杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

名杜氏逝く

2009-07-17 22:51:29 | 吟醸王国しずおか

 とても残念なお知らせです。

 『開運』の名杜氏・波瀬正吉さんが15日、お亡くなりになりました。

 

 一昨日・昨日と、このブログでも波瀬さんを紹介したページのアクセス件数が急に増えたので、何かあったのかなと思っていましたが、まさか亡くなられたとは…。波瀬家のみなさま、土井酒造場のみなさま、そして全国の『開運』『波瀬正吉』ファンのみなさまに、心よりお悔やみ申し上げます。

 

 

Dsc_0010  波瀬さんに最後にお会いしたのは、ちょうど1年前の2008年8月20~21日でした。

 過去ブログでも紹介したとおり、『吟醸王国しずおか』で能登杜氏組合夏期講習会で講師を務める波瀬さん(右写真)を撮影し、夜は能登町のお宅へうかがって、講習会に参加した土井酒造場の若い蔵人衆と波瀬さんが呑み切りをする様子や、50年あまりの杜氏人生を振り返るインタビューを収録しました。

 翌日は、奥さまの農作業の様子を撮影し、波瀬さんの若かりし頃の写真などをお借りしました。朝、講習会に向かう波瀬さんを、ご自宅の前で見送ったのが、直接目にした最後のお姿でした。

 

 08年冬~09年春にかけ、波瀬さんの酒造りの様子を撮影すべく、土井酒造場に再三お願いをしたのですが、そのつど波瀬さんが足腰をいためた、入院した、リハビリ中だとの理由でNG。春、蔵の門の前の見事な桜を撮りたいとお願いしたときは、前夜になって急にNG。連絡がつかなかったカメラマンの成岡さんが、早朝、蔵へ向かってしまったというトラブルもありました。…蔵元に快く撮影を受け入れてもらわねば、いい映像は撮れませんから、こちらも無理強いはせず、波瀬さんのお元気な姿が撮れるようになるまで、気長に待とうと思っていました。

 

Dsc_0030

 08年夏にお会いした時の波瀬さんは、確かに足腰が弱っている印象でしたが、パイロット版09バージョンでも紹介したとおり、矍鑠としたお姿で、「おいそれとはやめられん、酒造り人生だから」という名言を聞かせてくださいました。

 呑み切りで試飲するときに、一瞬見せた厳しい表情は、東大寺戒檀院の四天王像―中でも私が一番好きな広目天のお顔によく似ていて、帰宅してからスケッチ画にして、雑誌『sizo;ka』で紹介したほど。体調は万全でなくても、秋からは『開運』の現場で守護神のごとく蔵人衆を見守り、指Imgp1197揮されるんだろうなと期待していました。

 

 

 

 まだ病名や死因など詳しいことはわかりませんし、知ったところで、どうしようもありません。今は、また一人、吟醸王国しずおかを築いた偉大な功労者が逝ってしまったことが、ただただ悔しくて寂しくて仕方ありません。

 

…蔵での波瀬さんは撮れなかったけど、故郷での貴重なお姿を記録できたことには、わずかばかりの安堵感を覚えます。無謀な計画だったけど、この時期に映画を撮ろうと思ったことが、少しは意味があったんじゃないかと…。

 『sizo;ka』の拙文の一部を再掲し、お悔やみの言葉に代えさせていただきます。

 

 

 波瀬さんのお宅と畑は、日本海に面した小さな漁村にある。

 漁師の父を継いで、若い頃はイカ漁に出ていた波瀬さんは、先細りする漁業に見切りをつけ、冬場は酒蔵へ出稼ぎ、夏場はこの地区の農地活性化事業で導入されたタバコ栽培に活路を得た。最初の出稼ぎ先は、静岡県御殿場市にあった「富士自慢」の酒蔵だった(現在は廃業)。

Photo  妻の豊子さんに「富士自慢」で酒造り修業を始めた当時の波瀬さんの写真(一番左はし)を見せていただいたとき、富士山をバックに、凛とした表情で立つその姿に、思わず「カッコいい!」。ああ、この人は、富士山を見ながら杜氏の道を歩き出し、今は静岡を代表する銘醸の看板杜氏を務める、静岡にとって得難い職人なんだ…と実感した。

 どんよりと曇り空に覆われる能登半島先端の小さな漁村。昼間は道行く若者の姿をほとんど見かけない。

 「家にカギなんかかけたことはないんだ」と笑う豊子さん。

 隣近所の高齢者同士が肩寄せ合って暮らすこのまちで生まれた、一人の不世出の杜氏が、モノや情報に満ち溢れたわが静岡県の酒造技術を日本屈指のものへと高めた。

 我ら地酒ファンだけでも、そのことを深く深く受け止めたい。

●雑誌sizo;ka 9号(08年秋号) 「真弓のスケッチブック~酒蔵を巡るしぞーかスケッチ旅行」より抜粋