村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

525.過密な都会に住む理由など全くないのに

2022-02-28 21:44:18 | 暮らし
マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます  村上原基
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる 
 健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 

●努力し真剣に生きても、どうしても上手く行かない人お越し下さい
「自然は最大の友、最大の師」「人は友にあらず、師にあらず」人は自然に沿え
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)

村上原基人生勉強会   kazutakajiのtwilog      地図

やれと言ってもやらず、止めろと言っても止めない、だから変わらない
止めるべきことを止め、やるべきことをやる事が自然な人生の第一歩
世の中が便利で豊かで自由で安全安心であると思うのは大きな錯覚
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず

*****************************
テーマ:過密な都会に住む理由など全くないのに

昭和18年誕生、敗戦・終戦、東京は焼け野原から復興
戦後当時は現代のような便利なものは一切なかった
でも、穏やかで良き昭和の暮らしや人間関係があった

55歳から山と田舎暮らしを続けているが昭和の暮らし
に戻った感じがする。田舎と言えども、すごい便利さを
こんな所でも享受し79歳一人田舎暮らししている

更に都会より自由で広い家と庭、道路は空いている、
どこでも無料で駐車できる
静かで自然豊だ、都会に住む理由なんか何もない
私は東京から関西にそして京都に更に滋賀の田舎に
暮らしを実際に変えてみて、はっきり私のそういう
生き方を納得して来た「良い生き方してきた」

あるとすれば、満たされない心と際限のない欲望
「歴史認識」と言う言葉を口にする指導者が多いが
「足るを知る」も人の心の変わらぬ歴史であって欲しい

ロシアや中国が領土拡大野心で軍備を拡大している
 一体彼らは何を求めているのか?
 何のために国家の指導者なのか?
全く理解に苦しむ人々で世界は埋め尽くされている
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521.切れない包丁で平気で物を切る人が多い社会

2021-11-10 22:00:32 | 暮らし
マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます  村上原基
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 健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 

●努力し真剣に生きても、どうしても上手く行かない人お越し下さい
「自然は最大の友、最大の師」「人は友にあらず、師にあらず」人は自然に沿え
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)

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「やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心になっていると思うのは大きな錯覚だ
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず

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テーマ:切れない包丁で平気で物を切る人が多い社会

78歳の山暮らしや田舎暮らしを24年やってきた
大工やり、食事作り、庭いじり、木の剪定をやると刃物を使う、
当然刃が切れなくなると仕事ははかどらず、品質低下になる
それでも私は従来は刃を研がなかった。そこでまず砥石を揃えた

10月から近所の人のために刃物研ぎ支援も始めた

家の前に包丁ただで研ぎますという張り紙だけだが
案外頼む人もおり、確かに切れない包丁がやって来る
そして数分で見事に?久しぶりに切れる包丁に戻って元気に帰って行く

昔は私のような包丁研ぎ士の小父さんが街中を商売していたが
今はそんな人はいないし、刃物を研ぎをわざわざ頼むこともない
適当なもので素人としていい加減な砥石で一応研いだことにしている

従来からも剪定支援、パソコン支援、ネット支援、庭づくり支援、
大工・土木支援、文章支援、投資支援、会話支援、田舎暮らし支援、
人生支援、何でもやっているもはや便利マンだがまた一つ支援が増えた

面白い話/いや、怖い話かな?
研いであげた包丁を使った奥さん曰く
「食材も切れるが、困ったことに指先もよく切れるのよ」
ということなのだ
今まで切れない安全な包丁?だったということらしい

現代の包丁は切れない安全な包丁で子供が触っても大丈夫なのだ
それは、鎖などで子供が怪我しないように縛りつけた公園の遊具と同様だ
人の生き方が真剣でなく、いい加減(良い加減?)になっているのだ


平和が続いた江戸末期のように真剣でなく嘘誤魔化しの生き方が当前になっているのだ

「そういえば研いでる私も知らぬ間に切れ味が良くなった包丁で指を切っているのだ」
包丁は切れ味鋭いのが良いのか?いや違う切れ味良い包丁をきちんと使うことだ
最近の世の中、切れない刃物をブンブン振り回す人が多いが、
幕末の武士もそうだったらしいが
切れない刃物で切られると切られる方はつらいのだ
手術の包丁(メス)研いであるのかな?大丈夫かな?

いつものことながら新しいことに真剣かつ深く取り組むとたかが包丁研ぎでも
いろいろなことを教えてくれる。彼らは先生なのだ、その先生の家の門を
たたいて弟子入りする。人間の先生より簡単に入門でき、しかも嘘誤魔化し
がないから真に正しいことを次々に教えてくれる。しかも長く付き合うことで
惜しげもなく物事の本質をずばずばと教えてくれるものである
包丁研ぎも入門したばかりここ2~3年みっちり教えを乞うつもりである

最近の政治家・先生・医者など碌に専門資質を磨かずに見せかけだけ、誤魔化しの人が多いのは、なんとも情けない
「包丁を研ぐなんて何故そんなことしないといけないの?アホ臭い」包丁を研がない主婦・主夫同様に世界中基本が出来ていない人、いい加減な人で溢れている


毎日研ぎあげた切れる刃物を使いましょう
切れない刃物は刃物とは言えない
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519.継ぎ接ぎ家具に学ぶ、人生暮らし方も自由に造り上げてしまう

2021-09-10 20:10:36 | 暮らし
マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます  村上原基
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる 
 健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 

●努力して真剣に生きてるが、どうしても上手く行かない人お越し下さい
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)

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「やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心になっていると思うのは大きな錯覚だ
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず、

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テーマ:継ぎ接ぎ家具に学ぶ、人生暮らし方も自由に造り上げてしまう
見かけに拘る、見かけを気にする、見かけで判断するそして見かけに
自分の自由な思考や行動を縛られてしまう


私は55歳で山暮らしを始めた、当初は山ではやることがないが
そのうち20年以上あれこれ新しい仕事や趣味を身につけてきた
伐採・野菜・山菜・大工・卓球・剪定・・これらは今やかなりの腕
水彩画やブログや人生研究やアユ釣りや散髪、太極拳とか
田舎暮らしそのものも今や上~中級レベルで手慣れたものだ
都会の人はゲームやパソコンぐらいで、どれも出来ないと思う

日常生活で家具とか家の修理は殆ど自分でやるが、
まず楽しい、プロに頼むより費用も1/10以下で出来る
自分で設計できる、アイデアが入れられる、直せる、壊せる・・
現代は家の中に自分でデザインし自分で作った物がない
企業が大量生産した使い難い、ちぐはぐな製品が置かれている
皆どこかの他人が勝手に造った使いにくいものばかりだ
そして下の写真を観て欲しい、かなりの継ぎはぎだが
最近は木材を新たに買わないようにしているので、こんな
ひどい継ぎ接ぎ家具が偶然にできてしまうが愛着さえ感じる
これでも自分の部屋の特定の場所に合わせて幅や高さは選べるし
別の場所で使うには分解し自分で改造するのは簡単なことなのだ

買いに行かなくてよい、すぐに出来る、欲しいものが出来る

定寸の木材がないから歯切れの木材をビスで無造作につなぐ
多分どんな家にもこんなみすぼらしい家具はないだろう
効果なイタリヤ製の家具とか大塚やDINOSの家具なんてのが
自慢げに鎮座ましましている「でも、くだらん、つまらん、面倒」
木材買って来て自分でつくれば望むものがすぐに出来、改造も出来る
家具は本来その働きを買うのであって、見た目が美しいから買うような
ものではない。多くの物は同様なのだが「見た目の良さを第一」にして
買う人はかなり多い
ところが多くの人はむしろ本来大事なことより形や色や材質に
拘ってしまうが、そんなものは使い勝手が一番大事なのだが?
私は自動車もきちんと走れさえすればへこみや傷は全く気にしない
家もとりあえず雨露しのぎ住めれば都会でも田舎でも構わない
形や見かけを気にする人は無駄なお金と不便さを背負うことになる

化粧の濃い、高い衣服を身に着け、高い金使い頭の髪の毛を手入れし、
美しく優しさを演じるそういう女性に魅かれてしまう
これも見かけ重視の選び方の代表的なものである
女性でも見た目の美しさよりその女性の人間としての素晴らしさで
選ぶべきなのだが実際はそうはならない
私があえてボロ家具を出したのも家具は美しさより大事なのは
機能だということを大げさに示したいからである

猫を飼う女性が多い、確かに猫は可愛い、でも私は可愛いものに
自分の心を奪われるのは危険だとさえ考えている
可愛い・美しい・綺麗・恰好いい・・・と言うのにはまり込み過ぎ
てはいけない、本質ではなく可愛いということそのものに魅かれるのは
私には、麻薬・酒・快楽・・・のようなものに思えてしかたない

東京とか京都が好き、東京や京都を離れたくないという人も多いが
なにも東京や京都の本質が好きなのではなく、便利さ・賑やかさ・快楽
それに、何となくその雰囲気が好きなだけなのだ
そういう人は東京や京都に住み続けその他の土地に移り住む人はない
そういう人の特徴は、経験も少なく了見や見方が狭い人が多い

私は東京や京都に住んで華やかな土地にはまってはいけないと思った
東京や京都は、一度くらい住むのはよいがそこに一生かけて住むほど
本質的に魅力的な場所ではないし、むしろ副作用があると結論を出した
椅子も椅子の形より本質である椅子の機能を深く掘り下げるために
自由に椅子を作ってみることだ、綺麗とか体裁に縛られてはならない

現代は、自由な時代・個性の時代のはずなのだが、現実はそうではなく
がんじがらめに自らを縛って不自由な生き方に甘んじている
そんな不自由な生き方をしているのに、それを自由だ、素晴らしいと
思い込んでいるが、よく考えるとおかしい・愚かしい・悲しい

兎に角現代人は自分を知らぬ間に縛り付けている例えば
・私は都会で働いているだから田舎住まいは無理
  (田舎から都会へ通勤者は多い、 田舎との二重生活)
・家族や友人と離れたくない
  (新たな友人を作ればよい)
・都会は買い物も何でも豊でかつ便利、田舎なんてとんでもない
  (今やネットで日本中から何でも買える)
・田舎には蛇や虫が多い、大の苦手だから
  (幾らでも防げるし、一年慣れれば克服できる)
・大病院がない、大病したら困る
  (新型コロナウイルスで大変だったのは都会だった)

出来る方法は考えず、何かと自分を縛り付けるつまらん理由を探し出す
今の様に皆が都会都会と言う時代にはむしろ逆を行くほうが
私の経験でもずーとメリットが大きいのだが、何かと尻込みする
田舎暮らしは、兎に角のんびりする、余裕がある、じたばたしない
どこも空いている、どこでも無料で駐車出来る、道路も空いている


現代人や都会人はややもすると見た目のきれいさに目を奪われて
意思決定をしてしまう、見た目中心に考える悪癖がついている
見た目には都会は素晴らしいように見えるが、実は多くのリスクが
潜在している。例えば水道・電気・ガス・橋・洪水・交通網・・・
過密でしかも財政逼迫し人口減少、高齢化人手不足、
更に気候変動によりリスクは加速度的に増加している認識を持つ
べきだろう。私は20年前にそのリスクを認識して田舎に移り住んだ


田舎のように不便とか見た目が良くないことにも進んで係わるとか
入り込むことが大事だ、そうしないで見かけばかり追っていると
予期せぬ災害や嘘誤魔化しのつまらん人生で終わることになる
「本質より見た目、見かけで決める」の癖がついているのである
余裕があって見かけにお金をかけられる人が注意すべきことは、
見かけにふさわしい中身を磨いておくことだ
そうしないと、嘘誤魔化しにどっぷり浸かることになるからである

ちなみに私は、次のようにどちらかと言うと人の逆をやって来た
・大都会から田舎へ
・大企業から零細企業へ
・贅沢から質素へ
・頑張ってから気軽にへ
・他人の真似はしない
・他人依存から何でも自分でやるように
・誰とも付き合う

綺麗好きな人というのがいる、そういう人はお金持ちか都会の狭い部屋
に暮らす人が多い、物は少なく、家具は気に入ったものを買う、そこに
いろいろなものを飾る壁紙も張り直す、そういう部屋にせっせと磨き上げ
そういう部屋に暮らすことを幸せと感じている
そういう人は確かに良いのだが私のような人間からすると
くだらん・つまらん・退屈・堅苦しい・不自由・・・なものと感じられる

以上は例に過ぎないが、真逆にすごい汚い部屋に平気で住む人もいる。
この世やこの世の人は皆自分の気に入ったものにはまり込む、
私が良くブログで訴えることが「都会の人は田舎にも住むべきだ、
できれば山にも住むべきだ」ということだが、都会がすべてという
コテコテの都会人はある意味滑稽であり、哀れにしか見えない

良いものは良い  ではない
悪いものは悪い  と決めつけてはならない


人間は自由で鷹揚であるべきだが、暮らし方や考え方がガンジガラメに
縛られている人が多いが、ある環境に長く疑問を感じずに暮らしていると
そうなるのが当然なのである
「私は自由よ」なんて言っている人に生き方が不自由な人が多い
「田舎、最低、あんなところ絶対に嫌」
「何よ、この家具、こんな汚い家具捨ててよ」
そういうふうにしてあっさり良い悪いをきめつけてしまう
「田舎はつまらない、都会は楽しい」と頭から決めつけている
そして都会の快楽や便利さにはまり込み都会だけに住み続ける
  ・大企業は良い、中小企業は最低
  ・金持ちは良い、さほど金持ちでない人は最低
  ・関東(関西)は最高、関西(関東)は最低
・・・・・・などと決めつけている人がなんと多いことか
良い悪いを決めつける人はおうおうにして薄っぺらな人だ

「私は継ぎ接ぎ家具を私としては満足しているし、使い勝手はむしろ良い」
人生も暮らしも人付き合い何でも形より中身だと私は思う
必しも優秀・真面目・楽しい・センスがよい人でなくてもよい


例えば市販の家具を買ってくるとピッタリサイズが合わないし
機能も満足できない、ましてや追加工とか修繕は無理
単に見栄えが良いので我慢して市販の家具を使ってしまう
私は我慢しない、寸法が合わなければ分解して切断し
寸歩通りの家具にしてしまう
使いにくければ自分で追加工してしまう
恰好はそこそこでよい、大事なのは使いやすさ


この写真のようにひどい継ぎ接ぎ家具でも全然平気だ
棚とはこういうもの、道具もない、大工も出来ないから買うしかない
万事がそのようにあっさり画一的に「こうでなければならない」と
「これはかくあるべきだ、あれはかくあるべきだ」と決めつける
そういう勝手な思い込みから一歩も出ようとしない
がんじがらめに縛られて生活している、人生は画一的で終わる

こんな継ぎ接ぎのものは我が家では沢山ある。かなり壊れても修繕する
壊れた所をとりあえず手持ちの材料で継ぎ接ぎし使えるようにする
日本古来の凝った継ぎ方は面倒、何の嘘誤魔化しもないこれこそ芸術?


人生を自分の思いのまま生きる姿勢は大事だ
人間関係でも相手にこせこせはしない、自分を自由に出す
相手と楽しい時間を過ごす努力はするが私は遠慮や
飾ったり、嘘誤魔化しはしない。最近の私は全てにおいてそうだ

55歳で都会も捨てた、あんな生き難い所、危険な場所、
不自由な場所は嫌だ。何だかんだと都会人は都会を自慢するが
私にしてみると、都会暮らしなんて笑いぐさだ
あんなに不安全・不安心な暮らしを自慢して何になるんだ?
自分に自信がないのか?過剰な便利さや快楽さは要らない

家族とか会社組織とか友人とかも、ともすると互いに互いを
束縛し不自由にしている、のびのびと付き合えていない
私は、55歳から田舎で一人暮らしを続けている
子供3人はあちこち関西の各地にバラバラに住んでいる
子供との付き合いや家族については全くの俺流だ
親しかった者ほど大人になったら離れて暮らすことだ
万事が自由で拘束はされない生き方をしている
この継ぎ接ぎ家具のような生き方をしませんか
ご要望で図面通りオーダーメイドの各種継ぎ接ぎ家具作りますよ
但し、材料はどんなのでもよいが持ち込みでお願いします
  ⇒安いし、速い


どこにいる?探しましょう❣

ゴーヤがなり始めました3個見つけて下さい、目下全部で10個なっていますが
 ゴーヤジュース(バナナ+ゴーヤ+豆乳+リンゴ+カルピスでミキサー)

カマキリがいます。秋には枯れ葉に変化します、知ってますか?
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518.宮沢賢治「雨にも負けず」を78歳の私なりに考え・変えてみた

2021-08-27 22:07:10 | 暮らし
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   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)

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「やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心になっていると思うのは大きな錯覚だ
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず、

*****************************

テーマ:宮沢賢治「雨にも負けず」を78歳の私なりにやや今風に変えてみた
   78歳で田舎に一人暮らしの私の現在のほぼありのままの状況である
◆自分なりに作って掲示し、きちんと守れていれば賢治に一歩近づける
  漫然と生きていても賢治に近づけないし、むしろ乖離していく
 便利さと遊興にまみれて大都会で次々に襲う災害や苦難に耐え凌ぐ日々


安全な地域に住み、雨に負けないように予防や準備する
安全な地域に住み、風に負けないように予防や準備する
ウイルスに負けないように自然豊かな田舎に暮らし、予防や準備する
雪や夏の暑さに負けないように改善や予防や準備する
高齢の身体を無理せず、日々真面目に、真剣に維持し
趣味は何でも挑戦し、適度の意欲を保ち続ける
決して怒らず、文句を言わず
いつも静かで淡々としているか、笑っている

朝はサンドイッチとジュース、昼は野菜多目の麺類等、夜はご飯と魚や肉を腹八分目
酒・タバコ・甘い菓子・炭水化物は極力やらない
野菜や乳酸菌や酢や味噌や豆乳を進んで摂る
何かをやるのに他人に恩を着せない、感謝を期待しない
俺が俺がと自分を優先せず、他人にも配慮する
何事もよく見聞きし分かり、日々改善に努める
必要以上の便利さや楽を求めず
自然現象や物事や専門家に多くを学ぶ
何か起きれば必ず原因を究明し対策する

密で狭苦しい都会を離れ小さな田舎の粗末な一戸建てに一人住み
東でも西でも出かけて行くが無駄に行くことはしない
隣近所の人と楽しく付き合うが価値や意味のない人とは無理せず、距離を置く
歳を取って無暗に遠くには行かない、田舎の家や周辺で家事や作業をする
歳を取って無理な運動をせず体力に見合った運動を日課とする
太極拳は老人にふさわしいので大事な日課とする

苦しみ悩む人があれば自分の体験を文章にしてネットで伝える
つまらないことや無駄なことは努めてやらない
自分で出来ることはお金を使わず自分でやり、無駄使いしない
他人に怒られたり意地悪や馬鹿にされても平然としている
他人からの意見や助言は進んでやってみる
例え僅かでも毎日歩くことを欠かさない
他人に良く観られようとはしない
褒められようともしない
誰も相手にしてくれなくても一人でコツコツやる
そういう者に私はなりたい

24式太極拳を自学で40日前に始めた、やっとそこそこ出来るようになり、
非常に優れた鍛錬法で、何しろ楽しい、習得は大変でしたが、まだまだ先は長い

踊りと体操と武道とストレッチを一緒にし、誰も樂に出来るようにした優れもの
  24式太極拳の初歩は、無料でそこそこ教えられますのでどうぞ


◆東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀⇒安曇川田中:、安曇川も周辺は災害危険地域だが、
私の住む安曇川田中竹の里は素晴らしくも、景色がよくも、楽しい場所でもないが、
安全な町だ、偶然にも安全第一の住まいを選んでいる。
世界中でひどい災害が起きているが、幸いにこの小さい町ではそういうものがない
おかげで大地震・大洪水・大津波・ウイルス・テロなどにまともには遭遇してない

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514.静寂かつ平和かつ安全で綺麗な空気と豊な自然の当地

2021-05-05 19:49:41 | 暮らし
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「やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心になっていると思うのは大きな錯覚だ
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず

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テーマ:静寂かつ平和かつ安全で綺麗な空気と豊な自然の当地

ゴールデンウイークでも
滋賀県湖西のここ安曇川田中は静寂かつ平和かつ安全で綺麗な空気と豊な自然
新型コロナウイルスなんて微塵も感じない。今後も緊急事態などは全くありえない

他府県からの観光客が増えるので、出来るだけ混む時間の買い物を避ける程度のこと
何のストレスも実質被害もない、酒なんか飲みに行こうなんて全く考えもしない

都会もこんな田舎町の暮らし方に謙虚に学ぶことが大事ではないだろうか?
無論そんなことは現実に不可能であり、むしろますます事態の悪化に突き進むのだが
物質的な豊さや徒に便利さや派手さを追求すると今に大きな落とし穴にはまってしまう

当地は立派な箱物や歓楽街は全く存在しない。 それに反し都会は嘘誤魔化しで溢れている
ストレスを抱え、〇〇依存者 △△常習者 そんな怪しげな人々で都会は埋め尽くされている

コロナウイルス対応でもあくまで嘘誤魔化しを前提に中途半端なやり方に終始している
戦術や戦法などを駆使して得意になってはならない、そんなものより原点基本に立ち返ることだ

どこまで言っても都会は、嘘誤魔化しに頼るのである、頼らざるを得ないのである

地味で堅実で自然を友とする暮らし、将来の憂いの少ない生き方を取り戻して欲しい
      都会よこれ以上嘘誤魔化しに頼ってはならない
        都会に住むことのあまりに大きな多くのリスクを受入れると言うのか?
         もしそれが出来ないと悟ったらば、都会を出ることだ/font>

我が家の前の空き地から最近建った燐家を望む


付近にはこんな自然豊な場所ばかり

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512.安曇川の桜スゲー綺麗なとっておきの場所紹介

2021-04-01 17:13:38 | 暮らし
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「やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心になっていると思うのは大きな錯覚だ
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず

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テーマ:安曇川の桜スゲー綺麗なとっておきの場所紹介

安曇川の高い土手の斜面に3列の桜圧巻なり
平日、人は、ほとんどいないガラガラ椅子持って行って、ゆっくり一人で飲むのもよい

場所は滋賀県高島市安曇川川島の安曇川の土手















とにかく行って診ることです。見れば分かるこの凄さ、とにかくすごい


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510.東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀に移り住み滋賀湖西地方の地味さについて

2021-03-16 19:51:18 | 暮らし
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「やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心になっていると思うのは大きな錯覚だ
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず

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テーマ:東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀に移り住み滋賀湖西地方の地味さについて
地味=堅実・安全ということ
    派手=不安定・危険



東京⇒大阪⇒京都⇒ 滋賀(田舎)と移り住んできたが、同様な人をあまり知らない
前3つのこれらの大都会で共通することは
・派手好み
・見栄張り
・意外と貧乏人が多い
・恰好つけ
・自慢する
・流行追い
・競いあう
・他人意識
・着飾る
・都会賛美
  本質をあまり考えたがらない、大事なのは上べ、楽しきゃいいさみたいな感覚
  むしろ本質に触れたがらない、本質なんて考えるのは面倒くさい


このような感覚は戦後の経済成長期には当たり前だったが、成熟した社会では
「大きなことは良い・多い事は良い的」な考え方は、今や不快感があるし、
もうそんな安っぽい、環境に悪い、画一的な時代は終わったと私は思っている
日本は平和・繁栄の真っただ中、確実に都会は危機的な状況に突入している
日本は、贅沢な暮らしや奢りを当然のようにやっている基本的過ちを自覚すべきだ

78歳の私は、都会の単純な贅沢や便利さは全く関心も興味も価値も感じない
今更、東京にも帰りたくもないし、大阪も京都も帰りたくもない
都会とは、艶やかなものだと思うが、すでに私にはどうでもよい事で
見かけの格好良さや豊かさには、最早うんざりしている,吐き戻しそうだ
美味しい贅沢な食事をさんざ食べ続けて、もう沢山という感じと似ている
そんなことは憧れているうちのことで、憧れなんか、いつか簡単に壊れる
せめて老後は、もっと静かで落ち着いた、自分自身の人生をゆったり送りたい

道路が縦横に走り、その脇にびっしり高いビルがへばりつく町は居たたまれない
歴史と言えば恰好良いが、社会のしくみ・風習・伝統・思想・信条・規則・習慣など
人をガンジガラメに束縛・拘束するものが何とも多い
都会は、あまりに束縛や拘束が大きく、楽しくも快適でもないというのが私の見解
企業に例えると都会は大企業、田舎は中小企業
私の経験では大企業より中小企業やベンチャーのほうが正直言って楽しいし奥が深い

都会は魅惑的だがストレスや害も多く、ある意味糖尿病に似ている
患者にとっては、糖質は魅力的である一方抱えるリスクは大きく、命取りにもなる

自動車危ない・人もかなり危ない・雑音だらけ・空気は化学物質で一杯・犯罪多発
災害にも弱い・金かかる・インフラ老朽化・災害や緊急事態に脆弱・・・・・
都会は安全快適な場所どころではない。危険一杯なのだ

新型コロナウイルス蔓延は都会の脆さを図らずも浮き出させてしまった
都会と田舎の地位や立場は、あっさり逆転してしまった
私の住む田舎では新型コロナウイルス蔓延による混乱や危機感はなかった
田舎は限界集落呼ばわりされるが、コロナ下では都会は長期ステイ ホーム、
まさに都会が限界になったわけなのだ、田舎は現実に自由で安全安心だった

最近も関東でかなり大きな地震が起きた、これ迄の大地震では東京は危うく
セーフだったが、もし東京直下型地震が起きたら東京はどうなるのだろか?
また東京で巨大台風や集中豪雨や大停電や大断水が起きたらどうなるのだろうか?

    考えただけでもぞーとしませんか?
     私だったら、心配で夜眠れません


滋賀県特に湖西地方は関西でも人気なく、全国的にも有名ではない
かろうじて京都の隣であるとか、琵琶湖のあるレジャー県として知れているだけ
特に私の住む湖西地方はほとんど畑と森で高層ビルはおろか目立つ箱物はない
よく言えば自然が豊か、悪く言えば、スゲー田舎だが、私は安曇川をチョイスした
最近の私は、可能な範囲で質素で地味な田舎町が良いと考えるようになった
都会では、そうしたくても、そうはいかない

55歳、ある日全く偶然に安曇川を訪れたが、安曇川というのは京都の人にも
ほとんど知られていない土地なのだ
そして55歳のその日に地元の不動産屋さんを訪問し、一服した時に店の人曰く
「ここ安曇川は何もありません、それが素晴らしいんです」だって
最初は「何を馬鹿なこと言ってんだ」と思ったがその後安曇川に住むにつれ
この言葉の意味がやっと分かり始めてきた
田舎は、景色が良いとか魚が上手いとか遊べるとか歴史を感じるとか・・・
そんなこととは無関係で、何もない、ただ自然だけの町が安曇川だ

「何もない」それが基本なのだが都会は逆に「あまりに何でもある」
  都会の何でもあることが人間にとって人格形成に邪魔になるのだ

私が若い頃は、大人しい子であった。物静かで自己主張も少なく優しい子供だった
田舎もそういう感じがする、格別何も与えてくれないがつらさを押し付けることもない
静寂・自然・清潔・自由・ゆったり・のどか・優しい・・・

それ迄の私はコテコテの都会人、珍しいもの、形あるものを何でも欲しがるタイプ
田舎の自然だけで何もない場所で悠然と暮らせるような人間ではなかった
そうは言うものの、私の心の奥底に自然豊な場所を好む心が潜んでいたようだ
山に暮らし10年もすると山がこよなく好きになって、抜け出せなくなって来た
都会との決別・過去との決別・人との決別そして自由に戻り、自分を再構築する
最近は都会のもの、派手なもの、人間付き合い的なもの、やたら新しいものが
嫌いだ、都会の人が楽しい・嬉しいことがほぼ皆、強い嫌悪感を感じてしまう
「くだらん」「バカバカしい」「どうでもいい」「子供じみている」「安っぽい」「悲しい」

  真っ黒な自分から、まずとりあえず真っ白な自分へ
  汚れた古材にカンナをかけて真っ白な木肌を出す

真っ白でもないのに完全真っ白のような顔をする、そういう人は矛盾だらけ
真っ黒ならば、とりあえずそれを認めて一から出直すことが正しいはずだが?
都会の暮らしは嘘誤魔化しだらけ、その嘘誤魔化しから抜け出ることから始まる
  過去の自分の解放である

都会は、よく言えば、便利で快適で豊に見えるが、真実は、煩い・汚い・狭苦しい・
貧しい・人ごみ・派手好みだ、田舎で得られる大事なものを犠牲にしている
自然はない、せいぜい作り物の自然、あるのは構造物と人人人と音音音と物物物
華々しい見かけ、上辺を追いかけているとまさに麻薬患者同様に本質からどんどん
遠ざかってしまう

都会暮らしにはまればはまるほど原基から離れて行く
見かけが華々しい町で暮らし続けると見かけを装うのに必死な人間になって行く
私の経験でも大企業で働くと大企業ぽい人間に、小企業で働くと小企業ポイ人間に
なっていく。どちらもある意味危険なのである。余りに染まり過ぎないほうがよい
そこで私はほぼ10年くらいで会社を転職して来たのだ、住まいも同様にして来た
  change  子供は子供のままということはありえない、誰も大人になって行く

長い人生だ、より本質的なものに近づき、自分を大きく変革していかないといけない
私の経験では、大袈裟だが、都会と山中を比べると地獄と天国の感がする
でも都会の人々は全くそんなことは思わないし、今回も新型コロナウイルスから
逃げることが目的で田舎暮らしを選ぶ人が出てきたが、単なる都会暮らしの延長
というような安易で単純な考えの人が気になる

55歳まで都会暮らしが長かった私、そこであれこれ悩み続け、自分を見い出せず
一体私は誰なのか分からずに長くもがき苦しみ続けてきた
都会では真実で生きようとするのに、周囲は嘘誤魔化しで溢れており、矛盾が生じる
自分に目を向けず、会社の仕事に追われ、金儲けや更なる欲望追及に必死で
都会の派手さ・便利さに心も目も奪われ誤魔化しの暮らしを続けて来た
そういうのが都会の実態だ、苦しみ悩みにどっぷり浸かる場所なのだ
そして苦しみ悩みの原因が都会暮らしそのものにある可能性は大きい
  無理があり、無駄が生じ、ムラな生き方になってしまう


それが55歳からの20年にわたる山暮らし開始で大きく変わり始めた
山の暮らしは、もっぱら家事、山の整備・清掃、家の造作・野菜つくり、山遊びだ
人との付き合いや社会や都会で貯まった固定観念は自分の意識の外に出てしまった
まさに断捨離のように、背中の荷物が僅かづつ軽くなっていくように感じ出した
出家という言葉があるが、幸運にも私は都会暮らしから出家が始まったようだ

都会にあるのは音に例えるとあまりに大きく・多すぎる騒音・雑念・雑物の町だ
それが滋賀県の湖西地方に突如来て、ログハウスでの20年の山暮らしによって
環境が格段に静かになり、あらゆる雑音から解放された自由の身になった
生まれてずーっと都会に住み続けて、そんな暮らしがあるべき姿と思ったら大間違い
世の中都会が住むべき最善の場所ではない、無限にいろいろな場所があることを
忘れないようにしないといけない
その点東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀と移り住んできたことを良かったと思っている
「東京東京」「大阪大阪」「京都京都」そんなもの煩い、勝手に言ってろ
今の私には、都会は住むべきでない最たる場所に過ぎない

都会都会と都会礼賛したり、住み易い町全国何位なんて実に嘘くさい
都会にどっぷりはまっていると、それが当たり前になり、分からなくなってしまう
私に言わせればどこも一番で、東京や大阪京都はむしろ下位のランクだと思う
それぞれの場所には、それぞれ違った良さがある
それを都会人の一律な尺度で都会的な場所が良いと怪しげな番付が
出来てしまう。大体、ランキングなどというものを信じないほうがよい
豊かさや便利さの過剰な追求=人間の堕落⇒崩壊になる危険が大きいのだ

できれば皆さまに、気ままに、好き勝手に全国各地にバラバラに住んで欲しい
住む場所により全てが変わる、全く新しい暮らしが始まり、やっと自分を発見する
そういう変化の中で人生を渡って行く、まるで外国周りの船乗りのように
都会人・西欧人・大企業人は自分達が一番偉いと間違った確信を持ち過ぎる
「いい加減にしてほしい」「何が都会人だ」「何が西欧人だ」「偉そうに言うな」
中華思想のような、そんな傾向は案外誰にもあるのだが、良いことではない

都会のように異常に多くの人が集まる所に敢えて住むのが最高とは私は思わない
人が少ない場所にゆったり自分にきちんと向きあい自由に住むことこそ、
生きる値打ちがあると言うものだ
ゆったり住む人々の暮らしぶりは覗いてみたいが、狭苦しい都会で住む人は、
全く関心も興味もないし、密で狭い息苦しい空間に住みたいとは思わない

様々な束縛・拘束の中で不自由な暮らしをして一生過ごす事の悲しさを思いやる
現在の私である。「ほんの少しの勇気を持って下さい」ですかね

田舎暮らしのやり方や大事なポイントは私のような経験者に是非相談して下さい
「田舎暮らしだ、エイヤー」とやるとほぼ失敗する、誰でも上手く行くとは限らない
田舎暮らしを通じて、人生最後のご褒美を手にして欲しいものです
私も55歳までは苦しみ悩みが一杯の半生でしたが、今はご褒美の暮らしを
楽しんでいます
今は田舎の地価も中古住宅もビックリするくらい安いですから・・・「今です」
「私はお金がないし仕事と友人が大事で田舎には引っ越せない」なんて人が
多いが、全くそんなことはない、単なる言い訳に過ぎない

ところで私が最終住むと決めた「世間が言う:つまらん田舎町安曇川」であるが、
都会に比べ、とにかく地味なことは確かだ、ここに来て派手な暮らしはやめて欲しい
地味というと何かマイナスイメージだが、今の私はむしろ大きなプラスと感じている
※但し:地元の人に敢えて言われた「安曇川の人は地味に見えてかなりの金持ちだ」と

都会      に対して  ここは
・派手好み  に対して  地味
・見栄張り  に対して  地のまま
・意外と貧乏 に対して  意外と金持ち
・恰好つけ に対して  格好つけない
・流行追い に対して  流行は感心ない
・競いあう  に対して   負ける
・贅沢     に対して  質素
・他人意識 に対して  他人無視
・着飾る   に対して  普段着
無論これは元々の地元の人の感じだが
そこによそ者として入り込んだ私達県外者特に元都会人は

 ・元都会人のままの人:派手な生き方(30%)
 ・中間的な人、都会と田舎が混在する人:派手な生き方は減る(65%)
 ・田舎にかなり染まってしまう人:派手な生き方を捨てる(5%)


私は今や堂々とケチ・節約・地味を標榜しているし、自慢している
そして派手な贅沢な無駄な人を100%軽蔑している、人として最低だ
地味に謙虚に倹約に暮らせば、当然、悩み苦しみは少なくなる
「意味のない便利で派手な生き方や暮らしよさらば」である
そうすれば無用な悩み苦しみはかなり減って活き活きした暮らしが戻って来る
そうして地味な田舎暮らしを選び
私は最初18年は山暮らしその後5年は田中という田舎町で地味に暮らして来た
でも田舎嫌いな都会人は地味な生き方が大の苦手であり、苦しみの元になる
地味=自分を無にする、自分を捨てることに結びついていくのだろうか

山暮らし以前も24年東京、5年大阪、25年京都、そして23年滋賀
そういう違う場所に暮らしたことは例えば東京だけに住み続けて来た人の
何倍も真逆な経験をし様々な感覚を身につけてきたことになる

同様に同じ会社に定年まで勤めて来た人より私のように5社に勤めた人の
ほうが何倍もいろいろの経験やいろいろな感覚を身につけてきたことになる
何事も5~10年毎に変えて行く事が人生にとって役立ち、人格磨きにつながる
住いや会社だけでなく、結婚も5回離婚・結婚したほうがよいかもしれない??
一般的に一回目の結婚はほぼ失敗だと思っているが、法律で縛られて
勝手なことが出来ないだけなのだが、友達を変えるのは出来るかもしれない
ここ23年間、他人や自分に縛らずに生きて来たが、
ある意味、人付き合い下手が役だったのかもしれない

基本原点に帰るお手軽な方法
 ・手っ取り早くやろうとすれば、 見かけの進歩とか発展に安易に乗らない
 ・更に手っ取り早く言えば、 社会の在り方に逆らう、逆のことをやる
 ・もっと手っ取り早く言えば、 昔に戻る

そういうことだ
だが
そういうことがすんなり出来る人は極めて少ない

私がお勧めの”すぐにやること”は
足るを知るを愚直なまでに続ける
①都会を去る
②田舎や山奥に住む
③四輪車を止める
④肉・油・炭水化物・酒を減らす
⑤規則正しく暮らす
⑥自然に多く交わる
⑦災害やリスクの多い地域から離れる
⑧世の中の流行に乗らない
⑨地味・質素に暮らす
⑩無駄をしない
⑪作業をし身体全体を使う
⑫過剰に人間関係に振り回されない

まあ本来の自分を取り戻すために、こんなことさえも出来ない人が多いのだが
そういう生き方を正しい・美しいと感じることだ、そもそも、それが第一歩だ
もし感じないとしたら、一歩を踏み出すことさえ永遠に出来ないだろう

国家や県に提案「全国各地に人が引っ越す策をもっと考えて欲しい」
国や県が何もしてくれないで、”とにかく田舎に移れ”は無理な話だ

田舎をABCにクラス分けしクラス毎に、国税は、国民健康保険料、固定資産税
を無料または安くして田舎暮らしに都会の人を誘導することを推奨する

田舎の町内の主要道路を整備したり店や役所や病院を一か所に集約すること
その上で、無人バスも運行させる

田舎でしか出来ないことや田舎の欠陥を改善するために予算を使うことだ
また田舎の広い敷地を利用し釣りやあらゆる運動やサイクリングが快適に
無料で出来るなどの楽しい施設も作り込むことだ、そんなもの安い

例えば豊な老後の生活が出来る田舎町なんても良い
思い切りあれこれレジャーが安く出来る田舎町なんてのも良い

世の中は間違いなく理屈抜きで崩壊・末期に突き進んでいる
そういう中で自分だけは、その流れに巻き込まれないことだ

ちなみに
京都から40分の滋賀県高島市安曇川町に住む私は、
新型コロナウイルスの影響をほとんど受けてはいない
それどころか
自然豊かな環境で静かにゆったり暮らしている
生活に何の不便もない、友人が遠ざかってつらくもない、新しい友人を作ればよい
古い友人といつまでも何となく付き合い続けるなんてことをやっていてはいけない
大体友人に碌な人間はいない、大事な事は様々な人と付き合う・触れ合うことだ

新型コロナ下の今、貴方も田舎暮らしを始めませんか?

安曇川田中の私の家(村上原基人生勉強会事務所兼遊び場兼自宅)
2年前まで駐車場だったが今は室外応接間

家の横は野菜を植える場所大型プランターが5台

最初は庭そして作業場更に今は卓球場
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506.新型コロナウイルスは自然からの警告だ

2021-01-19 11:12:01 | 暮らし
<マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる 
 健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 
    村上原基
●努力して真剣に生きているが、どうやっても上手く行かない人はお越し下さい
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)

村上原基人生勉強会   kazutakajiのtwilog      地図
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒
  東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒
テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
  東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀山中⇒滋賀田舎町

*****************************
テーマ:新型コロナウイルスは自然からの警告だ

53歳でロームを突然むりやり退職させられ、妻が他界し、コンサルタントに
全く偶然だが滋賀県の安曇川の山中にログハウスを1100万円の
大金で購入し住み始めた、貧乏人が何とも思い切ったもんだ!
山に移り住む格別な事情や必要性などはなかった
たまたまだったが、でも今思うと、
お陰様で、その頃から私の生き方は良い方向に変わったように思う

それからすでに24年間私は滋賀県の寂しい町で一人ひっそり暮らしている
東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀  松下電器⇒零細企業⇒ローム⇒コンサル
という経過を経て今の暮らしは、人が少ない、店も施設もあまりない、
畑や自然だけ、自動車も少ない、静かな田舎町,いわゆるつまらん町(?)
京都のような大都会から真逆な自然優位な町の暮らしへと大きく舵を切った

そこに今年突如として、新型コロナウイルスが起きた
何と私は、結果的にコロナウイルス対策を24年間かけてやってきた
事に気づいた。幸いにも今年ウイルス感染に関係ない暮らしが出来た
まあ偶然山や田舎暮らしにはまった私への単なるオマケなんでしょうが

当然、私は新型コロナウイルス対策を目指していたのではない
あくまで偶然、ひとめ惚れの乙女のような気分で田舎に移り住み
その結果に過ぎない
そして山暮らし以降私は、山や田舎暮らしに深くはまったのは確か
参考までに言うと、
人口過密な町に住むのは、大きなリスクだとも分かったが
何故か人は多くの人の住む場所へ場所へと好んで移り住む
そうして大都会はますます加速度的にリスクが肥大化していく
止まることを知らない悪化状況を観るにつけ、私には、愚かしいと言うほかない
でも都会人にそんな危機意識は全くない

注意すべきことを敢えて言えば 
田舎暮らし=見晴らしの良い場所の夢のような暮らしではない
実際に私の田舎暮らしはごく質素で平凡なものである


当時から、元都会暮らしの私の心に人生観が根付き始めたのだと思う

今思うことは世の中変わった、大きく変わりつつあるという感慨だ
急速に今まで通りの生き方を漫然と続けられない時代になっている

  生き方・暮らし方の断捨離
私は正直言って、都会暮らしを捨てて欲しい

都会暮らし(限界都市)のマイナス面を参考までに少しだけだが上げておく
・身体を使わなくて済む暮らし方で体力や抵抗力が弱まる
・都会は田舎より酸素濃度が低い
・強い有害電波が多く飛び交っている
・自動車や工場が多く有害ガス有害物質が多い
・飲料水や大気の汚染がひどい
・温暖化や。気候変動で外来生物や動物の都市流入が増える
・常に騒音や振動に曝されている
・サイクリングやバイク運転をしてもよいが事故の危険が高い
・エアコンや廃熱や高層ビルによるヒートアイランド現象
・都会型の集中豪雨が起き、排水不能に陥る
・インフラが老朽化しすごい費用がかかるので修繕がおいつかない
・夏の水不足が起きやすいが対応が困難
・何らかの広範囲な大事故でも起きると機能回復に時間がかかる
・空き家が増加するとその処置対応が難しくなる
・人が多く過度に気にすること、自分の存在が小さく感じる
・他人の目を気にし過ぎる
・頭の良い人や金持ちや立派な人に囲まれ息苦しい
・電車バスや店での混雑による身体や精神の疲労
・庭や空地や森林がなく自由な作業が制限される
・騒音や振動を勝手に出せない
・狭い空間で、いつも何か我慢をしている
・競争意識が働き、見栄をはる
・家や土地の価格が高い
・家や教育のローン、物価高で意外に貧乏暮らし
・無駄使いや贅沢によって田舎より金使いが荒い
・飲食が外食が多く無駄使いする
・自動車を持っていても駐車場が少なく簡単に乗れない
・交通費・光熱費・通信費が多くかかる
・都会は田舎に比べて広いので移動時間がかかる
・ラッシュアワーはつらい
・もし財政破綻すると公共サービスの低下が深刻になる
・固定資産税が高い
・電車事故が多く、頻繁に電車が遅れる
・わざわざ田舎にでかける
・ウイルスや病原菌が蔓延しやすい
・今後高齢化少子化で一番被害が大きいのは都会、田舎はさほどでもない
・人口減少に伴い財政逼迫が加速度的に進む、物価高も進む
・巨大災害や大停電が起きると対応が困難で大混乱する

私はまだ出せるが、少し考えただけでも、これだけあるのにまだ都会ですか?
スモールタウン・スモール人口・スモール施設・スモール公共物がベストなのだ
大きいことは良いことだ、多いことは良いことだ、便利なことは良いことだは、過去の事


今やここ安曇川を含め高島市は人口減少してはいるが、元々の滋賀県の人は減り
大阪京都の県外者の人は増えている、子供さんが働きに都会に出ているからだ
経済成長期の東京のように安曇川も都会の人が多く住む町になりつつあるのだ
もう10年もすれば、安曇川もすっかり田舎好きな都会人町になるのは目に見えている
私の住む町の田中竹の里区周辺でもすでにその状況が出現しているのだから

昔「チェンジ」と言ったアメリカの大統領がいたが大して変わらなかった
むしろ皮肉にも世界情勢や社会の状況はますます悪くなった
チェンジと言えば、指導層の質が低下し、堕落・無能さばかりが進んでしまった

私は偶然そういう社会や環境や災害の変化を先読みしていたと思う
そんな能力が私にあったとは思わないが、そもそもその原点は
10年目に大企業をエイヤーと捨ててしまったあの忌まわしき事件に
あったように思う。私の人生は、全てはあの時に大きく変わった

あの時大企業に定年まで嫌々勤めていたら、こんな人生には
ならなかったと思う、そういう意味では大企業よありがとうだ
大きなものを捨てるというのも時としては男一匹必要なのだ
元々人は本来無一物、捨てられないほどの物は持ってない
「本来無一物」もともと無いものを、有るとか大事とか思い込む
ことが基本的に間違っているという認識が大事だ

さすが高齢になるとそういう思い切った決断は出来なくなる
やれ不便、身内や友人がいなくなる、大病院がない、つまらん・・・
私に言わせれば
そんなつまらん事の逆の事が全て、田舎住まいの大きな素晴らしさだが
こういう事は20年くらい実際に住み続けないと分からないかもしれない

隣近所に数人75~85歳くらいの高齢者が最近他県から引っ越して
来ているが、興味深いことは、
その人達も若い時の思い切った変身を沢山やってきた体験者なのだ

ところで滋賀県は周辺の県からやや馬鹿にされているが
滋賀県湖西は、とにかく地味・堅実・真面目・倹約・謙虚・素朴・穏やかでゆったりする
滋賀を馬鹿にしている大阪や京都の人が別荘や移り住む人や遊びに来る人も多い
ちなみに京都はきつい、よそ者はあんなきついところにはよう住まん
地味なようで派手、よそ者排除・頑固・きつい・陰湿・いざとなると怖い・影で噂する
  気悪くせんといてや、本当の事やさかい すんまへーん! でも京都は良い所も沢山あるし

やはり人生というのは我が筋道あり、自分の進むべき方向を定め、
我が進むべき道を切り開いて、進み続ける勇気と決断・実行がいる

私としては、「新型コロナウイルス様ありがとうございます」である
人間はますます傲慢・横柄になっている「人間よ反省せよ、改めよ」
という自然からの警告だと思っている
もしこんな事でもなかったら「良いわ・良いわ」でこの世は深刻な
崩壊・破滅に突き進んでしまうだろうと思う
政治家のせいにする前に自分の生き方を猛反省すべきだと思っている


我が書斎10畳の部屋を冬は6畳に仕切り、断熱し、厚着し、机の周辺を仕切りで囲い
オイルヒーターだけで暖房している。そして今はシーツをかけているがかなり暖かい
会社以来無駄取りの専門家の私だが、暮らしでも光熱費その他経費はかなり少ない
無駄への依存はあかん。滴水禅師を御存じですか、無駄を厳しく戒めた禅僧
家の外から帰ると多くの人が防寒コートを脱ぐがそれはおかしい間違っている
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491.安曇川田中の我が家周辺の春の光景

2020-05-02 18:50:01 | 暮らし
指導・講演中止    村上原基
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)   
村上原基人生勉強会    地図
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器
⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業
⇒人生勉強会創設

*****************************

テーマ:目下の限界集落高島市安曇川田中での暮らし方の一面

都会はコロナウイルスで大騒ぎ、でも京都から45分の当地では
まあいつも通りの普通の暮らしが出来ている
春は毎年やることは同じだが、今年の春の状況を紹介してみよう
期間:4月3日~5月1日
  あくまで参考迄
  私の住む田舎町では50坪の中古家の標準価格は
  350~400万円  目下ご近所にも2軒出ています

追伸:8月20日現在2軒とも売却済みです。大阪の人が1)引っ越しと2)別荘

◆1)限界集落の我が田舎町には、あちこち空き地がある
わが家の前も空き地、そして私が勝手に利用している
限界集落にはそんな空き地が沢山あるのさ
私めは、そこで朝昼夕珈琲を飲む
これが優雅な限界集落の珈琲タイム


◆2)毎年春になるとあれこれやっている自分の行事がある
その一つがイチゴの棚です
少しばかりのイチゴだが、春を告げる大事なマイ行事
今年も庭先に棚を作りイチゴを植木鉢に移し変えたものを並べる
実は、蟻対策・なめくじ対策であるが


◆3)私の目下の趣味は、
大工・卓球・自転車・園芸や剪定・ブログ・絵描きですが
最近は卓球も毎週土曜日に小学校でやるようになった
そこで庭の卓球場が大工の作業室に変更した
卓球は家の部屋で壁打ち卓球することにしました
庭の作業室はあらゆる大工や作業ができ懇談もできる
私にとっての楽しい”三密基地”であります
作業しながらお茶しにいつでもどうぞ
一通りの大工道具は揃っていますよ!


◆4)77歳またまたサイクリングを再開
山に住んでいた頃自転車を始め起伏の多い山間地を走り、
おかげで、かなり走れるようになったが、田中の街に降りて来てから
3年目で身体の調子が悪く止めていた。
しかしこれはいかんと4月20日に再開し
毎日欠かさず、近くの坂を5回上り、または隣町や
点在する集落を回っている
こんな爺でも、やはり太ももが逞しく張って来る


◆5)今年も本日山へ蕨取りに行ってきた
旧友と近くの友人と3人で山に入って来た
朝まで雨降りでしたので完全防備し、沢山取ってきた
私の分は近所のおすそ分けしましたが、写真のとおり
さっそく煮付けてみましたが、春の香りがして美味でした


◆6)近所の在所の人の田んぼの手伝い稲の苗を作るための作業
全く初めての経験ですが、少しづつ教えて戴き4時間かかって3面
田んぼへ床を設置した。かなりの重労働、機械化の進む仕事の前に
こんなつらい作業があったのですね。高齢化の進む田舎では、
これが出来ない農家が増えているのだとか、そこで急遽お手伝いをした
というわけです、貴重な体験、冥途の土産になり、良かった


◆7)4月5日新旭の熊野本の山にはいって上って行くと、
ミツバツツジの群生と琵琶湖の眺望を観られた
桜の時期なのだがここ高島市はミツバツツジもほぼ満開
素晴らしい光景だった、散策道も整備されている

それから新旭の琵琶湖畔を走って安曇川の川の左側の堤防を
中心部に向かって少し行くと土手の桜はこれまた絶品であった、
人は少なく、一杯飲むのもよい場所でした。そこから更に土手を上がると
青柳のY邸にたどり着きお話しをして安曇川に戻ってきた
さくらもつつじも満開で実に見事であった

◆8)田中の家、目下断捨離第二ステージに入った
第一ステージの”整理:捨てる”はかなり進んだ
昨日もブックオフでかなり高い本を処分してきた
まあまず捨てることだ、未練を断ち切ることだ
今や5Sでいう”整頓の段階”何がどこにあるか
・作業効率・動線・紛失なくすに挑戦し始めた
老人になるにつれ物探しが増えたが、おかげ様でやっと
紛失・物探しがなくなった、原因はボケや痴呆ではなかった
コンサルタントと威張っていたが5Sが少し分かってきた
言うは易く・行うは難し である  断捨離奥深し


◆9)ジャーマンアイリス(5月10日追加)
40年前頃に東京の嫁の母上がわざわざ宅急便で送ってくれた
黄色の花のジャーマンアイリスが京都から安曇川長尾の山に
そして今田中に落ち着き、
ご近所で戴いた紫のものとやっと美しく咲き誇りました
増えすぎたので苗さしあげますよ


◆10前の空き地でミニ畑もやってます


ゴールデンウイークでも当地はさしたる緊張も混乱も不便もなく、
他府県の人も自重してくれてありがとう。地元のDIY店では
春の野菜や草花の苗や土や肥料を買い求める人がいる
春が来て、みな元気で明るく、平和である

桃色の花群は 芋かたばみです(苗差し上げます)

解説:食事=炭水化物(白米パンうどん)の考え方をきっぱり捨てた
77歳にもなると炭水化物は身体のなかで貯まり、大して役立たず、
ただ何となくあれこれ悪さばかりしていたというのが私の実感だ
若い時には有用であったものでも、歳を重ねると害になるものが多い

害を整理するには都会で嘘誤魔化しや害にまみれて暮らし続けずに
一度思い切って私のように12年以上、山に一人篭るのが早道である
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487.広い田舎・狭い都会の家/安い田舎・高い都会の家

2019-12-30 08:26:37 | 暮らし
指導や講演を依頼出来ます    村上原基
講演例
  ・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達  ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・

   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設

出来た・出来ます

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テーマ:広い田舎・狭い都会の家/安い田舎・高い都会の家

自分が住んでいる町や家の広さやゆとり、行動し易さについて、今の家で
よいのか、どこかに移り住むべきなのか、真剣に考えたことがありますか?
都会の人はそういう疑問を持たない「疑問を持ったところでどうにもならない」
と頭から諦めている

自分が日々使っている部屋や庭などの広さは十分か確認したことがありますか?
狭いとか広いとか考えもせずに、とりあえず与えられた面積の中で耐えている
まるで水槽や鉢に泳ぐ金魚や小屋の中の鳥のように
「狭いからもっと広い部屋にしよう」などと言うことが都会では簡単に出来ない
田舎を馬鹿にしたりしているわりに、都会人のおかれている状況は悲しい
”与えられた広さで我慢する”のは、果たして良いのか、本当に幸せなのか?

お金の貧しさだけでなく、広さやゆとりの貧しさを人権侵害の観点から
考え直すべきではないのだろうか?(やや冗談ですよ)
なぜ現代人は「広さが足りない、ゆとりが足りない、何とかしろ、人権無視だ」
と政治家に要求しないのだろうか?(やや冗談ですよ)
金がないとつらく不幸だが、私は、狭さも同様につらく不幸だと思う

しかし今滋賀県高島市で20年くらして感じることは、この高島市に都会の
人が確実に流入し始めていることだ、ごく少しづつだが確実にそれらの人々は
都市近郊の田舎の良さを実感し始めているのだ
そういう人の感覚は現在ではやや突飛な行動のように見えないではないが
彼らは、すでに、もう、わざわざ都会に住む束縛から脱出しているのだ
しかも田舎で住む場所も、限界集落的な場所を選ぶ人も出始めている
”都会に住まねばならない”という固定観念の打破なのである


今、田舎の人も交通や買い物や病院の不便で我慢している
しかし
都会の人も狭さ・汚さ・うるささ・ストレス、各種不便さを相当に我慢している

東京/大阪/京都/滋賀と移り住んできた私には田舎の家の広さを実感している
今私の住む平凡な田舎家はさほど立派な家ではない家だが
田舎のそんな狭い家でも、京都の家と比べると、ずっと広く感じる
当然なのだ土地の価値が都会と比べて非常に低いし、大工さんも割安だ
すなわち土地や家の価格が安いことが暮らし全体に影響しているのだ

庭や家の周辺を含めて都会の家環境は、ひどく悪い、貧しいと言ってもよい
55歳まで都会で狭い・高い・暮らしにくい・うるさいことで
なぜそんなに悩んできたのか?アホらしくなってくる「馬鹿だった」
大方の都会の人は、自分の家が広いと思い込んでいるだろうが
田舎に住めば、都会の住宅難は簡単に解決出來たのである

実際に田舎に住んではじめて、都会の家の狭さの理由が分かって来る
はっきり言えば「都会の家はあまりに狭く貧相で、粗末な牢屋みたいだ」
家具やカーテンや置物は立派でも、家の玄関や部屋や庭そのものが貧相だ
広さを家の価格で割ってみると、絶望的に狭いのである
その狭い・価格の高い家にジッと我慢して一生暮らしている都会人を思うと
悲しい、可哀そうになって来る
私は、田舎暮らしをこの上なく幸せなことだと日々感謝している
「田舎が限界集落とか田舎もん」とか言われることなんか、
田舎の広さを考えたら、どうでもよいことで、「はいはい田舎者です」
私は今、むしろ誇らしげに日々の田舎暮らしを心の底から楽しんでいる

5年前にネットで調べて心底びっくりしたことがある
東京の中心地のワンルームマンションが
京都のワンルームマンションに比べて、想像を絶するほどひどい狭さと
異常なほどの賃料の高さだったのだ
もう人間が住む広さがどうのというレベルを遥かに超えた惨めさなのだ
またやたらに危険な地域の超高層ビルを超高いお金で買って住む人がいる
ことにも驚愕するのである

狭い独居房だ、まだ実際の独房のほうがましなぐらいかもしれない
 ①狭い②風呂ない③玄関ない④台所ない⑤飛び切り高い  のだ
あまりのひどさに驚き「そうか、大都会は異常」と認識を変えた
都会のカプセルホテル、田舎では考えられないが都会では商売になる

田舎を限界集落と馬鹿にするのは家の広さからすると全く見当違い
真逆なこと、都会人は頭を切替えなくてはならないと私は確信する
人口減少が限界集落の汚名の原因だが、過剰人口も限界地域である
家や、町の狭さや息苦しさを考えれば異常なほど限界集落は都会のほう

冷静な認識や自覚を持てない都会人が多いが、第二次戦争時の
「お国のため」のように思想統一みたいで恐ろしささえ感じる
今や田舎とか都会とかいう区別をやめたほうが良いのだが
「都会に住みたい」「住むなら都会」という古い思想をきっぱり捨てて欲しい

タイムリーに田舎暮らしに移行した私から観ると、出来なかった多くの人が
都会牢屋に取り残されている、私は55歳でその都会牢屋を出た人間なので
「俺だけこんな極上の暮らしをしていて、すまない」という思いである

都会は家自体が狭い上に、人や自動車や店がやたらと多く更に手狭
圧迫感があり、何倍も狭く感じる、効率は良いがいかにも窮屈だ
私が京都の家に帰って感じる息苦しさ圧迫感は、狭さが原因である
狭い場所で多くの人がうごめくのは本当に良い結果を生むのだろうか

日本は狭いことや小さく纏めるのが得意、例えば折詰弁当や盆栽
でもその特技は良いことばかりではない、日本人は大きくなれない
いつも窮屈に閉じ込められている、やりたいことやれず、言いたい
ことも言えずじっと我慢する、遠慮・謙遜・遜る・我慢・篭る・・

経済成長とともに田舎から都会へ大移動が始まり今も続いている
55年の都会暮らし後20年田舎暮らしした私にすると
「そんな狭苦しい所で息つまらないのが不思議」と言うことだ
都会の家が田舎の家より安ければよいが、全くそんなことはない

頭ごなしに都会に住むのが当り前ではなく、電車で40分くらい通っても
近郊の田舎に引越したら新しい生き方を再発見出来るだろう
都会に我慢して暮らして、都会人のような規格人間で一生を
終えるのは何とも、おざなりな牢屋暮らしの生き方の選択に思える

都会に全面的におんぶに抱っこで頼ってしまっている、身を任せている
都会は魅惑的なのだ便利・物は溢れ・人も情報も集中・大病院もある
都会は依存の街であり、田舎は自立の街だと言える
都会の子供達はますますひ弱になっていくことだろう

ところで最近の多くの歴史的な技術進歩が都会に集中して住む
必要性をなくしてしまう日も、もう近いと思っている
田舎への逆行、田舎への分散である

その技術とは言うまでもないが
①AI②インターネット③スマホ④遺伝子治療⑤遠隔操作⑥ロボット
⑦超高速コンピューター⑧無人運転⑨宇宙利用⑩高機能素材⑪高度分析機器
その他全分野の技術革新


●私の住む滋賀県高島市安曇川の田舎の中古の平屋での状況を
 列挙したものである
 ちなみに田舎の家は、田舎では、それほど広い家ではない
都会のましな家程度だが、350万円の家にしてはひろーい

 ・男の一人暮らし(3DKくらい、十分だ)
 ・土地は52坪(172㎡)家の床面積は62㎡都会のマンションなみ
   家以外の土地面積は110㎡
 ・平均的な一区画は52坪で、開発当初は土地代だけ約750万円
  したが、それでも売れたらしい。今ならば80万円くらいだ
 ・庭や駐車場や更に家の周辺には空き地も十二分にある
 ・40年くらい前に地元の集落に隣接して荒地を開発した新街
 ・主体は都会からの人だが地元の人や京都への通勤者も住む
 ・1/3が現役で他は高齢者で一人暮らしの家庭も増えている
 ・周辺は川あり林あり田んぼありの自然豊かな場所
 ・やや高台にあり、洪水でも我がっ町内だけは水没しない地域 
 ・当然空気も水もきれいで自動車の往来もほとんどなく静か
 
 この家は売出し価格:450万円だったのを350万円にして買った
 「株式や家や物は安く買え」なのである
 推測だが、土地は80万円上物は、270万円というところだろう
 不具合箇所の修理や追加工事は全く必要なかった
 広い中古の家が450万円くらいで買えるから、田舎では、家族一人
 づつに一軒の家が持てる見当だ2人子供がいても900万円で足りる

 今後人口減少により都会でも空き家、空きマンションが増えていく
 都会の家も例外ではない、そろそろ価格暴落して行くから要注意だ
 田舎では、すでに駅近でない中古家であれば450~350万円くらいの
 家は沢山ある。ちなみにその物件を京都で買うと2000万円を越す程度
 の家である。すなわち田舎では、京都で2500万円ほどの家に住める
 京都の家を売り近郊の田舎に移れば広い家と残り1500万円が残る

 ここ高島市安曇川には大型店が多く、近隣の狭い地域に密集している
 平和堂・プラント・バロー・ユタカ・コスモス・業務スーパー・アヤハディオ
 安曇川道の駅・キリン堂・イエローハット・コンビニ3軒・セリア・ダイソー

 やや驚きではありませんか、安曇川町民自身が驚いているくらいだ
 近隣地域から雪が少ない安曇川に買い物に来易いのである
 要するにこの付近の大型店が安曇川に集中させているらしい
 残念だが飲食店やレストランは京都大阪に比べて最悪、美味しいもの
 を食べさす店が全くないのが残念だが、私らはそれも受け入れている
 せっかくの近江牛も美味しいレストランがないので手軽に味わえない
 推測だが、腕の良い料理人がいないのだ、多分給料が安いのだろう
 こんな安曇川の最近の状況や事情は京都大阪の人は知らない

 ところで世の中は面白いというか不思議だ
 私の軽自動車は友人から5万円で買い自分で名義変更したものだが
 金持は300万円とか1000万円の大層立派な車に乗っている人がいる
 一体無駄にお金を使い、何故こんな愚かしいことをする人がいるのか?
 5万円の車でも、すごく快適だし、乗り易いし使い易い
 日本の中古車は海外で新車なみだと評判が良いそうだが???
 2000万円の車で滋賀から京都に行くのが格別良いとは思はない
 私の哲学は何事でも安い方法を真剣に考え自分で実現させる

 ”高いのが良いとは”全く考えたことはない、無駄なことだ

●広いゆったりした田舎の家
1.広い庭
  都会にも、まだ一戸建てはあるにはあるが、三階建ての縦長の狭い家
 一階は駐車場なんて極狭の一戸建てが多い。 高層マンションが林立し、
 ほとんどの都会人はマンション暮らしで、一戸建てや
 庭自体は昔話になっている、ところが都会から少しだけ離れた田舎では、
 広い庭は当り前だし庭には当前のように大型保管庫が設置されている

 私は庭を一部地域の社交場に残りに自作の卓球台を置いて楽しんでる
 庭側に縁側があってガラス戸を通して庭を観ることが出来る

 田舎の一戸建てだと万一家が倒壊しても家の再建ぐらい訳ないが、
 都会の高層マンションが半壊又は部分壊すると手に追えない
 何千万円の金を失い、住む家もない、家の再建など不可能だ

2.広い玄関
  昔東京浅草に住んでいた頃、玄関は当然のように広かった
 しかし今や都会では玄関は畳半畳もない家ばかり
 玄関とは客を迎い入れる本来大事な場所だったが、客も来ない
 田舎に移り住んで感じたことは広い玄関が未だに当前なことだ

3.広いトイレ
  昔の家のトイレは小便器と大便器で畳一畳くらいはあった
 ところが広いと思っていた京都のマンションでも畳半畳だ
 トイレに限らず最低限ギリギリの広さしかない
 私の今住む田舎の家のトイレは長さ170㎝で畳一畳近くある
 私としては「トイレくらいゆったり広くしてもよかろ」と思う
 どこもかしこも狭いではなくせめてトイレくらいゆったりしたい

4.広い脱衣所
  もう皆まで話さなくてもよいが洗面所兼脱衣所も当然のように
 広く、畳二畳弱はある
 都会では脱衣所がない家も多く、使いにくいらしい
 洗面所と洗濯機と脱衣が出来る場所だから畳二畳は必要だ
 浴槽も大事だが、風呂に入り出る前の快適な脱衣所も大事
 「都会の家は土地が高いから無理です」ってこと。都会では、
 ついつい居間を広くしてしまいがちで脱衣所等にしわ寄せが来る

5.広い浴槽・浴室
  都会の家特に東京や大阪の都心のワンルームマンションは
 風呂自体がない物件やシャワーだけの物件が多い
 京都の我が家の浴槽も 標準的な広さのユニットバスだが
 浴槽は足をかがめて入浴する
 浴室を少し狭くしても浴槽が狭くなりしわ寄せが来る
 ところが田舎の浴槽は足を軽く畳む程度でゆったり入れる
 日本の風呂は良いと言うが、足を曲げて入る風呂なんて情けない

6.広い台所
  台所は、都会のマンションと違い独立して台所がある
 LDKではなくDKで居間は別、田舎の台所は、広いのが当然
 機能的な台所であり、最も大事な専用の時間を過ごせる
 台所は台所としてだけ利用できる居間に遠慮する必要はない
 それに引き換え、都会の台所は、格別誇れる広さはない
 全てが狭い、もう嫌になる「なんでこんなに狭いの?」

7.広い空き地・遊休地(家建物以外)
  都会には公園はあるが家の前や横に空き地があったら、どんなにか
 良いか今の都会人は忘れている。空き地では大工や遊びや仕事も出来る
 都会にはそういう自分が自由に使える場所が近場にない
 ところで都会では作業するかわりに高いお金払ってスポーツジムに通う
 都会では、田舎で不要なものに無駄なお金や労力を使うことになる
 空き地は更に野菜も作れる車も置ける、作業も出来るし、薪で米も炊ける
 たかが空き地だが、あらゆる作業が出来、楽しめるのだ

8.広い駐車場
  都会では庭にも町にも駐車場がない、あったとしても混雑していたり、
 高い料金を取られる。ここ安曇川ではまず駐車料金をとられたことがない
 どこに出かけても駐車の心配をすることがまずない、自動車利用が楽だ
 都会ではどこかに出かけても駐車する場所にすごく苦労する。田舎では
 家には2~3台分の駐車場があり、万一の災害でも暮らしを維持出来る
 災害時に炊き出し出来、テントも貼れるし、屋根があれば雨露凌げる
 都会で駐車場付きなんて家を買うことは普通のサラリーマンには無理だ

9.相対的に広い余裕ある道路
  都会の道路は幹線道路は片側2車線上下4車線が多い、確かに広い
 道路だが、走ってみると甚だしく怖い、危険を感じる
 ところが田舎は幹線道路でも片側1車線上下2車線で済まされているが
 、それでも田舎の道はすいている、幹線道路以外では、ほとんど自動車が
 走っていないのだ。私の町内では、道路で仕事や遊びが出来るほどだ
 道路で子供やご老人がゆったりしていても自動車に惹かれることはない

10.広い視野(地平線・水平線)
  ここ田舎では地平線は毎日見放題。むしろ地平線や水平線が見えない
 ほうが不思議だ、都会の人は地平線は見えないものと決めつけている
 見えるのは隣の汚い家やマンションやビル群だ
 山や遠くが見えると付近の全体が理解でき天候さえも予測出来る
 すなわち田舎では見通しが効くのだが、都会では狭い視野が植え付け
 られてしまう

11.広い心
  都会は人が多い、人にうんざりしている、プライベート時間には、
 人と付き合ったりましてや会話するなんて、まっぴらごめんなのだ
 隣近所ほどむしろ遠ざけ、関わらないのが現代の都会の暮らし方だ
 しかも高層マンションでは家とは言えない牢屋みたいな部屋に閉じ
 こもるので習性として互いに干渉しあうことを避けるのである
 田舎では普段は自然に交わる時間が多く、人と交わる時間は少ない
 人に対する嫌悪感はない、付き合い下手だが、人嫌いではない
 一戸建てだと家の玄関を出ると真ん前や横に近所の家があるのである
 会話する機会は多いのだ
12.広いゆとり
  最後にゆとりをあげたのは、以上のことを総合すると、ゆとりになる
 一つづつが広いから結果的に広いゆとりになった人間が出来上がるのだ
 都会のように駐車場に悩み、混雑に悩む、犯罪や危険に悩むことはない

●少ない、ゆとりある田舎の町
1.少ない人
  都会がいいという人が田舎で人の少ない所に来ると「つまらない感」
 出現するらしい、でも田舎暮らしの長い私は、人が少ないからつまらない
 ということは全く感じない、それどころか人が少なければそれはそれで
 良いと思えるようになっている、すなわち人が少ないところでも楽しく
 生きていける能力を経験によって身につけたのである
 人で溢れる都会から人気のない田舎に来ると年とともに人は変わっていく
 ちなみに私の子供らはご多聞に漏れず田舎嫌いというか田舎が苦手で、
 私の家に来ることは全くない
 田舎はつまらないしなじめないらしい、半日ビデオ観てすぐに帰って行く

2.少ない工場
  琵琶湖の場合、東側は工場が多いが西側は工場はほとんどない、理由は
 定かに分からないが当初、東側に集結する理由や原因があったのだろう
 京都大阪から近いところに自然が豊かな湖西地方(安曇川以北)ありがとう
 滋賀県の湖西の高島市以北は稀なる自然が保全された田舎地域なのだ
 年取ってから、会社終わってプライベートな時間に工場の近くは無用だ

3.少ない自動車
  田舎の家庭は人数分自動車を所有している、駐車場もあるので3台4台も
 置いている、その理由は言うまでもなく、公共交通網がないからだ
 自家用車は必要な時間だけしか走らないから、案外道は空いている
 滋賀県高島市は軽自動車は車庫証明不要、不法駐車がないからだ
 電車も地下鉄もバスもひどくお粗末である、特に滋賀県の西側は田舎である
 東側は都会的な田舎であるが、それでも交通手段はお粗末で、大半は自家用車
 に依存している。利点は、自分が行きたい場所に自由に行けるということ

 無人運転が実現する3年後以後は、田舎は大きく変貌するだろう
 都会では無人運転は大した効果が発揮できないだろう
 貸自動車や無人バスが広い町や村を縦横に走っているのだろう
 田舎に効率的な交通手段が急激に出現することになり都会近郊の
 市町村は大きく変貌し、人口増大が夢ではなくなりそうだ


4.少ないビル
  田舎にビルを作ったらよいと私は考えるが、現実にそうはならない
 広い土地があるので上に伸ばす必要がないし、好まれない
 都会では安ければマンションを買うが田舎の人はマンションは買わない
 「田舎でマンション」はやめましょう、無駄なコストがかかってしまう
 一戸建てを買う、田舎ではそのほうが楽しいし、暮らし易いと感じている

5.少ない誘惑
  都会は誘惑が多い、これは田舎に20年も暮らしていると実感することだ
 最近の若者は昔の若者ほど物を欲しがらなくなったというがそれはそれで不健全
 田舎の欲望の抑制は健全な抑制のように私は感じている
 人間は欲望のままに生きていく動物だから、欲望の種をまけば欲望はヤタラ
 発芽してしまう、ところが田舎は市場としては小さいので欲望の種は
 播かれないのだ、田舎に暮らすということはそれこそがよいのだ
 けばけばしさや派手さや流行などは田舎では好まれないことはよいと思う
 それでも京都大阪は近いし「歓楽街も近くにある」という感覚だ
 高島市安曇川は、そういう怪しげなものが少ない、暮らすための町なのだ

6.少ない外国人
  外人観光客誘致によって外人観光客が増えている、どこかというと、
 東京・京都・大阪・名古屋・北海道・沖縄・その他観光県だ
 京都駅に降りるとどこに行っても外人だらけなのだ、伏見稲荷なんて
 昔は外人なんか全くいなかった、私の住む高島市は外人観光客はいない
 有難い、高島市に住んでよかった、意外な利点があったのだ

 私が個人的に住む場合は、自分の土地に外人や日本人観光客は来ないで
 欲しい、観光業者以外の住人にとって何も良いことはない 
 田舎を選ぶ場合、大事なのは、外国人が住まない・来ない場所だ

7.少ないウイルス
 都会は人や物流が多いその結果ウイルスなどの最近も蔓延し易い
 ウイルスだけでなく有害物質しかり、電波しかり、麻薬しかり、
 妙ちくりんな流行しかり、蔓延して、それに染まってしまうのだ
 ここ私の住む田舎ではインフルエンザも少ないのだ
 田舎では病院や都会に行かなければインフルエンザにはかからない
 昔、肺結核になると田舎に静養に長期療養したものである
 地球温暖化でウイルスや危険害虫や難病奇病も都会に急増している

8.少ない大災害
 大災害とは地方にも起きている、しかし、それらの災害は幸いにも
 日本そのものを揺るがすようなものにはならない
 大都会に巨大災害が起きることが他人事ではなく、私には心配だ
 一たび大都市で大災害が起きるとその被害は国家を揺るがす
 深刻なものになってしまう。
その点私の住む高島市が例え大災害に
 遭っても、その被害は限定的なのである、限界集落はある意味影響も
 限界なのである
 人も少ない、家が建て混んでいない、危険なものもないのだ

  私の住む琵琶湖の西岸のような田舎は、テロや工場災害をはじめ
 大停電とか大トラブルは起きようがない、発生源が少ない、そこに住む
 少ない人のごく小さなトラブルだけで収まる。復旧も早い
 都会だと大トラブルが更に次々にトラブルを連鎖したり拡大するのだ
 琵琶湖西岸の高島安曇川のような小さな田舎、巨大災害でも知れている

 しかし福島の原発事故のように都会のための施設を安易に誘致する
 とそのリスクが増大しないように注意すべきである
 リスクを抱え込まないことが地方市町村の守べき大事なことであろう
 せっかくリスクの少ない田舎が巨大なリスクをお金のために背負うのは
 いかがなものだろうか

9.少ない交通事故
  私がこの高島安曇川に暮らして感じることは交通事故が少ないこと
 老人が多いが、事故は少ない、20年間事故など見たことがない

 昨今言われている「老人は免許を返納せよ」だが私はそんな気はない
 田舎の道路は車が少ないので都会のような事故は考えようがない
 私も京都の道路を走るのは危険で、ゆったり運転をする気はしない

10.少ない交通渋滞
  当然交通渋滞もないあるとすれば土日に京都大阪からの人の車だ
 いつもは空いている、道路が道路の機能をきちんと発揮している
 だからどこに行くのもほぼ時間どおり着く、京都の伏見から四条
 の高島屋に行くのと違い、何の心配もなく快適かつ確実に買い物が
 出来るのである、田舎ではどこに行くのも確実に行けるし駐車出来る
 湖西道路は無料で今は北小松まで来ているが最近は安曇川まで伸ばす
 工事をやっているので、安曇川は更に便利になる、私はやや不安だが

11.少ない犯罪
  犯罪は少ない、家が少ないから泥棒にも魅力がない
 人が少ないから犯罪しても怪しげな人は、やたら目立っ、
 都会では、ないが、田舎では普段見知らぬ人はすぐに警戒される
 湖西の安曇川の警察官は暇だそうだ,湖東地方の警察は忙しいらしい
 また大した金持はいない、いたとしてもそこそこだ、大概の家はごく普通

 まあ都会の家より広いがここら辺ではそれが当たり前である
 都会では狭い家ばかりで、とびきり金持の家は外見ですぐに分かる
 それに農家かリタイアーした老人が多い
 怪しげな外人や飲み屋も少ないし、都会のように喧嘩もほとんどない
 昨今怪しげな外人が多い田舎町もあるらしいから、それは要注意だ

12.少ない汚染
  自動車が少ない  工場はほとんどない  自然が豊富
 その結果水も空気も土も汚染が少ない
 滋賀県は琵琶湖があるがそこに沢山の川から水が流れ込む、水量が多い
 ことが水質を保全している、しかしその下流の京都や大阪などは工場や
 家庭排水によって汚染され、空気も自動車や工場の排ガスによって
 健康は確実に蝕まれている
 但し近隣他府県からの山への不法投棄が多いからこの点は要注意だ

ところで田舎と言えども周辺の原発や工場や台風や津波や洪水や風害
や雪害なども調査し総合的に安全性などを判断すべきである
つぎのようなことで5点法で評価する目安は
 (1点リスクが大きい 2点リスクあり 3点リスクが小さい
  4点リスクない 5点良好)

滋賀県の田舎の我が家の安全の評価をしてみました
(田中竹の里=
  山裾でなく、大河に近くなく、土地がやや高い場所)

評価項目         私の田舎 京都の家
ーーーーーーーーーーー   ーーーー ーーーー
①風害          3     3
②水害          5     2
③土石流          5     5
④雪害          4     4
⑤地震後津波・火災    5     2
⑥地盤軟弱         2     5
⑦原発          2     4
⑧火山や爆発源        5     5
⑨家屋密集・空き地有無   5     0
⑩工場排水・排ガス   5     1
⑪交通量・交通渋滞   5     0
⑫犯罪          5     0
⑬交通事故         5     0
⑭交通機関         2     5
⑮林や森や山川や自然   5     2
⑯大型販売店         5     4
⑰病院          4     5
⑱福祉          4     3
⑲健康施設         4     3
⑳教養機会         4     3
===========  ==== ====
    総合点数=   84     56

59点未満 かなり問題あり
69点未満 問題あり
79点未満 やや安全
90点未満 かなり安全
90点以上 非常に安全

田舎で注意することは、次の点である
①周辺より高い場所②崖の下でない③山の麓でない
④大きな川が隣接してない⑤道が良く広い、空き地がある
⑥海から十分離れている

1.私のように55歳で田舎に中古の家を買う
2.都会と田舎の両方の暮らしを10年
3.徐々に田舎に暮らしを移していく
4.本格的に田舎を重点に暮らす
5.70歳都会に戻るか都会を捨てるか、田舎重点で両方維持か
  決定する
       ⇓
1.私は55歳で安曇川の山のログハウス購入
2.経営コンサルタントをしながら京都と両方の暮らし12年
3.67~73歳は、山暮らしを重点に暮らす
4.73歳で山を降り麓の田舎町に家を買う
5.今77歳京都の家を維持しながら安曇川の町にすっかり定着

我が家の駐車場だったところが地域の社交場にもなっている
断捨離で捨てる家具をもらい、使い易い場所になって来ました
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