指導や講演を依頼出来ます 村上原基
講演例
・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達 ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
出来た・出来ます
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テーマ:広い田舎・狭い都会の家/安い田舎・高い都会の家
自分が住んでいる町や家の広さやゆとり、行動し易さについて、今の家で
よいのか、どこかに移り住むべきなのか、真剣に考えたことがありますか?
都会の人はそういう疑問を持たない「疑問を持ったところでどうにもならない」
と頭から諦めている
自分が日々使っている部屋や庭などの広さは十分か確認したことがありますか?
狭いとか広いとか考えもせずに、とりあえず与えられた面積の中で耐えている
まるで水槽や鉢に泳ぐ金魚や小屋の中の鳥のように
「狭いからもっと広い部屋にしよう」などと言うことが都会では簡単に出来ない
田舎を馬鹿にしたりしているわりに、都会人のおかれている状況は悲しい
”与えられた広さで我慢する”のは、果たして良いのか、本当に幸せなのか?
お金の貧しさだけでなく、広さやゆとりの貧しさを人権侵害の観点から
考え直すべきではないのだろうか?(やや冗談ですよ)
なぜ現代人は「広さが足りない、ゆとりが足りない、何とかしろ、人権無視だ」
と政治家に要求しないのだろうか?(やや冗談ですよ)
金がないとつらく不幸だが、私は、狭さも同様につらく不幸だと思う
しかし今滋賀県高島市で20年くらして感じることは、この高島市に都会の
人が確実に流入し始めていることだ、ごく少しづつだが確実にそれらの人々は
都市近郊の田舎の良さを実感し始めているのだ
そういう人の感覚は現在ではやや突飛な行動のように見えないではないが
彼らは、すでに、もう、わざわざ都会に住む束縛から脱出しているのだ
しかも田舎で住む場所も、限界集落的な場所を選ぶ人も出始めている
”都会に住まねばならない”という固定観念の打破なのである
今、田舎の人も交通や買い物や病院の不便で我慢している
しかし
都会の人も狭さ・汚さ・うるささ・ストレス、各種不便さを相当に我慢している
東京/大阪/京都/滋賀と移り住んできた私には田舎の家の広さを実感している
今私の住む平凡な田舎家はさほど立派な家ではない家だが
田舎のそんな狭い家でも、京都の家と比べると、ずっと広く感じる
当然なのだ土地の価値が都会と比べて非常に低いし、大工さんも割安だ
すなわち土地や家の価格が安いことが暮らし全体に影響しているのだ
庭や家の周辺を含めて都会の家環境は、ひどく悪い、貧しいと言ってもよい
55歳まで都会で狭い・高い・暮らしにくい・うるさいことで
なぜそんなに悩んできたのか?アホらしくなってくる
「馬鹿だった」
大方の都会の人は、自分の家が広いと思い込んでいるだろうが
田舎に住めば、都会の住宅難は簡単に解決出來たのである
実際に田舎に住んではじめて、都会の家の狭さの理由が分かって来る
はっきり言えば「都会の家はあまりに狭く貧相で、粗末な牢屋みたいだ」
家具やカーテンや置物は立派でも、家の玄関や部屋や庭そのものが貧相だ
広さを家の価格で割ってみると、絶望的に狭いのである
その狭い・価格の高い家にジッと我慢して一生暮らしている都会人を思うと
悲しい、可哀そうになって来る
私は、田舎暮らしをこの上なく幸せなことだと日々感謝している
「田舎が限界集落とか田舎もん」とか言われることなんか、
田舎の広さを考えたら、どうでもよいことで、
「はいはい田舎者です」
私は今、むしろ誇らしげに日々の田舎暮らしを心の底から楽しんでいる
5年前にネットで調べて心底びっくりしたことがある
東京の中心地のワンルームマンションが
京都のワンルームマンションに比べて、想像を絶するほどひどい狭さと
異常なほどの賃料の高さだったのだ
もう人間が住む広さがどうのというレベルを遥かに超えた惨めさなのだ
またやたらに危険な地域の超高層ビルを超高いお金で買って住む人がいる
ことにも驚愕するのである
狭い独居房だ、まだ実際の独房のほうがましなぐらいかもしれない
①狭い②風呂ない③玄関ない④台所ない⑤飛び切り高い のだ
あまりのひどさに驚き「そうか、大都会は異常」と認識を変えた
都会のカプセルホテル、田舎では考えられないが都会では商売になる
田舎を限界集落と馬鹿にするのは家の広さからすると全く見当違い
真逆なこと、都会人は頭を切替えなくてはならないと私は確信する
人口減少が限界集落の汚名の原因だが、過剰人口も限界地域である
家や、町の狭さや息苦しさを考えれば異常なほど限界集落は都会のほう
冷静な認識や自覚を持てない都会人が多いが、第二次戦争時の
「お国のため」のように思想統一みたいで恐ろしささえ感じる
今や田舎とか都会とかいう区別をやめたほうが良いのだが
「都会に住みたい」「住むなら都会」という古い思想をきっぱり捨てて欲しい
タイムリーに田舎暮らしに移行した私から観ると、出来なかった多くの人が
都会牢屋に取り残されている、私は55歳でその都会牢屋を出た人間なので
「俺だけこんな極上の暮らしをしていて、すまない」という思いである
都会は家自体が狭い上に、人や自動車や店がやたらと多く更に手狭
圧迫感があり、何倍も狭く感じる、効率は良いがいかにも窮屈だ
私が京都の家に帰って感じる息苦しさ圧迫感は、狭さが原因である
狭い場所で多くの人がうごめくのは本当に良い結果を生むのだろうか
日本は狭いことや小さく纏めるのが得意、例えば折詰弁当や盆栽
でもその特技は良いことばかりではない、日本人は大きくなれない
いつも窮屈に閉じ込められている、やりたいことやれず、言いたい
ことも言えずじっと我慢する、遠慮・謙遜・遜る・我慢・篭る・・
経済成長とともに田舎から都会へ大移動が始まり今も続いている
55年の都会暮らし後20年田舎暮らしした私にすると
「そんな狭苦しい所で息つまらないのが不思議」と言うことだ
都会の家が田舎の家より安ければよいが、全くそんなことはない
頭ごなしに都会に住むのが当り前ではなく、電車で40分くらい通っても
近郊の田舎に引越したら新しい生き方を再発見出来るだろう
都会に我慢して暮らして、都会人のような規格人間で一生を
終えるのは何とも、おざなりな牢屋暮らしの生き方の選択に思える
都会に全面的におんぶに抱っこで頼ってしまっている、身を任せている
都会は魅惑的なのだ便利・物は溢れ・人も情報も集中・大病院もある
都会は依存の街であり、田舎は自立の街だと言える
都会の子供達はますますひ弱になっていくことだろう
ところで最近の多くの歴史的な技術進歩が都会に集中して住む
必要性をなくしてしまう日も、もう近いと思っている
田舎への逆行、田舎への分散である
その技術とは言うまでもないが
①AI②インターネット③スマホ④遺伝子治療⑤遠隔操作⑥ロボット
⑦超高速コンピューター⑧無人運転⑨宇宙利用⑩高機能素材⑪高度分析機器
その他全分野の技術革新
●私の住む滋賀県高島市安曇川の田舎の中古の平屋での状況を
列挙したものである
ちなみに田舎の家は、田舎では、それほど広い家ではない
都会のましな家程度だが、350万円の家にしてはひろーい
・男の一人暮らし(3DKくらい、十分だ)
・土地は52坪(172㎡)家の床面積は62㎡都会のマンションなみ
家以外の土地面積は110㎡
・平均的な一区画は52坪で、開発当初は土地代だけ約750万円
したが、それでも売れたらしい。今ならば80万円くらいだ
・庭や駐車場や更に家の周辺には空き地も十二分にある
・40年くらい前に地元の集落に隣接して荒地を開発した新街
・主体は都会からの人だが地元の人や京都への通勤者も住む
・1/3が現役で他は高齢者で一人暮らしの家庭も増えている
・周辺は川あり林あり田んぼありの自然豊かな場所
・やや高台にあり、洪水でも我がっ町内だけは水没しない地域
・当然空気も水もきれいで自動車の往来もほとんどなく静か
この家は売出し価格:450万円だったのを350万円にして買った
「株式や家や物は安く買え」なのである
推測だが、土地は80万円上物は、270万円というところだろう
不具合箇所の修理や追加工事は全く必要なかった
広い中古の家が450万円くらいで買えるから、田舎では、家族一人
づつに一軒の家が持てる見当だ2人子供がいても900万円で足りる
今後人口減少により都会でも空き家、空きマンションが増えていく
都会の家も例外ではない、そろそろ価格暴落して行くから要注意だ
田舎では、すでに駅近でない中古家であれば450~350万円くらいの
家は沢山ある。ちなみにその物件を京都で買うと2000万円を越す程度
の家である。すなわち田舎では、京都で2500万円ほどの家に住める
京都の家を売り近郊の田舎に移れば広い家と残り1500万円が残る
ここ高島市安曇川には大型店が多く、近隣の狭い地域に密集している
平和堂・プラント・バロー・ユタカ・コスモス・業務スーパー・アヤハディオ
安曇川道の駅・キリン堂・イエローハット・コンビニ3軒・セリア・ダイソー
やや驚きではありませんか、安曇川町民自身が驚いているくらいだ
近隣地域から雪が少ない安曇川に買い物に来易いのである
要するにこの付近の大型店が安曇川に集中させているらしい
残念だが飲食店やレストランは京都大阪に比べて最悪、美味しいもの
を食べさす店が全くないのが残念だが、私らはそれも受け入れている
せっかくの近江牛も美味しいレストランがないので手軽に味わえない
推測だが、腕の良い料理人がいないのだ、多分給料が安いのだろう
こんな安曇川の最近の状況や事情は京都大阪の人は知らない
ところで世の中は面白いというか不思議だ
私の軽自動車は友人から5万円で買い自分で名義変更したものだが
金持は300万円とか1000万円の大層立派な車に乗っている人がいる
一体無駄にお金を使い、何故こんな愚かしいことをする人がいるのか?
5万円の車でも、すごく快適だし、乗り易いし使い易い
日本の中古車は海外で新車なみだと評判が良いそうだが???
2000万円の車で滋賀から京都に行くのが格別良いとは思はない
私の哲学は何事でも安い方法を真剣に考え自分で実現させる
”高いのが良いとは”全く考えたことはない、無駄なことだ
●広いゆったりした田舎の家
1.広い庭
都会にも、まだ一戸建てはあるにはあるが、三階建ての縦長の狭い家
一階は駐車場なんて極狭の一戸建てが多い。 高層マンションが林立し、
ほとんどの都会人はマンション暮らしで、一戸建てや
庭自体は昔話になっている、ところが都会から少しだけ離れた田舎では、
広い庭は当り前だし庭には当前のように大型保管庫が設置されている
私は庭を一部地域の社交場に残りに自作の卓球台を置いて楽しんでる
庭側に縁側があってガラス戸を通して庭を観ることが出来る
田舎の一戸建てだと万一家が倒壊しても家の再建ぐらい訳ないが、
都会の高層マンションが半壊又は部分壊すると手に追えない
何千万円の金を失い、住む家もない、家の再建など不可能だ
2.広い玄関
昔東京浅草に住んでいた頃、玄関は当然のように広かった
しかし今や都会では玄関は畳半畳もない家ばかり
玄関とは客を迎い入れる本来大事な場所だったが、客も来ない
田舎に移り住んで感じたことは広い玄関が未だに当前なことだ
3.広いトイレ
昔の家のトイレは小便器と大便器で畳一畳くらいはあった
ところが広いと思っていた京都のマンションでも畳半畳だ
トイレに限らず最低限ギリギリの広さしかない
私の今住む田舎の家のトイレは長さ170㎝で畳一畳近くある
私としては「トイレくらいゆったり広くしてもよかろ」と思う
どこもかしこも狭いではなくせめてトイレくらいゆったりしたい
4.広い脱衣所
もう皆まで話さなくてもよいが洗面所兼脱衣所も当然のように
広く、畳二畳弱はある
都会では脱衣所がない家も多く、使いにくいらしい
洗面所と洗濯機と脱衣が出来る場所だから畳二畳は必要だ
浴槽も大事だが、風呂に入り出る前の快適な脱衣所も大事
「都会の家は土地が高いから無理です」ってこと。都会では、
ついつい居間を広くしてしまいがちで脱衣所等にしわ寄せが来る
5.広い浴槽・浴室
都会の家特に東京や大阪の都心のワンルームマンションは
風呂自体がない物件やシャワーだけの物件が多い
京都の我が家の浴槽も 標準的な広さのユニットバスだが
浴槽は足をかがめて入浴する
浴室を少し狭くしても浴槽が狭くなりしわ寄せが来る
ところが田舎の浴槽は足を軽く畳む程度でゆったり入れる
日本の風呂は良いと言うが、足を曲げて入る風呂なんて情けない
6.広い台所
台所は、都会のマンションと違い独立して台所がある
LDKではなくDKで居間は別、田舎の台所は、広いのが当然
機能的な台所であり、最も大事な専用の時間を過ごせる
台所は台所としてだけ利用できる居間に遠慮する必要はない
それに引き換え、都会の台所は、格別誇れる広さはない
全てが狭い、もう嫌になる「なんでこんなに狭いの?」
7.広い空き地・遊休地(家建物以外)
都会には公園はあるが家の前や横に空き地があったら、どんなにか
良いか今の都会人は忘れている。空き地では大工や遊びや仕事も出来る
都会にはそういう自分が自由に使える場所が近場にない
ところで都会では作業するかわりに高いお金払ってスポーツジムに通う
都会では、田舎で不要なものに無駄なお金や労力を使うことになる
空き地は更に野菜も作れる車も置ける、作業も出来るし、薪で米も炊ける
たかが空き地だが、あらゆる作業が出来、楽しめるのだ
8.広い駐車場
都会では庭にも町にも駐車場がない、あったとしても混雑していたり、
高い料金を取られる。ここ安曇川ではまず駐車料金をとられたことがない
どこに出かけても駐車の心配をすることがまずない、自動車利用が楽だ
都会ではどこかに出かけても駐車する場所にすごく苦労する。田舎では
家には2~3台分の駐車場があり、万一の災害でも暮らしを維持出来る
災害時に炊き出し出来、テントも貼れるし、屋根があれば雨露凌げる
都会で駐車場付きなんて家を買うことは普通のサラリーマンには無理だ
9.相対的に広い余裕ある道路
都会の道路は幹線道路は片側2車線上下4車線が多い、確かに広い
道路だが、走ってみると甚だしく怖い、危険を感じる
ところが田舎は幹線道路でも片側1車線上下2車線で済まされているが
、それでも田舎の道はすいている、幹線道路以外では、ほとんど自動車が
走っていないのだ。私の町内では、道路で仕事や遊びが出来るほどだ
道路で子供やご老人がゆったりしていても自動車に惹かれることはない
10.広い視野(地平線・水平線)
ここ田舎では地平線は毎日見放題。むしろ地平線や水平線が見えない
ほうが不思議だ、都会の人は地平線は見えないものと決めつけている
見えるのは隣の汚い家やマンションやビル群だ
山や遠くが見えると付近の全体が理解でき天候さえも予測出来る
すなわち田舎では見通しが効くのだが、都会では狭い視野が植え付け
られてしまう
11.広い心
都会は人が多い、人にうんざりしている、プライベート時間には、
人と付き合ったりましてや会話するなんて、まっぴらごめんなのだ
隣近所ほどむしろ遠ざけ、関わらないのが現代の都会の暮らし方だ
しかも高層マンションでは家とは言えない牢屋みたいな部屋に閉じ
こもるので習性として互いに干渉しあうことを避けるのである
田舎では普段は自然に交わる時間が多く、人と交わる時間は少ない
人に対する嫌悪感はない、付き合い下手だが、人嫌いではない
一戸建てだと家の玄関を出ると真ん前や横に近所の家があるのである
会話する機会は多いのだ
12.広いゆとり
最後にゆとりをあげたのは、以上のことを総合すると、ゆとりになる
一つづつが広いから結果的に広いゆとりになった人間が出来上がるのだ
都会のように駐車場に悩み、混雑に悩む、犯罪や危険に悩むことはない
●少ない、ゆとりある田舎の町
1.少ない人
都会がいいという人が田舎で人の少ない所に来ると
「つまらない感」が
出現するらしい、でも田舎暮らしの長い私は、人が少ないからつまらない
ということは全く感じない、それどころか人が少なければそれはそれで
良いと思えるようになっている、すなわち人が少ないところでも楽しく
生きていける能力を経験によって身につけたのである
人で溢れる都会から人気のない田舎に来ると年とともに人は変わっていく
ちなみに私の子供らはご多聞に漏れず田舎嫌いというか田舎が苦手で、
私の家に来ることは全くない
田舎はつまらないしなじめないらしい、半日ビデオ観てすぐに帰って行く
2.少ない工場
琵琶湖の場合、東側は工場が多いが西側は工場はほとんどない、理由は
定かに分からないが当初、東側に集結する理由や原因があったのだろう
京都大阪から近いところに自然が豊かな湖西地方(安曇川以北)ありがとう
滋賀県の湖西の高島市以北は稀なる自然が保全された田舎地域なのだ
年取ってから、会社終わってプライベートな時間に工場の近くは無用だ
3.少ない自動車
田舎の家庭は人数分自動車を所有している、駐車場もあるので3台4台も
置いている、その理由は言うまでもなく、公共交通網がないからだ
自家用車は必要な時間だけしか走らないから、案外道は空いている
滋賀県高島市は軽自動車は車庫証明不要、不法駐車がないからだ
電車も地下鉄もバスもひどくお粗末である、特に滋賀県の西側は田舎である
東側は都会的な田舎であるが、それでも交通手段はお粗末で、大半は自家用車
に依存している。利点は、自分が行きたい場所に自由に行けるということ
無人運転が実現する3年後以後は、田舎は大きく変貌するだろう
都会では無人運転は大した効果が発揮できないだろう
貸自動車や無人バスが広い町や村を縦横に走っているのだろう
田舎に効率的な交通手段が急激に出現することになり都会近郊の
市町村は大きく変貌し、人口増大が夢ではなくなりそうだ
4.少ないビル
田舎にビルを作ったらよいと私は考えるが、現実にそうはならない
広い土地があるので上に伸ばす必要がないし、好まれない
都会では安ければマンションを買うが田舎の人はマンションは買わない
「田舎でマンション」はやめましょう、無駄なコストがかかってしまう
一戸建てを買う、田舎ではそのほうが楽しいし、暮らし易いと感じている
5.少ない誘惑
都会は誘惑が多い、これは田舎に20年も暮らしていると実感することだ
最近の若者は昔の若者ほど物を欲しがらなくなったというがそれはそれで不健全
田舎の欲望の抑制は健全な抑制のように私は感じている
人間は欲望のままに生きていく動物だから、欲望の種をまけば欲望はヤタラ
発芽してしまう、ところが田舎は市場としては小さいので欲望の種は
播かれないのだ、田舎に暮らすということはそれこそがよいのだ
けばけばしさや派手さや流行などは田舎では好まれないことはよいと思う
それでも京都大阪は近いし「歓楽街も近くにある」という感覚だ
高島市安曇川は、そういう怪しげなものが少ない、暮らすための町なのだ
6.少ない外国人
外人観光客誘致によって外人観光客が増えている、どこかというと、
東京・京都・大阪・名古屋・北海道・沖縄・その他観光県だ
京都駅に降りるとどこに行っても外人だらけなのだ、伏見稲荷なんて
昔は外人なんか全くいなかった、
私の住む高島市は外人観光客はいない
有難い、高島市に住んでよかった、意外な利点があったのだ
私が個人的に住む場合は、自分の土地に外人や日本人観光客は来ないで
欲しい、観光業者以外の住人にとって何も良いことはない
田舎を選ぶ場合、大事なのは、外国人が住まない・来ない場所だ
7.少ないウイルス
都会は人や物流が多いその結果ウイルスなどの最近も蔓延し易い
ウイルスだけでなく有害物質しかり、電波しかり、麻薬しかり、
妙ちくりんな流行しかり、蔓延して、それに染まってしまうのだ
ここ私の住む田舎ではインフルエンザも少ないのだ
田舎では病院や都会に行かなければインフルエンザにはかからない
昔、肺結核になると田舎に静養に長期療養したものである
地球温暖化でウイルスや危険害虫や難病奇病も都会に急増している
8.少ない大災害
大災害とは地方にも起きている、しかし、それらの災害は幸いにも
日本そのものを揺るがすようなものにはならない
大都会に巨大災害が起きることが他人事ではなく、私には心配だ
一たび大都市で大災害が起きるとその被害は国家を揺るがす
深刻なものになってしまう。その点私の住む高島市が例え大災害に
遭っても、その被害は限定的なのである、限界集落はある意味影響も
限界なのである
人も少ない、家が建て混んでいない、危険なものもないのだ
私の住む琵琶湖の西岸のような田舎は、テロや工場災害をはじめ
大停電とか大トラブルは起きようがない、発生源が少ない、そこに住む
少ない人のごく小さなトラブルだけで収まる。復旧も早い
都会だと大トラブルが更に次々にトラブルを連鎖したり拡大するのだ
琵琶湖西岸の高島安曇川のような小さな田舎、巨大災害でも知れている
しかし福島の原発事故のように都会のための施設を安易に誘致する
とそのリスクが増大しないように注意すべきである
リスクを抱え込まないことが地方市町村の守べき大事なことであろう
せっかくリスクの少ない田舎が巨大なリスクをお金のために背負うのは
いかがなものだろうか
9.少ない交通事故
私がこの高島安曇川に暮らして感じることは交通事故が少ないこと
老人が多いが、事故は少ない、20年間事故など見たことがない
昨今言われている「老人は免許を返納せよ」だが私はそんな気はない
田舎の道路は車が少ないので都会のような事故は考えようがない
私も京都の道路を走るのは危険で、ゆったり運転をする気はしない
10.少ない交通渋滞
当然交通渋滞もないあるとすれば土日に京都大阪からの人の車だ
いつもは空いている、道路が道路の機能をきちんと発揮している
だから
どこに行くのもほぼ時間どおり着く、京都の伏見から四条
の高島屋に行くのと違い、何の心配もなく快適かつ確実に買い物が
出来るのである、田舎ではどこに行くのも確実に行けるし駐車出来る
湖西道路は無料で今は北小松まで来ているが最近は安曇川まで伸ばす
工事をやっているので、安曇川は更に便利になる、私はやや不安だが
11.少ない犯罪
犯罪は少ない、家が少ないから泥棒にも魅力がない
人が少ないから犯罪しても怪しげな人は、やたら目立っ、
都会では、ないが、田舎では普段見知らぬ人はすぐに警戒される
湖西の安曇川の警察官は暇だそうだ,湖東地方の警察は忙しいらしい
また大した金持はいない、いたとしてもそこそこだ、大概の家はごく普通
まあ都会の家より広いがここら辺ではそれが当たり前である
都会では狭い家ばかりで、とびきり金持の家は外見ですぐに分かる
それに農家かリタイアーした老人が多い
怪しげな外人や飲み屋も少ないし、都会のように喧嘩もほとんどない
昨今怪しげな外人が多い田舎町もあるらしいから、それは要注意だ
12.少ない汚染
自動車が少ない 工場はほとんどない 自然が豊富
その結果水も空気も土も汚染が少ない
滋賀県は琵琶湖があるがそこに沢山の川から水が流れ込む、水量が多い
ことが水質を保全している、しかしその下流の京都や大阪などは工場や
家庭排水によって汚染され、空気も自動車や工場の排ガスによって
健康は確実に蝕まれている
但し近隣他府県からの山への不法投棄が多いからこの点は要注意だ
ところで田舎と言えども周辺の原発や工場や台風や津波や洪水や風害
や雪害なども調査し総合的に安全性などを判断すべきである
つぎのようなことで5点法で評価する目安は
(1点リスクが大きい 2点リスクあり 3点リスクが小さい
4点リスクない 5点良好)
滋賀県の田舎の我が家の安全の評価をしてみました
(田中竹の里=
山裾でなく、大河に近くなく、土地がやや高い場所)
評価項目 私の田舎 京都の家
ーーーーーーーーーーー ーーーー ーーーー
①風害 3 3
②水害 5 2
③土石流 5 5
④雪害 4 4
⑤地震後津波・火災 5 2
⑥地盤軟弱 2 5
⑦原発 2 4
⑧火山や爆発源 5 5
⑨家屋密集・空き地有無 5 0
⑩工場排水・排ガス 5 1
⑪交通量・交通渋滞 5 0
⑫犯罪 5 0
⑬交通事故 5 0
⑭交通機関 2 5
⑮林や森や山川や自然 5 2
⑯大型販売店 5 4
⑰病院 4 5
⑱福祉 4 3
⑲健康施設 4 3
⑳教養機会 4 3
=========== ==== ====
総合点数= 84 56
59点未満 かなり問題あり
69点未満 問題あり
79点未満 やや安全
90点未満 かなり安全
90点以上 非常に安全
田舎で注意することは、次の点である
①周辺より高い場所②崖の下でない③山の麓でない
④大きな川が隣接してない⑤道が良く広い、空き地がある
⑥海から十分離れている
1.私のように55歳で田舎に中古の家を買う
2.都会と田舎の両方の暮らしを10年
3.徐々に田舎に暮らしを移していく
4.本格的に田舎を重点に暮らす
5.70歳都会に戻るか都会を捨てるか、田舎重点で両方維持か
決定する
⇓
1.私は55歳で安曇川の山のログハウス購入
2.経営コンサルタントをしながら京都と両方の暮らし12年
3.67~73歳は、山暮らしを重点に暮らす
4.73歳で山を降り麓の田舎町に家を買う
5.今77歳京都の家を維持しながら安曇川の町にすっかり定着
我が家の駐車場だったところが地域の社交場にもなっている
断捨離で捨てる家具をもらい、使い易い場所になって来ました