30年近く前の話ですが、20代から30代にかけて
公共空間でのインスタレーションを中心に
制作活動を行ってきました。
制作と言っても、公共空間での製作という事で
許可を得る為の資料作りが中心でした。
パソコンではなくワープロで
出力もインクリボンや感熱紙だったし
画像添付も写真を貼付けるアナログな作業でした。
地味でしたが教室や図書館、自分の部屋でできる
事務的作業だったので
昼間は実材加工、夜は書類作りと時間を無駄にせずにできたので
僕には都合の良い制作スタイルでしたね。
事務的な作業といっても今の様にパソコンでの作業ではなく
図面を引いてコピー機で縮小して貼付けたりしていたので
図画工作に近い作業内容だったからとても楽しかった。
難しい理論をこねくり回したり、
インテリジェンスでスタイリッシュといった感じのもではなく
素直に素朴に作業をすることができたし
実際に仕上がった手作り感あふれる企画書や模型、図面だったので
大学や市役所、美術館などでも優しく受け入れてもらえた気がします。
もちろん、管理責任という問題があるので場合によっては
冷たい言葉を浴びせられる事も多かったですが
その度に問題を持ち帰って改善策を模索したり、
先生方や諸先輩にアドバイスをもらったりしているうちに
沢山の人脈が広がって、それが支援に繋がって
制作の実現へと誘ってくれた様に思います。
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それとは逆に
社会的な地位を確立して、
その発言力で制作を実現してゆく手法をとく
人も沢山いました。
しかし、そうした人達の様子を見てみると
脅したり、騙したり、敵と味方に分かれてみたり
僕にはその本質が闘争にしか見えなかった。
一生懸命頑張って気の合う仲間と芸術談義を楽しみたい
僕には理解できなかった。
「美大の関係者だから出来ただけでしょ?」というのは
努力を否定されたようで嫌なんだ。
何より、沢山の人達がリスクを冒して許可を出してくれたから
実現したのであって
僕を信じてくれた人達が、僕が権力者になって派閥をつくり
擁護してもらう事を期待なんかしていなかったと思う。
それよりも、閉塞した状態の中で一つの可能性として
風穴があく事を期待してくれたんだと思うんだ。
そこに僕のアーティストとしての立ち位置があると自負している。
何時か恩返しがしたいと思うから
作家として揺るがない方向性を維持できているに過ぎないんだよね。
v(*'-^*)bぶいっ♪