事」と「妻に最少(最悪)でも2週間に1度は“I love you.“のような言葉をかけるか、具体的な愛情表現を怠る事は『虐待による離婚の条件を満たす』から」なのだ。
それは州によって法律の規定が異なるが、「ワシントン州では離婚が成立すれば財産の半分を譲渡する」となっているので、殆どの場合に家を妻に明け渡す事になってしまうのだ。上記のような家庭を大切にする努力を怠らず、頻繁に愛情表現を繰り返していたとしても、我が事業部内では副社長以下私の上司だった3名は皆離婚になっていた。「これぞアメリカ」なのである。
では、「アメリカの大手企業の経営者たちがどれほど猛烈に働いているか」の実例を挙げてみよう。我が社には次期社長候補の大本命と目されていたハーバードのLaw School出身の自ら天才と豪語していたCEOに次ぐ#2のSenior vice presidentがいた。彼は私と同年齢だが、#2の地位に任じられたが36歳の時で、その頃から猛烈に仕事をすると社内に遍く知られていた。部下にも極めて厳しかったそうだ。
その彼が1976年だったかに東京事務所を訪れた際に彼を囲んだ夕食があり、食後に東京駐在の副社長が「今から無礼講にするから、彼に好きなように質問をしても良い」と発言したが、誰一人として手を上げなかった。そこで、日系人のワシントン大学MBAのJ氏が驚くべき質問をした。その切り出しは“Charly. I know you work like a machine.”で「貴方の1日のスケジュールを聞かせて欲しい。それにもし良ければ“Let me know how many times you love your wife.“も訊きたい」というものだった。
チャーリーは淡々としてスケジュールを語ったが、それは「毎朝3時に起きて前日やり残した仕事を片付けて、4時から犬の散歩をして、5時から朝食を摂って6時には出社して3時間の時差がある東海岸の事業所と工場に電話連絡し、秘書が設定した当日のスケジュールに目を通した頃に8時になって全員が出勤してくるので(我が社は8時~17時と決まっている)そのスケジュール通りに働き、7時まではオフィスにいるだろう。そして仕掛かりの仕事を持って帰宅し、8時から夕食で家族には会えて、10時から深夜まで明日の準備に費やしている」だった。
そして、「今ではSVPの激務にも慣れたので、週末は土曜日のみオフィスに出て、日曜日を家族と家庭の団欒の時間に出来るようになった。週に何回かの質問に答えないで許して貰いたい。だが、言って置くが私には3人の子供がいる」と補足した。J氏も訊いていた我々も「流石!」と納得した。彼も家庭と家族を大切にしている普通のアメリカ人だと認識出来た。
この物語を直後に出張した本部で皆に伝えてみた。聞き終えた後の同僚たちの反応を予測してみて頂くと面白いだろう。誰一人として感心しなかった。彼ら一斉に「そんな話の何処が珍しいのか。社内で2番目の高給取りがそれほど働くのは当然の事だ」とバラリズンと切り捨てられたのだった。
その後に副社長にも語って見たが同様の反応で、「週に何回か」の件では、聞き終えたから「チャーリーはこれまでに3回あったのか」と言ってニヤリと笑った。私も受けて大笑いした。このような真剣な話でも、ユーモアで締め括るのがアメリカなのである。
矢張り、英語の話にも触れておこう。副社長が「無礼講」と言ったとしてあったが、この表現は“no order”で、それを私が勝手に「無礼講」にしたまでのこと。参考までに英辞郎をみれば“regardless of rank and seniority”となっていた。でも、こんな言葉を使う機会など余り来ないと思うが。
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