張本勲は「何で日本のリーグ戦と同時期に呼んだのか」と怒っていた。ある程度以上同感である。
だが、譬えテレビ観戦でも、昨年9月以来でMLBがある程度以上真剣にやっているのを見た。面白かった。初めてMLBの試合を見たのは80年代前半だったかも知れない。先ず驚いたのが「体格」の違いだった。同じ広さの内野だと思ったが以上に狭く見えた。それは彼らが大きいからだった。
MLBでは野球の質とゲームの進め方が日本とは異なるのだが、それはここで論じたいことではない。だが、不思議だったのは、彼らがシーズンが終わってから日本に来て野球をすると、その体格の差がほとんど感じられなかったことである。
それは恰も1972年にニューヨークでDuke Ellingtonを生で聞いて、そのバンド全体の真剣な演奏の余りにも凄まじい迫力に驚いたことにも似ていた。来日したバンドは真剣みが感じられないことが多かったからこう言うのだが。聴衆の態度にも我が国と大きな差があると思う。真剣にやれば、それに直ぐに反応する点が、我が国のお行儀の良さとの違いであると思う。
今回のレッドソックスもアスレティックスも、ともに非常に大きく見えた。身体能力の凄さもアメリカで見たMLBそのものだった。それはシーズン前で十分に調整されていたからでもあるだろう。気を抜いている場合ではないと知っているからであろう。
張本はMLBも質が落ちて大したものではないと言う。ある程度は同感だ。だが、あの基礎体力と身体能力は、日本側がいくら一所懸命にやっても追い付けない性質かとあらためて認識していた。
負けていた試合を一気にホームランで追い付き、追い越していく力は、身体を鍛えただけで簡単に追い付けないなと、ある意味で感心していた。
但し、近年のMLBは余りにも国際色が濃厚になり、アメリカ式に三大スポーツ(野球、フットボール、バスケットボール)で基礎から鍛えられたアスリートが減って、他国の野球しか経験していない体力に優れた人たちの「体力・体格・腕力ショー」と化した嫌いがあると思っている。
それでも、高校野球の延長のような「1回表、ノーアウト、ランナー一塁」でバントする野球よりは、私には面白いのだ、MLBの方が。
だが、譬えテレビ観戦でも、昨年9月以来でMLBがある程度以上真剣にやっているのを見た。面白かった。初めてMLBの試合を見たのは80年代前半だったかも知れない。先ず驚いたのが「体格」の違いだった。同じ広さの内野だと思ったが以上に狭く見えた。それは彼らが大きいからだった。
MLBでは野球の質とゲームの進め方が日本とは異なるのだが、それはここで論じたいことではない。だが、不思議だったのは、彼らがシーズンが終わってから日本に来て野球をすると、その体格の差がほとんど感じられなかったことである。
それは恰も1972年にニューヨークでDuke Ellingtonを生で聞いて、そのバンド全体の真剣な演奏の余りにも凄まじい迫力に驚いたことにも似ていた。来日したバンドは真剣みが感じられないことが多かったからこう言うのだが。聴衆の態度にも我が国と大きな差があると思う。真剣にやれば、それに直ぐに反応する点が、我が国のお行儀の良さとの違いであると思う。
今回のレッドソックスもアスレティックスも、ともに非常に大きく見えた。身体能力の凄さもアメリカで見たMLBそのものだった。それはシーズン前で十分に調整されていたからでもあるだろう。気を抜いている場合ではないと知っているからであろう。
張本はMLBも質が落ちて大したものではないと言う。ある程度は同感だ。だが、あの基礎体力と身体能力は、日本側がいくら一所懸命にやっても追い付けない性質かとあらためて認識していた。
負けていた試合を一気にホームランで追い付き、追い越していく力は、身体を鍛えただけで簡単に追い付けないなと、ある意味で感心していた。
但し、近年のMLBは余りにも国際色が濃厚になり、アメリカ式に三大スポーツ(野球、フットボール、バスケットボール)で基礎から鍛えられたアスリートが減って、他国の野球しか経験していない体力に優れた人たちの「体力・体格・腕力ショー」と化した嫌いがあると思っている。
それでも、高校野球の延長のような「1回表、ノーアウト、ランナー一塁」でバントする野球よりは、私には面白いのだ、MLBの方が。
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