うなじシリーズと言う事で
モデルになってくれた子は、自分はインディアナなイメージだと言っていたけど、僕から見ると顎のラインとか。。。。。。。っていいよね♡(和風総本家)
横顔を見ていると、半跏思惟座像のイメージがかさなってね。
出来ればそうした方向でのイメージを抽出して展開できたらと思います。
そんな視点で先日、作った作品と比べてみると
所々そうした要素が含まれている事を感じています。
ただ、半跏思惟座像にしてもネフェルティティにしても、有名すぎるイメージなんでね
そのまま引用するのは面白くないよね、
将来的にはインスタレーション作品にフィードバックさせたいと思っているので
どこをどのように抽出するか、イメージの再構成も考えなきゃw。
今のところは、構成要素をかき集める感じかな♪
モデルになってくれた子は、自分はインディアナなイメージだと言っていたけど、僕から見ると顎のラインとか。。。。。。。っていいよね♡(和風総本家)
横顔を見ていると、半跏思惟座像のイメージがかさなってね。
出来ればそうした方向でのイメージを抽出して展開できたらと思います。
そんな視点で先日、作った作品と比べてみると
所々そうした要素が含まれている事を感じています。
ただ、半跏思惟座像にしてもネフェルティティにしても、有名すぎるイメージなんでね
そのまま引用するのは面白くないよね、
将来的にはインスタレーション作品にフィードバックさせたいと思っているので
どこをどのように抽出するか、イメージの再構成も考えなきゃw。
今のところは、構成要素をかき集める感じかな♪
朝一番で裁断計画図を拡大してみて型紙を作ってみました。
10%ほど大きくしたのですが随分と雰囲気が変わり
午前中に裁断を終了。
午後から木枠を作成して並べてみる事に。
右のが昨日制作したものですが、結局のところ木枠と本体の比率が合わなくて物足りなさを感じていたのかも知れませんね。
前回、制作した和服姿のうなじの作品を並べてみても、物足りなさは感じない気がするから、まぁ、こんな感じなのかも知れませんね。
抽象的な形で制作した時は、切り離していてないプラモデルのパーツの枠のような感じで、表現していたけど、
こうやって見ると、この黒い枠が葬式の遺影のような感じがしていたのかも知れませんね。
木の枠と黒い枠が、しつこい感じもするし、人物をモチーフにした時は黒い枠は付けない方が良さそうだ。
*
とはいえ、和服のうなじは、気に入った表現になったので
これはこれとして完成と言う事にしよう。
10%ほど大きくしたのですが随分と雰囲気が変わり
午前中に裁断を終了。
午後から木枠を作成して並べてみる事に。
右のが昨日制作したものですが、結局のところ木枠と本体の比率が合わなくて物足りなさを感じていたのかも知れませんね。
抽象的な形で制作した時は、切り離していてないプラモデルのパーツの枠のような感じで、表現していたけど、
こうやって見ると、この黒い枠が葬式の遺影のような感じがしていたのかも知れませんね。
木の枠と黒い枠が、しつこい感じもするし、人物をモチーフにした時は黒い枠は付けない方が良さそうだ。
*
とはいえ、和服のうなじは、気に入った表現になったので
これはこれとして完成と言う事にしよう。
6月13日
今日も真鍮の端材を使ってアクセサリー作り。
細かすぎる端材を使うと、糸のこの振動に耐えきれなくて跳ねまくるので
今回は、少し大きめの端材に型紙をつけて裁断。
幾何形態なので糸のこでは刃先が逃げるのでグニャグニャに曲がりながら切れてゆく。
でも、ヤスリをかけて綺麗な曲線を出してしまうと既製品ぽい感じでつまらないよね。
とりあえず、数を作って店先に並べ、手に取ってじっくり考えさせるのも面白いかもね。
出来の良い奴も悪い奴も混在させておいて、良いものを選ばせる。
そうした仕掛けにしておいても良いのかなと。
*
あすは、久しぶりにレリーフ作品に取り組む事にしよう♪
今日も真鍮の端材を使ってアクセサリー作り。
細かすぎる端材を使うと、糸のこの振動に耐えきれなくて跳ねまくるので
今回は、少し大きめの端材に型紙をつけて裁断。
幾何形態なので糸のこでは刃先が逃げるのでグニャグニャに曲がりながら切れてゆく。
でも、ヤスリをかけて綺麗な曲線を出してしまうと既製品ぽい感じでつまらないよね。
出来の良い奴も悪い奴も混在させておいて、良いものを選ばせる。
そうした仕掛けにしておいても良いのかなと。
*
あすは、久しぶりにレリーフ作品に取り組む事にしよう♪
6月、紫陽花の花がポツリポツリと開きかけ、あっという間に梅雨入り宣言。
何となく順調な季節の移り変わりで心が和みます。
別件の仕事で山に行くのですが、今日は山芋とかツル科の植物の葉に興味がわいたので写真を撮りました。
何となく順調な季節の移り変わりで心が和みます。
別件の仕事で山に行くのですが、今日は山芋とかツル科の植物の葉に興味がわいたので写真を撮りました。
アクセサリーのデザインと言う事でこのところ取り組んでいるのですが、僕自身はあまり興味の無かった分野でね。
作ろうと思っても発想が貧弱なんで困ってましたが、自然を素直に良く見てみるとポンポンと発想がわいてくるから不思議です。
じっと見ているとヒントがいっぱい見えてくる感じですね。
さて頑張ってみようかな♪
先日行なった「蛍まつり」で小品の露店販売を行なったのですが、売れ筋なのは100~500円の間と言う事も分かったので、そのあたりでコストパフォーマンスを考える事に。
とりあえず今後に備えて、真鍮の切れ端を使ってアクセサリー風のものを作る事にしました。
売り子をしてくれていた女の子も
「小さな穴があいてればアクセサリーに出来るから。。。」
ってことを教えてくれたのでね。
売り子の子達が営業しやすいようデザインを考えてあげた方がお互いやる気に繋がるので、素直にやってみることに。
ただ小さい物って材料費はかからないけど手間がかかる。
小物を研磨するニューマービットなどの消耗品も高価だし。。。
何かしら良いアイデアでも浮かばないかなぁ~
とりあえず今後に備えて、真鍮の切れ端を使ってアクセサリー風のものを作る事にしました。
売り子をしてくれていた女の子も
「小さな穴があいてればアクセサリーに出来るから。。。」
ってことを教えてくれたのでね。
売り子の子達が営業しやすいようデザインを考えてあげた方がお互いやる気に繋がるので、素直にやってみることに。
ただ小さい物って材料費はかからないけど手間がかかる。
小物を研磨するニューマービットなどの消耗品も高価だし。。。
何かしら良いアイデアでも浮かばないかなぁ~
5月30日
岐阜都実行委員会として「岐阜加納ほたる祭」でのアートイベントを開催
ワークショップとアートグッズの販売を行ないました。
今回はガラス玉やら陶芸作品の参加はありませんでしたので、その分、オイラの作品も出品させていただきました。
数百円単位の作品でしたが、半分くらいは売れたのでまずまずだったかな。
*
ワークショップは、恒例の「ハンコ作り」と「レインスティック作り」
夕方6時頃までは中学生の子達も手伝ってくれていい雰囲気でしたね。
それ以降は、学生の子や社会人の女の子など、これまで経験を積んだ子達で一気に盛り上がり
延べで70名以上参加していただくことができました。
*
この5年くらいの間に「さて、何をしようか?」と言う状態から始まって試行錯誤を繰り返しながら「ハンコ作り」のワークショップを中心に進化させてきました。
技法自体はそれほどに変化はありませんが、参加者のほとんどが小さな子供連れの親子だったことから、こうした大衆の中でのイベントのあり方を考えることができたように思います。
実際、若手の子達も回数を重ねる中で、自分達が行なっている行為が何故に必要とされ対価を得ることに結びついているか、実体験できていたように思います。
そして、こうした体験を通して、画廊とか美術館のような特殊な空間ではなく、より一般的な環境の中で適応してゆくことの方が作家としてやってゆく可能性にあふれていると感じる事も出来たでしょう。
行政主体の美術展全盛の頃が過ぎ、官僚体制的な組織のやり取りとか、助成金などを取り合う構造は、財政構造改革など、このところの政治状況を考えてみると主流ではなくなってくるでしょう。
とにかく、不正な金の運用は手厳しく罪を問われることになるのだから。。。。w
だから、より下から持ち上げてゆく形での企画や、それまでの啓蒙的な行為が正当に評価され始めかけているのではないかと思います
厳しい時代と言うことなんでしょうが、どんな制作であろうと根底のところでしっかりとした方向性を示していることが
今まで以上に重要になってくるのでしょうね。
岐阜都実行委員会として「岐阜加納ほたる祭」でのアートイベントを開催
ワークショップとアートグッズの販売を行ないました。
今回はガラス玉やら陶芸作品の参加はありませんでしたので、その分、オイラの作品も出品させていただきました。
数百円単位の作品でしたが、半分くらいは売れたのでまずまずだったかな。
*
ワークショップは、恒例の「ハンコ作り」と「レインスティック作り」
夕方6時頃までは中学生の子達も手伝ってくれていい雰囲気でしたね。
それ以降は、学生の子や社会人の女の子など、これまで経験を積んだ子達で一気に盛り上がり
延べで70名以上参加していただくことができました。
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この5年くらいの間に「さて、何をしようか?」と言う状態から始まって試行錯誤を繰り返しながら「ハンコ作り」のワークショップを中心に進化させてきました。
技法自体はそれほどに変化はありませんが、参加者のほとんどが小さな子供連れの親子だったことから、こうした大衆の中でのイベントのあり方を考えることができたように思います。
実際、若手の子達も回数を重ねる中で、自分達が行なっている行為が何故に必要とされ対価を得ることに結びついているか、実体験できていたように思います。
そして、こうした体験を通して、画廊とか美術館のような特殊な空間ではなく、より一般的な環境の中で適応してゆくことの方が作家としてやってゆく可能性にあふれていると感じる事も出来たでしょう。
行政主体の美術展全盛の頃が過ぎ、官僚体制的な組織のやり取りとか、助成金などを取り合う構造は、財政構造改革など、このところの政治状況を考えてみると主流ではなくなってくるでしょう。
とにかく、不正な金の運用は手厳しく罪を問われることになるのだから。。。。w
だから、より下から持ち上げてゆく形での企画や、それまでの啓蒙的な行為が正当に評価され始めかけているのではないかと思います
厳しい時代と言うことなんでしょうが、どんな制作であろうと根底のところでしっかりとした方向性を示していることが
今まで以上に重要になってくるのでしょうね。