杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

なぜか武田泰淳

2015-05-04 22:13:35 | 本と雑誌

 ブログの設定をあれこれいじっていたら、ワイド画面で文字大きめのテンプレートがあったので、一新してみました。明るすぎて私のガラではないんですが(笑)、ずいぶん読みやすくなったかと思います。

 連休中はほとんど外に出ず、ひきこもっています。昔に比べ、書くスピードがあきらかに落ちていて、2000字程度の原稿を一日1本仕上げるのがやっと。連休中に6本上げなきゃならないのに、間に合うんだろうか・・・と焦りつつ、こうやってブログに逃げてる(苦笑)。基本、書くことが好きで、書いていないと落ち着かない性分なのに、気分屋で粘りがないB型気質が邪魔をします。

 

 昨日はWOWOWで、ニュースになっていたボクシング戦を(人生で初めて)最初から最後までついつい観てしまいました。積極果敢に攻めていたアジアの苦労人ボクサーが判定負けで、ガードを固めて省エネパンチしていたアメリカ人が王者に。・・・なんだか人生の悲哀を感じました。夜は『アナと雪の女王』を遅ればせながら初めて観て、雪の女王を単純なヒール役にしないで姉妹愛にまとめた脚本は凝ってるなと思ったけど、劇場アニメ史上最大のヒットになったというのがよくわからない。やっぱりあの歌の力?

 

 私は自宅で、何冊もの読みかけの本を、仕事机や卓袱台や取材カバンや枕元など、部屋のあちこちに置きっぱなしにしています。最近、読み終えたのが武田泰淳の『ひかりごけ』。先月、靖国神社に行ってから戦争文学につらつらと触手し、20代の頃愛読していた大岡昇平の『野火』『俘虜記』を読み返し、大岡作品より描写がエグイと評判の武田作品にアタックしています。武田泰淳は浄土宗の寺に生まれ、中国史や中国文学を学び、『司馬遷』を書いた、私の好む世界に近い人なのに、なぜか今までスルーしてました。

 

 『ひかりごけ』は昭和19年、難破船の船長が部下の船員の肉を食べたという実際に起きた事件をモチーフにしたもので、最初は「私(作者)」がその事件を取材に行くレポート風の書き出しで、次に事件当事者たちのやりとりがなぜか戯曲の第一幕として脚本&ト書きで書かれ、第二幕として船長が法廷で裁かれるシーンで終わる。小説にしてはなんともふしぎな構成です。当然、映画化や舞台化はされているようですが、原作を読むだけで心が針で突かれたようにキリキリ痛みました。

 思い返せば、大学のゼミで中央アジアの石窟寺院に描かれたジャータカ(釈迦の前世譚)について調査したことがあり、釈迦は飢えた虎に己の身を餌として捧げた・・・なんて伝説をたくさん扱ったとき、地球上では実際、人肉を相食むことが珍しくない時代もあっただろうと想像しました。人間の本能にはそういう、獣に戻ってしまうスイッチがどこかに残っているんじゃないかと・・・。

 

 取材カバンに入れっぱなしなのは、泰淳の遺作『富士』。昭和19年頃の富士山麓にある精神病院を舞台に、人間の業が底なし沼のように思える息苦しい作品で、10代の終わり頃、乱読していたドストエフスキーあたりを思い出します。

 精神病院の起源は京都の岩倉大雲寺だと聞いたことがあります。10世紀に建てられた天台密教の寺で、冷泉天皇妃の心の病を治癒した記念に観音堂が建立され、境内の閼伽井(あかい)は霊水として尊ばれたそうです。11世紀には後三条天皇皇女が大雲寺に籠もって平癒したことから、岩倉が“癒しの里”になったとか。明治以降、ここに精神疾患治療拠点が整備されました。

 

 『ひかりごけ』に収録されていた短編『異形の者』は、仏堂で育った泰淳が、人間の罪について身を引き裂くように綴った自伝的小説。仏教とはやはり、誰かに、何かに救ってもらうものではないのだ・・・と胸に迫ってきますが、かつては寺が救いの砦だったのです。宗教家と精神科医の役割は違っても、同じように人に向き合う重く尊い仕事。今の時代に求められるものも大きいと思います。私は精神科医とは接点がないのですが、最近の和尚さん、人にちゃんと向き合っていますか?って言いたくなることしばしば・・・です。

 

 そんなこんなで気分転換に読もうと思った本で心がザワつき、なんで泰淳なんかに手をつけたんだろうと後悔し、早々に読み散らかして原稿書きに戻り、疲れるとテレビをつけ、観る番組がなくなるとこうしてブログに逃げ、泰淳に戻ってしまう・・・なんとも不毛なGWです。ブログのテンプレートを変えただけじゃ気分転換にならないか(苦笑)。


語り部の資格

2015-05-02 23:14:33 | 日記・エッセイ・コラム

 久々に自宅のデスクの前で不動明王?のごとく一歩も動かず、がっつりモノ書きしています。箸休めにネットサーフィンして見つけ、心に残ったのが、NHKあさイチの柳澤秀夫解説委員が、親交のあった故・後藤健二さんについて語ったインタビュー記事でした。

 あさイチで後藤さんの訃報にふれたとき、柳澤さんの「後藤さんが何を伝えようとしたかに目を向けて」という言葉が反響を呼びました。当時、日本の報道では、紛争地での取材手法や後藤さんのプライバシーについて、また日本政府の責任問題といった論調が目立つ中、本当に見落としてならないのは、命を賭して彼が伝えたかったものは何かを問いかけたものでした。インタビューでは大手メディアとフリーランサーの違いにも触れ、大手メディアの「危ないところにはフリーに行ってもらう」「撮って来てもらった素材で番組をつくる」という短絡的な発想や、フリーの人たちが「自分たちがヤバイところへ行って仕事して稼いでいるんだ」とかっこつけるのも、何かちょっと違うと柳澤さん。

 フリーだろうと大手所属だろうと、ジャーナリストを自認する以上、危険な地域で取材活動するリスクは同じ。消防士や警察官が危険を承知で仕事するのと同じ。その現場で、今語るのに最もふさわしい人間が伝えるのが理想だと。でなければ、今そこで起きていることが正しく伝わらない。後藤さんはつねづね「伝えるべきことがちゃんと伝われば(誰が伝えようと)いい」というスタンスだったそうです。私たちは、ややもすると、「何を伝えたか」より、「誰が伝えたか」にとらわれてしまいがちですが、これは日本が、ホンネと建前を使い分ける社会のせいかもしれませんね。

 

 私が書くものは戦場ジャーナリストの世界とは程遠い、平和でローカルなテーマですが、取材やインタビューをする中で、「書かないほうがいいかな」と思われるかなりセンシティブな話は多々あります。それを聞かなかったことにして体裁を繕った記事を書く・・・それが求められた仕事で、クライアントの要求に応えて書くのがプロなんだと自分に言い聞かせてきました。でも取材したテーマの根源的な問題が必ずそこにはある。はっきり「オフレコだ」と言われたらもちろん書きませんが、かりに、私が自己判断できわどい話も暴露したら、取材対象者からの信頼は失われ、私が懸命に問題提起しようとしても、スズキが書くものはNOのレッテルを貼られ、問題解決からはむしろ遠ざかってしまう。以前、そんな失敗をした私は、あの時点で、そのテーマについて語るにふさわしい人間ではなかったのだ・・・柳澤さんの記事を見てそう感じました。

 

 最近読んだ、あるニッチなテーマに関する2冊の本。1冊はそのテーマの“体現者”が書いたもので、もう1冊は“研究者”が書いたもの。体現者は「自ら体現しない者は論ずる資格がない」とし、研究者は「幅広い人間が自由に論じることでテーマが伝播し、価値が高まる」としています。取材者の感覚からすれば、体現者の言っていることは極論に思えますが、テーマを曲解して論じたり営利目的に価値を高めようとする輩がいたとしたら、体現者の言い分は理解できないこともない。ちなみに私が読んだ研究者の本はそんな輩とは程遠い、極めてまっとうなもの。体現者には研究者に対し、どこか理屈では説明できない複雑な思いがあるのかな、と想像しました。テーマへの思いは同じように深いのに、立場が違う者同士が共同歩調をとるのはそんなに難しいことなんだろうか・・・。

 

 関わった取材テーマについて、そのつど実体験するわけにはいかない自分にとって、体現者の言葉は重く厳しいものがあります。酒のことを書くのに、酒を造ったことのない人間に書く資格はないと言われるようなもの(・・・実際、そう思っている酒造関係者がいるかもしれません)。そんな体現者に“対抗”するには、現場をしっかり観察し、ひたすら想像力を働かせるしかない。それも中途半端な理解や思い込みで想像するのではなく、記録や文献や証言を、丁寧に、慎重に検証しながら・・・。

  

 後藤さんの映像は、紛争地の一般庶民の苦しみに寄り添っていたといわれます。声に出して訴えることの出来ない弱者の痛みを思いやっていたと。人として、想像力をまっとうに働かせていたのでしょう。私も想像力を間違った方向にふらないよう、まっとうな判断力を持てるよう日々精進し、取材テーマにはまっすぐ向き合って当事者に寄り添いたい、と思います。

 ・・・今日は内容のない駄文になってしまいました。すみません。