水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

要約すると

2005-10-22 13:03:22 | 岐阜駅の展覧会
河川課での話を要点をまとめると
○岐阜県の見解として占用使用は河川敷の陸上(水の上)となる所を対象としている。
○実際に川の中の使用ということで許可を出したことは無い。
○名古屋市の堀川については法的な解釈の違いがある。としか言いようが無い。
○清水川の清水緑地にある階段状の部分から清水川に入ることは禁止されていない。
○展示が川遊びに属する目的で行われる分には管轄外。
○撮影した写真の冊子等の掲載に付いては問題は無い。
ということでした。

水遊びの一環

2005-10-21 22:09:30 | 岐阜駅の展覧会
10月21日
昨日メールをもらい返信、ブログを書いてたらしい。。

なんと、昨日メールの返信をしてから記憶が無い。。ブログの投稿時間を見てみると22時頃までは起きていたようだけど記憶が無~い! 気が付いたらテーブルの所で朝まで寝ていたもんな。。

そうとう疲れているのだと自覚。そんでもって今日は制作の方は休止してました。

んぅ~!!

書いている途中で思い出して来たんですが、イメージトレーニングと思っているうちに寝ちまったのかも知れんな。。

と、そんな状況でありましたが、今日は岐阜市役所の河川課にいってきました。

清水緑地に隣接する清水川での占用許可を得ることができないか申請を出していたんですけど、その結果の説明を伺いに行こうとお誘いがあって、急遽参加した訳です。

結局の所、占用許可はおりませんでしたが遊泳禁止の場所でもないので水遊びの一環として作品を置いてみる分には岐阜市としても管轄外らしくその方向で作品を置いてみることになりました。

また、写真を撮影した際の利用に付いても問題ないとのことでしたので何とか実現する方向で話がまとまったということですね。

とはいえ、昨年と一昨年には岐阜駅南口広場での「鮎の池」の利用については占用許可を得ているので既に実績という点では達成できているので良かったのですが、一級河川の利用が如何に難しいかあらためて感じることができた様に思う。

河川法の枠内で占有許可以外の利用方法が見当たらなくて、水の中の作品展示に付いてどの枠に収まるか相当に悩んだ様子がうかがえたなぁ。

また、その時いただいた河川管理に関する資料にも水の中に入れるということ自体を想定していないから許可の出しようが無かったのもよく理解できた。 まぁ、その代わりといっては何ですが河川敷の利用に付いては相当に緩和されていることもよく分かったので今後の美術展の展示場所として候補に挙げておいても良さそうな気がしたね。

ちなみに、これを機会に将来の展望としては、春日井市落合公園の池での制作を考えてみたいと思う。

実は1994年に同じ公園内にあるフォーリーと題した建物の近くにある池で制作したことがあるんですが、本当はその時、その池ではなく公園中央の大きな池での制作を構想計画していたんですね。

でも、池自体が河川から直接水を引っ張った準用河川ということで、今の改正された河川法以前の話でしたから使用が難しかったんですよ。だから、あの時は小さい池で我慢したんだよね。。

(1994年の落合公園での制作の話はまた今度記事にしますね)

でも今なら、準用河川を使用した実績も、一級河川に作品を置いた事実も見せることができるから何かしら違った形でのアプローチが可能になった様な気もしています。

ホント、楽しみが増えました。(笑)

逆転の発想

2005-10-18 22:42:29 | 岐阜駅の展覧会
10月18日
今日は、夕方6時に急遽連絡が入りJR岐阜駅のアクティブG事務局に向かいました。
       
今回話し合われた内容は、助成に関する話し合いで、パンフレットに記載する名目などの打合せでした。 このところ県議会からの意見もあって産業文化財団の解体とか、いろいろ情勢が厳しいとの内容の話が話題になっていました。

正直な話、大きな所でどの様にどのような金額が動いたか全く知らない中で、というよりは、そうした恩恵を肌身で感じたことが無いこちらサイドのから見れば、有っても無くても変わらない様な錯覚を持ってしまうが、ここは意識を強く、志を高く、必要なものは必要と声をあげんならん場面だと感じました。

芸術に関わる金額という話になると、なんだかタブーにされがちで芸術に携わるものであっても戸惑いを感じてしまうものですが、これまで携わって来た

岐阜駅での美術展の開催(3回目)
岐阜市街再開発のマスタープランへの「芸術によるまち作り」の提案。
旧岐阜駅ステーションビルでのさよならコンサート。
旧岐阜駅改札口に掲げられた坂井じゅんきちの鵜飼の陶壁画の保存活動。

などのボランティアによる啓蒙活動的な活動は、金銭に関わる部分での戸惑いを一蹴できるほどの強くたくましい志(精神)を育んでいたように思います。

また、市の予算が大幅に削減され、郵政民営化にともなうお金の流れの変化が、県の様々な事業への見直し案につながっていると思います。きっと「国が何をしてくれるかではなく、民が国に何が出来るか」と、問われる時代が来ているのだと思います。

が、逆転の発想をいえば、だからこそ、バブル不況の時代を生き抜いた芸術家が公に何をすることができたか訴えることが出来るのではないでしょうか。

どさくさまぎれに暴言のような発言をして事を成していたバブル時代の発言の仕方ではなく、事実を伴った発言が出来る今の彼等が如何に可能性にあふれているか。。気が付くべき時が来ている様に感じている。

被写体に

2005-10-15 17:01:36 | 岐阜駅の展覧会
昨日の夜から,岐阜駅の美術展の準備で徹夜。
それから、今日は朝から岐阜駅のハートフルスクエアーに展示品数と作品を展示する為の什器使用の届けでを行ってきました。
       
それで、展示場所を確認しながら会場を巡回していたら300人の写真展?みたいなタイトルの展覧会が行われていて、それを見ていたら、

何と!

花フェスタでの僕の作品が写真の被写体になっているではありませんか。

       

花フェスタの作品では、トレビの泉の様に大量の硬貨が投げ込まれ、自分の作品の話をしようとしても「お金がいっぱいだった池でしょ!」という反応ばかりで正直快く思っていませんでしたが、ここに来てやっとお金ではなくて作品として?見てくれている人が現れた様な気がして嬉しかった。

ハートフルの準備で一緒に来てくれた人も腹を抱えて笑い転げたもんな。。今にして思うとどういう意味だ??

でも、ちょっと面白かったのでその写真を見てくださいね。

また変な思い出を作ってしまいました。。。

かせんか

2005-10-08 05:59:13 | 岐阜駅の展覧会
10月7日
「9時に市役所集合」という事で時間を設定したご本人から「30分遅れる」と早朝にご連絡。一足早く8時40分到着しミスドでカフェオレ飲んで9時15分に市役所ロビーに行ったら、男の子二人もう来てるじゃん。

「流石、早めに来たのだな」と感心していたら、なんとその子達には全く連絡してなかった事が判明。どうも話を聞くと8時50分には現地に到着しそれからずっと待っていたのね。結局、ご本人が到着したのが9時45分で一時間近く待たせる結果に。

職場でも「君には任せるのは不安だ」と言われたと愚痴っていたが、そりゃ言われてもしゃーないんじゃないかと僕の内申書には書かせてもらってます。
(まぁ、彼も、少し鬱病気味なので仕方が無いのですが、この記事読むたびに振り返ってくださいな)

さて、それで全員集合してから何時ものごとく市役所一階の食堂で打合せ。

本日のお題は、

清水緑地、岐阜駅南口広場壁泉の占用許可願と展示計画書の提出。
続いて、河川課にいって前回の説明の時に「河川での展示は前例がない」との一点張りだったので今回は名古屋の堀川での展示の実例を紹介。
主な目的には、朝早くから来てくれていた男の子二人の岐阜市役所での顔つなぎ。
とくに、彼等の名古屋の堀川での実例の説明は印象深いものになると思ったんね。
これを機会に場慣れと顔つなぎをしてもらい、彼等独自に実働できるよう育成する事が主な目的でした。

公園整備課は非常に声の小さい人が担当してくださり、正直、聞きずらかったのですが、21歳の男の子に説明させるよう話をふる段取りになっていたので、ある意味ソフトタッチな感じなんでかえって緊張せずに済んだかな。
       
結果としては、若干の書類の不備があったものの展示案という事で提出。使用料免除書類等を11日に提出するという事で話がまとまりました。
また、11日の提出の際は21歳の男の子に書類を持って行ってもらう事にしました。ある意味パシリ!の扱いになりますが、書類を持ってゆくだけでも十分な緊張感! 良い経験になると思っての事。少しずつですがたくましくなってくれる事を望んでいます。

つづいて、河川課の方へのご説明。事前の打合せで公園緑地課とは異なり、かなりシビアな対応である事を25歳の男の子に伝えました。
そして彼が関わった名古屋市堀川での実例を説明してもらったのですが、それでもはじめは半信半疑。懐疑心の固まりみたいな表情でしたね。
1分ほど引率の高校の先生からどのようなホローが出るか、様子を見ていたのですがなかなか、対応に難しい顔をしていたかな。
       
僕の予測としては、堀川での実例の話を切り出しても、比較的冷たい反応が帰って来て意気消沈したところに、責任の所在の問題の話が切り出されると思っていて,実際そのような展開になり何お驚きも無かったな。
それよりは、責任の所在の問題が切り出されてからの巻き返しのタイミングが一番重要だと考えていたので、清水緑地のカスケードでの展示が清水川とつながる作品である事を口火に切って、岐阜駅から柳ヶ瀬市街に展開をはじめようとするスケールの大きさと、岐阜県の後援があることを提示して。。今日はそこまで。

というのが僕のシナリオ。

くわえて、S君をPR。万博のコンペでグランプリを取った作品を岐阜駅で展示する話をして、裾野の広い展覧会であり、動きである事を印象づけできたら、またいろいろな形で話が広がってくると思っています。

こんせぷと

2005-10-02 15:33:03 | 岐阜駅の展覧会
岐阜市役所に提出したプランです。

       
       
作品題名「水面の風景プラン」
(コンセプト)
季節は彩られます。
春は桜色、夏は若葉、秋は紅葉、冬は木葉色といったところでしょうか。
四季のある景観ではそれぞれに色があって、環境に色を添えるということは、景観を愛でる事であり、四季の自然を感じていたい人としての感性にそっと触れる事を意味しているのかもしれません。
水の中に、沈められた(鎮められた)色たちは、そんな「水面の風景プラン」なんです。

本当に川

2005-09-30 17:27:05 | 岐阜駅の展覧会
9月30日
今日は昼から岐阜市役所に清水緑地とそこに流れる清水川での作品展示の件で許可申請をうかがいに行きました。
       
公園での作品展示にはその地方の教育委員会の承認が基本的に必要なのですが、展覧会の主催となる岐阜県芸術文化会議は教育委員会との関わりも強いという事があって比較的話がスムーズに進んでいます。これを機会にそれぞれの作家が公共空間での実績作りをしてもらって、なんとか、このくらいの展示は普通だと思えるようなコモンセンスの構築につながればと密かに期待しています。

80年代後半から90年代前半にかけてこうした交渉を伴う展示を主体に行う作家は実質的に殆どいませんでした。ですから、公園などで比較的スケールの大きな表現活動をしたいと思っても、個人的に交渉を行うしか無く、独りという事になると関係部署への窓口も皆無な状態だったので門前払いの経験が殆どでした。

15年の歳月を経て仲間とともに動く事をどれだけ夢見た事か。。ある意味感動しています。

また、そんな頃と比べると大変楽に作品展示が出来る様になったのですが、それと同時に、大変だった単独での交渉経験をふまえて、その時の経験を語り、

仲間として(群れて)交渉に動く状況から一人でも多く、単独で動く事の出来る人材をどのように育成し誘える事が出来るか、

その道筋を語り、群れる事の危険性も訴えるような、そんな作家でいつづける為にはどのようにしておくべきか、

今から真剣に考えておきたい課題の様に思えています。

そんな事を思いながら、河川課の方へ作品展示について伺いにゆきました。
       
河川課は公園整備課と雰囲気が違いいろいろ対応に難しさが感じられましたね。
この時の会話で一番印象的だったのが
「昨年の鮎の池に付いては川からくみ上げた水を利用したもので、純粋な川とは言えないものです。今回のこの場所については本当の川です。少し検討してご返事したい。」というもので、つづいて「この先の河川への使用へ話がつながってゆくものですか?基本的に河川を利用する事自体前例としては無いと考えて欲しい」という言葉でしたね。
それで、僕の方からは「岐阜駅での展覧会のコンセプトには岐阜駅を起点にして柳ヶ瀬などの商店街、新しく出来る43階建ての岐阜駅ビルやそのエントランスでのイベント開催へと街へ増殖してゆく、発信してゆくことがテーマになっていますのでその一環として。。」と河川での作品展示の過去の前例として、山形県での河川での野外アート展の話をしておきました。



説明会

2005-09-24 19:37:56 | 岐阜駅の展覧会
9月24日
朝9時半に集合して岐阜駅での展覧会の展示説明会を行いました。説明会と言ってもインスタレーション等の特殊な展示形態の作家にだけ集まっていただいたものです。
      
      
特殊な展示となる作品については、その展示許可申請を関係部署から得るためにも作家自身が現場を見て具体的な構想が見えてこないと申請する事も出来ないため先行して行いました。。
また、昨年度に行った岐阜駅での展覧会の経験から、彫刻や絵画等のオーソドックスな作品の展示に付いては10月に入ってからの参加者説明会での説明で十分と判断しました。

しかし、こうして大人(社会人)が集まって公園等で自分の作品展示に夢を膨らませワイワイガヤガヤの雰囲気をそばで見ていたのですが、何とも微笑ましく子供みたいでしたね。
      
国や歴史、社会情勢がどのように異なっていても自然発生するのが芸術の特性だと思うので、構造改革とか不況とかいろいろな変化があったとしてもこうした雰囲気は絶えはしないと思います。でも、こうした雰囲気を許さないような社会情勢が訪れないよう願いたくなるのは、今のご時世の根本にある「不安」を感じての事と思うのは考え過ぎだろうか?

12年ぶり?

2005-09-24 01:49:11 | 岐阜駅の展覧会
9月23日
きょう、12年ぶり?に知人にあった。大垣の方で印刷関係の会社で、最近はメディアのコンテンツに携わっているとの事でした。
        
高校時代からの知人である彼は、あの当初から相当のがんばり屋さん。

この不況の中で印刷業会が本当に厳しい状態であると彼が語っていた事を耳にし、僕が大学時代に関わっていた学生の子でも、ご両親が印刷関係で経営が難しく資金難から大学を辞めざるを得なかった学生に立ち会った経験があるので、印刷業会で厳しいという話を聞くと他人事と思えない。

僕自身、人の心配をしていられる身分でもないけど、本当によく頑張っていた子なので何とか応援してあげたいね。

今回、高校の先生を通じガスト会議に参加してもらえたので、岐阜県芸術文化会議や名古屋の先生方との関わりの中で何かしら活路が見つかるような機会になればと思っています。

彼からも社会人としての苦労からくる格言のような思いを発言してもらえたならと、つい期待してしまいます。