村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

598.高いものは買わない、大きな節約も大事

2024-12-08 08:35:56 | 経済
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
**物事は起きてからではなく起きる前にやる村上原基人生勉強会**
高いものは買わない、大きな節約が大事
生活を根本から見直すことだ
目先のことばかりだけでなく総合的に考え直すことだ


私は会社ではIEやVEや無駄取り改善や生産管理や環境管理が専門でした。今もあれこれ無駄改善や環境対応をしています。田舎暮らしや平屋の家を選んだことも、その一つですし、家の断熱工事や瓦をガルバリにしたり、大工や野菜作りや草木の剪定や散髪なども全部自分でやっています。自動車でなくバイク、新聞などもかなり以前から購入してない。
物価高で大変と言うのだが物価というのは需要と供給の関係であることはご存じですね。この冬はイチゴやケーキが値上がりとか、まあ、あれもこれも値上がりしているらしいが、私は高いものは買わない、安いものは買うというのが基本です。「皆が買わなければ価格は下がる」のです「無理して高くても買うから物価が勝手に上がる」のです。
私は今年イチゴもケーキも高いものは不必要に買いませんでしたから、別に物価が高いという実感はありません。「物価高をなんとかしろ」そういうことを理由に政治家を選ぶのは間違いです、物価が上がるのは自然の原理なんですから、風邪ひいて熱が出るのと同じことなんです、熱は身体を防御し警告しているんです。多くの人は物価とか不動産価格とか株価とか金属相場とかがなぜ上がるのかを理解していないで、あたかも立派な国民であるがごとく、ひたすら文句ばかり言うのです。私は「政治のせい」にはしません。物価対応は各自自分でやることなんです。物価ということが全く分かっていない、分かっていたとしても各自の実行がともなっていないのです。
現代の暮らしは、江戸時代の徳川家康の何百倍も便利で豊ということも忘れてはなりません。
私は10年前に今の田舎の家を買いましたが50坪の庭付き中古平屋が都会人には信じられないほど安価でした。都会は逆に信じられないほど高いですがそんな場所に住むから家のローンや賃貸料で悩むのです。物価が高くなるのは何でも同様です。
工夫も大事ですがチマチマした節約だけではなく、大きな出費にこそ思いきってメスを入れるべきで、7年前から自動車をバイクに変えました。保険も火災保険とバイクの強制保険以外は加入してません。『何をいつどう買うか』は大事です。ブラックマンデーなど安い日常品をまとめ買いをするのもお勧めです。私は最近夏の猛暑対策で断熱工事をやり、暖房も灯油ストーブやエアコンは止めてオイルヒーター1台だけ、部屋そのものも改善し、夏は水シャワー等々、光熱・ガス代の節減を図っています。また私は地震に強い平屋を購入したり災害に対する見直しや病気をしないように健康維持のための運動習慣も大事です。災害や病気や事故にあえばかなりダメージが大きいのです。そういう観点で無駄を徹底的に排除することも大事ですね。ちなみに私の電気代や水道代やガス代もびっくりするほど少ないです。

「物価高をどうにかせい」なんて政治のせいにする人が高級な自動車をジャンジャン乗り回し、ペットなんかも飼っていませんか?防災や健康にも全く無頓着だ、政治の責任にする以前に貴方のやるべきことは?

昨年は柚子の不作でしたが今年は大豊作、早速ゆずジャムを作りました。また最近はリンゴジャムも簡単なので作ることが多いです。安くできますし、美味しいですよ


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597.「ゆったりした暮らし」をどう取り戻せるのか?

2024-12-03 13:31:32 | 人生
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**

「ゆったりした暮らし」をどう取り戻せるのか?
人は何時までも若くはない、歳相応に少しづつ荷を減らし、趣味を持ち自分だけの時間も楽しむ、ゆったり自分自身を見詰め直す

私は都会暮らしで長年”せっかち”に生きて来た。小学校の通信簿に「貴方は凄くせっかちです。何も逃げませんよ」と先生はやんわりとですが、私のせっかちとその結果何事もぞんざいなことや引っ込み思案を心配してくれていたようです。当然母も心配していたが、その母も私に直させることは出来なかったようです。それでも、81歳、27年の田舎暮らしの末、最近やっとのこと、ゆったり・ゆっくりした生き方を少しづつではあるが得られつつあるのです。
まあ55歳で山暮らしを始めたことは、少なくとも都会に暮らし続けるよりずーっとゆったりした暮らしへと私を導いてくれたはずですが、でも山での一人暮らしの時期であっても、私はずーっと依然頑張り続けてきたように思います。世の中にすごい業績を上げる人が称賛されますが、この人達も成功者ではありますが、所詮はせっかち・いらちで、ある意味偏屈や頑固や気難しい人間的に必しも褒められた人ではないもんなんです。
せっかちでないし、それほど忙しくはないという人でも日本人の多くはどちらかというと特有の百姓根性で勤勉でせっせと働き、動き回るタイプの人が圧倒的に多い。もし若い頃からゆったりしている人がいたとしたらば、そんな人は、よほど優秀な人か又は日本人としては真っ当に生きていけなかったはずなのです。まあ日本人のせっかちさがある意味日本の経済や文化を支えてきたことは間違いないのですが、問題は60歳とか70歳になってもせっかちな病的な性格をきちんと直さないし直せなくてイライラしたり不都合を感じている人達なのだ。豊かな時代もっとゆったり暮らすべきなのです。
私は過剰なせっかちは一種の病気だと思っています。せっかちをきちんとコントロールできうまく活用できている人はおらず、やはりどうしてもあれこれ弊害が出てくるもんなんです。
戦時中に生まれた私は、体力も並み、頭もさほど良くなく、末っ子で、戦後で貧しかったせいもあって若い頃は自信がなく、せっかちでいつも追い立てられるようにセカセカしていた。ごく最近2年前くらいまでその性格は直そうとしていても一向に直らなかった。ところが田舎暮らしを30年続けて、さすが80歳を超える頃から僅かづつではあるが、やっとゆったりすることが実感出来る気配を見せ始めた。その理由はおよそ次の通りです。
①急ぐと転倒や事故など危ない年齢になった
②筋肉も減ったのでよたよた歩きしかできなくなった
③もの忘れがひどく慌てるととんでもないことになる
④忙しい事が減り、田舎ではゆったり過ごせる環境がある
⑤ゆったり・ゆっくりすることを身体が覚え始めて来た
⑥ゆったりするほうが今の自分であっていることがやっと分かって来た。急がしいことの愚かさもやっと分かって来た
⑦長年せっかちを直そうとしてきて、治せる環境や暮らし方を手に入れた
⑧人生勉強会の活動を通じてこの27年、生き方や暮らし方全般を改善してきた


まあいろいろ並べ立てたが、そうしないと説明できないほど80年間も続いた”せっかち”という病気なのです。以上のように理由は、ほとんど年齢によるものではあるが、「なぜそんなに急ぐの?」「急ぐと何か良いことでもあるの?」若い頃は都会自体がせわしなかったので、私もどうしてもせっかちである必要もあったのだろうが、現在田舎暮らしの81歳の私にとっては、そろそろ急ぐ意味がなくなって来ていることは事実で、急げば何か儲かるとか、最早自分の成長になることはない。すなわちいくら何でも、もうそろそろ”ゆっくり・ゆったり”で暮らすほうがずーっと望ましいようになってきたのである。出来れば70歳くらいにそういうことに気づくべきであったのだが、遅まきながらやっと80歳で気づき出したということである。
いちど”せっかちや急ぐ”をきちんと断捨離すべきなのだ
何故かと言うと最近の私がゆったりしてきて、おかげでストレスが減り日々楽しく生き生き元気で暮らせるよう実感しているからだ。私は55歳で滋賀の現在の田舎に移り住んだし、それ以来田舎で更にいろいろな趣味を体験し、身に着けられて来た。

①田舎に移り住んで自然で自由なゆとりのある環境を得た事
②趣味を増やした事
が、やっとのこと”ゆったりに回帰した”大事な鍵
なのだと思っている。

もし私が都会のマンションに住み続けて、趣味も少ないまま狭いマンションの一室で「毎日何かやろうと焦り藻掻く毎日が続いていただろう」、ゆったりとかゆっくりを永遠に味わうことはなく、それこそ「死ぬまでセカセカしていた」と思っている。それが今はいろいろな趣味があり、また田舎の自然と広々とした環境で、自由に出来ることが気持ちを緩やかにしてくれていると確信している。昭和20年代の東京暮らしの時代にも田舎並みのかなりの自由さがあったのだが、今の都会では全く存在しない。
山や田舎住まいの私の趣味の中には大工とか野菜つくりとか雑草抜きとか町内の清掃とか「それが趣味か?」と疑うようなものも含むことが普通の都会人とは違う点です。都会の人の趣味はお金をかけ立派なお道具が必要なんてものが趣味のように聞こえますが田舎ではありとあらゆる作業みたいなものを自然の野原でやることですら立派な趣味なんです。都会では庭いじりとか草木の剪定とか雑草抜きとか大工仕事なんてやりたくても場所もないし騒音を出せないのでそんなことが趣味だなった言う人は少ないと思う。しかし身近な自然に向き合い、やる作業はゆったりに一番ぴったり当てはまるものだと思います。
私のような田舎で暇な老人に「本日はお忙しいのにわざわざお越し頂いて恐縮です」なんて社交辞令な言葉を言われるが、「俺はあくせく働くほど忙しくはない、忙しいのではとは失礼な」と最近はこういう社交辞令にさえ違和感を覚えるのである。日本人にとっては、「忙しい人=立派な人」なのである。私としては、忙しくてもゆったり出来る人間でありたいと思う。日本人の多くは、まだ暇をじっくり味わい・楽しめる域には到達出来ていないのであり、なんせ、せわしなく動き回る水準なのである。
私以外の多くの人は、私のように二つの鍵を得られていなかったし、忙しい事を目指し続けているのではないかとも思うのです。そういう人は高齢になっても、なかなかゆとりの生き方を取り戻すことは難しいように思います。結果的に「死ぬまでせっかちが直らず、永遠にゆったりを知らない人」となるのです。
環境を大きく変えること、ゆったりとした自然の環境に思い切って入りこみ、そこでいろいろな趣味に目覚めることが大事なんだと私は思っています。過密で高層ビルが立ち並び、なんだかんだと種々雑多なもので埋め尽くされている都会暮らしとか、身近に出来る趣味の少ない人は、「ゆったり」という境地に達することは容易ではないように思われます。昔は都会で毎日いつも何かに追われていたが、今私は少なくとも毎日追われているという感覚は全くない、81歳で田舎住まい、暇だらけで趣味は多い、追われないのは当然と言えば当然なんでしょうが、それでもそう簡単に得られる境地ではなかったように思っている。
ゆったりするとはどういうことかをよくよく考えてみる事ですが、多くの人は「ゆったり」なんて暮らしをしていないので、「ゆったりとは何か」なんて全く分からないままなのです。
私が最近思うゆったりとは、つぎのようなもので、こういうものは年とともに備わって来るものだと思っています。
①ビルが少なく川や山など自然豊かな地域で
②騒音がなく静か、落ち着きのある場所
③過密で人は少ない、人も自動車もあまりいない
④空気や景色がきれい
⑤一戸建て、家や庭や空き地が広い
⑥趣味をやる環境や場所が身近にある
⑦趣味が多く日替わりでも趣味を楽しめる
⑧近所の人も穏やかせかせかしていない
⑨自然自体も遊びの場となる
⑩時間がゆっくり流れる環境に15年以上暮らし続け、慣れる
⑪つまらんことに拘らない
⑫病気・災害・事故などを予防し、準備し備える
⑬十分の暇があり、かつその暇を楽しく使える
⑭忙しく自分を追い込まない、追われない
⑮自分を捨てきる

私なりの考えでは、自由な環境や自由な心境や自由な日々を増やすことだ、都会は自由であるかのような錯覚をしているが全くそうではない。元55年間都会暮らしだった私が田舎に27年住むと田舎の自由さが分かって来たように、日本を訪れる外国人が日本の都会より田舎を好むようになるのはまさに田舎には自由さや優しさやゆったりさやある意味の土地の歴史を感じるからだろう。
都会はあれこれ目の前の欲望を満たしてはくれるがその一方で元来あったはずの自由が奪われている。都会の場合欲望とはまさしくどくどくした欲望であって、田舎に住む私の場合はもっと素朴で自然なものに感じる。自然や自由を失って目先の欲望を必死に負い続けているのが都会人なのだと思う。例えば私は超高層マンションなんかに住みたいとは思わない、贅沢な自動車なんかも要らない、派手な流行の最先端の恰好をしようなどとも思わない。都会の人の趣味はセカセカしたもの闘争的なもの恰好良くしたいものが多いのは事実で、どちらかというと流行や風潮に振り回されたものである。
都会では老人達も僅かでも若者とも競っている、「自分はまだ若いの、恰好良いの、まだまだ負けない」なんて雰囲気があるように思えてならない。力みがある、見かけを気にかけ、何か意味ありげなギラつく老人が多い。私でさえも京都に帰ると、私自身も僅かでも都会人に戻ろうとする気分が出てしまうのであるから。
過密な都会、物やサービスの価格の高い都会では当然のこと、田舎は過疎というとダメな地域と思われがちであるが、都会だって昔は田舎同様に過疎だったのだ、それをあれこれぎっしり詰め込み続けるとあーなるのだ「田舎の成れの果て」に過ぎない。田舎は、しっかりとそうならずに維持出来ていると思えばよいのだ。私が田舎が過疎で滅ぶなんて考え方は全くないし、田舎の将来を心配などしていない、あくまでも自然が存在し続けるだけだから。むしろ都会こそ過密で滅びかねないとかなり以前からひどく心配し続けて来た。田舎は現在も将来も自然であり自由であり続ける、他方、無制限にあれこれ持ち込み過ぎている都会は気が張り詰め、自由度がどんどん減っている。そんなところで「ゆったりせよ」と言うのが無理なんでしょう。
すごくゆったりしています


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596.私が断捨離してきたもの、断捨離すべきもの

2024-11-16 21:11:45 | 暮らし
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**

私が断捨離してきたもの、断捨離すべきもの
捨てない者には得るものなし
捨ててしまえ、そうすれば何かを得るはずだ

私は大胆に捨ててその代わり大事なものを得てきました。
断捨離=大事なものの発見  であります
私の人生は東京を出て大阪に単身赴任して以来断捨離の連続でした。住まいも会社も仕事も友人も環境も趣味も次々に断捨離し変えてきました。捨てて新たな出会いをする。その繰り返しが私の人生でした。
「断捨離は家の中の物を捨てるということだけ」だというのはある意味大きな誤解です。そんな狭い範囲の事ではありません、人生全体に関するものなのです。
また1回とか一年かぎりのことではなく、20歳以降継続的に不断に続けることなのです。

断捨離で私が捨てて来たものは、
一番大きなものは都会暮らし・故郷
二番目が不自由さ・生き辛さ
三番目が過去の人間関係
四番目が教えられてきた多くの嘘誤魔化し
五番目が無理・無駄・無謀や無益
六番目が自慢・勝敗・自意識
七番目が怠け・諦め・放置・我慢・他人任せ
八番目が害毒(飲酒、喫煙、糖分・塩分・化学物質)
九番目が贅沢・豪華・華美・飾る
十番目が社会の目・他人の目・常識
十一番目が心配・悩み
十二番目が未練
十三番目が物を簡単に捨てるということ(物は大事だ何度も修理して使うべきなんだよ。でも家が狭いので捨てざるを得ないのだが、だから出来るだけ広い家に住もうよ、そうしないと人間が小さくなるだけだよ)

いかがですか? 一つ例を挙げれば、例えば「我慢なんか大事なことで捨ててはいけないのでは?我慢は大事だ」なんて言う人もいるが、私の場合は若い頃から長くかなり我慢し続けて来たが、あまり良い効果はなかった、むしろ私にはマイナスだったように記憶している。確かに中には良い我慢も幾つかあったが、どちらかと言うと、会社に勤め続けるより転職して良かった、都会から田舎に飛び出して良かったと思っている。その他全てが普通の人は捨てないが、私は,敢えて捨てて来た。
私は大工道具を持ち、作業場もあり大工仕事もこなすのだが、ちょっとした修繕や加工は自分で簡単にやってしまう。そのために家の中で直したいのに放置してあることは、まずない。すぐに自分でやってしまう。これをいちいち大工さんに頼むとなかなか手っ取り早く処理ができないし高額な費用がかかってしまう。まあ大工においても私は自由に何でも自分で出来るのは他人依存を捨てたことで可能になったことであるが、同様に野菜つくりや散髪や木の剪定も全部自分でやってしまう。
まああることを断捨離するにはそれなりに勉強や投資も必要になるのであり、単に捨てれば済むことではないのである。ここら辺も人々が断捨離を勘違いしている点なんでしょうね。
都会暮らしを捨てきれないという人も多いが一度捨ててみたら良いのだ。そうしないと都会暮らしの弊害をずーっと我慢する人生になってしまうのである。

私の田舎の家の前の空き地、私がここ8年で日々少しづつ整備してきました。

空き地は草刈りをすればそれでよいではなく、綺麗に維持し付近住民の心を楽しくするようにするべきです。

放置空き地を断捨離し、庭園に変えましょう
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595.貴方は自由な時代に本当に自由に暮らしていますか?

2024-11-11 11:01:41 | 人生
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
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(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
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**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
貴方は自由な時代に本当に自由に暮らしていますか?自由の意識が欠落してませんか?
 ・不自由な暮らしをして老後を迎え死んでしまうなんて情けない話ですね。
 ・貴方は心底自分が納得するような自由な生き方をしたことがおありですか?
 ・やれ平和とかエコとかリサイクルとか絆とか言うけれど、貴方にとって自由はどういうものなんですか?
 ・物資豊で便利な都会に住むために、かえって自由を犠牲にしていませんか?
 ・これまで一度も心の底から「自由だ」と感じたことがなく、縛り付けられてきませんか?
 ・社会から、会社から、他人から、家族から、常に不自由(拘束)を感じさせられていませんか?
 ・あなたは本当に個性的ですか?今ここで、その個性的なものを全部出してみて下さい
 ・今や平和や自由は当り前になって、しっかり意識出来ていなくて、平和ボケと言いますが、自由ボケしてませんか?
 ・貴方は自由を選ぶのではなく、楽することを選んでいませんか?
 ・大して得ることなく、自分の人生を四角四面に窮屈に生き続けて来ていませんか?
貴方は、心の底から自由ですか?自分の現在の自由さを疑ったことがありますか?もし自由だとして、自由な貴方は何をやっていますか?何をしようとしていますか?現代は自由の大事さの認識が希薄になっている。むしろ自分自身を縛り続けてきませんでしたか?
江戸時代や明治大正時代頃までは身分制度や貧困や家族の厳しい掟や上下関係など本当に不自由な暮らしを耐え忍んで来たので、長いこと、自由を求める空気はすごく強かったと思いますが、戦後一挙に民主化し自由を手に入れ、その後技術革新や法制度の改正などによって現在まで更に飛躍的に自由は進展して来ました。今の時代は出来ないことなどほとんどないほど自由です。私達は徳川家康の何百倍~何千倍も豊で自由な暮らしを享受しているのです。それでもよく観てみると案外わざわざ不自由な生き方をしている人、自由を正しく認識できていない人を私はかなり見かけるのが気になります。もっと自由に何でもやったらいいんですが?
戦後急速に田舎から都会へと言う流れが出来て、都会でお金を稼ぐ人が増え、都会は仕事も多く、物質的に豊かではあったが、過密で物価高の住み難い不自由な場所になって行ったこと、もう一つはあまりに多くの自由を得たために自由に対して不感症になり、少々の不自由さはあまり意識されなくなったり、我慢してしまう癖がついてしまったようです。
貴方は何かするときに①「不自由さ(何か大きな障害)があることを意識しています」か?それとも②「いつも我慢していているので格別、不自由を意識はしていない」ですか
どちらか一方を選ばざるを得ないのですが、どちらを選んでも、必ずそれぞれに何がしかの不自由さが潜在しているのです。子供はその不自由さに耐えられないのでぐずぐず鳴いたり怒ったり正直に不満を表に出してしまうのですが、過剰な自由時代において、大人は我慢することを覚えるのです。そして年齢とともに自由さを求めるよりも我慢をするほうに偏ってしまうのです。
既婚者の場合は未婚者に比べると想定外の不自由さが生じる
都会暮らしの人田舎暮らしの人に比べると想定外の不自由さが生じる
転職しない人転職する人に比べると想定外の不自由さが生じる
上司部下に比べる想定外の不自由さが生じる
頭の良い人は頭の悪い人に比べると想定外の不自由さが生じる
有名人無名な人に比べると想定外の不自由さが生じる
先生先生でない人に比べると想定外の不自由さが生じる
・・・・・・・・・
自分は良かれと思ってやっているが、案外に我慢をしていて、知らぬ間に自由を奪われてしまっていることがあるのです。
例えば、有名人や先生や警察官などは有名税というか、絶えず他人の目を気にかけて行動することが要求されますし、周囲からも真面目であることが求められるので、その分日常的に緊張を強いられ、かなり自由が束縛されます。有名人より私達のような無名な人間のほうがずーっと自由だということを忘れてはいませんか?
「都会暮らしと田舎暮らしとどちらが自由ですか?」こんな質問をしてみて下さい。多くの人は「当然自由なのは都会でしょ」と言うでしょうね。でも私のように元都会人が実際に田舎に長年住んでみると意外なことに、田舎のほうがずーっと自由だというのが実感です。例えば田舎は大病院がないので不安なんて言われますが、そんな場合でも、大きな病気になったその時だけ都会に行けば済むことなんです。田舎にもよりますが、私の住む安曇川のような田舎では町の医院は沢山ありますし一応大病院もあるにはあるのです。また都会と田舎の二重生活でもよいのです。我慢して都会だけに住み続ける必要はないのです。田舎をあーだこーだと勝手に悪く決めつけるのは間違っていると思います。
まあそうは言うものの元々田舎の人自身が自由かというと、やや自由ボケしているところもあるにはある。田舎の自由より都会の不自由に憧れているような若者も多いのは事実であり、それを私は否定しない。田舎に私のように都会の人間や外人が移り住むと田舎の自由を発見するのだ、そんなものなんだ。
日本人自身は日本の素晴らしさに気づいていないのだが、今未曾有の外人来訪ブームだが彼らも日本の自由さ、日本の個性的なものにびっくりしているんだ。

東京・大阪・京都と大都会住まいの後に30年近く山と田舎に独り住まいをして来た私から観ると、まるで別世界の人間のように、都会の人間に凄く違和感があります。多分彼らからすると「そんなこと田舎ペーに言れたくない」ということでしょうが、私も昔は都会側の人間だったから、「お前さんたちいい気になっているんじゃないよ」と思いますね。「何しろお前さん達かなり不可思議な奇妙な行動を当り前のようにやっているんだが、貴方方にはそれがトンと分かっていない」私にしたら申し訳けないが、「勝手にやってろ」としか言いようがない。彼らからすると「自由を謳歌している」のだろうが今の私から観ると「なんとも窮屈な生き方」にしか見えない
コロナの時も過疎地である田舎は、空気もきれい、人込みがないので、私のような一人暮らしの高齢者ほどむしろ、ほとんどコロナに感染する危険を感じたことはありませんでした。また、もし、感染しても一戸建ての広い家でじっとしていることが出来るので、そういう点でも都会ほど困ることはなかったように感じています。今思うと「7回もワクチン注射なんか打たなければ良かった」と思っていますし、最近はインフルも含めてワクチンは一切止めてしまいました。当時、都会に自分の会社や学校がある人だけが当地でもコロナにかかっているような状況でしたね。
また大きな声では言い難い事なんですが、私が55歳の時に妻が他界しそれ以降私は自動的に一人暮らしになったんですが、ほぼ同時に滋賀県山の暮らしが始まったがそういう意味では家族とも離れての暮らしが続いてきた。そして思うことは全部自分で考え、全部自分で決断し、全部自分で自由にやってきたが、「これぞ自由な暮らしだった」のではないかと思っている
老人の私が京都の家に帰ると困るのが家の近くでやることがないので、京都では一日中家の中でじっとしているか隣のス―パーにでも出掛るくらいしかないのです。一方安曇川の家では前が空地、家には庭や土間があり、周囲には自然も、川も山もあるし無論5~10分で買い物の出来る大型店も5~6軒もあるんです。また毎週生協が配達してくれますし、頻繁にネットで買い物をしますが1~2日で配達してくれるので、不自由さはほとんど感じません。
田舎の道路はかなり(チョー)空いていますから目的地には時間通りに着けますし、駐車に困ることは全くありません、田舎暮らしを始めて田舎の自由さをあらゆる場面で実感しています。私は水彩画や卓球や大工仕事や木の剪定などをやっていますが、習い事もできます。スポーツも近くの体育館で出来ますし、むしろ都会より簡単かもしれません。まあそんなことで私は不自由でむしろ自然がなく騒々しい京都に帰ることがほとんどなくなってしまったというわけです。だから京都市内や繁華街にもここ30年ほとんどご無沙汰しています。
それと、とにかく都会の家および玄関・風呂・トイレ・洗面所・庭なども全て狭いですね。私が一人で住む今の田舎の平屋(一階建て)の家は152㎡建坪62㎡で玄関・風呂・トイレ・洗面所・土間や庭も広いですし、一人住まいとしては、たっぷり十分な広さがあります。庭も前後合計70㎡ほど、しかも家の道路の向いにもかなり広い空き地があります。それでも欧米の家は更に一回り広いらしいから日本の都会の家がいかに狭いか不自由かが推測できるというものです。日本の都会は、4人暮らしでは私の家と同じ程度の広さで庭もなく、かなり窮屈です。しかも都会の中古の家でも価格は極端に高いです。都会の家の価格は私の田舎の家6~10軒分はしますし、かつ狭いです。そういう意味では都会では、お金の自由も奪われているのです。収入は多いが案外つましい暮らしをしておられる。
しかし田舎でも、都会とは別な不自由さは伴いますから田舎のどこに住むかは、自分で慎重に選ぶことも大事です。都会暮らしの時から失う自由と、山暮らしで得る新たな自由を天秤にかけてどちらが大きいかで決めたらよいと思います。私の場合は山暮らしのほうが格段に自由でしたが、72歳でさすが体力や緊急対応に自信がなくなり山を降りました。
更に私は東京から関西に移り住み更に滋賀の田舎に引っ越したり会社も4つ転職してきました。引っ越しや転職経験は、私が何か考える場合にも他の人より情報の質も量も多く、考えたり決断する自由度は広いのです。東京に住んだことのない人に比べて、24年暮らした私には、東京の様々なイメージがすぐに頭に浮かんできます、大企業とか小企業についても私にはすぐに頭にそれらのイメージが湧くのです。大都会の暮らしも山や田舎の暮らしも容易にイメージ出来るのです。すごく自由に広く正しく物事が考えられます。
また京都での長い暮らしも、京都に住んだことのない人よりより広く深く体験しているのでイメージもかなり自由に出来ます。他県だけに住む人には観光地の京都市しかイメージ出来ないはずで、そういう点では観光だけで京都に長く住んだことのない人の場合は、ほとんどきょうとについて偏見ばかりで不自由だなーと思わざるをえません。
趣味も同様で私は色々な趣味をやってきましたから、何でも容易に、正しく、自由なイメージが可能ですし、多くの人といろいろな趣味について深い会話が出来ます。
私の山暮らしや田舎暮らしで感じた自由感は他のあらゆることについて自由を考えるきっかけとなりました。「今自分は自由なのか?」「もっと自由な環境はないのか?」
まあ「都会が好き、田舎なんて大嫌い」、「大企業が良い、中小企業なんて絶対に行かない」、「卓球とか水彩画なんて苦手で絶対にやらない」なんて人は狭い経験の範囲で暮らしているのでかなり不自由なんです。そういうことを少しは考えてみることをお勧めします。
◆何故、人や自動車や家の多いところで狭い家に住んで不自由な暮らしを我慢しているんですか?
◆なぜ一か所に住み続けて自分を閉じ込めているんですか?もっと自由に引っ越せばよいのに
◆なぜ一つの会社に勤め続けて毎日ほぼ同じ仕事をやり続けているんですか?もっと自由にいろいろな会社に勤めていろいろな仕事やいろいろな人と出会ったら
◆なぜ趣味が少ないんですか?もっと自由にいろいろな趣味を体験して楽しんだらどうですか?

江戸時代以前の昔には、皆ある意味真面目にコツコツ暮らしていた、体系的な科学技術は存在しないに等しく、いつも厳しい日々であった。だから、そういう時代にはある程度の正当な嘘誤魔化しが必要であった。歌とか踊りとかマジナイとか飲酒とか占いとか信仰・・・とか。でも現代はそんなものはほとんど必要ないはずなのだが、昔よりむしろ嘘誤魔化しだらけの社会になっている。もはやどれが嘘誤魔化しでどれが真実かも分からなくなっている。そんな人間の行動はまさに麻薬患者や泥酔アル中患者のようなものでまともに観るに値しないようなものになっている。そんな者にもはや「自由とは何か」「本来の自由を再度獲得しよう」など到底理解はできないことだろうと私は思っている。
自由に飛び立て、自由に駆け巡れ、自由に新しい環境に突入しろ、そうすることで現在の私のように自由な生き方や暮らしを手に入れることが出来るのですが、貴方は一生狭い籠に閉じこもって、これだけ自由な時代に、わざわざ不自由な一生を生きていくことにならないように注意して下さい。「海外旅行に行きましたとか都会でいろいろな楽しみをやっています」なんて言ってもそんな人が自由かというと、必しもそうでもないのに私は少々心配になるのです。政治家や先生も意外と狭いし不自由を我慢している、そんな人に導かれていて大丈夫なの彼らももっと自由にいろいろな体験をしてほしいものだと思わざるを得ません。
空き地が放置されていますが、そこは雑草が生え放題で環境悪化につながるところを、私は我が家の前の空き地をきれいに維持して差し上げ、その代わりに自由に使わしてもらっています。
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594.高齢者は腰痛で運動を諦めるか、それともどう戦うか

2024-10-18 12:50:12 | 健康・医療
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
高齢者は腰痛で運動を諦めるか、それともどう戦うか

先日卓球仲間の女性に久しぶりに会って「最近腰が痛み足がしびれるようになり心配しているが医者からは卓球を控えるように」と言われたらしく少し落ち込んだ様子だった。
昔、テニスやジョギングをやっていた私は30年以上腰痛としびれに悩まされ続け、医者や長く整体にも通ったこともあったが、結局現在は医者や整体とは決別し、コルセットを腰に巻き付けて今も身体を毎日決め事のようにして動かし続けている。高齢者は絶対にきつい運動をやり過ぎたり、無理はいけないが、腰痛だ、しびれだと言って運動習慣や身体に負荷をかける事を諦めて捨ててしまうのは結局かえって自分の老化を早め、病気がちにしてしまうように思う。
腰痛が起きるとかばってじっと安静にする人が多いが私の場合は山暮らしだったので、外に出て何等か身体を動かし続けていた。当時を思い出すと腰痛との闘いの日々であり、悪くなっていく時があったりで、あまり調子が良い日はなかったと思う。それでも負けずに戦う精神は保って今日に至っている。
しかし「私の場合に良かったから」と私の体験を女性に押し付けるのには、かなりの無理があるので、「ある程度軽く卓球もやったほうが良い、あまり心配や思い悩みはしないほうがよい」とだけ言っておくしかありませんでした。やはり自分で何とか腰痛やしびれと向き合っていくのはそう簡単ではないし、高齢女性は多くの場合、必ずどこかで挫折すると思う。
とにかく毎日傷むし、もう歳だから、医者に言われたから、面倒臭いから・・・結局前向きのことより後向きのことを選んでしまう。医者もどちらかと言うと”後ろ向き助言者”に過ぎない。そういう医者の態度を安易に責めるのは間違いで、色々な人を多数診察する医者には一般的な助言をするのが精一杯であろう。
あとはやる気のある患者自身がどう我慢強く取り組むかでしかない。
私の場合は、基本的に医者の言うことは半分しか受け入れないし、腰痛に関しては医者のアドバイスは60歳以降は完全に無視して来た。彼らの言うことは私個人について言ってくれてるのではなく、単なる一般的な事を言うに過ぎない。医者は私の体力・体質や私の過去も、現在の詳細な暮らし方も、心情ややる気も何も分からないので私個人にあったアドバイス・助言は到底無理なのである。
占い師や相談専門家が勝手に個人に誠しやかに細かいアドバイスをすることがあるがあれは全くの嘘・インチキである。当たる場合は「千に三つ」程度で、ごく稀でしかない
腰痛にしろ何にしろ医者のアドバイスを100%信じるのには無理があり、ましてや占いや相談者などに頼るべきではなく、本当に直そうとするのであれば、一番頼るのは自分自身であることを肝に銘じるべきである。いろいろの参考情報を取り入れつつ「俺はこうする」なのである。
話は少しそれるが人口密度の極めて低い田舎暮らしの私はワクチン注射を最近しなくなった。なぜならば、ワクチンを短い期間に7回もうつというのが異常に感じたし、次々に何らかの毒素を身体に入れ続けることにさすが疑問を持ったからであるし、田舎でほとんど人込みに行くことがないのに必要なしと思ったからである。ところが「高齢者は皆うつように」という一般的な指導だけが行きわたっているのに不信感を抱いたこともある。「高齢者は皆、全員うて」ではなく「打つべき高齢者はどう、うたなくても良いのはこれこれの人」という発信もほしいのである。
高齢者の健康や福祉や災害その他多くの問題は、同様に問題の解決方法の選択を間違ってしまっているような気がしてならない。まあそんな例をだすまでもなく、役所や医者から一律に出される指示も怪しいと疑うべきだと思う。

我が家は、平屋で今年の猛暑で更に断熱工事を追加してやってきたが、あと一か所南側の屋根に近い壁の断熱を業者に頼んで工事する予定だがそれに先立って破風と母屋の木の板の塗装が剥げ始めたので急遽午後45分かけて塗りました。

作業はやや傾斜のついた波板の上に板を敷いて、そこに梯子で上り水性塗料を塗りました、案外やり易く出来栄えもまあまあで、他の家の同じ部分はすでに30年以上経過し塗料もはげ木も傷んでいますが、わが家のように自分では出来ない構造なので、わが家はかなり光り輝いています。翌日二度塗りも完了がっちり修理を終わりました。

そして後日、壁の断熱リフォームしてこうなった


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593.知事や警察本部長のパワハラに関して私の一言

2024-10-06 21:45:39 | ハラスメント
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知事や警察本部長のパワハラに関して私の一言
人間として信じられない真面目できちんとした人がいない
全ての人を安易に信じてはいけない。自分を信じられるように自分自身を磨くことだ

京都府警本部長を事実上更迭、警察庁が訓戒処分 「殺すぞ」不適切発言問題、議会で謝罪という、斎藤兵庫県知事以上に全く信じられないニュース。悪事ではあるが「上には上がある」言ってみれば犯罪的行為を警察のトップの指導者が平然とやっただなんてまず100%ありえないこと、これぞ史上最大のやくざ者・詐欺師と言える。でも世の中には斎藤知事も含めて経営者トップや今回の警察やお寺の坊さんや学校の先生までおよそ信じられない指導者が案外沢山いるものです。
多分皆さんも日頃会社や組織などでとんでもない滅茶苦茶な経営者や幹部や上司に遭遇することがあおりのことでしょうが、私も20数年前かつて勤めていた会社でひどいパワハラで会社を追い出された経験があります。当時私は「こんなことは、この会社だけのこと、その社長や常務達が格別やばい人、これは世の中でも滅多にない珍しいこと」なんだと思っていましたが、その後今回の事案も含めて世の中にはパワハラなんて当り前にあっちでもこっちでも存在しており、指導層やトップなんか安易に信じられないという認識に変わってきました。
人の性善説や性悪説などというものが議論されることもありますが、人間は知恵がある分、本質的に動物などに比べると性悪な生き物だと断定しても間違いはない。私の場合も会社はすごく急成長し社長は有能で立派な人と”話題の時の人”になっていましたから、私も「良い会社に入った」とすごく幸せを感じていましたし、株価も急騰し家族や友人知人にも自慢していました。
世の中で優秀な経営者や知事になったり、警察の本部長になると「自分は偉い」と勘違いする、別にさほど偉くもないのだが、こういうことこそが人間の精神的矮小さ・見苦しさですね。この二人の事件公表後の哀れな姿が如実に彼らの本当の姿を見せています。またこういう人は必要もないのに非常に焦っているし、不安感もあり、案外孤独・孤立しているんですよね。正直な話ですが、私めも、万一もし偉くなったら、同じタイプかもしれません??
私の場合に戻って、会社は驚くほどの高業績が続き私も55歳になり、これで私も無事人生後半を生きて行けると思っていましたが、突如ある朝呼び出され「すぐに会社を辞めてくれ」という話をされ「なんというひどい会社だ」と耳を疑いました。社長は人前には全く出てこないような人でしたし、当時会社は取締役や部長などがいつの間にか会社にいなくなるというようなことが多くなっていたのですが、どうやら社長がイエスマンを除いて、口やかましい年寄りを計画的に排除していたようなんです。その代わり若いさほどでもない社員がいきなり昇格し、社員皆で『一体何が起きているのか」と驚いたことが頻繁にあり、人事の移動通知が回って来る回数が凄く増えたことも記憶しています。その社長も確かに何となく非常に焦っているし、不安感もあり、かなり孤独・孤立していましたね。
まあ社長も当時のひどい常務連中も今はいないようですし、今となってはむしろ「辞めさせてくれてありがとう」もうどうでもよいほど昔のことで、これくらいにしますが、兵庫県同様に社員も「こんな業績の良い会社なのに何かおかしい」という雰囲気はありましたね。まあ世の中は立派な会社や組織でもこんなものです。「我が企業は超一流だからそんなことはない」なんて例外はないのです。ジャニーズ事務所・ビッグモーターなどもその例ですが、ガックリですよね。知事だからさぞかし有能で人間的にも立派な人と思いきやそうではない。まさか我が企業の社長は・・と思いきや、”まさか”はないのです。警察の本部長だからごく当然のように清く正しい人と思いきや「殺すぞ」と言うようなとんでもない人だった。私の場合も常務から「首つれ」「紐もってきてやれ」なんてのは再三やられましたし、毎朝一番で常務から嫌がらせ電話がかかって来る、会議では皆の前でこれ見よがしの嫌がらせというしつこい虐めを経験しました。
こんな話はニュースにならないレベルでは巷にはごろごろとあるものですし「一見立派なトップクラスの人でも安易に信じてはいけない」こんな状況はいつまでも無くなることはありません。今度の2件の事案はまさに職員や市民を騙した大きな詐欺であり、世の中にはいろいろな詐欺がまだかなり横行しているようですが、私はこんな人達は基本的に大掛かりなオレオレ詐欺だと思っています。人は相当に厳しく自己を見詰め、自己をも磨き上げて来た人でなければ信じられるものではないです。でも現実は人間として立派な人なんて存在しているんでしょうかね?もう絶滅しているかもしれません。
今回の斎藤知事や白井利明本部長記者会見で言っていることを聞いていると基本的に自分のことを心底反省はしていないように見え、謝ってはいるがまだまだ何も自己を厳しく見詰め直してはいません。「とんでもないひどい事をやらかしてしまった」という反省はなく「まだ何とかなる」「どうにか取り繕おう」程度の認識しかない、どこまで行っても極めてお粗末な腐りきった人達なのでしょう。
日本や国家が駄目になる場合の最重要事項は国や県のトップが首相や知事である前に立派な人間であるべきなんですが、この日本でさえも政治家を含め、そんなことは全くない実情を嘆くばかりです。残念ながら「人は信じられない」「人は危うき人に近寄らず」ですかね
そういうインチキな指導者に従わなければならない社員や職員や生徒は、それこそひどく迷惑なことですね。立派な指導者や先輩という証明書がない人はホテルや病院同様に安心してそれらの人の指示命令や指導に寄り添うことが出来ない時代になったのでしょう。
親は選べないからまあ仕方がないが経営者や幹部や上司や更に友人や兄弟や伴侶まで人を信じるということが難しいことだと思う今日この頃です。日本でもこんな体たらくだが、世界に目を転じると、意味のない合理性のない戦争を勝手気ままにやって罪のない他国・自国の人民の命や財産を平気で奪ってしまう国のリーダー達もおよそ信じがたい存在である。まあそれらの殺人鬼の国家指導者に比べればマシではあるが、世界は異常気象同様に異常指導者の時代に突入しつつあるのだろうか?
このようにひどい指導者が目立つが、指導者ばかり責めてはいられない、振り返って貴方は、自分はどうなのかと自分を見詰め直してみると、まあさほど褒められたことではない。今の時代「深い反省」と「大きく広い心」が求められますね。すなわち上も下も満遍なく世界が堕落しているのであれば、もう地球の最後も近いのだろうと思わざるを得ない。最近起きる異常気象による巨大洪水や台風や干ばつなどというものは、その結果であることも思い出してほしい

燃やせるゴミの指定日に関係なく別の日に平気で出す人がいて、ずーっと続いている。ごみ箱を設置させて戴いている家の人に匂いや害虫発生でご迷惑がかかるので非常に困っている。

そこでそんなことでお困りの町の場合に、こんな掲示を出されたらと提案します。この掲示を出したら当面1月くらいは厳しく監視を行い不正が続くようでしたら、更なる強い監視や指導をやってみて下さい(あくまで参考です)
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592.兵庫県知事はまさに本能寺の変

2024-09-18 07:13:36 | ハラスメント
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兵庫県知事はまさに本能寺の変
知者タイプの斎藤兵庫県知事は織田信長タイプ

パワハラというのは今回の斎藤知事に限らず大なり小なり政治家や経営者や指導者などにあるのだが、今回の兵庫県のケースは絶対にありそうもなく、県知事の斎藤さんがかなり強引に権力を行使して当面の課題を自分の力で押し通そうとし過ぎた結果であろう。織田信長や豊臣秀吉も国家統一のために強引な独裁政治を実施した。現代のように「公益通報者保護法」なんてものが全くない時代には当然のことだったのだろうが、なんと現代においても兵庫県でやられていたことが県民や国民にも信じられない事となったのだ。しかも知事はあろうことに公益通報者保護法を自ら違反し、通報者を自殺に追い込み、更に道義的責任を感じないし、罪を認めないという稀なケースとなった。
今回の案件はまさに本能寺の変で斎藤知事(織田信長)元県民局長(明智光秀)がパワハラによる対決で、斎藤さんは必死に耐えているがまあ完全な死に体である。彼は絶対に辞職はしないタイプ、簡単に言えば経験不足の尻の青い大馬鹿だから中国共産党のように「自分だけが正しい」という単なる自己中心の子供みたいな最悪の男なのだ。
私も昔、会社で同様なパワハラをやられた経験があるが、東証上場の大企業でも業績が向上している会社の社長ほど織田信長や斎藤さんのように「自分の指示を迅速かつ厳格にやらせようと焦る」、過去のパワハラ事例もほとんどがそうであったように思う。多分今回も斎藤組の斎藤組長の指示の下、一部の悪い手下の組員(斎藤の息のかかった県庁幹部)が一丸となって課題を早く実現しようと焦ったあまり、部下を大きな声で罵倒し、強引なやり方をこれ見よがしで進めたたものと思われる。まあ会社の場合も社長は直接の取り巻きを置きそいつらに指示しあれこれやらせる。まあ今回パワハラを知事本人が直接やってしまったのが下手だった。土産物やおねだりも取巻き連中にやらせるべきだった。暴かれた時に知事が言い訳が出来ないからだ。私の時は社長は一切関与せず取巻きの新参の常務連中に虐めをやらせていた。「知事は知事」のままにしておくべきだったのだが、そこが斎藤さんの稚拙で未熟なところだったのだ。
私の知る範囲でも社長は取巻きの幹部に指示して「俺らの言うことを聞かない奴や面倒な奴は同じ目にあうぞ」みたいな個人を大声で恫喝し、「よく見ておけ」とばかり織田信長さながら見え見えの強引なやり方をするのだ。織田信長も自分でやらずに取り巻きのお偉方に指示してやらせるべきだったのだ。驚くのはそれをやらせたり、やるのが普段は部下に立派な事を言う、部下や人々を正しく導くはずの社長や知事なのだ。まさに現代にも織田信長は大企業や立派な県や組織でも未だに当たり前にあちこちに存在するのである。今回の兵庫県のケースはまだ明るみに出す元県民局長のような勇気ある人がいたから早めに表ざたになった例なのだ、地方の役所や中堅以下の企業では大半がもみ消されているのが実態だろう。
大手企業や県などでも100%とは言わないがかなり当たり前に横行している。どこの会社の社員でもどこの県や市や組織などでも1~2回はパワハラ・セクハラされたり、日常的な嫌がらせを受けた経験があるのが実情なのだ。
斎藤兵庫県知事のあまりの自分本位さ・身勝手さが毎日批判されています。世の中の人は知者と仁者に分かれ、彼はどちらかというと知者すなわち頭が良いグループ、このグループの中にえてして斎藤さんのようなパワハラに走りがちの指導者が登場するのです。プーチンやトランプ氏や織田信長氏などもそれに近い人達なんですが、彼らは仁者の要素が全く欠落しています。”知事の面を被ったナラズ者”と言うべき人を安易に知事に選んだ市民も大いに反省すべきなんだろう。ある意味今回の事件はパワハラの告発という点では結果的に非常に良かったのだ。
知事でも社長でもない役立たずの私でも”人を虐めないことや嘘誤魔化しをしないなんてこと”は当たり前に最も順守するようにしているのに、絶対にやりそうにもない多くの政治家や社長や組織の長がなぜパワハラをごく普通にやってしまい、更にそれがバレそうになると、何とか誤魔化そうとするのだろうか?中には筋の通らず戦争を身勝手に起こし、人の命を奪い家や街を破壊し、しかもそれが自分の大手柄みたいに言うのが信じられない。
「道義的責任を感じない」画一的なロボットみたいな人なんです。だから百条委員会で「道義的責任を感じますか?」と言う質問への回答が「私は道義的責任の意味が分かりません」という非常に不可思議な回答だったのです。こういう人は自分の思い通りに物事を進めたがり、「自分は正しい」と自分の非は絶対に認めません。私が常々言っていることは、万一悪事を働いた場合、悪あがきをせず、素直に罪を認めることが大事。 知者にありがちだが、知者は幼児のように、これが出来ない、そして何も得ず、自ら地獄の底に落ち込んで行く。
知者タイプで突っ走る人を総理大臣や知事にする場合は必ずそれをうまく諫める側近や仁者が必要ですが、残念乍ら今回の側近はそんな立派な人達ではなかったということです。今回の件で分かったことは、知者(頭がよい、業績を上げた人)というのは、むしろよほど慎重に選ぶべきだということですね
  ◆孔子の論語の雍也第六の二十三◆
子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽
  【子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、
  仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し】
  ◆吉田兼好【徒然草】友とするに悪き者(第百十八段)◆
にこんなのがあるが、斎藤氏にも当てはまる
 友とするに悪き者、七つあり。
 一つには高くやんごとなき人 二つには若き人  三つには病なく身強き人
 四つには酒を好む人。五つには猛く勇める兵(つわもの)  
 六つには戯言(そらごと)する人 七つには欲深き人
一介の無能な私が知事に言うべき事ではありませんが、斎藤さん辞職しなさい。今だったら、まだ人々は貴方を許す心の広さを残しているが、万一貴方が解散を指示したらもう完璧に貴方は、断崖絶壁から落下し大怪我を負い、日本の街を堂々と歩けなくなり、もし家にいても精神的に追い込まれ惨めな暮らしが続くと思う。更に貴方は幾つかの犯罪者として告発されるのも必至でしょう?最最悪の事態にならないことが貴方にとっても兵庫県民にとっても今はぎりぎりの最後の一線だと思っています。何しろプーチン氏以上に貴方の態度が理解不能なので精神異常ではとか、まさかと思うが万一の不穏な事件(自殺とか爆破とか・・・)でも起きなければ良いがと疑わざるを得ない。
「素直に謝りなさい」残された貴方のたった一枚のソフトランディングカードです。まあ私にとっては貴方の将来などどうでもいいのです、自業自得で貴方が更に惨めな状況になるだけのことです、全ては貴方自身が決めることです。それにしても貴方はこの場に至って何を得ようと焦っているのか全く理解できない、すべてを捨てきりなさい。貴方はとにかく、まだまだ未熟者、何とか素直になって謝って出直してほしいと願うだけだ
多分常識的には不信任決議案が提出される前後か放置して自動的に失職となるんだろうと思っている。失職が濃厚であろう。もし議会の解散となれば彼は異常者としか言えず、相当厳しい批判を再度受けるのは当然である。不信任決議承認後の彼の独裁者のような顔つきや態度が不吉・不気味で少し気になる。


友人の大工さんがお客様の家に依頼された家具を処分する前に我が家に持ってきてくれました。洒落た0円の籐製家具を玄関に設置しましたがピッタリ、しかも物入の場所が増えてバンザーイ
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591.夏の過ごし方を真剣に見直そう

2024-09-17 08:44:17 | 健康・医療
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
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****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**

夏の過ごし方を真剣に見直そう。
  今年の猛暑の中の暮らし方を総括する

今年の夏の猛暑は81.5歳の老人にはかつてないほど、かなりきつかった。毎日が地獄だった、それでも必死にいろいろ工夫し猛暑の夏の過ごし方を模索し耐え抜いてきた。まあ私はつらい中でも上手く乗り切ったほうだし来年以降の猛暑の夏の過ごし方をかなり確立出来たと思っている。
 ①酒ビールは2年前からやめている
 ②通常毎週やっている卓球は全面的に中止
 ③昼寝
 ④断熱の見直し
 ⑤早朝散歩
 ⑥夕方運動
 ⑦部屋の改善
 ⑧エアコンの使い方
 ⑨食事を普段通りきちんととる
 ⑩無理せず慌てず耐える

そして今夏の基本ポリシーを纏めてみると
 ①普段使う部屋を一か所に集約そこを一日中エアコンで冷やす
 ②運動は日中は中止し朝晩涼しい時間にしっかり運動する
 ③家の内外全手を徹底して断熱する
 ④夜寝不足の場合は、眠い時は昼寝する
 ⑤夏8~9月は外出・旅行を控え夏籠りする
 ⑥普段で出来なかったことを夏に部屋でやる

 ⑦
そしてごく最近9月中ばに、私は10畳の部屋に必要なものを集結、その部屋の周囲は廊下や別の部屋で、ある意味二重に断熱されている部屋なのだ。そこの部屋を重点的にエアコンで一日適度に冷やし続け電気代の効率化している、トイレや風呂や食事を除いてその部屋で過ごすようにしているこの部屋を私は「北海道の間」と呼んでいる

 今月も猛暑はむしろ8月以上に過酷。【耐える事と独自に工夫改善する事】の大切さを改めて思い知らされた夏でした。10月も無理せず疲れ切った身体を労わりゆっくり回復させて行きましょう。涼しくなったからと急に元気になると夏の疲れがもとになって身体はむしろ不調を訴えることにならないように
この夏ナシやぶどーやスイカなど果実や多くの野菜まで壊滅的にやられているそうです。肉や玉子や魚も不良。従来の農業や畜産では限界だそうです。もう従来通りのやり方が通用しなくなってきそうなのだ。これらの食材の価格高騰の心配ばかりでなく、老人の夏の暮らし方も余程真剣に改善が必要なようだ・・・・

自転車でサイクリングは猛暑であまり出かけませんが、タイヤが丸坊主であるのも気になっていました。アマゾンでタイヤ(5580円)とチューブ(1483円)を買い取り替えました。





この自転車はもともと700×25cですが、リム幅を28cにしてみました。乗ってみると従来は幅が狭過ぎでしたが、やや安定感が増したように思います。(25cの自転車に28cのタイヤの装着は可能です)
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590.猛暑の夏の過ごし方は正しかったのかが秋以降に表面化する。

2024-09-05 08:05:33 | 健康・医療
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猛暑の夏の過ごし方は正しかったのかが秋以降に表面化する。

今年の夏は歴史的な格別な猛暑であった。また速度の遅い・迷走台風がきて日本中を大混乱させてくれた。そういう厳しい猛暑の環境の中でどう暮らしたかが次の季節になって身体の好不調になって表れてくる、私が気になるのは、この猛暑の夏にスポーツの大会や個人的にスポーツを未だに従来通りやらせている、やっている人が多いことだ。
歴史的な猛暑がやってきているというのに、何の疑問もなくスポーツ大会なんかやっている場合じゃないと思うんのだが?せっかく健康のためにやっているのに身体を大きく害してしまう。そんなことが許されてよいのだろうか?この際夏のスポーツやイベントなどを基本的に検討し直すことが急務である。
何か大きく変ったと思える場合は、即座に従来からの習慣ややり方を厳しく点検し迅速に対処することが大事で、そうしないと取り返しのできない事態になってしまうことを覚悟しなければならない。「今までなかったから今後も起きない」と考えがちなのだが、これが落とし穴なのだ。巨大台風や巨大地震も個人ですぐに対応策を考え実施すべきなのである。
私は81歳と高齢でもあり夏の突入時点でこの夏の過ごし方を自分で決め、守ってきた。その点私はかなり時代の最先端を走っているのだと思う。私の場合は、今年8~9月はいつもやっている毎週の卓球やその他普段はやっている無理な運動も全て止めた。きわめて当たり前の処置であると思うのだが
夏にいろいろな大会が多く開催されその結果高校生や学生や社会人までもハードな練習と試合を無理やりやらされている。これは国民の健康に対して重大な危機であると私は考えている
とんでもない猛暑の夏でもドーム球場だからいい、夜にやるからいい、色々熱中症対策をするからいいというそんな生易しいレベルではない。「夏は無理な運動は一切休止する」が基本原則とならなければ、もはや人権侵害と言っても過言ではないまあ大丈夫だろう程度の低い認識では非常に困るのである
「夏、夜もエアコンかけっぱなし」なんてもう限界を遥かに超えているエアコンが普及したのは昭和60年頃、私が40歳以降の話である。今や一部屋に1台の時代に、そして夜もつけっぱなし、さあ今後どうなって行くのやら?考えただけでも恐ろしい。夏に停電や災害でも起きたら多くの人が熱中症にかかってしまう。・・・・・
昔冬は家に籠ったが今年の夏は私はほぼ家に籠っていた。それがこの猛暑では当然だと考えたからである。夏は何もできない時代が到来したのだ。そして朝晩の涼しい時間に散歩や汗をかく運動をするようにした。夜眠りが浅くなるので、昼間眠くなったら、時間に関係なく昼寝をするようにした。これも、そうするのが自然だと思ったからである。
また酒(ビール)は2年前から止めていたのでそれは今年の夏も守れたことは良かったと思う。真夏の炎天下で汗かいて夕食前にキンキンの酒(ビール)を飲むのは胃腸や肝臓を弱らし結果的に体力や免疫力の大きな低下につながる。猛暑の中過度の飲酒(ビール)の悪習慣も国民の著しい健康低下につながる由々しき事態だという認識が必要になって来る。水を飲めというあまり、アイスや氷やジュースも過剰に食べ・飲み過ぎがちだが、これも良くない。
この猛暑での運動などの私が守っている留意点は
 ①無理な運動や作業は全て止める。体温が上がる無理な外出も避ける
 ②スポーツ競技大会の応援や観戦は止める
 ③朝晩の涼しい時間に散歩や汗かく程度の運動をする
 ④あまり冷たいものを飲み過ぎない
 ⑤酒(ビール)は飲まない
 ⑥眠い時は日中でも昼寝する
 ⑦部屋にいて座っている時間が長くなるので時々立ち歩きなどをする
 ⑧身体の体温が上がらないように注意する(エアコンや扇風機)
 ⑨部屋ででもよいがストレッチや筋トレをする
 ⑩食欲低下や便秘や血圧アップに気を付ける
歴史的な夏の猛暑に遭遇しても、危機感は政治家・役人・スポーツ団体や先生や企業経営者は持っていないというか遅い。政治家はとにかく何でも遅い、早いのはいい加減な公共工事くらいのもの。大丈夫ですか?
最近米不足が言われているが実は政府は備蓄米を持っているらしいが、全く放出していない。全く状況把握ができていないし、出し方の基準さえ決まっておらずお粗末な政治の典型である。私としては「出します」と言って1~2回少し出しておけば、それで国民も安心すると思う。ところが農水省大臣が2度も「出さない」と言ってしまえば、買い占めを煽るようなものだ「この阿保め」。そもそも今回のように急激な米無しや価格急騰をホッタラカシにすることがお粗末過ぎる。お米情報をネットに出すとか臨機応変に備蓄米を小出しにするように工夫するべきだねとにかく政治馬鹿、指導者馬鹿の時代、お粗末すぎるあまりに無能な政治がこの国を滅亡へと導く、しっかりしよう国民一人一人時代の急変は早期に発見早期に対処しないと手遅れになってしまう。政治家や役人はそういうことを予想し早期対応するのが使命なんですが、現実はむしろ一番下手・苦手ということが大問題、国の命運にかかって来るんです。
医療費の増大、医療のひっ迫、国民の健康の低下が問題になっているというのに平気でいる・・・・大体スポーツという虚業にあまりに熱意を注ぎすぎるのも何となくこの国の行末が暗示されいるように思えてならない。この際虚業にあまりに熱意や税金などをかけることを考え直すことが大事だと思っている。現代は【虚業・虚事・虚飾・虚栄】があまりにも多すぎる地球温暖化の原因も多くの人間の無為・無駄な欲望によるものだということを思い直してほしい。
私は健康な暮らし・安全第一・質素・倹約・無欲をモットーにしている
 スポーツ競技に異常な関心を持たない
 ペットは一切飼わない
 自動車は所有しない
 旅行はしない
 都会に住まない
 自然と共存する
 贅沢はしない 
 家の修理は古材を使って自分でやる
 断熱をする

 ・・・・・
「個人だから環境負荷を出してもしれている」という考え方は私は、一切しない、どんな細かい事でも環境負荷削減に日々努めています
そういう地道なことが気候を正常に戻し猛暑を改善することにつながるのだが?
なにしろ歴史的な猛暑に突入した以上は夏の過ごし方を自分なりに大きく変えてみることが大事ですね。貴方の夏の新しい過ごし方は?

パナソニック 口腔洗浄器 を7月23日に購入し一カ月以上使ってみた。私の歯磨きは従来は普通の歯ブラシ3種類と電動歯ブラシと歯間ブラシ・歯間クロス・歯石とりを使ってきた。しかも一日4回きちんと磨いてきた。そこへ今度口腔洗浄器を試験的に買ってトライしてきた。結果は良好で大きな効果があることが分かった。

冷蔵庫の製氷室が凍って付近の部屋にも霜がつき引き出しが開かなく一年以上ホッタラカシ。台風が襲来する中、冷蔵庫の電源を切り格闘する事1時間やっと製氷室の霜と氷が取れやっと正常に戻った。久しぶりに冷蔵庫が正常に戻り、早くやっておけばよかったと後悔しました
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589.別れは悲しいことではなく、より多く経験すべきことだ

2024-08-27 20:26:06 | 言葉
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**

別れは悲しいことではなく、より多く経験すべきことだ

「別れは悲しい」だから別れない、そういう人は多い
「別れはつらい」だから別れない、そういう人は多い
「今で満足している」だから別れない、そういう人は多い

一体そんな考えで良いのだろうか?

別れはつらいもの、避けるべきこととされがちだが
一生のうちに何度別れを経験したかで人生の値打が決まる
人は別れの回数だけ、貴重な出会いを経験する
別れてから出会うことで少なくとも人間の厚みが少しづつ増す
別れや出会いは逃避的や、投げ槍なものであってはならない
私は他人より数倍別れて来た、場所と、会社と、文化と・・・
自分を真摯に見詰める者は、心の中にも出会いや別れがある
別れは悲しむのではなく前向きに捉える者は、別れを利する

ある都会の人が言う「私は人脈が豊富だ、楽しい、おかげで
私の毎日は充実している」しかし私にはこの人を羨むどころか
可哀そうだとも思ってしまうのだ。なぜならば
人というものこそ最も自分を縛り付ける足かせになるのだ。
人から自分自身を自由に保つことなど到底できないのだ。

多くの人と付き合うとその人達をつい見詰めてしまい、
自分を他人と比較する、他人を基準にする事など意味がない
多くの人が自分や自分の心に纏わりつく、住み着くようになる

何事においても「過ぎたるは及ばざるがごとし」である
自分を深く見詰めて自分自身を成長させていくべきなのだ
「主体は自分自身、自分が自分の主人」を忘れてはならない

多くの人からの情報や考え方や付き合いはいろいろな意味で
自分を縛り付けてしまうことに気づいていない。
そんな人に言ってあげる「私のように山に10年籠ってみたら?」
「一度今までのシガラミを全部捨ててみたら?」

背後霊と言うのがあるらしいが私はそんなようなものが
全員の心にびっしり住み着いている
のだと思っている

多くの場合自分自身を縛るのは、友人・知人・家族・会社・住まい
なのだということを知るべきだ
麻薬患者を縛るのが麻薬そのものだということに似ている


別れとはいったい何であるか、人はじっくり考えてみるべきだ
出会うから別かれる、別れるから出会いがある
新たな素晴らしい出会いのために別れると言ってもよい
人が長生きなのは多くの別れをするためかもしれない
結婚し子を産み孫が生まれて永遠の出会いに繋がって行く
学校や就職や結婚や家族との別れ程度で最低限の別れは、
それらは私に言わせれば別れとは言えない


私は
24で東京から大阪へ更に京都へ、55歳で都会と決別し、
滋賀県の一人山暮らし、今は田舎町で暮らし続けている
松下電器からエンゼル工業そしてロームを経てコンサルタント会社へ
最後は、山暮らしをしながら経営コンサルタントを自営、
妻とは55歳の時に癌で他界して別れ、
 ”妻の死と会社退職とコンサルタント自営と山暮し”はほぼ同時発生した
 のであるが、そういう厳しい別れは55歳以降の私の生き方
 を大きく変え新たな出会い(自由と自然と自分発見)
 もたらした

子供達も兵庫・大阪・京都と別々の地で暮らしている

地域文化や住環境や多くの人々との別れと出会いもしてきた
仕事も趣味も生き方や暮らし方多くの出会いをしてきた

生まれて以来同じ場所・環境・人・便利さ・過密さの中で
生きているのは人を狭く・浅く・小さくするだけのことだ
長年大都会や大企業に居続けた人と後年遭うと、私は大きな
違和感を感じる。本人はそんなことを感じていないのだが
すでに得た地位や会社や住居や人を捨てたくないばかりに
別れることを躊躇ってはいけない

私は、最初30歳頃は怖々、悩み苦しみながら
そして50歳頃からはやや大胆になり
65歳以降は躊躇なく多くのの別れと出会いをして来た。
それに反して多くの日本人は、別れないことを後生大事に保つ、
私に言わせれば自分を縛り付ける生き方をしている。
私の経験から言えることは別れを恐れないとか
面倒くさいとか考え過ぎない
ことだ

いろいろな別れや出会いを経験し続けてくると
死別もどんな過酷な分れでさえも、悲しい事ではない
生を享けた者、出会った者に、別れは100%やって来る
誕生や出会いは同時に別れや死ぬことを意味する
死は最後の別れ、もう二度と別れることはできないのだ
大事なことは人生でより多くの別れを作り、経験することだ
別れはいつも”ハッピーエンド”とするのだ

別れが悲しいものであれば、生まれも出会いも悲しいはずだ
生まれる・出会うことだけがなぜ目出度いのだろうか?
別れが、なぜ悲しいもの・つらいものと考えるのだろうか?
別れとは完了・完成・完結ということ、締めくくることなのだ
別れないことで自分を必要以上に縛りつけていませんか?

別れを泣いて悲しむ人の姿を多く見かけることがある
私は「一体なに悲しんでいるんだ?」と思ってしまう
別れを悲しむなんて事を考える僅かな隙間は私にはない
別れは悲しむとか悩むことなんかでは全然ない
別れとは私的には決別・挑戦・冒険・脱皮・飛躍・変革と考えている
別れの少ない人の人生にチャレンジの痕跡はない


会社も住まいも環境も趣味も仕事も友人も妻や夫さえ
別れを恐れず変えても良いと思っている。
結婚でさえ契約、双方合意ならば契約解除もありえる
ましてや契約のないものは、自分が意味ないと思えば
別れることだ。普通は経済的などの理由で離婚などできないので
仕方なく結婚を続けている場合が多いが、
可能な人ほど何回も離婚と結婚を繰り返すのですよ。
離婚は望ましくないとか、離婚禁止の法律はないのです。
最近結婚しないなんて言う人が多くなって困っていますが、
簡単に離婚できないのであれば結婚しないという選択もあり
私の場合も妻が他界して再婚はしませんでした。

以上、別れについて述べてみたが、何事においても同様なのだ
悲しむことは悩むことなど、この世には一切無いのだ
悲しむ・悩むことはむしろ人間を成長させる原動力なのだ
人はつまらんことを、固定観念で悪く考える傾向がある
別れが悲しいと躊躇う者は「勝手に悲しんで躊躇っていろ」
別れのない人生は出会いのない人生に過ぎないのだ
55歳以降私が体験した些細な事だが別れを紹介する
 妻との別れ 都会との別れ  会社勤めとの別れ
 子供への小言・意見することの別れ 家族暮らしとの別れ
 自動車との別れ 酒ビールと別れ せっかちとの別れ
 床屋での散髪との別れ 新聞との別れ 旅行との別れ
 着飾るからの別れ 自己中心からの別れ 
 会話苦手からの別れ 他人への依存からの別れ:自活
 経営コンサルタント自営との別れ 山暮らしとの別れ⇒田舎町へ
 父との別れ 母との別れ 東京の兄姉との別れ
(東京血縁との付合いをやめ京都人として生きるに決める)
 55歳山暮らし・自然・安曇川・山菜との出会い
 55歳ISO14001との出会い 55歳コンサルタント自営との出会い
 57歳ホームページ作成との出会い 57歳前立腺がん摘出との出会い
 60歳素人大工作業との出会い 60歳ブログ作成との出会い
 62歳人生勉強会との出会い 67脱腸手術との出会い
 72歳田舎町暮らしとの出会い 72歳草木の剪定との出会い
 72歳福祉活動との出会い 73歳水彩画との出会い
 74歳卓球との出会い 80歳老いとの出会い

 その他やったことや小さいことはいくらでもあるが省く

今年も歴史的な猛暑そして台風10号歴史的な本土上陸台風らしい
道からの洪水に侵入をふせぐガードを設置しました


停電が予想され熱中症も心配なので電源も購入しようと調査検討にかかりました。大災害の多くなるこの時代安全にはより多くのお金と努力をかけることをお勧めする。費用は14万円くらいになりそうだ  Anker Solix C1000  1056Wh 世界最速の急速充電 高出力AC(定格1500W / 瞬間最大2000W / SurgePad 2000W, 6ポート) 長寿命10年 リン酸鉄 ¥139,900 税込

ポータブル電源の選び方
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588.猛暑凄まじ、冷蔵庫内でじっとしている自分おり

2024-08-15 19:39:31 | 暮らし
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
なにしろ凄い猛暑だ、災害だ、歴史的だ、日本は熱帯だ、世界は大丈夫か・・・

昔、冬は仕事も無く室内で酒を喰らい内職などしていたらしい。
今や、私は猛暑の中夏の冷蔵庫に入って腐らないように日がな一日じっとしている。人も魚や肉などの食材とあまり変わらない、時代は大きく変わったようであります。日中に外出でもしようもんならば、人は腐っていくか干物のように干しあがってしまう。もう時代は戻らないのか?オソロシア
人間が豊かさを求め「頑張れ、頑張れ」とやってきたノーベル賞級のあまたの技術革新が温暖化を招き、異常気象をもたらし、人までも冷蔵庫(低温の部屋)に押し込むそんな時代にしてしまったらしい
今や日本はあちこちに動く冷蔵庫動かぬ冷蔵庫があり、そこに食べ物だけでなく人や多数のペット様までも文化遺産のごとく保管されている。家で犬猫だけでなく金魚や小鳥まで飼っている場合は一日エアコンをかけ続ける。鶏は牛を飼っている業者や温室栽培をしている人も一日中エアコンが必要になっている、悪循環だ。高い原油や天然ガスを輸入し円安の原因になっている。贅沢や豊かさや便利さなんか追及し続けると、この国もあと何年もつかどうか心配だが、世界にも消滅しそうなのや森林火災や干ばつや大洪水で困っている国や島があるとか。
海外旅行者の増加や商業主義のオリンピックや競技スポーツやイベントややたら自動車を乗り回しての観光や子供の数より多いペット(大事な食糧を食いつぶし、メタンガスを大量に出す)等々そんなものを今すぐにやめる覚悟がないと猛暑は酷暑になり、ついに熱地獄になって行く。私は微力ながら必死に環境配慮の暮らしを日々続けている。
もし夏に大都会で巨大台風や大地震や大津波が起きて、更に大停電や大断水にでもなったら生き地獄だそんな日々が何カ月も続いた場合、はたして耐えられるのだろうか?

大都会より朝晩は僅かに涼しい安曇川田中の田舎町に住む私は何とか専用冷蔵庫で村上原基人生勉強会の原稿を書いたり部屋の模様替えをしてどうにか腐らないように生き延びています。
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587.この夏の恐ろしい猛暑どう生きるか、私は最近こう変えた

2024-08-08 09:28:25 | 防災
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
この夏の恐ろしい猛暑どう生きるか、私は最近こう変えた

何か急な変化があったら、自分の暮らしや生き方も変える、もし変えないで放置するといろいろな問題が大きくなって混乱の原因になる。今年の猛暑も災害級の暑さで従来通りの暮らし方のまま続けるのは大いに危険。と言うのは、今年だけの猛暑ではなさそうで、今後もっとひどくなる可能性があるから、考えましょう、どのように変えたらよいのか?
 (猛暑の問題以外にも他にいろいろな困難な問題があり、かつそれが今後ひどくなる可能性があるというのが多い。ところが若い人は戦後この手の深刻な問題への対処法の経験があまりないのが気になります。)
夏の猛暑について、私の場合はすでに事前にやっていたものとこの夏に急遽新たに変えたものを紹介します。
涼しい朝早く起きて散歩、夕方も涼しい時間に作業や運動、エアコンや扇風機の使い方、寝方が主なもの。エアコンも2か所以上、2台以上設置して、もし1台が故障しても大丈夫なようにしておくことも大事。ルールを決めたら守り続けることが大事で、絶対に守り続けることです。特に高齢者は無理しない、食べる・寝る・暮らし方全般についてこの際点検することが大事だ。私もやっている卓球を当分止めることにしたし、酒ビールも止めていますが、止めるべきことは迷わず止めることだ。
老人は何かと言うと過度に保護されしまう。私はわざわざ面倒臭い事やしんどい事も敢えてやるようにしている
①朝は5:50分に起床し朝飯を準備
 日によっては5時に起きてしまい、散歩も早くしてしまうことも多い
②いつもどおり水を1杯飲む、食事前に更に2杯くらい飲む
③4か所の換気扇や扇風機を回す:酸素濃度定価と細菌と黴防止
 (早朝の最低気温の空気と入れ替える)
④涼しいうちに散歩に行く
 (猛暑の時は朝晩の涼しい時間を有効活用する)
⑤作業や軽く身体を動かす
⑥6:30朝食(8~9時迄に排便)
⑦日中はほぼ室内中心に行動
⑧11時にエアコン入れ昼食
 昼寝は時間を決めず、眠たい時に1時間くらい寝る
⑨16時室内でストレッチなど
⑩17時夕食
⑪18時から外で草木に水やりと汗かく運動
⑫22時寝室のエアコンかける1時間で切れるよう設定
⑬22:30就寝
⑭寝返りは多くする
⑮夜間に目が覚めて暑い場合は扇風機とエアコンを1時間かける
⑯朝5時寝ながらストレッチ
⑰5:30分起床

夏は他の季節に比べて約1時間早く起床する、不足する睡眠時間は昼寝で補う
またそれ以外に別の猛暑対策はつぎのとおり
・夏の猛暑の9月中旬まで全ての卓球はお休み
・屋根はすでに断熱、そして天井裏にも断熱済み
・窓やドアーも簡易断熱を徹底
 段ボールや布切れを利用
・外出は最小限にし、室内での作業や運動や片付けなど
・部屋は1日3回換気、天井は夕方換気
・エアコン(除湿)は昼間は狭く仕切った書斎で12時間ほぼかけ続ける
・夕方、付近の道路などに水撒き3回、気化熱を奪い道路が冷える
・飲み水は多め、飲む回数も多くしている
・酒ビールは一切飲まない。飲みたい場合はノンアル(アサヒゼロ)

地球温暖化・少子高齢化・円安・物価高騰・ゼロ金利解除・災害の増加・・・つらいことだが人間はこれらに、各自備えなければならない時代の到来なのだ、政治や役所任せではいけない。

一戸建ての一階家、昼間は暑いがなんとか断熱を徹底したり工夫改善で乗り切っている、庭の土間もあれこれ断熱している


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586.人が変わったと言うが、本当に心底変わっていない人ばかり

2024-07-29 20:56:05 | 人生
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
人が変わったと言うが、本当に心底変わっていない人ばかり

私は24歳で東京を出て関西に来て以来、会社・住まい・暮らし方・仕事・趣味・・次々にさまざまに変わってきました。まあ普通の人の数倍変わって来たと思っています。変わるということは、まず変わるかどうかの厳しい決断が必要になりその後変わったことに順応していかないといけない、かつ変わったことを続け、それで終わりではなく更に変わることが大事になる。変わることの連鎖反応、その結果今81歳で思うことは「よくぞ積極的に変わって来た」「人間としての成長に満足」ということです。私の人生を振り返ると「変わる」こと自体そのものが大事だったという感じさえしている。逆に変わらない人は、そんな人の一生はおよそ人生とは言えないと思っている。
ところで
26年前、都会暮らしを止めて55歳からの15年間一人の山暮らしは全く初めての経験であったので最初は多くの時間を山の掃除・片付けをしていた時期があり、小さな森に分け入ってそこを綺麗にするために黙々と雑草を抜いて小道を作ったりしていたのですが、その後もそれが習慣になって雑草を採ることが私の趣味というか専門能力になり習慣化している。そういうことをやっている内に森を綺麗にするのに普通1カ月かかりそうな場所でも3日で終わるなんてことにまで進歩した。でもさすが「趣味は草採りです」と、あまり自慢げに言うことはない。今住む町も朝の散歩道路や空き地や空き家の雑草も採ってきれいに保たれていることで私は僅かに知られるようになっている。
さて雑草を抜く専門的な話は別の時にして、ここでは雑草を人間に例えての話をしたいのです。人間にとっては庭や空き地に雑草がびっしり生えてしまうのは気分が悪いし、繁殖してほしくない草花が増えてしまい、蛇や虫やシロアリが住み着くなど困った面が多い。完全な悪者ではないが今日の話では、雑草=ダメ人間の行いとしておきます。結論は雑草は刈るのではなく抜け、抜いた草はそこらへんに撒き散らす(草刈正雄)のではなく、きちんと処分せよ(草抜和隆)ということが大事で、それを今回のブログのテーマ:「変わる」ことの結び付けて後半で説明して行こうと思っています。

今日の話は、人が変わるということについてです。無論良く変わるということですが、私の周辺の多くの知人を観ていて思うことは、人はなかなか変わらないということ。付き合いの中で「この人はこういう点とこういう点を変えたら随分と良くなるのに」と思うことがしばしばある。しかもそれが私だけでなく周囲の皆が同じ意見だったりするのだが、本人は変えようとしない。その点私はプロ級に変わって来た。本人も気はついているし、自分の悪い癖は理解している。治せるならば直したいが治せないか全く治す気がないというかどちらかである。喫煙や飲酒や過食やごみ屋敷程度の些細なことでも人間は簡単にやめられないのだ
その理由は
①長年染み付いた癖である
②本人はさほど悪い癖と認識していない
③変えるには努力が必要だが到底耐えられない、面倒くさい
④変わる事の意味や価値を分かっていない
⑤変わることが苦手
⑥悪な質で、良いことを拒否する性格
⑦自分勝手、自分中心

簡単に一口で言えば ”やる気が全然ない” のである
「俺、変ったよ」と簡単に言う人が多いが、本人がそう言うほど変わっていない。「あたかも変わったように装って」いるが全然変わっていない

よく軽々しく「貴方最近変ったわね」などと言われたが、実は髪の毛や顔の化粧や衣服の好みが変わった程度の事が多い。そんなの変わったとは言えないどころか、むしろ嘘誤魔化し(詐欺)に過ぎない。本人は「やった」と言うが、周辺の人は「ぜんぜん変わってない」という具合

「変った」ということは周囲の大多数の人間から「すごい、よくぞ変わった」と認められないような場合は本当に変わったとは言えないのだが、本人は「変わった」と信じ切っている。皆さんの周囲の街や組織の中で、「あの人はすごく変わった」なんて言う立派な人を見受けますか?
変るということもまあ5段階くらいに分かれる
✕レベル0.変わったというがむしろ悪くなって行く(最悪)
Xレベル1.あまり関係ない些細な事しか変わってない(ごまかし)
Xレベル2.ほんの一部分しか変わっていない(全部はやらない)▢
△レベル3.一見変わっているが完ぺきではない(完全ではない)
ロレベル4.変わってはいるが、それでおしまい
〇レベル5.変わったことを表に出さず更に変わろうと努力を続ける

あまり変われない人の特徴は、意外かもしれないが、強い人・元気な人・明るい人でもどこか大雑把で反省はあまりせず、前進する気がなく、大事なことが抜け落ちている人「そんな小ぽけな事、どーでもいいじゃん」みたいな”変わることが全くない人”。”変わらない人=頑固=自分勝手=いい加減=自分を観ない”私のもっとも苦手な人の一人である。職場の同僚や上司や先輩にも、そんな人がいませんか?
まあ0~3はよくあるパターンで、こんな人はある意味どうでもいいと言うかまあどうやっても変わらないダメな人。問題は実は4の人なのだ。こういう人は変わったことを自慢するが、時々元の悪い状態に戻ったりする。”変わる”ということは私の経験で言うと自慢する事ではなく、むしろ他人に知られなくても黙々と地道にやる性格でない人は長続きしないし、やった行為の奥深さがなくなってしまう。まあ一応変わってはいるのですが、それが頭のてっ辺から足先まで身体全体に完璧に染み着いていないのです。「変わった変わった」と大騒ぎする奴に碌な奴はいない、騒ぐほどシッカリ変ってはいないものなのです。
例えば、オリンピックで金メダルを取ったといって大騒ぎで喜ぶ選手は私としてはあまり感心しない。むしろ銅メダルでも負けてもオリンピックの本来の目的を黙々とやる人格的に優れた選手のほうを称賛したい。人から称賛されることを追求する人やお金儲けの手段にしている人は私にとっては話にならない類の人なのだ、そんな人を目標にしたり、尊敬なんかしてはならない。例えばイチロー選手や大谷選手がいかに素晴らしい成績を上げても大金持ちでも、私にとっては、単なる野球の美味い普通のおっさんとしてしか認識していないし格別尊敬もしていない私は競技スポーツを勝ち負けを気にして真剣に観ることはない
喫煙に例えるとたしかに「禁煙した」でも時々酒を飲んで盛り上がったときなどに、つい「1本くれる」なんてことで喫煙してしまう。いかにも変っているようで定着や進歩がない。まあタバコならまだよいが麻薬や厄介なものの場合は深刻だ
ダイエットもそうだ、ダイエットで20%も減量したがある時に油断してリバウンドして前より太ってしまう。ちなみに私も喫煙は当初は「1本くれる」タイプだったがも
 ・変わったことを続けること
 ・それで終わりでなく更に引き続き変わること
 なのだ変わったらそれで御終いではない
更に更に大事なことは
  自分がやったとか自分は偉い・素晴らしいと思わないことだ


例えば私は長い都会暮らしを捨て、山暮らしや田舎暮らしを始めたが、こんなことは普通の都会人はあまりやらない
私の歯はかなり健全な状態だが、私のやっているきちんとした歯磨きのやり方や間食しないなどという事をごく普通にやっている人も少ない、だからそういう多くの高齢者が入れ歯だ
私が、あれこれ変わって来て今も続けていることを多くの老人の場合は変われていないのだ。歯磨きの例でもどこか欠陥があるが、「それでよい」と思い込み続けている人が大半だ


変わるということを分かって戴きましたか?
変わって、変わることが身についてくると何にでも対処できる、自信がついてくる、活力が湧いてくる、人生が分かって来る、健康で明るくなる、迷いが減って来る・・・・

山暮らし以降私も村上原基人生勉強会を立ち上げブログを書き続けてきたがその結果自分が本物に変わるように追い込まれることになった。そういう経過を通じて変わることも単なるchangeではないなということが少しは分かって来て、ますます人生の到達点は遠ざかっていくのを実感している。変わろうとして努力してもなかなか難しいのだが、変わろうとしない人は、俗にいう「死ななきゃ治らない」のであり=生きている本物の価値がない人で一生を終えることになります。
以上の考え方は禅でもそのようなことが言われているように思います。

高齢化して気になるのは病気だが、なかなか病院に行って検査や診察をしない人というのがいるが、これがまた「変わらない人」のもう一つの特徴なのだ。こういう人はいくら検査を進めても絶対に病院に行かないのだ。「怖いのだ」そしてアドバイスする人を毛嫌いするのも特徴なのだ。これが夫婦だと「うるさい、黙ってろ」で喧嘩になってしまうのだ。

高齢になって「もうあまりジタバタしないでゆったり老後を暮らす」なんて言う人が多いが、これは大きな間違いだと思う。生まれて必死に勉学を続け、社会に出て更にいろいろ経験し、専門能力を磨き、苦しみや悩みを潜り抜け、成功や失敗も積みあげてきた、いよいよ老後となれば人間の完成のために貴重な時間を費やさないでどうするのだ、一体何のためにこの世に生まれてきたと言うのだ?
65歳以降日々人間として反省したり、更に人間完成のためのチャレンジをしたり、人間としてあるべき本来の姿に仕上げていくべきではなかろうか?「もう変わる必要はない。あとは余生をゆったり好きな事をして暮らせばよい」なんてのは実にもったいない。例えば若い時は日本一の剣豪だった宮本武蔵は、老後は180度生き方を変えて人間らしく暮らしつつ寺の奥にある「霊厳洞」に籠って「五輪書」を書きあげた。
  老後に変わらなくていつ変わるというのだ

「衆生本来仏なり」…人は本来仏なのだから、生きているうちに立派な仏のような人間になりなさい・・・そのために自己を徹底して捨てきって、本来の仏性に近づく生き方をしないさい
死んで仏になるのは、すなわち”仏にならずに死んだ”、”餓鬼のまま死んだ”という意味で人間として最低なんですよ。老後にこそ過去を反省し大きく変わりましょう

私は50歳くらいから大工を趣味にして来た、81歳の今も何がしかの大工作業は続けている。LIXILの「店舗用引戸のキット5.3万円」(2枚アルミ引き戸180×180㎝)を庭の土間の入り口にやっと一人で組上げた「よくやった」
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585.山と田舎に26年住み続けた私が都会嫌いになった

2024-07-20 20:15:14 | 暮らし
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
山と田舎に26年住み続けた私が都会嫌いになった

都会と田舎はいろいろな面で違う。55歳から26年も滋賀県の湖西地方の山や田舎で住み続けて来た私は結果的に現在は「都会嫌い」なっている。今や京都ですら住み続けることに我慢できない自分がいる。その理由をあまり深く論理的にきちんと考察したことはない。
定期的に京都の家に帰って泊まるが、何しろ一晩明けて翌日になると早く田舎の家に帰りたくなる。だけど冷静に考えてみると、格別にその理由になるものは何もないのだ。まあ、ただそれだけのこと、それが事実だというだけのことである。26年も自然と向き合ってきた私には、すでに豊かさや便利さや物欲なんて今やどうでもよく、あまり感心もない、つまらんことに過ぎない。最近ここ15年くらいは「京都の家に帰る」ではなく「京都に行く」と表現を使ってしまう私なのだ。
都会ばかりに住んでいる人は逆で田舎に数日いると都会が恋しくなるらしい。その理由はごく単純なことで、物や便利さに溢れた町に戻りたいという子供じみた事に過ぎない。便利さや豊かさは短期間に急速に進み過ぎ、そういうものを「あって当前、便利で当然」単純に当り前に受け入れて暮し続けていると、人間は本来持つ根本的な資質やするどい感覚や判断力の適格さを失ない、介護施設にいる高齢者のように、無力で、ただただ生かされているだけの主体性の薄い存在になってしまうのだ。
都会好きな人の脳は、都会脳とか物脳とか便利脳とか楽脳とかにすっかり変化してしまっている。そういう都会人の単純な気持ちは誰にも理解出来るが、私が田舎に帰りたくなる理由は未だによく分からない。とにかく私は自然で自由でゆったりとした田舎の家へ帰りたくなるだけなのだ。京都には25年近く住んできたが、京都の家は15年前からすでに帰りたい家ではなくなっている。
その答えは、大雑把で恐縮だが、およそこんなことだろうか。都会の豊かさや便利さの中に戻ると頭がついていけなくなる最近の私なのだが、それは私が高齢化したこともあるが、理由がそれだけではないのは明らかだ。以前都会に住んでいた私の脳は、今、田舎脳・山脳・自然脳に変化してしまったのだ、というよりも元々の原始的な古来の人間の脳・より自然な人間の脳に戻ったのだと考えている。
自然との会話というか私が再び自然と付き合えるようになったのだろう。禅僧が山奥で修業する理由の一つかもしれない。都会の人は豊かさや便利さにどんどん犯されて脳が戻れなくなるほど不自然な脳へと洗脳されてしまった、はっきり言わせてもらえば、脳が劣化したのだと思う。だから急速な技術革新や生産革新や情報革新による劣化脳を回復するには私のように長く山や田舎に暮らし続けないといけないのかもしれない。でも都会暮らしを続ける都会人は自分たちの脳が劣化しているとは全然考えもしない
・・・・・更なる分析はまたゆっくり考えて後日・・・・・
ところで
あまり専門家ではないので脳について難しい事は分からないが、脳というのは覚えたこと・決めたことを忠実に繰り返し指令する。この歳で卓球を始めて繰り返し球を打つことで上達することを知って卓球が単なる身体の運動ではなく脳の働きが身体そのもの以上に大きく寄与していることを実感している。
アメリカ人が子供でも英語を喋れるのに日本人は学校で10年学んでも喋れない。その理由はアメリカ人は幼少時からいち早く英語脳が作られ始め、そこが急速に成長するが、他方、日本人はコテコテの日本語脳なので英語脳にはなかなかなり難くなっている。もし英語脳をあらたに作りたいのであれば、アメリカに住むことしかない。アメリカで一日中英語を喋る生活を数年すれば、今度は日本語脳が衰え出し、英語脳に置き換わる。但し日本語脳は奥のほうに存在するので日本語を喋ろうとすれば喋れるのである。
※余談
話は脱線するが幼少時から何か始めると英語や日本語同様に誰でもかなりレベル高くマスターできるらしい。まだ幼少時の空っぽの頭に〇〇脳を形成してしまえば、その発達はジェット機並みに早いとうことだ。例えばピアノ演奏とか卓球なんかの例でもそういうことが実証されている。小学生でもあることを一生懸命にやった子供は大人の私達でも太刀打ちできません。出来るだけ早くやれば、それはいち早く脳に頑健な指定席を確保してしまう。『幼少時に大人以上にやらせる』ところが多くの人が子供の幼少時をだらだらと無為に過ごさせてしまう。『多くの大人の絵が下手な理由は幼少時から描く習慣がなかったから』子供は何となく遊ばせておけばよいは大間違いなのだ幼い時ほど早く楽にレベルの高い習得が可能なのだ。例えば卓球などは3歳から始めた子供には基本的に勝てないのだ余談終わり

私が東京から関西に移り住んで、関西弁を喋ってすでに60年近くになるが私の脳にはすでに関西弁脳が形成されている。だから今では東京弁はだんだん喋れなくなっているということで、こういう私の経験から脳とはそんなものだということが理解できる。異文化体験とか変わるということは新たな脳を形成することになるのだろう、だからいろいろな趣味を持ち、様々な環境や人付き合いや経験をすることが大事なのだ。私のように高齢になってから大工や水彩画や卓球や太極拳を始めたことは脳の活性化に役立っていると信じている。

 我が家の前の空き地です。のんびり花や野菜が茂っています。こんな自然の姿が家の前に普通にあるのです。田舎は過疎で限界集落だなどと言って、田舎を安易に否定するのは大間違い都会が最高という思い違いは怖い、不自然な環境は「栄えるものはいつか確実に滅ぶのである」いつか深刻なダメージを受けることになる。自然は必ずそういうことを人間に厳しく教えて来る時期があるのである。
コメント
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584.円安・物高の今の日本において失礼ながら馬鹿な人とは

2024-07-03 21:26:10 | 経済
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒ISOコンサルタント自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀
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****村上原基人生勉強会****
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**

今の日本においてどんどん儲かる人(損しない人)と どんどん損する人は(大してお金持ちでもないのに)
簡単に一口で言えば、 まあ失礼ながら馬鹿な人
『一体なんのためにそんなことやっているの?』
無駄は貧乏神、無駄を切れ、自分の弱さも切れ

①株式を買わない人、買わなかった人
 円を資産に変えておかないと目減りする
②金・プラチナなどを買わない人、買わなかった人
 円を資産に変えておかないと目減りする
③銀行預金やタンス預金ばかりしている人
 お金をほったらかしにして円の価値が半減した
④どこに行くのも自家用自動車を乗り回している人
 歩く・バイク・自転車・相乗りで・電車バスで
⑤物珍しさだけで海外旅行をする人
 物見遊山は何も生まない、ネット動画で十分
⑥贅沢する、ペットを飼う、グルメを食べたがる人・・
 15歳未満の子どもよりペットの数のほうが多い
⑦高額な家を変動金利ローンで買ってそれを支払っている人
 そろそろ金利は上がって来るが、利子は大きいよ
⑧老人なのに用もないのに都会に住んでいる人
 都会に老人は要らない、老人に都会は要らない
⑨大谷翔平や阪神タイガース等のスポーツの勝敗で一喜一憂する人
 他人の事はどうでもいい、自分自身をもっと観よ/磨け
⑩馬鹿な子供を大金かけて大学に進学させようとしている人
 日本の優良企業株を買うほうがずーっと良い
⑪筋トレやったり、必死に鍛えて、必死に頑張っている人
 やり過ぎは害が大きい、他にやる重要な事はないのか?
⑫株式や金や円などが上がってから、遅ればせ買い始める人
 資産や株式などは早く買う(good timing)のがポイント
⑬やたらエアコンをつけまくる人
 まず断熱など基本的なことを200%やるべし
⑭洪水や土石流や大地震で被災する危険地域に住み続ける人
 (崖下・低地・川のそば・盛り土・過密都市・海岸ベリ)
⑮家の狭い庭に木を沢山植える人
 庭は広く自由に使うもの、木は邪魔で面倒臭い
⑯高齢になっているのに全く健康に努力しない人
 間違いなく衰え・大病し・寝たきりになる
⑰夏に汗かいてキンキンに冷えたビールをガブ飲みする人
 意志の弱い人で、いわゆる「ダメ人間」
⑱超一流でもないプロスポーツ選手
 ただつらいだけ、適当な時期に引退を
⑲戦争をする国家元首とその取り巻き連中
 自国民も被害者だし誰も喜んではいない
⑳詐欺に簡単に引っかかる人
 全財産持って行かれますよ
㉑歯磨きしても間食する人
 こんな人が多い、もし間食するなら、間食後も歯を磨け
㉓太陽光をやたらに部屋に入れたり、天井を高くする人
 そんな無駄な事だ、今はLED電球があるじゃないか
㉔家をあまり断熱しない人
 クーラーかけるより、まず外から熱を入れないこと
㉕二階家で屋根を重い瓦のままにしている人
 まず100%倒壊するし、被災後の修繕も困難だ
㉖安易に犯罪を犯す人
 やがて確実に地獄に落ちる
㉗あーだの、こーだのと頑固な人
 頑固な人が最も厄介者、死ななきゃ治らん
㉘あれは嫌、これは嫌と、面倒くさがりな人
 何とか理由をつけてやらない人は衰退あるのみ
㉙自分ではやらず、大工や散髪や修理を当り前に業者に依頼したり新聞購読をしている人
 自力でやれば安いし、自分自身ですぐに出来る
㉚家を買わずに借りる人
 探せば安い家はある。私の家は350万円庭付き152㎡
31強盗などの侵入に予防や警報装置を家や庭に全くつけてない人
 多くの事件を観ていると予防や対処の基本ができてない
32派手好きな人、目立ちたがり屋さん
 全く目立とうと思わないのに目立ってしまう人になれ
33冠婚葬祭や墓などにお金をかける人
 これは単に過去の悪い風習に過ぎない
34情報収集分析力がない人
 調査分析力のない人・しない人は致命的
35パチンコや競馬競輪などで時間を潰す人
 お金も減るし健康にも悪いし人生を捨てている
36本当に必要なものにお金を使わない・出し惜しむ人
 必要でないものにはお金を浪費するのだが
37ダメな相手をダメと見抜けず、友人や伴侶にしている人
 友人や伴侶は見かけではない、きちんと選べ
38新興宗教や有名人にかぶれ、全財産をつぎ込む人
 妄信したり、好きとか尊敬とかを安易にすべきではない
39趣味も狭く、技能・技術専門も少ない人
 少なくとも10種類くらいの趣味や特技を持て
40転居・転社・転職・転暮らし・転性格・転生き方 しない人
 世間が狭く、経験不足の、頼りない、ひ弱な者になる
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 貴方は愚か組(バカ)か それとも 賢い組(利口)か?
 もう遅いのかもしれないが・・・・
 「物価高で商売が低調だ」なんて零す経営者はもう諦めるべきだ、多分頑張るだけ無駄だ。勘違いしてはいけない日本の物価は世界中でかなり低い。だから外国人が日本で買い物するんだ。「物価が安いのだ」
  ◆清く、正しく、美しく  生きよう
ところで円安というが、5年前、1ドルが100~110円だったものが今は161円になっているが、円安は一時的な要因もあるので、これも早ければ年末~来年初には、また円高になり120~130円には戻って来るはずである。そういうことも忘れてはならない。今度は今までと逆の事が起きるのである。今からはそういう事態に事前に備えることが大事になるのである。いうなれば今の円安の状況は日本にとっては非常に良い状況で、また円高に戻ると必しも「よかったね」とはならないのである。
 ↑ 5年間のドル円推移 以下のグラフは円の値動きと同じ動き

 ↑ 5年間の日経平均株価推移

 ↑ 5年間の金価格推移

 ↑ 5年間のプラチナ価格推移
日経平均株価は一月に33,288円 3月22日40,888円4月19日37,068円といったん調整が入ったが今日7月2日は40,066円4万円を回復し7月3日は40,580円に7月4日は40,913円。この株価の上昇は日本の企業の体質が良くなり業績が良い事や配当の増加やアメリカの好景気やNISAの影響などもあるが、目下の大きな要因の一つが円安である。今外人観光客が日本観光に来ていることからも分かるように、日本の物や不動産などは外人にはかなり割安になっていることもある。日本人の感覚はそれとは逆なのだから株も買わないので、儲けられない
金価格を観るともっとわかりやすい5年前の約2倍になっている。プラチナも金ほどではないが約2倍になっている。となれば株価も2倍近くになってもおかしくないし、現実にすでに2倍になっている。
元々日本の株価は安すぎたので今の4万円の水準は高いとは言えない本来は5~6万円くらいになっても全くおかしくはない。もし株価が調整する局面でもあればまだ買ってない人は是非買っておいて欲しいものだ。投資信託でよい
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