人間、長く生きていると色々なことが起こる。
コロナもそうだが、鼻血もそうだ。
ところで、すぐに話は脱線するのだが、私の使っているコンピューターは、「はなじ」と打っても「鼻血」と変換される。絶対に「はなぢ」ですよね。間違った日本語をばらまいては、いけないのではないですか。
話はすぐに戻って、5月4日の深夜、午前2時に鼻血が出始め、午前5時まで血が止まらなかったのです。
25年ぶりの大量鼻血だった。
25年前は、通勤する寸前の鼻血だった。それなので、救急病院まで鼻に脱脂綿を詰めながら、自転車で駆けつけ、運良く耳鼻咽喉科の医師がおられたので、止血をしていただいた。
本当に運がよかった。
しかし、今回は、真夜中だ。私の最初の思惑では、15分程度で止まるはずだった。
私のヨメは、鼻の粘膜が弱いらしく、年に2回程度、結構な量の鼻血を出した。そのこともあって、私は鼻血の止め方を理解していた。
鼻に詰め物をして、出血している鼻の小鼻を強く10分程度押さえ、少し下を向く。そのあと、タオルを水で浸し、レンジでチンをして、温かいタオルで、鼻を押さえる。
これで止まるのだ。自信を持っていた。
しかし、同じことをしても今回は、止まらなかった。ダラダラダーラダライラマと3時間ですよ。不安になりませんか。
2時間血が止まらなかったとき、タクシー呼んで救急病院に行こうと思った。それが、最善の選択だと思った。
もう自分では止められないのではないか。「どうにもとまらない」(古い。若い人は知らないですよね)。
行こうと思って、着替え、鼻に脱脂綿を詰めたままタクシーを呼ぼうとiPhoneを手に取ったとき、私の頭にガッキーの声が響いた。
「今は、院内感染が怖いですよ。救急病院ならなおさらです」
天使の声だった。
確かにそうだ。私が行こうとしている多摩総合医療センターは、院内感染があったと聞いた。ここは我慢して踏み堪えるべきだ。
もともと貧血の持病がある私は、大量出血は怖いが、HANADIというのは、たくさん出ているとしても、見た目で感じるほどの量ではないと聞く。
それに私には医師から処方された鉄剤のストックがまだ結構残っていた。だいじょうぶだあ。私はひたすら小鼻を押え続け、鼻を温め続けた。
ガッキー、ありがとさーん。
そんなとき、明け方の4時半ごろ、私の脳のどこかに、「ウンコがしてえな」という命令が突如舞い下りてきた。
こんなときに、ウンコ? 鼻から血、ケツからウンコ? (下品で申し訳ない)。
我慢しろよ。 Patientだ。
でも、恥知らずな私は、トイレを即座に選んだ。脱脂綿を何枚か握りしめ、トイレに駆け込んだのだ。
用を足したあと、私は自分の体に異変を感じた。
鼻血は、依然出てはいたが、脱脂綿の重みをあまり感じなくなった。つまり、血が出ている実感が薄くなったのだ。
このあと私は私らしい行動をした。アマノジャクの私は、酒を飲もうと思った。そして、実際に飲んだ。カティサークのストレートを50ccほどだ。
真面目な医師からしたら、「おまえ、何やっているんだ! 血流が良くなって、止まらなくなるぞ」とお怒りになると思う。
お怒りは、ごもっともですが朝の5時に、ハナヂは無事止まりました。
日の出とともに、鼻血が止まる。私は、なんて持っている男なのだろうと思った。
私の名は。私の名は、漢字で「暁」と書いた。朝5時前に、生まれたから、私の祖母が、「暁」と名付けたのだ。
何という偶然だろう(関係ないか)。
そんなふうに、長い鼻血に苦しめられた日の午前9時14分、いたずら電話が私のiPhoneあてにあった。
「今日、お宅にお邪魔してもよろしいでしょうか。御報告がありますので」
相手は、我が娘の本気の彼氏・アキツ君だった。
ご報告? 別れるってことか。それなら、報告はいらない。あっぱれと褒めようじゃないか。
「いえ、そのつもりは、ありませんので」
つまらない男だな。こういうときは、すみません、私は人間のクズなので、午前クズにお別れしました、くらいのことは言うものだよ。
「今日は、お忙しいですか」
私のお茶目な言葉は、完全に無視ですか。大量に出た私の鼻血に染まった脱脂綿を売りつけてやろうか。110円で。
しかしね、今のご時世、自粛が肝心だよ。自宅で会うのは、まずいだろうね。お互い面と向かって会うのは、良くない。諦めましょう。
「では、どうすれば?」
いま話せばいいのではないかな。どんな話題でも今だったら、電話で許されると思うよ。
私がそう言うと、アキツ君は、受話器越しに一度大きく息を吸った。
そして、淀みなく話し始めた。
昨年の11月、東京ラーメンショーで、アキツ君から、会社からベトナム赴任を言い渡されたと告げられた。大手家電メーカーの一員であるアキツ君には、断る選択肢がなかったので、その命令を受けた。
今年の6月1日が、正式な赴任日だった。
アキツ君は、その日のために汗汗して、ベトナム語を覚えた。
しかし、その海外赴任が中止されたのだという。「延期」ではなく「中止」だった。
もちろん、新型コロナウィルスの影響だった。
「悔しいですよ、お父さん」
オレ、君のお父さんではないんだよね。
それは、大切な社員を一人でも失わせるわけにはいかない、という会社側の判断だった。
「僕は、どう気持ちを整理したらいいんでしょうか、お父さん」
オレ、お父さんじゃないんだよ。
ようするに、モチベーションが下がったということかな。でもね、人には必ず分岐点というものがある。
まっすぐ行くか、右に行くか左に行くか。今回の中止は、右か左の分岐点だと思うんだが、君には、まっすぐが、まだ残っているじゃないか。
まっすぐ行く道が残っているのなら、まだ恵まれているよね。まっすぐは、自分で切り開ける道だ。
俺にとって、君のまっすぐな道は興味がないが、私の愛する娘をもし巻き込むのなら、俺はどの道でも気にしない。
俺はいま俺の娘のために、君を叱る。
こんなことでモチベーションを下げるなよ。
ただ、今朝、私に電話してくれたことについては感謝する。
知らないよりは、知ったほうがいいからね。
私の言葉に、アキツ君は、「ありがたいです、ありがたいです、ありがとうございます」と興奮した声で、電話を切った。
この時間帯に、アキツ君が電話をしてくることがわかっていた娘が、我々の会話を聞いていた。
「おまえ、今の言葉、完全に自分の言葉に酔っていたな。全然、似合わなかったぞ」とケツにパンチをしてきた。
目が潤んでいた。
まあ、夜中に3時間も鼻血を放出したら、性格が変わりますよ。