世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

鳥取・福知山経由富山へ:その1

2016-10-21 16:17:28 | 旅行
富山市佐藤記念美術館で、開催中の敢木丁(カムラテン)コレクションを展覧する目的で、田舎を出発した。一気に富山までの600kmを駆け抜ける根性を持たないので、中間点の福知山で一泊である。
出品点数は95点で、今回はクメール陶磁中心の展覧会であるとのこと。その白眉はポスター中央に印刷されている、灰釉褐彩の象形壺である。じっくり見てみたいものである。
福知山に到着すると、スマホがけたたましい。つい2時間弱前に通過した鳥取中部(倉吉)で震度6弱の地震が発生したとのこと。びっくりしたが、被害状況が気になる。
さて福知山であるが、あまり見るものなさそうなので、福知山城のみ行ってみることにした。明智光秀が縄張りをしたとのことだが、完成したのは慶長年間と紹介されている。復元されているのは大天守と小天守である。






鉄筋コンクリートで復元されたようだが、それをあまり感じさせず、落ち着いた雰囲気の外観であった。









シリーズ⑤:ピマーイ国立博物館・その3

2016-10-20 08:25:59 | 博物館・タイ
<続き>

今回は館内に展示されているリンテル(まぐさ石)を中心に紹介する。仏立像が6体刻まれているリンテルで、ピマーイ遺跡とある。
次もリンテルでナコーンラチャシーマ県スゥンノーエン郡出土から出土した、アイラーバタ(白象)に載るインドラ神である。
下はムアンカーエク遺跡(ナコンラチャシーマ県スゥンノーエン郡)出土のリンテルで、ドゥルガー神とキャップションに記されている。クメール様式の10世紀とのことである。ドゥルガーは戦いの女神で10本ないしは18本の腕に、それぞれ神授の武器を持つ。シバ神の妃とされ、パールバティと同一視される。
次はキャップションによると、クメールのアンコール・ワットスタイルで、12世紀とある。5人のアバターと中央がビシュヌ神。

ピマーイ遺跡で発見された、アンコール・ワットスタイルで12世紀の製作。アイラーバタに載るインドラ神像。
同じくピマーイ遺跡で発見された、ビシュヌ神像でアンコール・ワットスタイルの12世紀の製作。
ブリラムの遺跡から出土、クメール様式の10世紀とある。刻まれているのはガジャ・ラクシュミーでラクシュミー神はビシュヌの妃。美と幸福の女神と云う。ガジャとはサンスクリットで象とのこと。リンテルをみるとなるほど女神でカーラに載っている。両脇は象でアーチを形造っている。
クメール・コーケースタイルで10世紀。ムアンカーエク遺跡(ナコンラチャシーマ県スゥンノーエン郡)出土のリンテル。刻まれているのはビシュヌ神。
クメールのアンコール・ワットスタイルの12世紀に作られたリンテルで乳海撹拌の場面とある。
今回はコラート各地から出土したリンテルを紹介したが、いずれもバラモンとヒンズーの神々が刻まれている。現代のタイ社会は上座部仏教一色であるが、中世はヒンズーと後期大乗仏教が社会に彩を加えていたことが如実に理解できる。
明日から富山、飛騨高山、新城、瀬戸、京都を回る予定である。従って当該シリーズを一時中断する。




                                 <一時中断>






シリーズ⑤:ピマーイ国立博物館・その2

2016-10-19 07:31:54 | 博物館・タイ
<続き>

今回は展示ケースに収納展示されていたクメール陶磁を紹介する。展示ケースに光が乱反射し、見辛い写真となっているが、お許し願いたい。






クメール陶と云えば黒褐釉。その黒褐釉陶が並べられている。また黒褐釉と黄釉掛け分けの人面壺も著名である。しかしながら青磁とも云うべき灰釉陶磁も豊富である。


多彩とは呼べるほどではないが、クメール陶磁の概要が掴める展示内容であった。陶片ではなく、ほぼ完品で、なかには優品も含まれている。




                                   <続く>


シリーズ⑤:ピマーイ国立博物館・その1

2016-10-18 10:02:59 | 博物館・タイ
<続き>

国立博物館は、ピマーイ遺跡から徒歩10分ほどで、その位置関係はグーグルアースを借用して、下に示しておく。
国立博物館の前面は貯水池、背面はチャッカラード川に面している。近隣遺跡の遺物が多数展示されていた。
先にも記したが、近隣の小規模遺跡や廃墟同然のような遺跡で管理できない遺物が集めれている。従ってよっぽど興味を持って、キャップションを注視しないかぎり、どれがどこの何であるか分かりにくい。
先ず目に入ったのがエントランス展示されている石造や青銅、木造漆塗りの各種像であった。其の中で木造で漆塗りの布袋像が眼に入った。辿り着けなかったワット・シーサワンにあるとされる、クメール陶片を貼り付けた布袋像と形が一緒である。この木造漆塗りの布袋像は18-19世紀と比較的新しい。
下の石像はキャップションによると、梵名ボーディ・サットヴァ [bodhisattva]つまり菩薩とある。時代はロッブリー様式で13世紀、ロッブリーの13世紀と云えばモン族の世界であるが、やはりクメールやモン族風の顔立ちである。
下はキャップションによると、バジュラダーラ(Vajradhara)・日本名執金剛(しゅこんごう)と表記されている。仏教の護法善神で、日本では金剛杵を執って仏法を守護するため、この名がある。時代はロッブリー様式で13世紀と記されている。

更にナコンラチャシーマ県ピマーイ郡KUTI RISHI出土と記されている。素人にはロッブリー様式とクメール様式の区別がつかない。下はクメール様式のバジュラダーラ(執金剛)とキャップションに記載されている。
出土地はナコンラチャシーマ県ファイタラエン郡でクメール様式・13世紀とある。クメールとロッブリーの違いが理解できない。いずれも亀有の両さんにしか見えないのだが。
ブリラム県パノムルン遺跡から出土した、10世紀ロッブリー様式のブラフマー神像である。仏教では梵天と呼ばれているが、ヒンズー教では三最高神の一神。四つの顔と四つの腕をもち、水鳥ハムサ(ハンサ)に載る。これをみるとコラートもモン(Mon)族の居住域であっとろうと思われると共に、中世のタイ東北部や中部の地は、多様な宗教と文化に覆われていたと思われる。
現在のタイは上座部仏教一色であるが、中世はもっと多彩で、物事に寛容な社会であったろうと想像している。
これも10世紀のロッブリー様式で、ブリラム県ムアンタム遺跡出土と記されている。多様な民族が混在すれば、何でもありの世の中になる証左であろう。






                                <続く>


シリーズ④:ピマーイ遺跡・その3

2016-10-17 07:47:21 | イサーン

<続き>

回廊の山門というか楼門の紹介と共に、主(中央)祠堂入口の破風と柱を前回紹介した。今回はその主祠堂についてである。下は、天井部分を示すが、本来とは異なる方法で補修されている。その直下のリンテルはマーラ軍との戦闘場面であろうか?ラーマヤナ物語の一場面と思われる。

 

何やら復元像のように見えなくもない。キャップションがなかったと記憶しており、だれか不明である。下のリンテルは踊るシバ神であるが、破風は何か物語の一場面のようである。

下のリンテルはビシュヌ神であろうか?

 

以上が主祠堂であった。以下、主祠堂南東に位置するブラマタット祠堂である。そこにはジャヤーバルマン7世像が鎮座している。

 

美男子である。コラートの駅頭で、このような骨格の人物を見ることができ、感激したものである。

 

中央が主祠堂、左がヒン・デーン祠堂、右がブラマタット祠堂で、それらを回廊の正面楼門から写した。

中央が主祠堂である。日本人の眼から見ると復元方法が今一つで、何か素人が復元したようにちぐはぐさが目についた。




                                 <続く>