先生の誕生日会の意味合いがあったので桜祭りが中止になったのも何かしら縁(えにし)を感じます。
晩年の先生は躁鬱で苦しみ薬に頼る生活で昔の面影もなく一部の方を除いてはその後様子については話さないようにしていました。
優しく思いやりのあり、いい加減で少しマゾ(笑)でしたが多くの教え子に慕われたイメージのままで良いのかなと思ったからです。
今思えば、教え子の中で一番接することが多かったのは僕なのでね何時か先生を偲び何かしら企画をたてたいと思います。
今はまだ静かに桜を眺めて思い出を振り返っていますけど。。。