1970年代の韓国の思い出:
渡部亮次郎氏の「頂門の一針」3204号の加瀬英明氏の「反日が募る韓国をどうする」を大いなる興味を持って読みしました。そこで私の1970年の韓国での経験談を。
実は、私も1970年に当時の日本の会社での仕事だった韓国のメーカーにライセンスを下ろすことと原材料の開発輸入で、ソウルに行っています。その頃では反日的な目に遭ったことはなく、日本統治時代に育った取引先の幹部には丁重に扱われました。彼等は直接的な表現はしませんでしたが、統治時代の意義を認識していたことは明瞭でした。但し、礼儀作法と言葉遣いには気を遣いました。
当時の零れ話的な思い出に、こういったことがありました。それはかの国の規制で持ち込み禁止だった我が国の出版物(この際は週刊誌でした)を税関も見落としたのか没収されず、持ち込んでしまった形になりました。それを見つけた取引先の社長が喜んで引取り「そっと皆に回覧して楽しみます」と言ったのが印象的でした。彼等は自由世界の出版物に憧れていたのです。
その頃から昵懇にして頂いていたライセンス先の中規模財閥のオウナーには、当時の世界とアメリカの経済情勢を聞きたいと、リタイヤー後の1990年代に観光で出かけた際にも多忙な時間を割いて、私との懇談の機会を作ってくれました。
だが、思い起こせば70年に未だソウルの街には、「イルボン、ペクエン、ジュセヨ」(日本の百円硬貨をくれ)と手を出してくる浮浪児が溢れていましたし、レストランに洋モクを抱えて売りに来る子供もいました。その風景を写真に撮ろうとした日本人が、居合わせた老人に「なんということをする。お前らだった終戦直後はこういう状態だったことを忘れたか」と怒鳴られて店全体がシーンとしたことも例外的にありました。
私は現在の韓国人は統治時代と我が国からの戦後の援助等を忘れていながら(97年にはIMFに救われた成長発展であるのも忘れ)、歴史認識などと言って我が国を批判している矛盾に気付かないという、寧ろ哀れむべき存在であるかとすら思います。極論的に言えば忘恩だと思うのです。現在の朴大統領の言動を見れば、彼等は英語にすれば"They don’t know what they are doing and where they are heading for."だと思っています。
因みに、ライセンスィングは無事成功しましたが、原料輸入は後刻生産現場にまで出張して検品し承認とした物と、最初にテスト輸出されてきた製品とに違いがあってこじれて仕舞い、テスト輸入だけに終わったのは残念でした。
渡部亮次郎氏の「頂門の一針」3204号の加瀬英明氏の「反日が募る韓国をどうする」を大いなる興味を持って読みしました。そこで私の1970年の韓国での経験談を。
実は、私も1970年に当時の日本の会社での仕事だった韓国のメーカーにライセンスを下ろすことと原材料の開発輸入で、ソウルに行っています。その頃では反日的な目に遭ったことはなく、日本統治時代に育った取引先の幹部には丁重に扱われました。彼等は直接的な表現はしませんでしたが、統治時代の意義を認識していたことは明瞭でした。但し、礼儀作法と言葉遣いには気を遣いました。
当時の零れ話的な思い出に、こういったことがありました。それはかの国の規制で持ち込み禁止だった我が国の出版物(この際は週刊誌でした)を税関も見落としたのか没収されず、持ち込んでしまった形になりました。それを見つけた取引先の社長が喜んで引取り「そっと皆に回覧して楽しみます」と言ったのが印象的でした。彼等は自由世界の出版物に憧れていたのです。
その頃から昵懇にして頂いていたライセンス先の中規模財閥のオウナーには、当時の世界とアメリカの経済情勢を聞きたいと、リタイヤー後の1990年代に観光で出かけた際にも多忙な時間を割いて、私との懇談の機会を作ってくれました。
だが、思い起こせば70年に未だソウルの街には、「イルボン、ペクエン、ジュセヨ」(日本の百円硬貨をくれ)と手を出してくる浮浪児が溢れていましたし、レストランに洋モクを抱えて売りに来る子供もいました。その風景を写真に撮ろうとした日本人が、居合わせた老人に「なんということをする。お前らだった終戦直後はこういう状態だったことを忘れたか」と怒鳴られて店全体がシーンとしたことも例外的にありました。
私は現在の韓国人は統治時代と我が国からの戦後の援助等を忘れていながら(97年にはIMFに救われた成長発展であるのも忘れ)、歴史認識などと言って我が国を批判している矛盾に気付かないという、寧ろ哀れむべき存在であるかとすら思います。極論的に言えば忘恩だと思うのです。現在の朴大統領の言動を見れば、彼等は英語にすれば"They don’t know what they are doing and where they are heading for."だと思っています。
因みに、ライセンスィングは無事成功しましたが、原料輸入は後刻生産現場にまで出張して検品し承認とした物と、最初にテスト輸出されてきた製品とに違いがあってこじれて仕舞い、テスト輸入だけに終わったのは残念でした。
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