水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

ふりかえって3

2006-01-20 07:03:06 | あれこれ。。
1月19日
つづき3

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話を元に戻しますが、詳細な会計簿を付けるという行為は単に身を守る行為に止まらず、無形の価値観を築き上げる行為でもあり、芸術文化と呼ばれるものの経済的な価値を示すものにもなりうるのです。。。。。

例えば、ヨーロッパの方でアーティストが税制面で優遇されているのは、無形の価値観を築き上げる行為が、純粋な付加価値を創出する行為で資本主義社会の基盤的なところに位置し経済の活性化と雇用の創出を期待させるという認識があるからです。

また、時の権力者、宗教的な意味合いのところで擁護され、育まれる事が普通であった時代から、今日の個人的な表現という考え方が定着するまでにも歴史的な事実が今日にまでつながっていて、ある程度の市民権が認知されてきたんですね。

それが日本の場合ですと、基本的な部分が欧州に見習う脱アジアてきな考えから 明治以降の輸入された考え方ですし、もちろん日本でも個人的な表現という事で展開させていたのですが、日本が多神教で自然崇拝のお国柄であった事そしてジャポニズムと印象派の風景画等の影響がからみあって、芸術にお金を使うという事が、神様にお金を寄進する感覚に近いものになってしまって。。。。。

ーー長いので削除ーー

とはいえ、僕としてはそれも悪い事だとは思ってもいなくて、ただ今更その流れを変えるのは不可能ですし無駄でもあるんで、法の下での平等的な考え方で、会計、書面、記録写真などの記録を元に事実を示すことによって、ある意味、僕たちの居場所を確保して行った方がいいんですよ。

芸術は表現なんで
事実を示す = 表現し人に伝える = 芸術

ちょっと間違えると、論争や裁判沙汰になりがちですが、できる限りそうならない様に準備をし、まとめあげてゆく事が大切で、

手に血マメを作りながら硬い原石にノミをふるい彫刻を作るのと感覚的には変わりませんし、これからの芸術のあり方みたいなものも。。。。

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きょうはここまで!!

文章にしてみると長いな。。。とおもいつつ

つづく

ふりかえって2

2006-01-12 17:22:24 | あれこれ。。
1月12日
つづき



それには、ボルト一本に至るまで詳細な会計簿を付けるべきなんです。交通費、通信費、会議運営費、等の名目で団体名の名義で領収書を集める習慣をつけないと駄目なんです。

行政サイドの経費削減の動きにともない文化面の予算が一番始めに削られるので(多分大丈夫だと思いますが)身を守る意味でも誰が幾ら自腹でお金を出しているか記録として残さないと泣き寝入りをする事になります。

多分状況が進むにつれて他者(協力者)からもそうした声を聞く様になり、気が付けば対人関係がむちゃくちゃになって苦労したものの何のために頑張ってきたのかその意味すら失いかねません。

ーーここで実例の話をあげて説明しましたが削除ーー

ちなみに僕の場合の話をすれば、2001年に行われた金沢城址公園での野外アートコンペディションで企画書と模型を提出し審査会があったのですが、僕はその中で企画書。とくに予算見積書について重点を置き作成しました。

材料費、交通費、人件費、制作場所代など裏付けになる参考資料を添付してまとめ提出しました。

作家手数料を除く実質的な金額を公の場で実績として確定させたかったのです。また、幸い、審査を通ることができたので、このことによって、僕の行う制作活動の最低金額が定まったんです。

このことは、イスタレーションという分野で僕の表現に金額が付いた事を意味し、少し考えてもらえれば分かる事だと思いますが、日本のアーティストの中で、個人的な表現活動の中で、インスタレーションに表現に客観的な金額を提示できる作家が何人いるでしょうか?

その金額でかってもらえるか否かは別にして、僕は詳細な記録を取る事によって、どんぶり勘定ではない、「金額」という事実(実績)を得ることができたんです。

話を元に戻しますが、詳細な会計簿を付けるという行為は単に身を守る行為に止まらず、無形の価値観を築き上げる行為でもあり、芸術文化と呼ばれるものの経済的な価値を示すものにもなりうるのです。。。。。



あぁ、つかれた。

「事実を味方に。。」という内容で、まだ続きがありますが
それは次の機会に!という事で。。。

ふりかえって

2006-01-10 12:32:59 | あれこれ。。
1月10日
2003年から昨年にかけて岐阜を舞台に展覧会の運営に携わり、グループで行動しがてら僕自身の作品も発表してきました。

1994年頃から単独で制作活動を行っている僕としては相当な変化でもありました。

切っ掛けは、お世話になった先生からF君を手伝ってあげて欲しいという依頼があって、それを機会に行動をともにする事になりました。

あの当初は、新しく出来たトンネルでの開通式典のイベントを行った後で、あたらに岐阜駅での展覧会をたちあげるとのことで漠然とした夢を語っていて「大丈夫なんだろうか?」と言う感じでしたね。

かなりの部分を学校の先生という立場を利用しての発言でしたら、その状況のまま話を展開してゆくと、純粋に作家として頑張っている人達と対立する構造になりかねなかったし、金と時間と人との関わり方が漠然としていましたから、期待するところが大きくて、それにそぐわない状況が生まれた時の対応が予測できていなかったというのが率直な感想でした。

ですから、初めての会合で

 *

 今発言されている内容の事は、多分直ぐ実現してしまいます。

 ですから、実現できた事を仮定して、準備の段階からその次の事に付いて構想を計画し、声に出すだけでもかまわないから、ビジョンや夢を語る事が重要なんです。

 構想を計画するという事は、極論から言うと金額的な見積もりを立てるという事で、プロとアマチュア、公務員と一般との違いはその見積もりの立て方なんです。

 たとえば定価1万円の材料があったとしても僕が買えば半額で買えたりもします。これは日頃から安い所を探すという事も大切なんですが、タダ働きをしてでも人の手伝いをする事で、その人からあらたに人を紹介してもらい、そうした繋がりから得られる金額であったりもするんです。

 同じ仕事量で同じ金額であっても利益率が高くすることも出来る様にもなります。

 じつは、それこそがプロとアマとの徹底的な違いで、そうした無形の財産やノウハウをいかに持っているかが重要なんです。

 公務員や学校の先生によくありがちな、トップダウンでの話の持ってゆき方も有効な手段ではありますが、下から上へ話を持ち上げてゆく。。いいかたをかえれば、いかに底辺の部分を基礎としてガッチリ固め積み上げてゆくかの方が重要なんですよ。

(特に何もないところから始まる芸術なら)

 それには、ボルト一本に至るまでの詳しい会計簿を。。。



と、提案しました。

。。。。。。
この時の提案にはまだまだ続きがありますが
つかれたので、今日はここまで。

次の機会に記事にしますね。

はつもうで

2006-01-06 12:33:18 | あれこれ。。
1月6日
正月三ヶ日はしっかり休養をとりました。

そして毎年、欠かさず行っている「大垣 春日神社」に初詣。

      

なんかいい事がある様な気がしてきました。

大垣の春日神社には湧き水が湧いていて、そこで一杯、湧き水を飲み干すのが僕流の願掛け。

高校時代の通学途中に必ず通る神社だったので、いつもそこで休憩を入れながら学校に通っていたんです。

      

夏は冷たく。冬は暖かく感じる湧き水。

年中一定の温度を保っていて、そう感じるのは僕の感じ方の方だったんですが、それが何となく感動的でね。今日の水をテーマにした造形の原点もそこから湧き出ていた様に思えてるんですよ。