水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

えんげき

2006-02-27 15:56:46 | weblog
2月27日

先日、「学びの森」の美術展の構想計画で知人から演劇関係の参加の話題があって、その返事をしました。

以下はその時の内容(一部編集しました。)

*****

いつでも、どこでも、資金です。

で、正直な話し、僕たちもの作りがお金の工面の話しにあまり顔を突っ込まない方がいいんですよ。

どちらかといえば、演劇の連中に養ってもらう位なのが僕たちの基本的な立場。

具体的には、資金がなくて舞台装置や舞台美術に予算がなくてとてもプロの業者に頼めない。

「でもやりたい!!」

そんなとき

「何とかしてあげよう!」

というのが、アーティストの連中なんです。

たとえば、某有名作家なんかも若き日に舞台美術を手がけていて、その時のつながりが、今日の彼の基盤になっているんですね。

何が言いたいかというと、

苦しい中にでも、それぞれに、それぞれの得意の分野があり、それを通じて何とか支え合って頑張っているということで。

アーティスト同士のそうした営みこそが芸術文化の基盤そのものだといっても過言ではないと言いたいのです。

芸術文化を育てるという観念で演劇と関わるのなら、舞台美術として彼らが行っている作業の相談にのる程度の関わりである方が両者に取って健全なんです。

また現実的な話し、これから先、助成金を期待できる時代でもなくなっています。

それをふまえた上で、

売れそうなチケットのデザインを考えてあげる(美術)
大衆にセールスをする(演劇)

なんて構図で関われればよくて、

展覧会の企画運営として僕たちが行えるのはチケットの販売許可をとりつけるまでです。(誰に?)

金額について悩むのは、枝葉末節ですよ。

もし、仮に
「演劇はなんだけどチケットは立派だよねw だまされて買ってしまったw」
なんて評価があったとしても、

デザインの評価は得られてる訳ですし、新たな仕事にありつけるきっかけになるかもしれません。

またその逆でも。。。

ですから、どうしても行政的な支援を念頭に考えがちになるのも理解できますが、根本的なところで間違っているのではないのでしょうか。

大切なのは、仮にチケット販売で数万円しか予算がなかったとしても冷評しないことです。

数万円でのスタートであることを真摯に受け止め。
その数万円を支払ってくれた人たち(観覧者)との関係を大切に育んでいることが芸術文化そのものといえるでしょう。

まず、意欲と熱意を見せてもらいたいものです。

話はそれから。。。

で、いいんじゃないですかね。


と、今のところは、そう思います。

こんぽう

2006-02-21 10:45:02 | weblog
2月20日

きのう、掃除の続きをし始めたら過去に作った石の小作品がころがっていた。

石材という事でそれまで雨ざらしの状態にしても大丈夫なのでそのままにしておいたんですが、昨年行ったグループ展とかその他で出品発表した作品をそのまま野ざらしにしておくのはさすがに気まずいきがして梱包することに。

作品という事でかなり不定形なんで、いざ保管となると積み上げる事も出来ないのでベニヤ等を使って箱を作り積み上げる事に。

ベニヤについては、作業現場で使わなくなった廃材をもらってきてあるのでそれを使用することにしました。

廃品という事で全体にホコリがかかって汚れていたり、大きな傷跡があったりと見栄えが悪い。
廃品を拾ってくる時も電動のこぎりで切った時に刃が欠けない様、小石や区議が刺さってないものを選んでくる程度の選別しかしないので仕方がないのですが。

まぁ、廃品の再利用と言えば聞こえもいいのですが、
最近もらってきた廃材が多すぎてスペースを占領しているので少しでも消費して
場所を広げたいのが正直な気持ちなのですが。。。



とりあえず保管という事で、これまでにも梱包素材として使ってきたけれど、時間が経ちにつれ外観の悪さが気になってくるなw

とはいえ、今更、全ての梱包を新しいベニヤに変える気もしないし、見ようによっては、頑張ってきた痕跡である様な気もするので判断が難しい所です。

汚い箱(梱包材)に、黒いマジックとかで作品名と制作年月日なんかを記入してあるんだけど、10年以上も前に書いた跡だと思うと無造作に消すことができない気になるのは物作りの性なのかな。。。

作家として、作品自体に神経が使われていればそれでいいという気もしますが、自分がその時代にその瞬間に何をしてきたか刻み込む事が作品の本質でもあるので、そうした所に神経が行き届かないのは、文化を築こうとする立場なら問題がある様に思う。

作品を創造するということは、その一瞬に何かを刻むこと。

決して「切り刻む」様な事ではない。
規則正しくもないが、ひと繋がりになるもの。

首飾りの宝玉をつなぐ糸の部分。

宝玉が重ければ肩もこる。時として首を絞める糸にもなりかねない。
そんな魅惑的なものなんですけどね。

おそうじ

2006-02-18 21:28:58 | weblog
2月18日

さあ、少し小品でも作ろうかと思ったら。

他の作家さんの搬入やら、お仕事のお手伝いなんかで、自前の道具が軽トラクの中に積みっぱなしだったりしたので、

とりあえず今日の所は道具の手入れとお掃除をしました。

いざ制作という時に道具の手入れを始めると
「普段から手入れしておけ!」
と、お叱りの声も聞こえてきそうですが、

魚をさばく直前まで包丁の手入れをする板前さんと同じでなんか気分的に落ち着いてくるんですよw

電動工具とか扱いを間違えると酷いケガをしてしまう恐れのある道具とかあるんだけど、

金工、木工、石工、塗装などなど、

様々な素材を扱う道具が混在しているので整備をしながら冷静になる事は重要な儀式の様にも思います。

神棚をまつってもいい様な気もしてくる。。。

****

で、今日は夕方から急に寒くなったので、もらい物の大型のファンヒータに最近とっても高価になった灯油を注ぎスタート!!

一年近く使わずに時には台風で雨に当たり錆がでているファンヒータで、スタート直後に生ガスっぽい白い煙が出た時は「やば!」と思いました。

が、流石、スポーツ系の部活で悪ガキどもに鍛えられてきたファンヒータという事もあって、そのど根性により見事に復活!!

いやぁw やはり育ちが違うよな。。育ちが。。感心しました。

頑張らねばと励まされます。。はい!

けはい。。

2006-02-17 14:19:44 | weblog
2月17日

2月に入り、旧暦の正月をこえると本当に春が待ち遠しく思える様になる。

何かが始まる気配。

ひょっとしたら、日本人のイメージする新しい年の始まりみたいな感覚は、今のこの陽気からくるものなんでしょうね。

昨年は

花フェスタ2005ぎふ
岐阜駅での展覧会
万博

などなど、いろいろな企画に関わってドタバタとした一年でしたが、この辺で一区切り節目となってくる様な感じもしています。

どの様な感じになってくるか、今のところピンとしませんが、スケールの大きな作品展示がこのところ重なっていたので、久しぶりに小品の方を手がけてみたい。

小品を作るというと、なんかいろいろ言われたりもしますが、僕自身は小品や模型を作っている時が一番面白い様に感じています。

許可申請等のやりとりで神経をすり減らすのも、それほど嫌いでもないのですが、小品や模型を制作している時が、こののちどの様に表現活動を展開させてゆくか、じっくり考える機会になりますからね。


きゅうじょ

2006-02-10 08:02:52 | あれこれ。。
2月9日

きのう、トラックの運ちゃんが「おぅえぇ~」と変な声を上げていたんですよ

なんやろなと、遠くで見ていたら段ボールにつまずいた感じになっていたので、しばらく、知らん顔して雑談していたら、総重量200キロの板に押しつぶされていたんです!!

あわてて助けに走って、倒れていた板を持ち上げて、国際救助隊(サンダーバード)のような働きぶりで助けてあげて、たいした怪我もなく不幸中の幸いだったのですが。。。

夜になってオイラの右腕が腱鞘炎になっていた。

いてぇw! 
腕が曲がらん!
モノが持てん!
トイレの扉のノブがまわせん!!

明日は作業。土曜日は知人の作家の作品展示のお手伝いという事で大工仕事。。。厳しい!!

お互い、身体が資本!! くれぐれも、ご自愛くださいませ。。。とほほ。

とらうま

2006-02-09 00:22:01 | あれこれ。。
2月8日

ふぅ~w おひさしぶりw

10年前の今頃。

落石により足を潰した事を思い出すためか
毎年この頃になると、軽い鬱病になるなぁw

それでも、怪我をした当初と比べれば
ずいぶん良くなったけど。

普通にふるまえる様になった分、神経を使う
作業をすると突然動悸が始まったり。

意味もなく作業を途中で中断なんってこともしばしば。。

ある意味たちがわるい感じもするよ。

でも、この時期さえ過ぎれば何とかなる。

旧暦の正月が僕にとっては本当の新年のはじまり見たいな
感じがする。

さて、頑張るとするか!