水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

いっぱいあったけど

2005-12-19 12:45:47 | あれこれ。。
12月19日
熱が続いていても意識はある訳で、布団の中でじっとしているのは何とも辛い。

そんな訳で、ネットを覗いてみたいたら8月から作っていた花フェスタの模型はその後どうなったか。。。

記事らねば。。

3人展という事で展示を行ったのですが、結局は他の作家の雰囲気に合わず展示するのを控えました。
他にも金色をベースにウルトラマリンで仕上げた模型もありましたが、他の作品が比較的モノトーンな表現だったので何とも相性が悪かった。

また、壁一面に赤い鉄板を展示していたので、それ以上に色を持ってくるのは何とも気まずい感じもしていたし、まぁ、個展でない以上はあれが精一杯だったように思っています。

ほんとは、他にも

パースの展示
会場で投げ入れられたお金
終戦60周年のことしに終戦50周年に広島平和記念公園で企画した企画書と模型

などなど面白いアイテムが一杯あったので、話題作りの意味も含め展示する予定でしたがそれらも展示する事を控えました。

でも、それだけ我慢していても一部の人からは「協調性がない」とか「他の作家がかわいそう」というコメントをもらいました。

正直な気持ち、野外展示を専門としてインスタレーションを行って来た僕の感覚では屋内というとどうしても狭く感じるんですよ。

アトリウムとか体育館ぐらいの広さと天井の高さがあればピンとくるのですが。。

それと、感覚的にもそうですが人間の視覚って黄金比や白銀比のフレームでおさめると安定した感じになるんだけど、僕の場合は展示会場で意図的にその比率をこえる様に構成しているんですよ。

だから、展示会場で作品全体を観るためには少し離れた所までさがるひつようがあるんです。

そして、その行為が展示会場の空間を意識させ「壁と作品」という比率ではなく、「空間と作品」の比率に意識が移行するのです。

作品を展示する際によく「空間を見せたい」という言葉を使う事がありますが、その事柄の本質に迫る理論の一つである様に思います。

作品のスケール感にも深く関わっていると思います。

38度

2005-12-17 19:41:35 | weblog
12月17日
HDDが壊れたあたりから風邪を引き、そのまま、無理をしていたらこじらせて。。

ここ数日は38度をこえる風邪になってしまいました。

自律神経の関係から余り神経を使う仕事ができなくて、ほんでもって風邪を引いてしまっては何も出来ません。やれやれです。

天気予報では明日から寒波がやって来て雪等の大荒れの天気になるとか。

何か今年は、例年になく寒いよね。。

ふと、思い出したのですが10年ほど前に二酸化炭素やフロンガス等の温暖化ガスの問題が話題になってシムアース(mac版)で試した事があったけど、僕の記憶が確かなら、確かにあの時、温暖化という事で暑くなるだろうと思っていたら意外と日本近辺は温度が低くなってそれから全体に温暖化していた結果だったな。。

ある人からは「石油が高くなって、あまりストーブを使わなくなったから寒いんだ」と、ヒートアイランド現象の逆みたいな説を言っていた人がいました。説得力は感じなかったけど、それはそれで面白い仮説の様に思いました。

一瞬、石油ショックが起きて、一時的に地球が冷える。。
なんか、SF小説のネタになりそうな感じがしていいですよね。

あw、熱があるせいでそんな事を考えてしまうのかな。。

今日はこのくらいで休もう。

こわれた

2005-12-14 19:50:43 | あれこれ。。
12月14日
メインマシーンのHDDが壊れました。

120GBのHDDという事で大量のデータも消えましたが
幸い、新規にDVDドライブを購入しバックアップも整えた直後だったので被害も最小限度という事ですみそう。

それで昨日、新しいHDDを購入。
セットアップを試みました。

以前、知人の所で何度も分解とセットアップの様子を見ていたので自分で行いました。

で、今回は80GBのHDDを取り付ける事に。。

結局の所、HDDが大きすぎるとバックアップを先に延ばし気味でね。
今回ももう少し遅かったら危なかった。。

DVDで写真等の画像データのバックアップもしているのですが4GBたまるまで待つのはインターバルが長過ぎてちと不安という事もあってDVD-RAMのしようを検討する事にしました。

インスタレーションの作品とかだと記録しか残らなくて、データのバックアップに失敗すると取り返しのつかない事になってしまいます。

多少、コストがかかっても仕方がないのかな。。

でも、1990年頃のときはデジカメなんてなくて、写真と言えばフイルム撮影でネガとポジのフィルム代や現像代などを本当に高かったからその時の事を思えばたいした金額でもない。

一度、フィルム代・現像費・プリント代ということになれば2500円ぐらいはかかっていましたから。

それと、一眼レフのオートフォーカスのカメラが必需品で、インスタレーションの場合、展示作業の記録もその作品のうち、時として展示して30分程度で即撤去なんて制作もあったからもたもた撮影している余裕なんってない。

短期決戦で力仕事も多いから手ぶれも起こし気味だったので、記録班として撮影をアシスタントにお願いしても的外れの被写体を撮ってやたらと枚数が多かったり、また逆に極端に少なかったり。

それがデジタルになってから、手ぶれ補正機能、維持費の安さ、画像の補正が可能になり、極めつけはインターネットで公開ができるようになつた。

こうしたブログも毎日個展を行ってる様なものですからね。
本当にすごい時代になったものだ。。。

さむかつた

2005-12-08 20:54:01 | 制作日誌
12月8日
今週の日曜日から水曜日まで本当に寒かったですね。

僕の出身地である大垣市は
伊吹山の影響で
日本海側と比べ雲の位置が高いんですよ。

でも気温が下がり雪の降る直前なんかでは
相当に低くなってくるんです。

この数日はそんな日が続いていました。

黒くどんよりとした雰囲気のなかで、
冷たい雨が降り出し、路面に水たまりが溜まり
やがて雪に変わると、それまで白く舞い降りて
いた無数の白色が一瞬で消える。

雨なら土に染み込んでゆく様なイメージで
感じていられるけど、雪の場合は全く違うもの
として消えてゆくんです。

どうとらえてよいのか?どう表現してよいのか?
平面か、立体か
色か、形か
一瞬か、動きか

きっとすべての要素を必要としているのだから
ミクストメディアとして考えた方が良くて

デジタルワークスに解決の方向性がある様な感じもする。

しかし、塊の中に動きを感じさせる動勢表現の様な
考え方も安易なデジタルでの表現とは違う崇高な答え
だった様にも思うから

できることなら、デジタルも利用しつつ動勢表現の様な
芸術の表現方法を確立できたら,素晴しいよね。

どんな表現にしたら良いだろう。

今はわからないけど、技術として習得した各種のメディア
をオーケストロラのマエストロの様に使い分け
楽器を扱う演奏者と会話や交流を楽しむ様な制作のあり方を
見つけられたなら、

もっと素晴しい。

そんな中に、消え行く雪の本質を見つけてみたいと思う。

このはがきれいでした

2005-12-04 13:26:49 | weblog
12月4日
最近高山に行く機会があって紅葉を見てきました。

(時間に追われて写真を撮るのを忘れました)

舞い落ちる直前の紅葉した木の葉が空中に止まっている感じがして不思議でしたね。

また、今の時期の沢の水って岩肌を濡らす感じではなくて、岩に浸潤している感じがして風景の中で一番早く冬を知らせている様な気がします。
そんな水面に落ちた木の葉は紅葉の色を残したまま、というよりは、より鮮明な色合いを強調させながら水の中でたたずんでいる様子が印象深く心に残ります。

ところで、先月行った3人展で壁面展示をしてみて平面表現に興味を持ちました。

これまでのインスタレーションとの必然性を保ちながら何かしら展開が出来ないか試みてみたい気がしています。

師走

2005-12-01 13:25:29 | 制作理念
11月30日
知らない間に、グループ展。
知らない間に、新聞沙汰。。だったよな。。

なんか、このまま師走に突入するかと思うと、師走ではなく暴走になるのではないか不安な気がしています。

例えば、3人展で展示していたファイルの中の作品の写真に愛知県豊田市としか記載していない資料がありましたが、実は豊田市美術館の池で行った制作の写真だったんですね。

何故、愛知県豊田市としか記載しなかったかというと、位置づけ的に直接交渉による展示で美術館としての企画ではなく単独で行った制作活動なんです。

ですから、状況的には美術館施設内で新型の乗用車の広告用の写真を撮影したものと同じ扱いになるんですね。

だから、新聞紙上で豊田市美術館という名前がでているのは問題があるんです。

*****

また、僕としては単独で交渉して実現したという事の方が意味が大きい様な気がしています。

ある日、無名の作者が突然、作品をそこで制作したいといって実現してしまう。そんなところに、理想とする作家像がある様に思うのです。

クリストの様に巨大な制作ではなくて、理想的には、もう少し身近で自主的に早朝に玄関先の道ばたを掃除している人達が環境芸術として評価されてしまう様な感じがいいですね。

銀杏の葉が舞う季節に、巨大な銀杏の木の下ならば、きっと黄色(金色?)の絨毯になっていて、その中に入って行きたい様な、足跡を残すよりはそのままにそっとしておきたい様な、そんな気持ちのありようを大切にしたいです。