水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

中仙道祭り

2006-12-23 22:37:21 | 岐阜駅の展覧会
12月19日

毎年岐阜駅南口で行なわれる「中仙道祭り」への美術展のイベント参加という事で先方事務局の岐阜市加納の代表のM氏と打合せを行ないました。

       

これまで行なってきた

JR岐阜駅高架下関連施設の全長600mの展覧会
「花フェスタ2005ぎふ」での野外美術展
「アートフェア2006」(各務原市)での野外美術展
同じ町内でもある岐阜市加納の「清水緑地」での野外美術展

を紹介しこれらの展覧会と同期間に行なわれている「中仙道祭り」へ美術展として参加させていただけないかという事で話を進めました。

       

M氏からは「中仙道祭り」の経緯について

○正式名称は「美濃中仙道祭り」で17回目。
○神様の祭りと地域の盛り上がりが中心。
○子供達や婦人会の踊りなど純粋なお祭りとして行なわれている。
○加納西連合と加納東の自治会が中心になって行っている。
○組織としては流動的なところがありますが来年度もM氏が代表。
○岐阜市からと町内からの助成で賄われている。
○飲食、商品販売もありますが将来的にはゴミの減量を兼ねたフリーマーケットを中心に行ないたい
○駅前で70店舗を予定していて3倍くらいの出店希望がある。
○出店については岐阜市の方で対応してもらった。
○清水緑地との連携などが今後の課題。

と、ご説明がありました。

僕達からもS水先生から、これまで行なってきた岐阜駅高架下関連施設での展覧会で、その殆どが手弁当で行なっている事を伝えてもらい、その上で、

○「中仙道祭り」のJR岐阜駅南口での仮設ステージへの出演希望。
○ワークショップ、小品販売への希望。

を提案しました。

で、

いろいろ話をするうちに「中仙道祭り」「美術展」の関係者双方がお互いに格式が高いのではないかと思い込んでいた事が判明。

それを伺い、O庭先生から
「ワークショップにしても小品販売にしても、一般の方が楽しみ参加できるものであることを前提にしてまして、ある意味、敷き居の高い美術や芸術といったイメージのものを目指しているものではないんですよ」とのご説明があり

僕の方からも
「もともと、岐阜駅高架下での美術展のテーマが「芸術によるまち作り」である事から、岐阜駅周辺の自治体と関わりを持つ事はその目的の一つだと思っています。
また、2003年当時から岐阜駅の方で美術展を行っているのですが、毎年、同じ時期に開催されている「中仙道祭り」に関われないものかと思っていました。正直、毎年の盛り上がりの様子にうらやましいものを感じていました。
これを機会に、何かしらの交流と可能性が広がると有り難いと思っています」
と、感想を述べさせていただきました。

M氏からも、
「そういう事でしたら、岐阜駅南口が駅裏と呼ばれたイメージを払拭したい。この地域を盛り上げてゆきたい。と思って頑張っていますので。。。参加という事でひと枠設けるということだけなので大丈夫だと思います」

とのご返事を頂きました。

それで、来年度、始めには具体的な話をつめる事になり、出だしは好調な感じがしました。

楽しみです。


打ち上げ

2006-12-23 22:25:40 | 岐阜県全域美術館構想
12月9日

「学びの森」「清水緑地」での美術展の打ち上げを行ないました。

       

主に学生や若手の作家で準備等を行なってきたので今回はそのねぎらいが主な目的。

会費の方は、鍋パーティーという事で一人一品を用意することで打合せ。
主な資金は、O庭先生とS見君から賄われました。

O庭先生は、
過去に行なったワークショップでの看板の費用が1年半ごしで還付され、そのお金をそっくり転用してもらえました。
先生もお金を立替えさせられてうえ、ただでいいように使われいい加減ご立腹状態ででした。

加えて、O庭先生は今年、実の母親が他界され、高校美術教科の縮小方向による経済的なあおりがあり、少しでもお金が必要な時期でしたが
「皆の労に報いよう!」
といってそうしたお金をそのまま皆のねぎらいに利用してくれました。

また、S君にしても参加してくれた学生たちの労をねぎらいつつ、今回の打ち上げでは奮発。

なかなかできる事ではありません。^^

それぞれに苦しい中で「もってけ!」とみなさんに言ってもらえた事は若手の作家や学生たちによきお手本と言えるのではないでしょうか。

分野を問わず、人を育てる本当の意味での教育と言えるものでしょう。
正に活きたお金の使い方ですね。

精神的にも美味しい宴でした。

めいそうのもり

2006-12-15 20:38:08 | 岐阜県全域美術館構想
12月3日

先日、下記の画像をもらいました。

       

S君が各務原市にある「瞑想の森」という公共空間の写真を建築関係の雑誌で見つけてきて、そこに僕の作品をならべた予想図(CG)を作成してくれたようです。

著作権の問題とかいろいろあるのでしょうが、そんなことよりも自分の表現のイメージを他の人が独自に展開させてもらえたということは僕にとっても新たな展開のように思われます。

もし仮に、彼の方から話を展開していってもらって「やりましょか!」と声をかけてもらえたなら相当に困難な状況でも制作の実現に向けて頑張らねばならんといかんな。。。

それと同時に、彼にとっての何かしらの見返りを僕の方から提案してあげたいよね。

単純にお金という対価ではなくて、僕の作品を紹介した事によるメリットを具体的に示すことができれば、それはそのまま僕の表現が人の社会的な営みに参加できる事を示す事に繋がります。

「情けは人の為ならず」とでもいいましょうか。
人への施しは、まわりまわって自分にかえってきます。

そんな中に、僕の表現のある程度の居場所を見つけてあげるのも作者(作家)のつとめの様に思います。

特にインスタレーションのような表現方法の場合には特に重要な事なんじゃないかな。

来年に向けて

2006-12-03 22:01:29 | 岐阜駅の展覧会
11月29日

ガスト会議

今後の展開に付いて話し合いをしました。

現状としては、来年の岐阜駅での美術展に付いて成金が少なくなることから、何かしら、次への展開を考えようという事で提案することに。

それで、同じぐらいの時期に岐阜駅南口広場で行なわれている「中仙道祭り」というイベントがあり、岐阜駅南口にステージが設けられ盛り上がっているので、

そこへ美術展として参加してゆく形で展開することを提案してみました。



実は、この件については随分以前からS水先生からも提案されていて、
先日の各務原市役所でのお礼の挨拶の後、喫茶店で打合せをし

毎年行なわれている仮設ステージでのイベントへの参加。
今年、清水緑地の展示で窓口として活動してくれたN君との連携。
「中仙道祭り」の運営事務局の所在調査。
美術展への人員の誘導。
岐阜駅高架下関連施設での美術展と地域住民との接点。

ということで話をしていました。



それで、年内中にでも「中仙道祭り」の窓口に話を持ってゆこうという事で話が進みました。

さて、どうなることや。。。楽しみです。


~~~

それと、以前、行なったイベントで看板を作ったのですが、その制作費という事で若干のお金が戻ってきました。

実はこうしたイベント的な展覧会の場合、自腹でお金を持ち出し、手弁当なんてこともしばしば。
「お金を立て替え」とか「あとでお手当がある」という話は基本的にのらない方がいいんですよ。

また、助成をもらったとしても宣伝広告費ぐらいしか認められていなくて、夜中に会合を開き、許可申請の作成等を行なっても、交通費すらまかなわれていないのが実情です。

そうした状況の中で、若干でもお金を還付してもらえたのは大きな評価に値するように思うのです。
そして、そうしたお金を工面するのに、先方との交渉でF旗さんがどれほど苦労していたか直ぐ隣で観ていたので特にそう思いますね。

また、こうして出来たお金はアルバイトとかで稼いだお金とは全く意味が違うということも知ってもらいたいですね。

単に自分の私生活の費用に充ててしまうと、それは「死んだお金の使い方」と言わざるを得ません。

まわりの皆が盛り上がる様なねぎらいに利用するか、
今後の活動でまわりの皆が楽になるように機材や道具を購入するか、

とにかく、そのお金は未来への投資として利用されなければなりません。
(かならず、別の形で戻ってきますから。。。はい。)

その使い方で、人となりが見えてくるように思います。。。。こわいですね。

お礼の挨拶に行ってきました。

2006-12-01 15:56:10 | 「学びの森」での美術展
11月28日

各務原市の「学びの森」での美術展を無事終えたとうことでご報告とお礼に伺いました。

       

       

(O庭先生(青年部理事)からのお礼の文面を提示)
       

色々と話も盛り上がり、中学校の美術の教員をされているS水先生を「旧JR岐阜駅の解体に伴うさよならコンサートを企画した中心人物です」ということでご紹介。

       

イベントでお世話いただいた、市役所職員のO洞さんよりストリートダンスのステージの様子がわかる写真を見ながらその時の様子を説明していただけました。

       

また、F先生(青年部理事長)からも、演劇の指導をされた経験からステージのスポットライトのセッティングや業者の様子などより専門的なことを訪ねてみたり、興味を持たれていたようでした。

その後「仕事で大変だったんで~」と様子を見に来てくれた市役所職員のO熊さんより、イベント運営の件でご説明がなされ、将来的には主体を参加者や若者たちに移行させてゆきたいという主旨の話を聞き、
僕達の展覧会も将来的には次々へと若い世代へと受け継がれてゆくものにしなければ行けないと思っていますので、共感を持ちました。

事実、今回の「学びの森」での美術展でも、提案や交渉の場に、極力、20代の若手の子たちにも同席してもらい、その後の提案等もできるだけ若者を通して話をするようにしていまし、

この時も、窓口を担当してくれたS君から挨拶をしてもらったわけですが、

こうした試みは、若手の作家たちに、公共空間などの都市景観に積極的に参加してゆく姿勢を育てることにつながり、環境芸術を志す人材育成の基盤を築く事に繋がるとおもうのです。

アーティストとして公共空間へ、より積極的に環境芸術を提案する作家の支援とその受け皿作りという、僕の目的にも近づく訳で期待しています。