水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

たび

2005-10-31 22:51:33 | 岐阜駅の展覧会
10月29日
岐阜駅の搬入を行いました。
いろいろ準備で大変でしたが昨年に引き続き今年も出品されている作家さんも多かったことと、何と言っても今年で3回目となればノウハウも整ってくるんで前回よりは気楽に行うことができた様に思います。

でも、今回の展示で一番ん苦労したのは岐阜駅南口広場の壁泉で展示を行った女の子だったと思います。
10月末ということで寒い雨の中での展示ということで、、、ってか!
スカートかい! さむいだろ!
       

おまけに、土建屋さん用の地下足袋かい!?

理由を聞いてみたら忍者の修行で使っていたそうで、、、、訳が分からん。
将来はテコンドウを習って将来役に立つ様にしたい。だそうで。。。ますます分け分からん
(役に立っちゃいかんだろう!)
       

でも、まぁ、公開の展示で一番苦労しているのは彼女だったし、作品の善し悪しは別にしてあれだけの頑張りを見せてくれたら準備で頑張って来た僕たちから見て、まぁ、認めてあげたいかなという気にはなっています。

ちなみに、こうした駅前等の交通量の多いところでの展示では独りでの展示作業は絶対にさけるべきなんですね。作業中、好意を持って話しかけてくれる人も沢山あるのだけど、どんな人が話しかけてくるか分かったもんじゃないのです。
人によっては、ひとつ言葉を間違えただけでくってかかってくる場合もあるんです(僕は経験無いけど)

現に雨が酷くなったので、簡易のカッパを買いに行ったのですが、少し離れて彼女が独りで作業していた間に変な若いニーちゃんが近寄っているわ、変な写真を撮ろうとするわ。。。気のせいかもしれせんが。。

ですから、こうした展示作業を行うときは男女を問いませんので最低でも二人一組での作業をお薦めします。

そんなわけで、街中での展示には十分な安全の配慮を必要としていますので皆さんもお気をつけください。

わらってぇ~

2005-10-29 07:53:04 | 岐阜駅の展覧会
10月28日
愛知万博のリサイクルアートコンペでグランプリを取った作品を岐阜駅のアクティブGに展示する事になりその作品を美術大学にまで取りに行きました。
       
       
なかなか、元気があってよろしい! 感じです。
       
岐阜駅での美術展は今年で3年目、郵政民営化に伴う社会状況の変化がこれから予想され、何事にも対しても意気消沈な意見が多くなってくるだろう。 ようするに予算の削減の議論の中で芸術の分野が無駄とされる話が多くなるだろうということです。

ただ、少し見方を変えた話をすれば、美術展というのは、何か事業を興す時、オープニングパーティーやオープニングセールを行ったりする。景気付けに行うあれみたいなものなんですよ。 

いきなり何の話がしたいかというと、美術展というのは政治経済の中で正にそれに当たるんではないではないかということで、一見無駄に思えますが、政治経済の話で例えるとマーケットの消費者心理をを向上させるような材料であり続けることが大切なんです。
今回この岐阜駅の美術展で提案した「再活性化のmotivation(動機付け)」という趣旨でもそうした意味合いを込めています。

また、「再活性化のmotivation(動機付け)」の基軸になる考え方として、如何に後輩を育てるか。ということが重要と考え、今回公園整備課や河川課への許可申請などに二十歳ぐらいの子達を同行させながら行ったのも、後世へつなげてゆく教育的な趣旨があり、再活性化の鍵が育(はぐく)むという事柄に他ならないことを伝えたかったのです。

トラックへの積み込み作業中に「はい、そこで止まって記念撮影。はい!わらって」と記録写真を撮ろうとすれば「えぇ~」と言いながらでも笑ってくれた?彼等に彼女らが、皆さんの「もちべーしょん」になることを期待しています。

民営化

2005-10-28 18:41:24 | 制作理念
郵政選挙が終わって、そろそろ影響が出始めたのかな。来年10月には岐阜駅に隣接するぱるるプラザがなくなるらしい。

アクティブGなどの高架下関連施設にも何かしらの影響が出るのだろ。

岐阜駅で行う今回の美術展でもそうした動きから暗い雰囲気が出始めるんだろうなと何となく思う。それでも何と言うかバブル不況が始まって今日まで勢いを失う話は次から次へと聞かされて、さほど驚きには感じないのは、いやはや何とも。。

ただ現代美術で頑張って来た作家から見れば今も昔も辛い日々が続いている感じしかせず、何も変わりがない様な気がしていて、はじめから大きな期待はしていない。

良いことなのか?悪いことなのか?わからへん??

でも、需要とか景気に関係なく粛々と作り続けられている芸術の意義は社会にとっても経済にとっても限りない可能性にあふれている訳で、郵政民営化の動きが更なる資本主義社会へのステップであるなら、行政への啓蒙活動的な視野から投資家への呼びかけとしてのアプローチも視野に入れるべきかもしれない。

また行政への要望として、ファインアートと投資家との接点や交流の場を設けるよう働きかけてもらうのも一つ提案しても良いのではないかと思う。

未知なるものを創造する芸術家。
可能性を求める投資家。
それらのコーディネートする政治家。

そういえばある有名人が「政治に参加しない芸術家は日本から出るべき」なんてことも言っていたみたいだし。。

鉄板の色ぬり

2005-10-26 20:51:19 | アパでの展示
10月26日
鉄板も揃えて、色もぬりました。

12年以上使い続けている鉄板で東京から福岡北九州市まで旅して来た鉄板です。使うたびに塗面が傷つくので、その都度メンテをかねてレタッチを繰り返しているので表面はかなり凸凹しています。

余談になりますが、当初使い始めていた塗料に船舶用の塗料を使用していたんで、そんなところから、塗料もぬっていてもなんとなく船にぬられている塗料のイメージとかさなるんですよ。
海水が当たるから、錆びて膨らんでぼろぼろになった塗面に上からもう一度ぬったりするので凸凹してるんですよ。それが決して綺麗だとは思いませんが愛着のある感じでもあるんですよ。自分が行って来た芸術の痕跡という感じがしてね。

それに、水の中に入ってしまえば多少の凹凸なんて分からないので問題ないのですが。。

       
       
       
鉄板部分の総重量が60kgを超えるので壁面には角材で下地を作ってボルト止めをし固定するよう予定しています。

発起人から指定された場所なら壁の下地部分がしっかりしているし、つなげると4m50cm以上の大きな作品になるので作品全体を見る為には相当の引きが必要になるのですが、会場がガラス張りという事もあって外からも見ることが出来るので問題ないと考えています。

また、環境造形ということで空間の中でどの様に見えて欲しいかというと、人間の視界のフレームが黄金比(1:1.618)になっているから、そこからはみ出す様な比率の大きさになる様に展示位置を設定し、それと同時に相当に後ろに下がることによって全体が見渡せる観覧者の立ち位置を確保出来ることが望ましいと思っています。

見ることは出来るけど、全体を見渡すことができないことと、後ろに下がってみないと分からない限定条件を観覧者に提示することで、観覧者は空間の広さ、全体の様子を認識する様になるのです。

情けは人の為ならず

2005-10-25 22:54:53 | 制作理念
10月25日
昨日の書いた記事で

「ささやかな芸術を行うのに本来許可なんか要らないよ!」

と、書きましたが、交渉ごとの経験の少ない作家の皆さんには、ぜひ、公の場で許可申請を伴う様な制作を試みることをお勧めします。申請をすることで、表現方法が現実社会の中でどのような状況にあるのか、本当の意味で客観的に見ることができるからです。

また、できれば、個人的に試みることをお勧めします。本当の意味で自分の芸術論を世間でさらすことになり厳しい思いをするかもしれませんが、その時出た厳しい反応は、きっと、それぞれの足りない部分を補う切っ掛けになってくれます。

それとよく考えてみてください。もし、あなたが作品をそこで制作したいと言わなければ、管理責任者の方々は悩み苦しむことも無いのです。公務員ならそこで頑張っても給料に反映する訳でも無いのです。公務員の彼等があなたの作品が実現し成功しても縁の下の力持ちでありながら表に出て讃えられることは無いのです。

そんな人達を巻き込みながら行う芸術の責任を、作者である貴方がたは背負い悩み苦しむ事になりますが、その辛さ以上に縁の下で支えてくれた人達に何がしてあげれるか少し考えてみても良いと思うのです。
(今までが、足りなさすぎている様に思うから)

情けは人の為ならず

なんです。
そんなところから、環境芸術やコモンセンスを構築できたら素晴しいと思いませんか。。

決して、情けは人の為にならん。とか、甘やかすという意味ではないんですよ!!
(結構、そういう風に思っている人が多いみたいなんで。。)

自然に帰る

2005-10-24 22:15:34 | 制作理念
10月24日
占用使用許可の取得ということで岐阜市役所に申請していた件で、渡された資料を見ながら、いろいろ考え得てみたのですが、その文面に人間にとってある意味、水や空気の様な存在である河川を本来、占用使用しようとすること自体に間違いがあるという内容の文面に気付かされた様におもいます。

公共施設での制作が多かったためかも知れませんが、都市空間の中から清水川という自然に抜け出た(自然に帰った)ことで、本来のあり方を思い出した様な気がしています。

でなければ、水を飲み、空気を吸うことすら許可がいる話になってしまいますからね。(笑)

本来、芸術は人としての存在の現れで何者にも束縛されない自由の象徴だったということです。

15年ほど前に許可申請の書き方を教えてくた元毎日新聞の記者をされていた先生の最初の言葉が突然蘇ってきました。

「本来、芸術に許可申請を求めること自体が間違い・・・」

と、そんなことを言いながら先生は僕に書式について教えてくれたんですが、今やっとその原点に返って来たのかもしれません。

ただ、面倒で辛くても許可申請をとることをしてきた今の僕だから、きっとそのことをしなかった僕だったら、自然に帰ったなどという意義は成立しないんだろうと思う。

また、自由な芸術のフィールドを公共空間に押し広げたい。または理解して欲しいという思いからはじめた許可申請のプロセスですが、今回の申請にはその思いと反する行為でもあったことに気付いた感じもします。

ささやかな芸術を行うのに本来許可なんか要らないよ! 河岸工事のレベルの制作をするんなら申請すれば良い。どちらでも出来るということだね。

セメンぬり

2005-10-23 19:28:13 | 花フェスタ模型
10月23日
花フェスタの模型にいよいよ塗料を塗り始めました。
       
       
昨日、凹凸の激しい所は水性パテで補修し朝から研ぎだし作業。セメント塗料のと厚があるからそんなに神経質にならんでも良かったので軽く耐水ペーパ#400をかけました。
       
外周側面部分は、塗料の骨材用の特殊な砂を混ぜ珪藻土のような感じにしてみようと思っています。
       
あとは、2.3日乾燥させセメントの硬化を待ってみることに。
先日試しに行ったときよりは接着剤の方を少なめに入れ撹拌。少し色合い的に白っぽくなるのではないかと思っています。
この後に使う、メデュームを塗った時にぬれた感じが強調されるのではと期待しています。

川での展示

2005-10-22 20:23:13 | 制作理念
河川での展示に付いては、作品のイメージが川にあるので関わっていたい場所であることは否定できません。

しかし、木曽三川等が近くに流れる岐阜県大垣生まれの僕には洪水に対する恐怖感があって一級河川のような大きな川そのものでの展示に付いては余り考えたくない気持ちがあります。

台風と聞くとまず堤防の心配が頭によぎります。

出来ればそんな大きな川よりは、少し山間に入った農村の田んぼに水を引く様な用水路であったり耕して水を引いたばかりの水田での展示が理想的かな。

小さな湧き水があってゆらゆらしている。そこに寄り添う様な位置に自分の作品が作品と呼べるものがあることが、一番作品にとって幸せな状態である様に思うのです。

将来、夢見ているヨーロッパ諸国の古城にある庭園の池に展示や金閣寺での展示でもそんなイメージを演出する様な表現であり続けたいと思っています。

要約すると

2005-10-22 13:03:22 | 岐阜駅の展覧会
河川課での話を要点をまとめると
○岐阜県の見解として占用使用は河川敷の陸上(水の上)となる所を対象としている。
○実際に川の中の使用ということで許可を出したことは無い。
○名古屋市の堀川については法的な解釈の違いがある。としか言いようが無い。
○清水川の清水緑地にある階段状の部分から清水川に入ることは禁止されていない。
○展示が川遊びに属する目的で行われる分には管轄外。
○撮影した写真の冊子等の掲載に付いては問題は無い。
ということでした。

水遊びの一環

2005-10-21 22:09:30 | 岐阜駅の展覧会
10月21日
昨日メールをもらい返信、ブログを書いてたらしい。。

なんと、昨日メールの返信をしてから記憶が無い。。ブログの投稿時間を見てみると22時頃までは起きていたようだけど記憶が無~い! 気が付いたらテーブルの所で朝まで寝ていたもんな。。

そうとう疲れているのだと自覚。そんでもって今日は制作の方は休止してました。

んぅ~!!

書いている途中で思い出して来たんですが、イメージトレーニングと思っているうちに寝ちまったのかも知れんな。。

と、そんな状況でありましたが、今日は岐阜市役所の河川課にいってきました。

清水緑地に隣接する清水川での占用許可を得ることができないか申請を出していたんですけど、その結果の説明を伺いに行こうとお誘いがあって、急遽参加した訳です。

結局の所、占用許可はおりませんでしたが遊泳禁止の場所でもないので水遊びの一環として作品を置いてみる分には岐阜市としても管轄外らしくその方向で作品を置いてみることになりました。

また、写真を撮影した際の利用に付いても問題ないとのことでしたので何とか実現する方向で話がまとまったということですね。

とはいえ、昨年と一昨年には岐阜駅南口広場での「鮎の池」の利用については占用許可を得ているので既に実績という点では達成できているので良かったのですが、一級河川の利用が如何に難しいかあらためて感じることができた様に思う。

河川法の枠内で占有許可以外の利用方法が見当たらなくて、水の中の作品展示に付いてどの枠に収まるか相当に悩んだ様子がうかがえたなぁ。

また、その時いただいた河川管理に関する資料にも水の中に入れるということ自体を想定していないから許可の出しようが無かったのもよく理解できた。 まぁ、その代わりといっては何ですが河川敷の利用に付いては相当に緩和されていることもよく分かったので今後の美術展の展示場所として候補に挙げておいても良さそうな気がしたね。

ちなみに、これを機会に将来の展望としては、春日井市落合公園の池での制作を考えてみたいと思う。

実は1994年に同じ公園内にあるフォーリーと題した建物の近くにある池で制作したことがあるんですが、本当はその時、その池ではなく公園中央の大きな池での制作を構想計画していたんですね。

でも、池自体が河川から直接水を引っ張った準用河川ということで、今の改正された河川法以前の話でしたから使用が難しかったんですよ。だから、あの時は小さい池で我慢したんだよね。。

(1994年の落合公園での制作の話はまた今度記事にしますね)

でも今なら、準用河川を使用した実績も、一級河川に作品を置いた事実も見せることができるから何かしら違った形でのアプローチが可能になった様な気もしています。

ホント、楽しみが増えました。(笑)