彼は、友だちだった。
10年以上前から、いつも一緒にいた。
東京武蔵野のオンボロアパートに住んでいたころ、一階の庭の段ボール箱に、彼は当たり前のような顔をして住みついた。
私をまったく恐れなかった。人が好きな子だった。
朝晩出す私のご飯を彼は、長い尻尾をずっと左右に振りながら食ってくれた。
2人で、武蔵野に沈む夕日を何も言わずに、庭で見つめていたこともあった。
しあわせだった。
彼にとっては、不本意だったかもしれないが、一緒に国立市にお引っ越ししてもらった。
彼は、新しい環境に、すぐに慣れた。
私が段ボールで作ったキャットタワーを見たとき、彼は、私の顔を許しを乞うように見て、私が頷くと彼は楽しそうに駆け上がり駆け下りた。
我が家には、週末になると、娘のお友だちが毎週のようにやってきた。そのお友だちの膝の上に彼は何のためらいもなく座った。
彼は、娘のお友だちの間でアイドルになった。
今年の3月終わりごろ、彼の声が微妙に変わったのに、私は気づいた。
たまに、声が掠れて聞こえたのだ。
すぐ病院に連れていった。
レントゲンを撮ると、喉の入り口に1.5センチくらいのコブができていた。
病理検査を受けたら、悪性だった。ただ幸いにも他の臓器や骨には転移していなかった。
取り除けるものなら取り除いてください、と私は医師にお願いした。
それが後悔になった。
バカな友だちだ。
彼のことを「友だち」だ「息子」だと自分で言っていただけで、所詮俺は何の役にもたたないオロカ人間だった。
喉のコブは取り除いて、彼は美声を取り戻した。
そのあとの経過観察も悪くはなかった。
しかし、5月6日夜、彼は血を吐いた。それまで元気に見えた。食欲は少し落ちていた。体重も落ちていた。それは、急に暑くなったから、落ちたのだと思っていた。彼は、暑さに弱かった。
だが、彼はきっと私に、自分の体のことで、小さなサインを送っていたはずだ。彼の腎臓が悪いのを軽く見ていた。
オロカ人間は、それを見落としていた。本当にオロカで役立たずだ。
救急で応対してもらった。落ち着いたので、我が家に連れ帰った。
点滴の道具を買って、自宅で点滴をした。
やや衰弱しているように見えたが、目を覗くと、強く私の目を見つめ返してくれた。尻尾も振ってくれた。
弱々しかったが、「アワ」「オワン」と鳴いた。
だが、それが最期だった。
2020年5月9日、午前1時25分、彼は眠った。
家族全員に看取られて。
勝手に「縁がある」と思って連れてきた俺が浅はかだった。大バカ者だった。
セキトリ。
ごめんな。迷惑だったよな。
セキトリ、本当にごめん。
でも、俺は君と出会えて幸せだったよ。
セキトリ・・・また・・・いつかどこかで、君に会いたい。
これからも、ずっとずっとずっとずっと大好きだよ・・・セキトリ。