杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

名酒造家逝く

2009-07-20 19:35:34 | 吟醸王国しずおか

 『開運』の杜氏波瀬正吉さんの訃報に続き、今日は『初亀』の蔵元・橋本守Dsc_0032 会長の訃報が届きました。

 守さんは長い間、療養生活を送られ、酒蔵の切り盛りは長男の謹嗣社長に任せておられました。昨年は杜氏が交替するなど、初亀醸造にとっては大きな転換期でしたが、若い蔵人が結束し、順調な再スタートを切られたところ。守さんも、ある意味、後顧の憂いなく、旅立たれたことと思います。

 

 この春、『吟醸王国しずおか』で初亀の酒造りを撮影していたときに、謹嗣さんから印象的な言葉を聞きました。

 「親父が(前杜氏の)滝上秀三を、その前の新潟杜氏から交替して迎えたのが56歳のときでした。自分もちょうど56歳で新しい杜氏を迎えることになった。不思議な巡り合わせですよ」。

 

 4代目当主の守さんは、岡部町長を務めた3代目富蔵氏を補佐し、酒質の向上にひたすら努めて、昭和42年には東京農大の山田正一教授、越後の名杜氏松井万穂氏と力を合わせて鑑評会三冠王(静岡県、名古屋国税局、全国新酒鑑評会でオール首位賞)を獲得し、初亀を金賞常連蔵に育て上げました。

 

 昭和40~50年当時、地方の酒蔵は税務署の指導で「小規模蔵は合併して生産量を上げろ」といわれ、「灘ものより安い酒を造らねば売れないぞ」とプレッシャーを掛けられていた。守さんも謹嗣さんも、つねに灘酒を基準にされ、地酒が二流三流扱いされることに矛盾を感じ、地酒の存在価値を訴求しようと、あえて、1升瓶で1万円という酒を東京の百貨店で売り出した。地方の無名蔵の無謀な賭けだったかもしれませんが、今、その酒―純米大吟醸3年古酒「亀」は、全国の愛飲家垂涎の銘酒に数えられています。

 

 酒蔵巡り歴20年ほどの私にとって、初亀では5代目謹嗣さんとのつきあいのほうが主で、守さんは、蔵にお邪魔するといつもニコニコ柔和な笑顔で迎えてくれる好々爺という印象でしたが、折にふれて初亀の歩みをうかがうとき、時折、周囲の圧力を跳ね返すような反骨精神を見せる謹嗣さんの思考は、父親譲りなんだろうなぁと感じていました。

 

 

 最近増えてきた、蔵元が杜氏を兼ねる自醸蔵は、経営者の裁量で思い切った酒造りができると思います。旧来型の蔵元(経営者)が杜氏(製造責任者)を雇用する蔵では、社内コミュニケーションがとても重要で、自醸蔵にはない気苦労や気遣いもあるでしょう。

 初亀のように、腕の良い杜氏を長年雇用できる酒蔵というのは、蔵元に人徳があってこそ。

 

 自分が迎えた滝上杜氏が昨年引退し、新しい杜氏の門出を見届け、旅立たれた守さん。蔵の人々や、我々地酒ファンに、『初亀』『亀』というかけがえのない宝物を残し、82年の酒造家人生を見事にまっとうされたと思います。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 …それにしても、こうしてまた一人『吟醸王国しずおか』の立役者が逝ってしまいました。波瀬さんのときもそうですが、何でもう少し早く、ちゃんと撮っておかなかったんだろう・・・悔しくて寂しくて、気持ちが収拾できない時間が、なかなか途切れずにいます。