水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

ガスト会議

2007-01-12 19:03:49 | 岐阜県全域美術館構想
1月9日

新年はじめの会合ということでガスト会議をしてきました。

その時の話し合いでは、昨年末に行なった

○岐阜新聞社に「岐阜県全域美術館構想」を提案し、
 それをそのまま日比野克彦氏のトークセッションで発表したこと。

○JR岐阜駅南口広場で行なわれている岐阜市加納「中仙道祭り」へ美術展として
 会場ステージへパフォーマンスなどの出演
 ワークショップ、アートグッズ販売を伴う美術展
 の参加を提案したこと。

加えて今年は

○昨年の「学びの森」(各務原市)での野外美術展でも実績を生かし
 「新境川桜祭り」でのワークショップ、アートグッズ販売を伴う美術展覧会の提案する事。

などを報告しました。

僕の思いとしては、これまで行なってきた経験をもとに助成金だけに頼るのではなく、イベント開催時に小規模でも試験的に作品販売を行なう事で、自立型の展覧会への可能性を模索できればと考えています。

これは、公共の場で作品販売を伴う展示も本来の美術展の姿であるということを、広く一般の人たちに認めてもらえるかどうかという挑戦でもあります。

また、単に利益追求型の行為でしかないように思われるかもしれませんが、出品する作家にしてみれば、大衆の面前で晒され頑張って作った作品でも必ずしも良い評価を得られるとは限らないリスクを負っています。

公的な場所での美術展では、とかく敬遠されがちな作品売買ですが、地域文化の振興育成の意味において重要な意味があると思います。

できればその辺の所を理解していただければと思いますね。



余談になりますが、先日、朝日新聞に掲載されていた

             

記事ですが、こうした意見は有り難いですね。

一点で数億円もする海外作品を購入する予算があるなら、その金額をそのまま地元出身の作家の作品を購入すれば数百点と買う事も出来ます。

比較的格安でもある地元作家の作品を100点買ったとしても、その数点の中に後世に残るべき作品を発掘することができたなら十分に価値のある行為だったといえます。

また、経費削減ということで何かとやり玉にあげられる美術関連施設の学芸員たちも地元作家(地元文化)を研究する活きた研究材料を入手する絶好のチャンスとなります。

若手のアーティストや美術研究者にしてみても良い励みになるでしょう。

この記事には、そんな可能性へと期待させるものがありますね。

打ち上げ

2006-12-23 22:25:40 | 岐阜県全域美術館構想
12月9日

「学びの森」「清水緑地」での美術展の打ち上げを行ないました。

       

主に学生や若手の作家で準備等を行なってきたので今回はそのねぎらいが主な目的。

会費の方は、鍋パーティーという事で一人一品を用意することで打合せ。
主な資金は、O庭先生とS見君から賄われました。

O庭先生は、
過去に行なったワークショップでの看板の費用が1年半ごしで還付され、そのお金をそっくり転用してもらえました。
先生もお金を立替えさせられてうえ、ただでいいように使われいい加減ご立腹状態ででした。

加えて、O庭先生は今年、実の母親が他界され、高校美術教科の縮小方向による経済的なあおりがあり、少しでもお金が必要な時期でしたが
「皆の労に報いよう!」
といってそうしたお金をそのまま皆のねぎらいに利用してくれました。

また、S君にしても参加してくれた学生たちの労をねぎらいつつ、今回の打ち上げでは奮発。

なかなかできる事ではありません。^^

それぞれに苦しい中で「もってけ!」とみなさんに言ってもらえた事は若手の作家や学生たちによきお手本と言えるのではないでしょうか。

分野を問わず、人を育てる本当の意味での教育と言えるものでしょう。
正に活きたお金の使い方ですね。

精神的にも美味しい宴でした。

めいそうのもり

2006-12-15 20:38:08 | 岐阜県全域美術館構想
12月3日

先日、下記の画像をもらいました。

       

S君が各務原市にある「瞑想の森」という公共空間の写真を建築関係の雑誌で見つけてきて、そこに僕の作品をならべた予想図(CG)を作成してくれたようです。

著作権の問題とかいろいろあるのでしょうが、そんなことよりも自分の表現のイメージを他の人が独自に展開させてもらえたということは僕にとっても新たな展開のように思われます。

もし仮に、彼の方から話を展開していってもらって「やりましょか!」と声をかけてもらえたなら相当に困難な状況でも制作の実現に向けて頑張らねばならんといかんな。。。

それと同時に、彼にとっての何かしらの見返りを僕の方から提案してあげたいよね。

単純にお金という対価ではなくて、僕の作品を紹介した事によるメリットを具体的に示すことができれば、それはそのまま僕の表現が人の社会的な営みに参加できる事を示す事に繋がります。

「情けは人の為ならず」とでもいいましょうか。
人への施しは、まわりまわって自分にかえってきます。

そんな中に、僕の表現のある程度の居場所を見つけてあげるのも作者(作家)のつとめの様に思います。

特にインスタレーションのような表現方法の場合には特に重要な事なんじゃないかな。

トークセッション

2006-11-19 02:07:01 | 岐阜県全域美術館構想
きょうは、日比野克彦のイベントということで
岐阜市内の十六銀行跡地で開催されているアートイベントに参加してきました。

ポートフォリオを題材にしてのトークセッションで、20名ほどが参加。

途中、寒くなってきてお酒でものんで暖まりましょうということにになり、日比野氏が財布からお金を取り出し「誰か買ってきて!」と催促。

       

いっきに場が和みました。

大学の授業の様な話し合いよりも、芸術談義がご所望の日比野氏でしたので本当にいい感じになってよかったですよ。

で、

今回のトークセッションでは、先日、岐阜新聞社で提案してきた「岐阜県全域美術館構想」ということでアートマップのアイデアを日比野氏にぶつけてみました。

       
(代表でO先生が日比野氏と対談)

O先生から、その主旨を説明しもらい、僕達は日比野氏の様子をじっくり見させていただきました。

途中、M先生から「君(僕)も。。。」と勧められましたが、もともと「岐阜県全域美術館構想」に付いてはO先生のコンセプト。

プラン全体のフレームに付いては、僕達のアイデアも取り入れてもらっていますが、こうした発言の場では、第一番に言い出した人間が尊重されるべきなんです。

       

仮にそのことに付いて、別の人が上手に説明ができたとしても、それは単にO先生の発想をアレンジしただけのこと。
O先生から指名され発言を求められれば、援護射撃もできますがそうでなければ、黙して見守ることがエチケットだと思いました。

       

まぁ、これが、一般公開されていない会議室での話なら、話は別ですが。。。



今回、僕もポートフォリオを準備していましたが、展示が終わっても原則的に返還されないことと、公開するにしても作品の写真自体に色々と制約があり、大々的にお見せするというわけにはいきませんでした。

(お世話になった方へ迷惑がかかると思い見てもらうだけにしました)
       

内容的には僕以外の誰かが造形作家として公共空間で芸術活動がしたいと望んだ時、きっと大きな追い風になるもです。

また、既に提案し実現していて、その次に、世の中をどのように誘ってゆきたいかという内容のものでした。

そして、お役所でありがちな「前例がない」という言葉をはねかえす武器になり得るものです。
(実際に、岐阜駅南口広場の池や清水緑地、学びの森などで実証できています)

そうした活用ができるのが僕のポートフォリオの真価なんですけど困ったものです。。。とほほ

岐阜新聞社へ

2006-11-16 12:53:18 | 岐阜県全域美術館構想
11月15日

高校で美術の先生をされているO先生の発案で
「岐阜県全域美術館構想」
ということで岐阜新聞社に提案を行なってきました。

       

       

これはその年の一年間に岐阜県下で行なわれる現代美術を中心とした新しい芸術活動を網羅したマップを新聞紙面として掲載紹介することで、岐阜県全域を美術館と見立てた芸術祭の様な盛り上がりを期待するものです。

また、岐阜からはじまる美術活動を紹介するポータルサイトの様な役割を果たすものとし、

岐阜県を中部圏として名古屋からの視点で見たとき、飛騨、下呂な有名な観光地名がイメージとしてありますが、岐阜県として全体を捉えることが困難な状況を変えるきっかけになると思われます。

都道府県で3番目に広い広大な県であることが、可能性と豊かさの象徴でもありますが、その広さ故に、県内で行なわれている先駆け的な芸術の動きがあるにもかかわらず地元岐阜県での認知度があまりにも低い。

そこには、岐阜で頑張って名古屋で評価されれば良いという考えが根底にあるのでしょうが、岐阜のものも名古屋で情報発信されれば名古屋ブランドになってしまうのです。

名古屋ブランドの下請け的な位置づけから、岐阜ブランドの創出のインフラとして重要な意味があるのです。



ちなみに、新聞社としてのメリットとしては

その年に岐阜県内で行なわれる新しい美術芸術活動を網羅し紹介することによる、岐阜文化を県内外へ発信する情報発信基地としての地位の確立。

インターネットが普及した今日における、平面媒体としての新聞紙上の有効性を再発見することに繋がる。

多くの場合、一日で破棄される新聞紙が情報源として、その一年間利用される。

スポンサーから見た魅力を創出しやすい。



などがあげられ、他の新聞社もありますが、岐阜の名を掲げる岐阜新聞がこのプランにふさわしいように思います。