水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

本当に川

2005-09-30 17:27:05 | 岐阜駅の展覧会
9月30日
今日は昼から岐阜市役所に清水緑地とそこに流れる清水川での作品展示の件で許可申請をうかがいに行きました。
       
公園での作品展示にはその地方の教育委員会の承認が基本的に必要なのですが、展覧会の主催となる岐阜県芸術文化会議は教育委員会との関わりも強いという事があって比較的話がスムーズに進んでいます。これを機会にそれぞれの作家が公共空間での実績作りをしてもらって、なんとか、このくらいの展示は普通だと思えるようなコモンセンスの構築につながればと密かに期待しています。

80年代後半から90年代前半にかけてこうした交渉を伴う展示を主体に行う作家は実質的に殆どいませんでした。ですから、公園などで比較的スケールの大きな表現活動をしたいと思っても、個人的に交渉を行うしか無く、独りという事になると関係部署への窓口も皆無な状態だったので門前払いの経験が殆どでした。

15年の歳月を経て仲間とともに動く事をどれだけ夢見た事か。。ある意味感動しています。

また、そんな頃と比べると大変楽に作品展示が出来る様になったのですが、それと同時に、大変だった単独での交渉経験をふまえて、その時の経験を語り、

仲間として(群れて)交渉に動く状況から一人でも多く、単独で動く事の出来る人材をどのように育成し誘える事が出来るか、

その道筋を語り、群れる事の危険性も訴えるような、そんな作家でいつづける為にはどのようにしておくべきか、

今から真剣に考えておきたい課題の様に思えています。

そんな事を思いながら、河川課の方へ作品展示について伺いにゆきました。
       
河川課は公園整備課と雰囲気が違いいろいろ対応に難しさが感じられましたね。
この時の会話で一番印象的だったのが
「昨年の鮎の池に付いては川からくみ上げた水を利用したもので、純粋な川とは言えないものです。今回のこの場所については本当の川です。少し検討してご返事したい。」というもので、つづいて「この先の河川への使用へ話がつながってゆくものですか?基本的に河川を利用する事自体前例としては無いと考えて欲しい」という言葉でしたね。
それで、僕の方からは「岐阜駅での展覧会のコンセプトには岐阜駅を起点にして柳ヶ瀬などの商店街、新しく出来る43階建ての岐阜駅ビルやそのエントランスでのイベント開催へと街へ増殖してゆく、発信してゆくことがテーマになっていますのでその一環として。。」と河川での作品展示の過去の前例として、山形県での河川での野外アート展の話をしておきました。



よだん

2005-09-29 18:04:26 | 制作記録
「過去の制作より」という事で、比較的規模の大きかったインスタレーションを中心に紹介する方向で記事を書いてゆこうと思っています。

しかし、こうしてみて見ると、制作をするにあたって何時も物理的な障害というよりは人為的な障害のほうがハードルが高い感じがする。別に全てにおいて悪意があったとは思わないませんが、なんだか次から次へと大変でしたね。

色盲であるはずのコイが「赤い色をみて狂い死にをする」なんてクレームが出てきた時には、正直「そんな事言って、恥ずかしくはないのかな」と腹を立てた事もありましたが、今になってみると本当に狂い死にすると思って言っていたのかも知れんなと思えています。

まぁ、考えてみれば、こちらが当たり前と思って話をしていても、相手にしてみれば非日常的な話な訳だし、警戒されて当たり前な訳で、制作という私ごとの話を切り出したのは僕の方なので、やっぱり、自分に非があると考えるのが普通かな。

塗料の安全性なんかでも先方から指摘されなければ、あの当時、環境ホルモンなんて言葉も一般的ではなかったし「ホルモン」と言えば「焼き肉」を連想していた当時の僕も「赤い色をみて狂い死にする」と言っていた彼等に匹敵するおばかぶりなんで仕方が無い事なのかな。

だから、義務的な責任者の立場を擁護するような感覚で話をしてゆかんとアカンよね。

相手の立場に立って考える。言い方をかえれば、敵を知り己を知れば百戦危ぶからず。というところか。。

でも、それも本当にそれで良いのか?常に疑問を感じてはいるのだけど。。

過去の制作から3

2005-09-26 20:11:07 | 制作記録
       
題  名 無題
制作年月 1990年9月
制作場所 愛知県小牧市
(解説)
1988年に構想をしたものの無理かと諦めて、それから何度も諦めていたのですが
過去の制作から1を機会に少しずつ理解者を増やしていって、
学生の間、受講できる単位はそのほとんど受講し卒業単位の約2倍を取得したことや、相当な数の作品を制作しつづけたことを見ていてくれた人達が力を貸してくれて実現出来た作品です。
また、実現出来ただけではなくて、大学の開学式典で個展を行う事になり。生まれて初めての個展が沢山の美術系大学関係者の目に触れるものになり、二十歳そこそこだった当時の僕には相当なプレッシャーでしたね。

で、実際に作る事になったのですが、いろいろ問題が生じました。

■5年近く清掃をしていなかったため30cm近くのヘドロが体積しガスも発生。
台風接近に伴う警報の中で清掃作業を行いました。

■コイや金魚が色をみて狂って死んでしまうという指摘。
コイは色盲だと思いつつ事前に色を塗った板を浮かべ実証しました。

■折角の機会なのでグループ展にしてみてはという意見。
グループ展では意味が無いので全て断り、当初の計画のまま実行しました。それからその事に対していろいろと横やりもありましたが全て無視。

今にして思うと、正解だった。。




説明会

2005-09-24 19:37:56 | 岐阜駅の展覧会
9月24日
朝9時半に集合して岐阜駅での展覧会の展示説明会を行いました。説明会と言ってもインスタレーション等の特殊な展示形態の作家にだけ集まっていただいたものです。
      
      
特殊な展示となる作品については、その展示許可申請を関係部署から得るためにも作家自身が現場を見て具体的な構想が見えてこないと申請する事も出来ないため先行して行いました。。
また、昨年度に行った岐阜駅での展覧会の経験から、彫刻や絵画等のオーソドックスな作品の展示に付いては10月に入ってからの参加者説明会での説明で十分と判断しました。

しかし、こうして大人(社会人)が集まって公園等で自分の作品展示に夢を膨らませワイワイガヤガヤの雰囲気をそばで見ていたのですが、何とも微笑ましく子供みたいでしたね。
      
国や歴史、社会情勢がどのように異なっていても自然発生するのが芸術の特性だと思うので、構造改革とか不況とかいろいろな変化があったとしてもこうした雰囲気は絶えはしないと思います。でも、こうした雰囲気を許さないような社会情勢が訪れないよう願いたくなるのは、今のご時世の根本にある「不安」を感じての事と思うのは考え過ぎだろうか?

12年ぶり?

2005-09-24 01:49:11 | 岐阜駅の展覧会
9月23日
きょう、12年ぶり?に知人にあった。大垣の方で印刷関係の会社で、最近はメディアのコンテンツに携わっているとの事でした。
        
高校時代からの知人である彼は、あの当初から相当のがんばり屋さん。

この不況の中で印刷業会が本当に厳しい状態であると彼が語っていた事を耳にし、僕が大学時代に関わっていた学生の子でも、ご両親が印刷関係で経営が難しく資金難から大学を辞めざるを得なかった学生に立ち会った経験があるので、印刷業会で厳しいという話を聞くと他人事と思えない。

僕自身、人の心配をしていられる身分でもないけど、本当によく頑張っていた子なので何とか応援してあげたいね。

今回、高校の先生を通じガスト会議に参加してもらえたので、岐阜県芸術文化会議や名古屋の先生方との関わりの中で何かしら活路が見つかるような機会になればと思っています。

彼からも社会人としての苦労からくる格言のような思いを発言してもらえたならと、つい期待してしまいます。

できんときは

2005-09-22 07:03:00 | 制作理念
インスタレーション等を独自で直接交渉して現地制作の許可を得ることができなかったら。。

こうした制作の場合その事が一番精神的に辛い状態ですね。

でも、そんな困難さがあるから実現したときの意義は大きいんです。特に挑戦したけど実現出来なかった事例を持っている人の方が実現出来た時に勝ち得るものは一生ものの宝になる事が多い。

僕にも失敗例があるんでその事と実現した事例を比較しながら、いろいろ考察することができてね。次の機会に、何かしら先方と交渉する時の予測や対応に違いが出てきて、より円滑に状況を進めることができる様になっている事が多かったな。。

具体的な事例はそのうち記事にする事にして

大切なのは、失敗した例があるなら見ない様に消し去ろうとすることではなくて、それを分析する事で自分の表現と社会との接点を見極めようとする態度なんですよ。

隠す事さえしなければ、仮に、新たな方法論が見つからなくても、分からなかったら他の人に聞けばいい。

独自性を見つけられない人って、たいがい「何を聞きいて良いのか分からない」とこたえる人達なんで、こんなところから一歩踏み越えてゆくことができるんと違うかな。

パネル作り1

2005-09-19 16:51:49 | アパでの展示
9月19日
悪化した腰痛がすこし落ち着いてきたので作業再開。
今日の所はMDFを下地に使用したパネルの色塗り。下地をしっかり塗ってから金色へ。
このパネルは、岐阜での活動の記録等を展示するために使用する目的で作っています。でも、通常はそうした資料展示には白を基調にしたパネルを要するものですが今回は黒に金。
普通の展示にしても何となく面白くなくてやる気がしない。本来ならこうした資料展示は本職のデザイナーに任せた方がいいようなものでしょう。だからどうもやる気がしなくてね。
それで、古いお寺とかに行くと襖(ふすま)とか屏風とかに古い書画を貼付けたりするでしょ。そんな感じでまとめるのも余り聞いた事も無いし、どうせやるなら失敗しても、その方が面白いのかなと思えています。
将来的には金閣寺内部に展示出来ちゃうような書類の見せ方を考案出来たらきっと面白いよね。

円滑に

2005-09-19 16:39:39 | あれこれ。。
9月16日17時頃
清水緑地で野口君と下見を行い。ここでで解散。
その後、知人のネット環境をmacで行いたいという話での続きで、中古販売店に強行してきました。
今回はimacのDVDseのG3-400MHZを1万8百円で発見!
早速購入して電源を入れてみて、OSなんかもバージョンをあげようとしたら画面が赤に。。再起動したら緑、青。。何じゃこりゃ?
でも何かの本でこんな症状見たような。。なんとなくOSの関係だなこれはと思いつつ。。こわれてたという事で返金してもらいました!
でも、11月に名古屋での展覧会もあるので書類、画像のやり取りを円滑に進めたい思いもある。
ファイル共有も楽なので、なるべく早くmacを導入してもらいたいです。

打合せ4

2005-09-17 19:58:12 | 岐阜駅の展覧会
9月16日12時
11時頃に野口君を迎えに行き12時丁度に岐阜市役所到着。
ところが、12時半になっても現れないメンツが一人。メールでの返事も無く、携帯や電話もつながらぬ。
腹が立ってとりあえず市役所の食堂で昼食(安い!)
それから連絡を取るも、まだつながらず再三連絡をしたらやっとつながって「ねとった!」だそうだった。
2時までにゆくと返事をしたのが1時過ぎで到着したのが2時半。大人としての良識を疑うね
( ゜д゜) 、ペッ