水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

中仙道ふるさとまつり美術展・当日

2007-12-13 21:37:44 | 中仙道ふるさとまつり美術展
「中仙道ふるさとまつり」でのワークショップでの様子です。

定番のハンコ作りです。
学生さんとか若手の作家のこたちも手慣れてきました。参加者を募り、難しい導入部分も各々にこなしています。一つのモデルケースとして成功したワークショップになったようです。

        

ただ、将来的には「自分の企画を」と考える子達も出てくると思いますが、そこからが難しいでしょうね。モノマネで行うなら容易いですが、独自のアイデアでプランを立てようとすると様々な困難が生じてくるでしょうからね。

しかし、このハンコ作りのワークショップもはじめは全て手探り状態だったんです。今でこそ有料で行っていますが、はじめた当初は「これでお金が取れるのか?」「お金をとって良いものか?」とか、手法に付いても「簡単すぎるのではないか?」などとと悩みましたし、判子の材料についても研究していました。

ですから、若手の子達がこれからプランを立ち上げたいのであれば、覚悟しなければなりません。そして、失敗して当たり前で、一つのプランが軌道にのるまでには試行錯誤とそれなりの時間が必要なのです。

また「時間=機会」でもあるので機会を求め続けることをやめてはいけないし、自他ともに心を折れないようにするにはどのように取り組むべきか「次に繋げてゆくには、今何をしなければならないか」常に考える姿勢重要なのです。

「芸術による街づくり」というスローガンもそこに集約されてくるのですから。



アートグッズ販売も今回で4回目。

収益を、野外美術展の費用に充てるということで開催しています。

        

助成金とかがあれば、正直、それを頼りたいと思う所ですが、助成金の意義は暮らしの中で、一般社会の中で、啓蒙的な役割を果たす活動に賛同し提供されるもので将来的には自立支援を目的に行われるものです。

ですから、できることならば、助成金を頼らず自活的に運営がなされることが望ましいです。

とはいうものの、客観的に観て即実現するには難しい目標でもあります。

しかし例え数百円でも、自分の精魂込めて作ってきたものが売れる喜びは若手に限らず作家にとって強烈なインパクトがあります。

要らなくなったものをリサイクルで販売しているフリーマーケットとは一線を画す部分でもあります。

リサイクル品のフリマは、市場においてある意味での「デフレ」への影響が強いのですが、アートグッズ販売では、確かに数百円では、制作費、材料費にもならないことが多いものの、その反面、付加価値のあるものにしたいという意欲が必然的に発生し、生産者、消費者の双方に市場のメンタル的な部分で活性化が期待できます。

アーティストが食べてゆけない現状を、ほんの少しでも改善させるとするなら、こうした形での生産者と消費者の関係に目を向け、消費者が「アーティストを育てている」「芸術文化を支えているのだ」と誇りに思えるようなPRを考えなければいけないような気がします。

中仙道ふるさとまつり美術展・野外展示作品

2007-12-13 21:32:16 | 中仙道ふるさとまつり美術展
11月10日

「中仙道ふるさとまつり」当日です。

美術展は一週間前倒しの展示でしたので見慣れた光景になりつつある頃に、大きなイベントが行われ新鮮な雰囲気に感じられます。

     

「春日井まつり」「学びの森フェスティバル」そして、今回の「中仙道ふるさとまつり」

何十万人もの人出で賑わう各地での「まつり」に、若手作家を中心に自主的に意欲的に美術展を提案し、ワークショップの開催、アートグッズの開催も実現できたことは、前代未聞の素晴らしい偉業となったのではないかと思えてなりません。

また、各地で行った一過性の表現を繰り返し行うことで、それぞれの作家が自分自身の作品の可能性について考える良い機会になったのではないかと思います。

また、公共空間での展示が寄り身近なものとして感じるれるようになったことで、皆さんが、それぞれに世の中と自分の作品とのあり方みたいなものを考えるようになってくれたら、うれしいですね。

18年程前、たった一人で交渉を行い孤独をあじわった経験を持つ僕には、やっと分かってもらえる仲間が増えたと思えるからね。

同じフィールドで芸術談議が語り合える日も近いかも知れません。

楽しみです。




中仙道ふるさとまつり美術展・JR岐阜駅室での打合せ

2007-12-08 14:38:53 | 中仙道ふるさとまつり美術展
11月9日

「中仙道ふるさとまつり」開催前日、6日の会議を行った際にご提案させていただいたJR岐阜駅のイベントのお手伝いの打合せということで、野口雄也君、赤井教祐君が若手の代表ということでJR岐阜駅の駅員室に行きました。

2003年の頃は、学校の先生方や岐阜県芸術文化会議の役員の方とか、ある程度社会的な肩書きのある方がお話しをしに行くような、敷き居の高さを感じていましたが、今回の展覧会は、JR岐阜駅周辺の自治体も関わっている話しということで、これまでと比べればかなり話しがしやすい状況が生まれました。

そこで、今回は若手の子たちで出席してもらうことにGOサイン。

彼らにとって、良い経験になったのではと思います。

       
                          (撮影 赤井教祐)

また、僕はとしては、こうした経験は早ければ早い程良いと考えています。

実際にこうした場に出席し関わってみれば、実社会で何が必要か、何を求められているか、作家自身がどうあるべきか肌身で知ることができるからです。

それが分かれば、作家として作品の数が絶対的に足りないこと。作品を作るだけなく、その記録をまとめこうした席で直ぐに見せれる資料作り(ポートフォリオ)が重要であることに気づきます。

なにより、目の前でチャンスが素通りしてしまうことに焦りも感じるでしょう。

同年代の子で同じ状況の時に横で自分の作品の話を切り出されて、ものにしてゆく姿を見れば、良い意味での切磋琢磨をはじめられるかも知れません。

もちろん、悪い意味での切磋琢磨も生まれてくる可能性も否定できませんが、僕は17年以上こうした交渉ごとに接してきたので、どのような状況が生じてくるか大体見当がつくので、そうならないうちに早め早めで対応してあげたいと思っています。


でも、まぁ、とにかく、よく頑張ったよね。^^v

中仙道ふるさとまつり美術展・打合せ会議

2007-12-03 22:20:16 | 中仙道ふるさとまつり美術展
11月6日

JR岐阜駅南口広場 壁泉での搬入を終えたこの日、夜7時からJR岐阜駅高架下関連施設のハートフルスクエアGで11月10日の「中仙道ふるさとまつり」実行委員会の打合せ会議がありました。

松井議員さんを委員長に町内会代表の方々、市役所の方、JR岐阜駅の方、JR岐阜駅高架下関連施設の方、装賀着物学院の安田さんと素晴らしい方々がご主席される中にご参加させていただきました。

       

打合せ会議には、清水英樹先生、大庭正也先生、野口雄也君、赤井教祐君(この時は出席していませんでしたが脊板紘子さん)の、学校の先生方と若手作家、美大の学生という組み合わせで出席しました。

半年程前に松井議員さんにお会いし、中仙道まつりへの美術展の参加をご提案させていただいて今日までご主席された関係者の皆様のお力添えを賜り何んとか実現のめどを立てていただきました。

そこで何とか、美術展示ということだけに限らず、何かしらお祭りの準備に若手の子達のお手伝いできる場を作っていただけないか清水英樹先生よりご提案したところ。

JR岐阜駅主催のスタンプラリーによる抽選会のアシスタントが欲しいということでご依頼が頂けました。



実を言うと、昨年の丁度その頃「学びの森」での美術展を終え、各務原市役所にご報告とお礼の挨拶をした後、清水先生とお話しして

僕からは
「清水緑地での美術展では中仙道まつりに参加してゆく形で真剣に考えています。できるなら、野口君が頑張っているので彼の活動の基盤になるよう話を進めてゆきたいです。それには、何かしらの形で中仙道まつりの実行委員会にお手伝いさせていただく形が良いと思っています。細く永く、関わってゆける関係を作るには、先方からのお願いをまず聞いてあげれるようになること。そこから始まる信頼関係が、野口君達の年頃の子達には一番必要なものなんです。」

清水先生から
「とにかく、ハデであることと、声をかけた方が、参加した後に「よかった」とよろこんでくれなければ意味がない。若手を育てるということならよろこんでやりましょう。ゴミの清掃とかでも良いのかな?何かしらの形でお手伝いできるように話をしてみます。松井議員さんと装賀着物学院の安田さんにも話をしてみたい。がんばるぞ~!」

というお話しになっていました。
それがJR岐阜駅さんのイベントと関われるとは思ってもいませんでしたので感動しました。

中仙道まつり美術展・壁泉での作品搬入

2007-12-02 18:23:07 | 中仙道ふるさとまつり美術展
11月5日

「中仙道まつり美術展」JR岐阜駅南口広場 壁泉での作品搬入と展示

赤井教祐君には、学びの森での作品をそのまま壁泉で展示してもらいました。

        
                         (赤井教祐君の搬入)

再制作と言うと「現代美術は常に新しい作品を発表しなければならない」という考えがあって敬遠されがちですが、僕としては、一過性の展示だからこそ努めて繰り返して展示することが重要なのではないかと考えています。

無名の作家であるならなおのことです。

また、マスコミに取り上げられ有名になってしまうと常に話題の中心でありたいと考えてしまうもので中村英樹氏の「表現の後から、思想が生まれる」という考えもあるように、作家も表現してから思想が生まれると思うので、作家本人が結論としての思想が構築される前に「次から次へと作風を変えろ」とか「新作でないと駄目である」とか強要するのは如何なものかと思うのです。

        
                          (大庭正也氏の搬入)

同じことを繰り返しているように見えていても、制作をしている間に反省とか次の制作についての考えるのが作家としての性でもあるので、心配しなくても、内面では常に変化しています。

それより問題なのは、一般の観覧者ならともかく作品を見て文章にすることを生業にしている方々が目に見える部分だけの変化にしか目を向けない傾向があることかな。

今、この作品がつくられているということは、今、そこに作家が生(活)きているということで、その作家の制作の経緯を探る姿勢がもう少し欲しい気もします。

もちろん、DMを見て「作品が気に入りましたので掲載しても良いですか?」と電話一本ですませ実際に作品を見に来る訳でもなく記事にしている人たちは全くの論外じゃないかな。

中仙道まつり美術展・清水緑地搬入

2007-12-01 19:26:39 | 中仙道ふるさとまつり美術展
11月4日

午前中に各務原市の「学びの森」の搬出を終了し、そのまま、清水緑地の搬入展示に突入。

       

この4年で、少しずつ公共空間での展示に慣れてきた若手作家の野口雄也君。清水緑地での美術展を行うにあたり、市役所に許可申請手続きを行ってくれました。

また、今回から関われることになった「中仙道ふるさとまつり」で、JR岐阜駅高架下関連施設ハートフルスクエアGのロックコンサートのイベントが同じ清水緑地で行われるということになり敷地内の使用で打合せを行ってもらいました。



流石に、一日で2カ所の野外美術展の搬出、搬入を行うと疲れますね。

単純に、自分の作品だけならどうということはありませんが、他の作家の作品の状況を把握しないといけない立場なので神経を使います。

作品の安全も重要ですが、それ以上に、展示会場の現状復帰がなされているかの方がもっと重要です。

自主企画にでのグループ展ですので、その辺の所は相当な緊張感を強いられて、もうヘトヘト。

流石に、辛かった。

でも、そんな中、僕の方で用意する予定だった脚立等を野口君達で手配し自主的に行動に出ていてくれたのは頼もしく感じました。

いろいろ不備な点もありますが、自分たちで出来るだけのことをしていた姿勢は、僕達のこれまでの努力が報われつつある光景でもあるのです。

若手の子達が頑張っている状況があればこそ、先輩である僕達が動けるフィールドが広がってもくるのです。

次の手を考えねばと思えた瞬間でした。