金曜日は、久しぶりに外に出た。
立川のLOFTに買い物に行ったのだ。ただ、そのとき愕然とした。国立駅のホームに上がる階段は、意外と長い。私は、エレベータ派ではなくエスカレータ派でもない。必ず階段を利用する。階段を上り切って息切れすることはない。
しかし、今回若干息切れを感じたのだ。息切れは、すぐに収まったが、ショックだった。長いといっても東京タワーの階段を上ったわけではない。駅の階段だ。
ランニングを自粛していたツケが今ごろ出てきたのかもしれない。
「自粛おばさん」が、「ランニングは自粛しなくていいですよ」と言ってくれたら、週に2回は走ったのに。
いつも思うことだが、なんの対策も提示しないなら、感染者数の発表は事務方がやればいいのでは。毎日フリップ芸をやりたいためにテレビに出るって、時間の無駄だよね。そんな時間があったら、しつこく専門家と協議して有効な対策を練って欲しい。
「感染拡大警報」や「不要不急の外出は控えて」などというフリップ芸は、1回見れば十分。
中央線は、空いていた。しかし、立川駅前は、そこそこ混んでいた。そこもそこも混んでいた。
LOFTは、そこそこではないくらいに、ソーシャルディスタンスを保っていた。
すぐに目的のものを買うことができた。
こんなことは改めていうことではないが、私はウィンドウショッピングというのが苦手だ。あれいいね、これいいね、あー、でも最初に見たのが一番いいね、という買い物はしない。そんな時間的余裕がない。
最初から、買うものを決めているから、迷いがない。目的のものを見つけたらすぐ買って帰る。
我がヨメは、女性の特性なのだろうが、買い物に費やす時間が長い。決定までに時間がかかる。折り畳みの日傘を買うだけで1時間以上かかる。それぞれどこが違うのだろう。違いがわからぬ。
買い物で意見を求められたときは、私は、いいねいいね、それが最強、と答えるのだが、ヨメは私の意見に従ったことは一度もない。
最終的には、店員さんの意見に従う。
期待していないから、私もその結果に落胆することはない。私の意見は、すぐに泡のように消える。
バブルおじさんですよ。
バブルおじさんは、また国立に戻った。
そして、大学通りの木のベンチに座った。手には、コンビニで買ったクリアアサヒとバターピーナッツがあった。
観賞するために買ったわけではない。飲んで食うために買ったのだ。
飲んで食った。
みなさんが働いている時間に、こんなゆるい時間を過ごすのは申し訳ないが、飲ませてください、バターピーナッツをください(あっ、連休だった。だったら気を使うことはないか)。
脱力しているとき、私の足元に小さい子猫の形をした猫がやってきた。
茶と黒と白のハチワレ君だ。生後6ヶ月程度と思われる。
首輪をしていないので、野良ちゃんだと思う。人懐っこいのは、人間に警戒心を抱いていないからだろう。
ニャニャ、と声かけたら、寄ってきた。そーっと手を伸ばしたら、怖がることなく触らせてくれた。撫でた。
おー、懐かしい感触。そのあと、いつも持ち歩いているちゃおチュールをバッグから出して口元に持っていった。
なんのためらいもなく食べてくれた。人に相当慣れていると見た。
私の住む国立は猫に優しい街だという。野良猫に餌をあげていると、他のところでは「なに、ノラにエサあげてるんだよ。これ以上ノラを増やすな」と怒る人がいる。「猫にエサをやるな」という看板もたまに見る。
しかし、国立は、その点ではフリーだ。
ここでは、野良猫ちゃんは、地域猫という形で扱われているようだ。つまり、みんなのノラちゃん。
試しに、膝の上に乗せてみた。逃げなかった。撫で撫でした。
至福の時間だ。クリアアサヒとバターピーナッツがうまかった。
セキトリか、君はセキトリか、と聞いたが、もちろん返事はない。君はこの地域では、なんと呼ばれているんだろうね。
持ち帰ろうかと一瞬思った。本当に強く激しく思った。でも、この子はこの地域の子だ。色々な人に愛されるのが、一番幸せなんだと思い直した。
5分ほどで猫は降りて、優雅にのそりのそりと花壇に入っていった。
ノラ君、また会おうな。
今度は、マグロ味ではなくて、帆立の貝柱味を持ってくるから。
ノラ君との再会を待ちわびながら、満足してバターピーナッツを食い終わり、クリアアサヒを飲み終わった。
食い終わって、立ち上がったとき、肩に何かが乗ってきた。
「つるとんたん」じゃん。
私が勝手に名付けたつるとんたんは、ハクセキレイだ。私がマンションの駐輪場に降りると5割以上の確率で、私のそばに降り立つのだ。そして、テケテケテケと歩きまわり、ときにツピーツピーと鳴いた。
最初は偶然かと思ったが、今では、この子は私を認識しているんだな、と思うようになった。
肩に乗せたままマンションまでの300メートルを歩いていった。
つるとんたんは逃げずに肩に乗ったままだった。
側から見たら、肩に鳥を乗せた変なオッサンだ。恥ずかしいオッサンだ。だが、私は生まれたときから恥ずかしい子どもだったので、大人になっても恥ずかしいのは当たりまえだ。どこが悪い!
マンションの入り口まで来て、じゃあ、つるとんたん、またな、と羽根をなでながら言ったら、つるとんたんは、スーッと飛んでいった。
私は、いま夢のようなことを考えている。
たとえば、つるとんたんを肩に乗せて自転車でスーパーに買い物にいく。そして、つるとんたんをスーパー前の適当な場所に止まらせて、買い物後に、また肩に乗せて帰るという夢だ。
そんなことは、絶対にできない、野生の鳥はそこまで人に慣れない、というのが、常識的な意見だと思う。
それは、メルヘンだな、という意見もあるだろう。
だけど、そんなメルヘンも、あっていいよね。