12~13日と東京。2~3件、仕事がらみの用事もあったのですが、2日間たっぷり感性の充電が出来ました。
まずは映画から。今年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した『シュガーマン~奇跡に愛された男』を観ました(公式サイトはこちら)。劇場で一般公開されるドキュメンタリー映画というと、戦争の悲劇や社会問題をより深く、センセーショナルに扱った重~いテーマが多いのですが、観た後で、これほどジワジワと感動と葛藤が交錯する気分になったのは久しぶりでした。
デトロイトの貧困層出身のミュージシャン、ロドリゲスは、1960~70年代、ボブ・ディランよりもインパクトのあるメッセージ性の高い楽曲(「シュガーマン」は代表曲名)を発表し、一部で高く評価されたにもかかわらず、リリースした2枚のLPは全米ではまったく売れず、本人はレコード会社から干され、そのうちに消息不明に。ところが、遠く離れた南アフリカで、偶然、アメリカ娘がカセット録音して持ち込んだ彼の歌が、若者や反アパルトヘイト活動家の間で評判になり、本人がまったく知らない間に彼の名前はエルヴィス・プレスリーよりも有名になり、プロフィールがまったくの謎のままだったので“コンサート中にファンの目の前で自殺した伝説のロックミュージシャン”にされてしまった。彼の音楽で育った南アのジャーナリストとレコード店主が、90年代後半、謎を追求しようとネット等で調査をし、思わぬ事実にたどり着いた・・・。その顛末を、ロドリゲスの音楽とともに、関係者の証言と回想で追取材したドキュメンタリーです。
こんなふうにサラッと説明すると、よくあるミュージシャンのちょっとユニークな伝記映画のように思われるでしょうが、ほかの伝記映画と違うのは、ロドリゲスという人物の、成功者なのか不遇者なのかよくわからない、つかみどころのない魅力。南アフリカでいくら伝説になったといっても、実際に売れたレコードは海賊版みたいなシロモノだから印税はおろか、本人はまったく知らない話だし、彼を干したアメリカのレコード会社オーナーも信じようとせず、「そんなに売れたのなら、誰が儲けをくすねたんだ」と怒り出す始末です。
プロのミュージシャンで食べていく道をあきらめ、デトロイトの日雇い労働暮らしに戻ったロドリゲス。映画では、「彼が工事現場にもきちんとした身なりで来る紳士的な男で、教養も高く、社会の底辺の暮らしにも腐らず、懸命に働き、社会的問題にも眼をそらさない真面目な男だった」という証言が紹介されていました。
後半、浮き彫りになる彼の素顔は、シュガーマン(=麻薬売人)なんて歌を作るような反社会性を微塵も感じない、おだやかな聖人のようです。彼はネイティブアメリカンとメキシコ系の血を引いているようですが、昨年夏、アリゾナのナバホで出会ったホピ族のジュエリー店主に、どことなく雰囲気が似ていました。
他人の証言だけだったら、本当にこんな人、実在したのかなあと疑いたくもなるけど、そうじゃないところがこの映画の凄さ。ネタバレになるので、これ以上は書きませんが、「多くの人(ミュージシャンやクリエーター等)が、世の中から正当に評価されず、存在すら知られずに消えていく。彼も、奇跡的に一瞬、伝説にはなったが、はたして成功者といえるだろうか・・・」というくだりでは、なんだかじんわり泣けてきました。
今、曲を聴けば、ボブ・ディランを凌駕するほどの素晴らしい音楽性と思惟に富む哲学的な歌詞なのに、当時のアメリカでは見向きもされず。南アでは100万枚以上売れたのに儲けたのは海賊版製作者だけ。20年以上経って追っかけファンがこうして立ち上がらなければ、一生浮かび上がることのない才能です。そういう才能が、世の中には本当にたくさんあるし、とりたてた才も能もない、ただのローカルライターの自分にだって、“一生懸命やっているのに周りから評価されない、自分が書いたものだって気づいてもらえない”という自虐的な思いがあります。
なのに、一国の社会体制をひっくり返す力をも持つ音楽を創り出した人なのに、正当に報われず、その矛盾と、報いを求めようとしない、そんな彼の生き方に心を揺さぶられるのです。
この映画によって、ロドリゲスというミュージシャンの名前が、音楽史にどのように刻まれていくのかわかりませんが、この映画を世に送り出した製作者は、映像クリエーターとして大きな使命を果たしたことだけはわかりました。
静岡でも早く公開されるとよいのですが、アカデミー作品賞を取った『アルゴ』同様、静岡の映画興行主のお眼鏡には、すぐに留まらなかったんでしょうか、それとも地方の映画館にお鉢が回るまでは時間がかかるってことでしょうか・・・才能を見出すって難しいですね、ホント。