水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

窓口づくり。。。

2007-05-26 09:59:11 | 制作理念
とりあえず、思った事をちらほらと。。。



1988年頃から水の中に沈める表現の制作をはじめたのですが、制作を実現させようとすると管理者の方との直接交渉をせねばなりませんでした。

「過去に前例がない」
「美術界というのが分かっていない」
「あなたの売名行為の為に何でこちらが」などなど

時には「社会的な地位と名誉があれば簡単にできるようになるから、今のうちからそんな事をしていては成功できない」などと言った助言も沢山ありましたね。

ただ、正直な気持ちとして地位や名誉には興味ないですし、出来ればそんなモノが無くても実現できる事が本当の成功のように感じていました。
また、少なくとも僕が見たり聞いたりした中で、第一線で頑張っている人は「地位や名誉なんて後からついてくるもの」といった感じでしたね。

とりあえず、実践し、失敗して、その原因と対策を練り直して何度でも挑戦する。
その経験が実力になり、今の制作の実現に繋げてきたのが僕のスタンスです。

でも、やはり、そんなスタンスで行ってきた制作活動ですが「もう少し、話をしやすい窓口のようなものがあれば」と常に感じていましたね。



あれから、20年近くの時間が経ち、世の中の状況も変化しテレビメディアの影響から公的機関の「親方日の丸の横柄な伏魔殿」の様なイメージはなりをひそめた感じがします。

「数は力、力は金」という構造の全盛を生き抜いてきた方々が、これから先どのように接してくるか気になるところですが、逆にその事をふまえて、今後どのように話を進めて行けば良いか考えれば、何となく分かりやすくなった感じもします。

例えば、原則論が飛び交い窮屈な世の中で、八方塞がりの状態だと感じていることでしょうし、利権を消失してきている危機感がある訳だから、皆さん優しくならざるをえない状況に追い込まれている。

また、彼らの立場で社会的に生き残ろうとするなら後輩の育成に興味を示すんじゃないかな。若手の窓口は利権に繋がりますからね。

でも、まぁ、その事について善悪を判断するのは無意味なので、見てみない振りをすることにしたほうがいいのかな。

まずは、そうした状況を理解しつつ今頑張っている若手の連中が活躍しやすい環境づくりをして行く事の方が有意義だと思うのですよ。

要するに「もう少し話しやすい窓口のようなもの」にしてしまえばいいわけですから。

勿論、その窓口を利権に繋げようとする賢い大人達も多いと思いますが、そこは「良心の生き字引的な大人」に、でっじあげてしまえばいいし、そのくらいの事を考える若手の図々しさがあってもいいよなぁ~と思ったりしています。



打ち上げにて

2007-05-21 11:50:45 | 岐阜県全域美術館構想
5月20日、桜まつりでの美術展の打ち上げを行いました。

2ヶ月近く経ってからの打ち上げですが、それぞれにそれぞれのお仕事やらご都合なんかがあったりして、やっと出来た次第です。



飲み会といえば、オイラ達が学生時代に行ってきた感じだと、先輩後輩関係と云いますか、一次会は割り勘だとしても、芸術談議が華開く二次会以降からは先輩のおごりで楽しまさせていただいたものです。

でも、最近は先輩方の財布の事情も変化して寿司やカラオケなどとおごっていただく事は少なくなり、酔いさましに喫茶店でコーヒーでもお安くおねだりするのが後輩の礼儀といったところです。

5~6人で2千円程度におさまる金額をおごってもらう訳ですが、その事によって先輩に華をもたせることにもなりますし、後輩が結束力を高めるのであれば、安い金額なんですよね。

しかし、最近、平成不況が長く続いてそうしたお金の使い方が出来なくなっている人も多くなりました。

加えて、公務員の官官接待が問題になって、飲み会があったとしても割り勘でなければ悪い事といった風潮みたいなものがあったりして益々その傾向が強まったような気がします。

後輩もそうしてもらった経験がないので、彼らに続く後輩にもそうした連帯感みたいなものが無くなっている事に気づく事が多々あります。

でも、それは公務員同士での話し。

一般のオイラ達、とくに夢を売る商売でもある芸術は、明るい人と人との繋がりや地域全体の心の豊かさのなかに作品の置き場所がある訳で、そうした雰囲気作りの為に作家が存在しているといって過言ではないし、あり得ない話しじゃないかな。

正直、みんな、それぞれに財政事情は厳しいです。

でも、そんな厳しい状況だからこそ「よし!コーヒーでものむぞ」と出したお金は今後に繋がるのです。

「自分が飲むくらいの金はあるけど、今日は(皆におごれる)手持ち(お金)がないから帰る。これで皆の足しにしてくれ」と言ってお金を置いていた先輩がいましたが、見習いたいと思う今日この頃です。

個展探訪

2007-05-12 21:28:04 | 岐阜県全域美術館構想

桜まつりでの美術展も修了し、少し時間が出来たので個展探訪しきました。

桜まつりでもお世話になった中村淳子さんのお地蔵さまの作品。名古屋のギャラリーフィガロで展示されていました。

10数年前にお会いしたときは、木彫による抽象的な半具象のようなきっちりとした制作をされていた淳子さんですが数年前にケガによる病気から体調を崩され、そんな頃から作風が変わったのかな。

僕自身は余り宗教観の強い表現は好きではないのですが、木彫作品の時に見せていた稜線が筆の動きに残っているような気がして興味深いですね。

        

また、木彫作品を作る時に下書きに墨を使う事が多いので、そんな作業経験も大きく活かされているのではないかともいましたね。



はなしはそれますが、翌朝、玄関先に大きな花咲いていました。

        



5月1日 京都のギャラリーマロニエで行われている荒田真観さんの個展を見に行きました。生まれて初めての個展という事で、オープニングの当日に見に行きましたが、
会うなり開口一番「もう一杯一杯です」と彼女としては珍しく弱気な発言。

             

僕としては「やっと、ここまできたのに、作品を見せる前にそれはないでしょ」と言っておきました。
個展は基本的に作者の自己主張ということで勝手に行っている行為ですから、お客が少なかったり(全くこなかったり)、反応が得られなかったとしても覚悟の上の行為ですからもっと自信を持って頑張って欲しかったからです。

           

展示されていた作品については、各務原市桜まつりで一般の方からクレームをちょうだいした作品で、今回の展示はそのリベンジと言った感じの印象をうけました。

あの時の展示と今回の展示、各務原での反応と個展での反応と比べてみたかったのではないでしょうか。

作品(人形)自体の完成度は正直全くで、今回は特に画廊の無機質な空間にその荒さが目立ってしまったかな。でも、彼女の表現の持ち味は人形そのものではなくセッティングの妙だと思うのです。

彼女自身は否定していますが、その不気味さや重苦しさは彼女特有の持ち味なんですよ。同じ人形を使って他の人が展示してもこんな感じにはなりません。

ですから、人形という物を見せるだけではなく、構成力や感性の面白さを全面に出して行く見せ方の工夫が必要なのかも知れませんね。

とはいえ、今回が初めての個展。
これからも、彼女の頑張りを応援してあげたいですね。

助成について

2007-05-03 12:42:46 | あれこれ。。
公共空間でのアートイベントという事で美術展の企画を進めていると「何かしらの形で助成金(公的)を得られれば」という話になってくると思います。

しかし、これまでの経験から分かった事ですが、コンサートとか講演会のようなイベントには必要経費としての公的な文化振興の助成金が認められているものの、美術展という形でのイベントには基本的に助成金のシステムは無いようです。

また、あったとしても多くの場合、広告宣伝費(チラシなどの印刷物)の助成がなされる程度のようです。

ですから、作家たちによる手作り的なアートイベントを開催することができ、そこに「助成がなされるべきだ」というような声が上がっても出品作家へ謝礼が支払われるようなことはまず無いというのが現実のようです。

お金の動く(儲る)印刷物関係のところに人が群がって利権争いが当たり前のようにあったりして、純粋性を求める作家(発起人)たちは蚊帳の外に追いやられ、良いように利用されているだでという事もしばしばあるようです。

また、そうした助成金がらみの話し合いに芸術家が参加しようとすると、そうした話しをする事はタブーみたいな言い方をする風潮があって、ますます作家は利用されるだけの構造ができあがっているようです。

イベントのような企画、もしくは組織運営がともなう活動の場合、お金の動きを把握している人間が実権を握ることになるので、発起人たちとは違う人達が影響力をふるう状況になり無茶苦茶になっている話しをよく聞きます。

で、僕が思うに、如何なる企画や組織であろうが、一番はじめに声を上げた人、草分け的に孤軍奮闘してきた人(大きなリスクを背負ってきた人)を無視するようなことがあっては本末転倒で、要するに先駆者を大切にしない助成は必要がないと言いたいですね。