水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

ちらほらと。。。

2008-01-19 15:02:53 | 制作理念
そんなわけで、模型主体で構想計画を考える事に。

知り合いの先生から愛知県の落合公園の平面図を見せてもらえたので、それをもとに模型を作製して、その上に赤色のカラーシートを切っていろいろと配置や構成を考えてみました。

        
                1993年制作

はじめに作ってみた模型は、公募展に出品するマケットサイズをイメージしたので50㎝平方でのものを考えてみました。

でも、建築家とかデザイナーのプレゼン用の展覧会を見に行ってみるとこんな大きさ必要ないだろうという感じの模型が多かったのを見て「クライアントと話を進める時、第一印象としての迫力が必要で、こうしたパフォーマンスは後の交渉を有利に展開できる」と感じたので、少し真似てみる事に。

           
                1993年制作

会場の壁面全体を利用して、現地のパノラマ真写真なんかも貼付けてみました。

        
                1993年制作

以前、名古屋の栄えにあったウエストベスギャラリーで行ったときの写真なんですがね、お客の反応と言えば、インスタレーション全盛期と言う事もあってこうしたプランニングの展示には、

「プランなんかじゃなく、本物の作品で勝負しなきゃ。。。」
「そんな大掛かりなプランは名前を売ってから。。。」
「どこかの大先生にでもなってから考えるだろ普通。。。」

なんていう意見がほとんどでしたね。

でも、その頃には非公式でしたが単独で直接交渉を行い岐阜県美術館でのインスタレーションも実現させていましたし、大学敷地内での比較的スケールの大きな制作も実現させていたので気になりませんでした。

とにかく、勇気を持って「やりたいんだ。」と言ってしまう事と、こつこつと準備を進めてゆく事が重要で、一番大切なのは「今の自分が何をすべきか分かっていること」で次に何をすべきか見つける訓練をする事が大切なのかな。

それと、そうした人の近くにいる事が重要なんだと思います。

幸い僕のまわりには、岩本幸三先生や石黒鏘二先生、大庭正也先生とか、言いたいことを言って、こつこつと頑張る事が如何に重要であるか、身をもって示してくれる先生方に恵まれていたので「今、自分が何をしたいのか?」に迷い、苦悩する事は少なくなったように思いますよ。

ですから、かなり無謀とも思えるプランでも頑張れてしまいます。
そんな僕に、

「平間君、目覚めてはいけない、気が付いてはいけない、人生何事もあきらめが肝心」

といいながら大学の激務を終えた後に、誰よりも諦めがわるく制作と大学の仕事に打ち込んでいた石黒鏘二先生。。。悪ガキっぽくてカッコいいです。

世の中を今までとは異なった角度から見る事を教えてくれたように思います。



ちなみにあの時 提案した構想計画はこんな形で実現しました。

        
                1994年制作

        
                1994年制作



次はプランニング(構想計画)を組み立てる制作理念とかに付いて、まとめてみようかなと思いつつ。

ちらほらと。。。

2008-01-14 13:58:27 | 制作理念
加工した石の内面に色を塗ってみていろいろ感じたことがあった。

とはいえ、はっきりとした結論には辿り着けていないような気がしたんですよ。

それで、とりあえず数を増やしてみる事を思いついたのですが、石材で行うには時間もコストもかかりすぎたので別の素材でためしてみる事に。

        
                1991年制作

当初はベニヤを張り合わせて箱を作り、その内面にでも色を塗ろうかと思っていましたが質感が貧弱に思えたのでセメントで制作してみました。

制作途中で気付いたことですが、
数が増えると、展示空間もある程度の広さが必要になるから観覧者はまわりを歩くことになるんですよね。

だから、観覧者が歩いて観たとき内側の色が1色では何の変化もなくてつまらないのかなと思ったので、白、赤、黄、青の色を各面に塗り分けて観る場所によって色が変わるようにしてみました。

(結果、面白かったんですけどね。地母神的な雰囲気が消えてしまっているので、この方向で考えるのは、しばらく止めようと思いました)

        
                1992年制作

それからしばらくして、大学の講義系の先生であった平岡博先生からの紹介で、小牧市にある東邦ガスビルギャラリーでの出品を勧められ展示することに。

会場のカーペットの質感が嫌だったのと、大学の授業の方で鉄の溶接の指導の手伝いをしていたのですが、連日、溶接溶断のグチャグチャと鉄の融けた感じが、いかにも人為的でそれだけで精神性みたいな表情が強すぎて嫌だったので、極力鉄板を加工せず黒皮鉄板の表情を活かそうと考え制作してみました。

(結果、綺麗に作品は収まったんですが、かなり広い会場であったにもかかわらず、何とも狭っ苦しくてね屋内展示では限界があるように思いましたね。)

        
                1992年制作

そんな訳で、大学側と交渉して、キャンパス敷地内で上記のような作品を作ってみました。

で、制作してみて思った事は、野外展示の場合だと色々な色が散在しているから原色を持ってくるのは効果的なんだけど、原色とまわりの環境(景観)が対峙した感じになってしまうことに不快感があったかな。

そんでもって、景観に自分をあわせるべきなのか、逆に景観を自分に合わせるべきなのか、将来的に選ばないといけないのかなと感じるようになりましたね。

結局、どちらを選ぶべきか、結論など出ていませんでしたが、どちらの場合であったにしても、これ以上、この方向で続けようと思うと企画書とか模型とか、それまでの経緯が分かる資料作りが重要になると感じました。

        
                1993年制作

それで、企画書や模型、制作記録を武器に発表活動を展開してゆかなければならないという課題が生まれたのでそうした方向での準備(制作)をはじめました。

ただ、これがなかなか大変でね。

もともと、彫刻科出身の僕には汗水流して健康的に作品を作る方が性あっていたんですが、それとは違うディスクワークのような作業が主体でしょ。

そんでもって、同じ彫刻を専門としている人達からは(何故か彫刻の連中は体育会系の考えが強くて)あの当時は特に非難されつづけていた「発注芸術の方向でスタイルを変えようとしているから駄目だ」とかいろいろ言われて、正直、辛かったわw

ちらほらと。。。

2008-01-12 20:34:22 | 制作理念
石材に色を塗るようになってから、素材の質感について見方が変わったかな。

僕自身が素材を観て触れて、どう感じているか。そのことについて考えるようになった気がします。



美術系の学校を受験する為に多くの人が受験用のデッサンとかの練習をするのですが、誰が観ても識別できるように質感を描き分けろと指導されます。

石は石に、木は木に。。。ということなんですが、そこが落とし穴でね。

石は石、木は木。という凝り固まったものの見方をしてしまう。

受験用のデッサンで描き分けが出来てしまうと、それだけで満足してしまうし、逆に描き分けが出来ないと、出来ないから素材について理解できていないと思い込んでしまう。

モノを観ると言う眼差しすら曇らせ多くの人がそのジレンマから抜け出すのに時間を費やされている。

また、ジレンマから抜け出せないまま教育の場にたってしまう事もあり、気付かぬままデッサンを教えていたりしている事も結構多いみたい。

酷い所では、大手予備校なんかを見学させてもらった事もあるけど、講師が受講生に木炭デッサンを描かせて
「デッサンが狂っている。こんな物の書き分けも出来なくてどうする。楽しんでデッサンを描こうなどとは10年早い、大学に受かってから何時でもかけるだろう」
などと暴言を吐いてましたね。

受験生と言えば10代から20代への変わりめの人がほとんど。

人生で一番情熱と感性がそのまま実行力に直結している年頃の子たちを無理矢理押さえつけるような事をしていて何が独自性と感性なんだと思いましたよ。仮にそんな子達が世の中に巣立ったとしてもまともに制作なんか出来なくなっていますよ。

悲観的で、批判的で、自信がなくて、まわりが気になって。。。

もしくは

俺はデッサンも描けるし、有名大学に合格できたからお前らとは違う。などと思ってしまって逆に下手な作品は見せられないなんて思うようになり独自性を失ってゆく。
最悪な場合には、比較的評価のある流行の作品や芸術論にあやかって制作してしまい、そこが弱みになり批判される事を極度に恐れ、利権を握り文句を言わせないようにする権力志向になってゆく。。。。

(駄目だこりゃw)

そんなんよりも、以前、作家の海老塚耕一さんが「俺だって焼き鳥のオヤジをしながら制作していたんだ。。。」などと語ってくれたその言葉の方がどれだけ有り難かったか。

若者ゆえの不安に苦悩しながらも頑張りつづけてゆける人材を育てていると感じましたね。

ちらほらと。。。

2008-01-09 21:53:12 | 制作理念
石と言えば。。。

過去にこんな作品を作ったことがあります。

        
       
               1991年制作

海岸で拾った小石を割り、割れ肌に赤色を塗ってもう一度、接着剤で接着しました。

石の内側に赤色を塗ることによって、灼熱の溶岩が何万年もかかって冷えて結晶化したのがこの小石であることを感じさせてくれました。

絵画やデジタル画像などで質感と言えば、石なら石と認識できることに意識を集中させられますが、実材として石と向き合う彫刻科出身の僕には、素材へ直接加工を施す視点から素材を見ているのでそんな風に思うのかも知れません。

また、特に石材に付いては、20代に汗水流して大きな石を移動させたり、手にマメを作りノミを振るい、孤独に耐えながら磨いてきた経験があるからそう思うのかも知れません。



話しは変わりますが、石彫をするにあたり共同で場所を借りて制作をしていたことがあります。

しかし、自分の表現に一途に打ち込む人もいれば、隣で制作している人の作品をすぐに真似て作品を作っている人もいます。

試験的に模写のごとく表現を真似るのであれば良いのですが、それを自分の作品として枕崎やらなんやらに出品している様子を見てしまうと、やりきれない気持ちになります。

正直あんなに気持ちが悪いとは思わなかった。

昨年も作品を出品していたようですが、それもある作家の表現スタイルを彷彿とさせるものでした。

もう石彫はやめて、その人がもともと行っていた油絵に戻るべきだと思いましたね。

ちらほらと。。。

2008-01-07 22:25:22 | 制作理念
たとえば素材が石で

「石が涙を流している」
「石が血を流している」
「石が笑う」
「石が怒る」

といった表情を目鼻を付けずに表現する力(感性)って大切だと思う。

人を、哺乳類、爬虫類、両生類、魚類にまでさかのぼっていゆく科学的なとらえ方で見るのではなく、原始的で直感的な血の色とか、生のぬくもり、死体の冷たさを感じるようなものの見方や感じ方が大切なんだよね。

そこから始まる恐怖とか安らぎとかから、それらを避けたり欲したりする欲望なども生まれてきますが、

そうした欲望が、他者をいたわる気持ちに変化した時、人としての情も生まれるわけで、また、そこに豊かさを感じることができたら独自の文化や経済が生まれることになるでしょう。



僕は、作品を展示するということは、そうした事に触れる機会を作ってあげることだと思っています。

社会で必要なものは豊かさです。
豊かさがあれば、人の交流を促すものとして文化が育ち、経済活動も活発になります。

でも、世の中では「お金(経済)が動けば人が動き、裕福になる」という逆の見方が主流ですからね。
なかなかうまくはいかないものなのですが。。。(笑)

(マルクスの資本論で「資本主義の経済は必ず衰退する」という内容の言葉がありましたが、そんな言葉との関わりも頭をよぎります。)

初詣

2008-01-05 13:54:59 | 中仙道ふるさとまつり美術展
除夜の鐘を聞きながら「春日神社」に初詣に行ってきました。

高校時代の通学路にあった神社でね。毎年、欠かさず参拝しています。

        

彫刻作品を作っているとどうしても一発勝負で失敗できない作業工程が何度もあって精神的に参ってきます。

そんなときに苦しいときの神頼みしていたわけです。
ふだんは信心深いわけでもありませんので罰当たりな話しなのですが。。。w

        

そういえば、僕の水に関連した制作もこの神社の夏冷たく、冬ほのかに温かい、こんこんと湧き出る水のイメージが大きく影響しているんだよね。

当初の作品では写真のように竹を利用していた事もあります。

              

                  1989年制作

そんでもって、初詣に行くと決まってあるのが「たき火」

        

この時の炎のイメージも作品の中に取り込んできました。
ちなみにこんな感じ。。。w

        
                  1990年制作

コンセプトとしては、風景画的な彫刻ということで考えていた頃の作品で、水路にかがやく陽の光を取り込んで表現したものです。

しかし、そのなかに深い地中の灼熱の溶岩から少しずつ冷えて固まった石に地表に生きる全ての素材が閉じ込められていた事を暗示させる表現となったのは、地母神的なイメージをもつ神社の雰囲気が大きく影響していたと思っています。

西欧の精霊的なイメージ、中国の中華思想的な華やかさなどとは異なる日本人的なイメージの根源に触れている気がするので、大切にしてゆきたいと思っています。