セキトリのいない4回目の朝。
どういうわけか、50本以上あるチャオちゅーるが、最近減らない。
水飲み場の水も減らない。
iPhoneのアルバムが増えない。
夜中に、トイレの砂を掻く音を待っているのに、聞こえない。
夜中、ヨメの部屋の小窓に座って、真っ暗な外をいつも見ていたのに、いまその場所には闇しかない。
彼の画像で作った日めくりカレンダーが、5月9日で止まっている。
一日中、膝の上が軽い。
風呂から上がって、ドアを開けても、誰も待っていない。
メシを作っているとき、足に絡まるものがない。
レーザープリンタから出てくる紙が、ちょっかいをされずに普通に出てくる。
宅配便を受け取るとき、大胆にも肩に乗っかってくる圧力がない。
さっき外で小鳥がチュンチュン言っていたが、走り回る音が聞こえない。
「お碗」と「泡」がない。
何も・・・聞こえない。何も。
日曜日の昼、自粛中だというのに、娘のお友だちが4人来た。
みんな泣いてくれた。
一人ひとりが小さなプラスチックケースを持っていた。
「パピー、セキトリの骨をください」
分けた。
彼の分身が4つできた。
愛されていたんだな、セキトリ。
昨日の昼前、極道コピーライターのススキダが香典と花を持ってやってきた。
醜い顔で泣きやがった。
バカヤロー、現実を見せつけるんじゃねえよ!
冷しゃぶうどん作ってやるから、食ったら、とっとと帰れ!
でもススキダ、ありがとうな。
これからは、セキトリがいない日常が現実なんだものな。
セキトリ、お父さんは、もう後ろは見ない。
さあ 前を向いて リスタートだ。