リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

リスタートのブログ

2020-05-13 05:32:02 | オヤジの日記

セキトリのいない4回目の朝。

 

どういうわけか、50本以上あるチャオちゅーるが、最近減らない。

水飲み場の水も減らない。

iPhoneのアルバムが増えない。

 

夜中に、トイレの砂を掻く音を待っているのに、聞こえない。

夜中、ヨメの部屋の小窓に座って、真っ暗な外をいつも見ていたのに、いまその場所には闇しかない。

 

彼の画像で作った日めくりカレンダーが、5月9日で止まっている。

一日中、膝の上が軽い。

 

風呂から上がって、ドアを開けても、誰も待っていない。

メシを作っているとき、足に絡まるものがない。

 

レーザープリンタから出てくる紙が、ちょっかいをされずに普通に出てくる。

宅配便を受け取るとき、大胆にも肩に乗っかってくる圧力がない。

 

さっき外で小鳥がチュンチュン言っていたが、走り回る音が聞こえない。

「お碗」と「泡」がない。

 

何も・・・聞こえない。何も。

 

 

日曜日の昼、自粛中だというのに、娘のお友だちが4人来た。

みんな泣いてくれた。

一人ひとりが小さなプラスチックケースを持っていた。

 

「パピー、セキトリの骨をください」

分けた。

彼の分身が4つできた。

 

愛されていたんだな、セキトリ。

 

 

昨日の昼前、極道コピーライターのススキダが香典と花を持ってやってきた。

醜い顔で泣きやがった。

 

バカヤロー、現実を見せつけるんじゃねえよ!

冷しゃぶうどん作ってやるから、食ったら、とっとと帰れ!

 

でもススキダ、ありがとうな。

 

 

これからは、セキトリがいない日常が現実なんだものな。

セキトリ、お父さんは、もう後ろは見ない。

さあ 前を向いて リスタートだ。

 

 


さよなら・・・・・だいすきだよ

2020-05-10 05:17:01 | オヤジの日記

彼は、友だちだった。

 

10年以上前から、いつも一緒にいた。

 

東京武蔵野のオンボロアパートに住んでいたころ、一階の庭の段ボール箱に、彼は当たり前のような顔をして住みついた。

私をまったく恐れなかった。人が好きな子だった。

朝晩出す私のご飯を彼は、長い尻尾をずっと左右に振りながら食ってくれた。

 

2人で、武蔵野に沈む夕日を何も言わずに、庭で見つめていたこともあった。

しあわせだった。

彼にとっては、不本意だったかもしれないが、一緒に国立市にお引っ越ししてもらった。

彼は、新しい環境に、すぐに慣れた。

 

私が段ボールで作ったキャットタワーを見たとき、彼は、私の顔を許しを乞うように見て、私が頷くと彼は楽しそうに駆け上がり駆け下りた。

我が家には、週末になると、娘のお友だちが毎週のようにやってきた。そのお友だちの膝の上に彼は何のためらいもなく座った。

彼は、娘のお友だちの間でアイドルになった。

 

今年の3月終わりごろ、彼の声が微妙に変わったのに、私は気づいた。

たまに、声が掠れて聞こえたのだ。

すぐ病院に連れていった。

レントゲンを撮ると、喉の入り口に1.5センチくらいのコブができていた。

病理検査を受けたら、悪性だった。ただ幸いにも他の臓器や骨には転移していなかった。

取り除けるものなら取り除いてください、と私は医師にお願いした。

 

それが後悔になった。

バカな友だちだ。

彼のことを「友だち」だ「息子」だと自分で言っていただけで、所詮俺は何の役にもたたないオロカ人間だった。

喉のコブは取り除いて、彼は美声を取り戻した。

そのあとの経過観察も悪くはなかった。

 

しかし、5月6日夜、彼は血を吐いた。それまで元気に見えた。食欲は少し落ちていた。体重も落ちていた。それは、急に暑くなったから、落ちたのだと思っていた。彼は、暑さに弱かった。

だが、彼はきっと私に、自分の体のことで、小さなサインを送っていたはずだ。彼の腎臓が悪いのを軽く見ていた。

オロカ人間は、それを見落としていた。本当にオロカで役立たずだ。

 

救急で応対してもらった。落ち着いたので、我が家に連れ帰った。

点滴の道具を買って、自宅で点滴をした。

やや衰弱しているように見えたが、目を覗くと、強く私の目を見つめ返してくれた。尻尾も振ってくれた。

弱々しかったが、「アワ」「オワン」と鳴いた。

 

だが、それが最期だった。

2020年5月9日、午前1時25分、彼は眠った。

家族全員に看取られて。

 

勝手に「縁がある」と思って連れてきた俺が浅はかだった。大バカ者だった。

 

セキトリ。

ごめんな。迷惑だったよな。

 

セキトリ、本当にごめん。

 

でも、俺は君と出会えて幸せだったよ。

 

 

セキトリ・・・また・・・いつかどこかで、君に会いたい。

これからも、ずっとずっとずっとずっと大好きだよ・・・セキトリ。

 

 


暁のハナヂ

2020-05-06 06:03:04 | オヤジの日記

人間、長く生きていると色々なことが起こる。

 

コロナもそうだが、鼻血もそうだ。

ところで、すぐに話は脱線するのだが、私の使っているコンピューターは、「はなじ」と打っても「鼻血」と変換される。絶対に「はなぢ」ですよね。間違った日本語をばらまいては、いけないのではないですか。

 

話はすぐに戻って、5月4日の深夜、午前2時に鼻血が出始め、午前5時まで血が止まらなかったのです。

25年ぶりの大量鼻血だった。

25年前は、通勤する寸前の鼻血だった。それなので、救急病院まで鼻に脱脂綿を詰めながら、自転車で駆けつけ、運良く耳鼻咽喉科の医師がおられたので、止血をしていただいた。

本当に運がよかった。

しかし、今回は、真夜中だ。私の最初の思惑では、15分程度で止まるはずだった。

私のヨメは、鼻の粘膜が弱いらしく、年に2回程度、結構な量の鼻血を出した。そのこともあって、私は鼻血の止め方を理解していた。

鼻に詰め物をして、出血している鼻の小鼻を強く10分程度押さえ、少し下を向く。そのあと、タオルを水で浸し、レンジでチンをして、温かいタオルで、鼻を押さえる。

これで止まるのだ。自信を持っていた。

しかし、同じことをしても今回は、止まらなかった。ダラダラダーラダライラマと3時間ですよ。不安になりませんか。

 

2時間血が止まらなかったとき、タクシー呼んで救急病院に行こうと思った。それが、最善の選択だと思った。

もう自分では止められないのではないか。「どうにもとまらない」(古い。若い人は知らないですよね)。

行こうと思って、着替え、鼻に脱脂綿を詰めたままタクシーを呼ぼうとiPhoneを手に取ったとき、私の頭にガッキーの声が響いた。

「今は、院内感染が怖いですよ。救急病院ならなおさらです」

天使の声だった。

確かにそうだ。私が行こうとしている多摩総合医療センターは、院内感染があったと聞いた。ここは我慢して踏み堪えるべきだ。

もともと貧血の持病がある私は、大量出血は怖いが、HANADIというのは、たくさん出ているとしても、見た目で感じるほどの量ではないと聞く。

それに私には医師から処方された鉄剤のストックがまだ結構残っていた。だいじょうぶだあ。私はひたすら小鼻を押え続け、鼻を温め続けた。

ガッキー、ありがとさーん。

 

そんなとき、明け方の4時半ごろ、私の脳のどこかに、「ウンコがしてえな」という命令が突如舞い下りてきた。

こんなときに、ウンコ? 鼻から血、ケツからウンコ? (下品で申し訳ない)。

我慢しろよ。 Patientだ。

でも、恥知らずな私は、トイレを即座に選んだ。脱脂綿を何枚か握りしめ、トイレに駆け込んだのだ。

用を足したあと、私は自分の体に異変を感じた。

鼻血は、依然出てはいたが、脱脂綿の重みをあまり感じなくなった。つまり、血が出ている実感が薄くなったのだ。

このあと私は私らしい行動をした。アマノジャクの私は、酒を飲もうと思った。そして、実際に飲んだ。カティサークのストレートを50ccほどだ。

真面目な医師からしたら、「おまえ、何やっているんだ! 血流が良くなって、止まらなくなるぞ」とお怒りになると思う。

お怒りは、ごもっともですが朝の5時に、ハナヂは無事止まりました。

日の出とともに、鼻血が止まる。私は、なんて持っている男なのだろうと思った。

私の名は。私の名は、漢字で「暁」と書いた。朝5時前に、生まれたから、私の祖母が、「暁」と名付けたのだ。

何という偶然だろう(関係ないか)。

 

そんなふうに、長い鼻血に苦しめられた日の午前9時14分、いたずら電話が私のiPhoneあてにあった。

「今日、お宅にお邪魔してもよろしいでしょうか。御報告がありますので」

相手は、我が娘の本気の彼氏・アキツ君だった。

ご報告? 別れるってことか。それなら、報告はいらない。あっぱれと褒めようじゃないか。

「いえ、そのつもりは、ありませんので」

つまらない男だな。こういうときは、すみません、私は人間のクズなので、午前クズにお別れしました、くらいのことは言うものだよ。

「今日は、お忙しいですか」

私のお茶目な言葉は、完全に無視ですか。大量に出た私の鼻血に染まった脱脂綿を売りつけてやろうか。110円で。

 

しかしね、今のご時世、自粛が肝心だよ。自宅で会うのは、まずいだろうね。お互い面と向かって会うのは、良くない。諦めましょう。

「では、どうすれば?」

いま話せばいいのではないかな。どんな話題でも今だったら、電話で許されると思うよ。

私がそう言うと、アキツ君は、受話器越しに一度大きく息を吸った。

そして、淀みなく話し始めた。

昨年の11月、東京ラーメンショーで、アキツ君から、会社からベトナム赴任を言い渡されたと告げられた。大手家電メーカーの一員であるアキツ君には、断る選択肢がなかったので、その命令を受けた。

今年の6月1日が、正式な赴任日だった。

アキツ君は、その日のために汗汗して、ベトナム語を覚えた。

しかし、その海外赴任が中止されたのだという。「延期」ではなく「中止」だった。

もちろん、新型コロナウィルスの影響だった。

「悔しいですよ、お父さん」

オレ、君のお父さんではないんだよね。

それは、大切な社員を一人でも失わせるわけにはいかない、という会社側の判断だった。

 

「僕は、どう気持ちを整理したらいいんでしょうか、お父さん」

オレ、お父さんじゃないんだよ。

ようするに、モチベーションが下がったということかな。でもね、人には必ず分岐点というものがある。

まっすぐ行くか、右に行くか左に行くか。今回の中止は、右か左の分岐点だと思うんだが、君には、まっすぐが、まだ残っているじゃないか。

まっすぐ行く道が残っているのなら、まだ恵まれているよね。まっすぐは、自分で切り開ける道だ。

俺にとって、君のまっすぐな道は興味がないが、私の愛する娘をもし巻き込むのなら、俺はどの道でも気にしない。

俺はいま俺の娘のために、君を叱る。

 

こんなことでモチベーションを下げるなよ。

 

ただ、今朝、私に電話してくれたことについては感謝する。

知らないよりは、知ったほうがいいからね。

 

私の言葉に、アキツ君は、「ありがたいです、ありがたいです、ありがとうございます」と興奮した声で、電話を切った。

この時間帯に、アキツ君が電話をしてくることがわかっていた娘が、我々の会話を聞いていた。

「おまえ、今の言葉、完全に自分の言葉に酔っていたな。全然、似合わなかったぞ」とケツにパンチをしてきた。

目が潤んでいた。

 

 

まあ、夜中に3時間も鼻血を放出したら、性格が変わりますよ。

 

 

 


半分人間

2020-05-03 05:22:00 | オヤジの日記

よく考えてみたら、もう1ヶ月半くらい交通機関に乗っていない気がする。

ジェイアール、私鉄、バス、飛行機、モノレール、お猿の電車、UFO。

 

こんなに乗り物に乗らなかったのは、明治時代、東京市牛込で人力車に乗ろうと思って、乗車拒否されてから拗ねて人力車に乗らなくなって以来だ。

 

情報によると、交通機関は動いているらしい。

でも、ステイ アット ホームは守らないといかんのさ。

乗りはしないが、昨日、中央線国立駅前までは行ってきた。

カーサーン、いや、閑散としていた。

もちろん、改札の出入りは、あった。

その中で、私は気づいたのだ。でっかいキャリーバッグを引きずる中年の男性や若い女性が多かったことだ。

10分ほど立って見ていたが、40、50代のオッサン、20と言わないと怒られそうなネエチャン2人だった。

合計4人。たった10分なのに。

 

この時期に、どこに行くの?

 

帰省? 沖縄観光? 病院に、アビガンを売り込もうとしている? あるいは、検査キットだとか。

まあ、言えない事情は色々ございますでしょうから、詮索は、この程度で。

 

みなさん、息抜きは必要です。

息を抜かないと息を吸えませんから。

出てきたついでに、国立駅周辺を歩いてみた。

居酒屋さんやカフェさんは自粛中が多かった、ファミリーレストランも休業中が目立った。

飲食店は、時間短縮営業のところが多く、テイクアウトに力を入れておられた。そして、短縮営業のお店は、室内のほとんどがカウンターだった。

中は空間を開けて換気をよくして工夫されていますねえ。

 

あとは、ウーバーイーツを運ぶ自転車が目に見えて増えたことだ。冬は、数えるほどしか見かけなかったから、会社側としては自粛生活の恩恵ですかね。

私は、自転車漕ぐ力は強いが、極端な方向音痴だから、お客様を有り得ないくらいお待たせしてしまうと思う。

無理ですわ。

ウバ・ライダーにはなれないと思う。

 

ところで、偉そうに言うが、この大事なときこそ、人間の本質が出る。

人間の本質を点数で表すと平均点は60点くらいだろうか。私は50弱という自己評価。

百点満点の人はいないと思う。歴代の偉人であっても、嫌いな人はいるだろうし苦手だな、と思う人はいるはずだ。空気が読めないという人は、たくさんいたはずだ。

百点はいない。

わたしは嫌いな人は多いし、苦手な橋下徹氏も多い。目の前に橋下徹氏が、3人いたら、私は、嫌いな麻生太郎氏をリムジンごと投げ出すだろう。

私の狭量な性格が、如実に窺えるではないか。

しかし、その50点以下の半分人間でも、60点以上の方たちの邪魔はしない。

自粛しているのに、「自粛しろ、もっと自粛しろ」とか、なんの権限もないのに威圧的に「違法だ。すぐやめろ」などという「がきデカ」にはならない。そして、違法な場所で、違法な行為をして、平然としている「半がき」にもならない。

 

そういう人は、きっと私より点数の低い、人間の本質をドロドロに溶かした人だと私は思っている。。

 

日本人は、いつからこんなに我慢できない国民になってしまったのだろう。

 

半分人間 負けませんよ!

 


ウンコで終わった

2020-05-01 11:17:00 | オヤジの日記

世界中がコロナ戦争に負けている。

 

おそらく「買った勝った」と騒いでいるのは、中国と韓国だろうが、中国はばらまいた側だから、病気に関してのデータベースは多いので、アドバンテージは高い。買って勝って当たり前。

韓国に関しては、どうなんでしょうかね。第1波はやり過ごしたとしても、第2波が来たらどうなることでしょうか。

 

日本は負けているけど、最低限踏みとどまっているというところでしょうか。

ただ、検査の実数があまりにも少なくて、その数は、発展途上国以下という情報もある。

 

・・・などとキーボードをカチャカチャしていたら、この真面目さは、自分のブログらしくないな、と気づいた。

そのとき、ピンポーン。

小さいモニター画面を見たら、Sagawaさんぽい人が映っていた。

ヘーイ!

でっけえマスクだな。

私より29パーセントでかいマスクをつけたヨシダさんが、「こ、こ、ここにハンコを」と言って及び腰で、箱を玄関前に置いた。

ありがとうございまする。

 

箱をジェルで消毒したあと、我が家に持ち込んで開けたら、杉並の建設会社の顔デカ社長からの貢物だった。

中には、高級焼酎の森伊蔵0.9リットルとミックスナッツの詰め合わせ5袋とでっけえチータラ1袋が入っていた。

お中元には、早すぎるぞよ。

その理由は、すぐに分かった。顔デカ社長から、LINEがあったからだ。

「先生、WEB飲み会ってのをしねえか」

あのー、社長、お言葉ですが、社長はパソコンを使えないですよね。パソコンがないとWEB飲み会はできないんですけど。

「LINEでできないのかい?」

できますけど・・・と手続きを教えたが理解できなかった。昭和42年生まれって、そんなに機械に疎いの? 俺の方が10歳上なんですけど。

「じゃあ、電話でやろうぜ。電話飲み会なら簡単だろ」

 

わかりやした。

チータラ食いながら、森伊蔵をラッパ飲み。楽しいな。

そして、顔デカ社長が言う。

「アベはダメだな。もう俺は見限ったよ」

おやおや、自民党支持で、ずっとアベシンパだった社長が、どうしたんですか。

「何もかもが遅いだろ。リーダーってのは、わずかの遅れが命取りになるんだよ。俺の会社は、呆れるくらい小せえが、俺の判断が遅かったら、いつつぶれてもおかしくねえ。そんなチンケな会社が、危機を感じて3月初めから、完全休業だよ。従業員と従業員の家族を数えたら、合わせて50だからな。それって、重い数だよな。でも俺はみんなを守るために、休業を決めたんだ。給料は4割カットで悪いけどな。それが精一杯なんだ。アベには、何ヶ月経っても、それができねえんだよな。中小企業の社長と国のトップでは、全然違うのはわかるんだが、決断力は一緒だよな」

それはですね、社長。そんなことがわからない人生を、安倍晋三氏が歩いてきたからですよ。

こんなときでも、彼は国民から40パーセントの支持率をいただいているんです。反省はしませんよね。おそらく、だってオレ、全治全能だからって思っていますもん。

 

アベ先生とアソウ先生は、時間稼ぎの天才です。

国民に金を出さないことしか考えていないんじゃないでしょうか。

補正予算案が国会を通っても、私はいまだに信じていないんですよね。何かしらの理由をつけて反故にする可能性もありますからね。

これだけの窮状でも、いま誰の手元にも金が回っていないって、政治の力が機能していないってことですよね。

そんなことを言っていたら、また思い出した。

俺に、真面目な話は似合わないんじゃねえの。話変えなくちゃ。

 

社長の唯一の息抜きの場、フィリピンパブも休業中ですよね。

「そうなんだよ。オッパイ、ボヨーンのアンナちゃんと会えねってのはつらいわな。」

社長、それ、おそらくセクハラですよ。

「いや、俺は一度も触ってねえからさ。セクハラじゃないんじゃねえか」

正直に答えなさい。触ろうとしたことはあるでしょうが。

「あるさ、だけど、俺は我慢しているんだ。偉いだろ」

偉くねえよ。

 

ところで、10年以上別居中の奥さんとは、その後、どうなりました?

そう聞いたら、顔デカ社長は、デヘヘヘとゆるんだ笑い声を数秒間発したあと、「あのな、復縁したわけではないが、昨年は週に1回土曜日だけ、30歳の息子と泊まりに来てたんだよな。今は、週に2回だ。息子にも孫ができてよう。50過ぎて楽しみが増えたよ。こんなご時世だから、出歩けねえんだけど、女房と息子、孫の顔を見ているだけで、俺の人生、満更じゃねえなって思っているよ」

最後は、涙声だった。

 

で・・・社長、復縁は。

「誰か、キューピッドがいねえと絶対できねえよ。先生、キューピッドになってくれるかい」

 

イヤだね。

 

なんで俺が50過ぎた別居夫婦の仲をとりもたなきゃいけないのさ。

キューピッドは矢を持っていたよね。

俺、矢とゴーヤは嫌いなんだよね。

そう言っているうちに、チータラがなくなった。森伊蔵も6割型減った。

気がついたら、1時間以上経っていた。

 

「あ、先生、オレ、ウンコが漏れそうだ。切るぜ」

 

結局、ウンコで終わってしまった電話会議だった。