村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

538.現代人は意外に無気力、無力、不自由、無知、無個性

2022-06-09 05:02:14 | 人生
●マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来る 村上原基
各種相談 会話 人付き合い 人生 老後生き方 悩み  文書作成
 大工 田舎暮らし 草木の剪定 健康 運動 趣味 管理 改善
 趣味 暮らしの無駄改善 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 

●一人で悩み過ぎちゃ駄目。気軽に何でも相談にお越し下さい
「自然は最大の友、最大の師」「人は友にあらず、師にあらず」
人は、自然に沿い、そして自然に一体化することだ
 捨てる:自分を捨てる 人も捨てる 過去や世間をも捨てる

 滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)地図
●安曇川案内や田舎暮らし案内もします、お申しつけ下さい

村上原基人生勉強会  kazutakajiのtwilog  

やれと言うがやらず、やめろとうがやめない、だから変わらん
やめるべき事をやめ、やるべき事をやるのが自然な人生の第一歩
世の中は便利で豊かで自由で安全安心と思うのは大きな錯覚
平和や健康や豊かさは必しも平和や健康や豊かさではない
高齢でも健康なためには日々身体を動かし、負荷を与える事
**************************
テーマ:現代人は意外に無気力、無力、不自由、無知、無個性

東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀、大都会から田舎暮らし、会社も5回転職し、田舎で自由気ままに暮らしてきた私から観る都会の人を中心とした現代人は、依存し自分を縛り付け、狭く浅く奥行きが短い。人生のどこかの時期に山暮らしや田舎暮らしによってもっと自由にもっと楽しく、活き活きのびのび暮らしたらよいと思う。そこで自分を解き離し、何でも自由闊達に出来、自信を持って果敢に何にでも挑戦することを通じて本来の自己の発見をして欲しいものだ。自己を捨て、自己を見直し、自己を磨き、自己を習う・・・


 ※ ここで孤独とは、どちらかと言うと孤立のことである
ご近所の家(田舎の中古一戸建て)のリフォームで障子を探して来て部屋の大窓をサッシと障子の二重にして断熱と目隠しにしようとやっています、障子は断熱性がよく太陽光をを和らげる中古障子は数が減りなかなか手にはいりません。もしあったら綺麗に洗って保管しておくとよいでしょう。欲しい人は多いので必ず売れるものです。
上下の敷居はネットで標準のものがセットで売っています、15,000円くらいで入手可能


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533.[自然は最大の友、最大の師」「人は友にあらず、師にあらず]

2022-04-03 21:01:39 | 人生
マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます  村上原基
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる 
 健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 

●努力し真剣に生きても、どうしても上手く行かない人お越し下さい
「自然は最大の友、最大の師」「人は友にあらず、師にあらず」
人は、自然に沿い、そして自然に一体化することだ

   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)

村上原基人生勉強会   kazutakajiのtwilog      地図

やれと言ってもやらず、止めろと言っても止めない、だから変わらない
止めるべきことを止め、やるべきことをやる事が自然な人生の第一歩
世の中が便利で豊かで自由で安全安心であると思うのは大きな錯覚
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず

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テーマ:「自然は最大の友、最大の師」「人は友にあらず、師にあらず」

 55歳から24年暮らす静かな田舎町の昨年の春4月9日の景色
「自然は最大の友、最大の師」  「人は友にあらず、師にあらず」
人は、自然に沿い、そして自然に一体化することだ

「コロナウイルスで人と一杯飲めなくて悲しい」等と馬鹿な事を言う
世間の人は「そういう人が可哀そうだ」などと同情するしまつ
潔く人間のせいにはしないで、早速ウイルス撃退に取り掛かる
人は常により不自然さを求め、より不自然なものを賞賛・絶賛する
だから、自然を敵とし、そのあげくに混乱は深まるばかり
  ・新型コロナウイルスに謙虚にひれ伏せ
(自然に抗おうとするな)東日本大震災・大津波をもう忘れている
  ・大国R国をよく観ておくと良い、あれこそ愚かしい醜い人間の姿

   あの悲惨な世界第二次大戦をもう忘れている、歴史認識なし
    日本人は忘れていない、そして平和を真面目に守っている
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526.平和の有難み、平和は指導者の最重要な責務

2022-03-07 10:37:33 | 人生
<u>マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます  村上原基
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●努力し真剣に生きても、どうしても上手く行かない人お越し下さい
「自然は最大の友、最大の師」「人は友にあらず、師にあらず」人は自然に沿え
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)


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やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心であると思うのは大きな錯覚
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず

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テーマ:平和の有難み、平和は指導者の最重要な責務

質素・謙虚・地味・素直・平穏・平静・自然・自重・中庸、足るを知り、原点・基本に戻り、華美を廃し、愚直に、競わず・争わず、安全で平和で健康で凡庸に暮らす。自分の利益を優先し周囲に迷惑をかけたりはしない。もしそうでない国や企業や家があっても毅然としている。そういう人に・・・・・・・たい

老子の名言
ただ自分自身であることに満足し、比較したり競争することがないのであれば、すべての人が君を尊敬するだろう。善く敵に勝つものは争わず。足るを知る今持っているものに満足し、ありのままの姿を喜びなさい。何も欠けていないと悟れば、全世界が自分のものとなる。


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516.都会を捨て20年の山と田舎暮らしの効用:入り口に立て

2021-06-12 20:25:20 | 人生
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●努力して真剣に生きてるが、どうしても上手く行かない人お越し下さい
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「やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心になっていると思うのは大きな錯覚だ
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず

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テーマ:都会を捨て20年の山と田舎暮らしの効用:入り口に立て

すでにこのブログでしつこく何度も同じようなことを論じて恐縮
欲にまみれ、都会で嘘誤魔化しの暮らしを続けても真面目な話、
得るよりどんどん失うばかりだと認識して欲しい

昨今の新型コロナウイルスもその典型的な現れであり、その他にも、温暖化・旱魃・巨大台風・各地の紛争・中国の野望・
朝鮮問題・挙げたらきりがないが、多くの人は「問題の大変さは理解しているが、自分にはさほど関係ない」という感じがする。でも新型コロナウイルスはそういう甘さを完璧に切り崩した

私は新型コロナウイルスは第三次世界大戦だと思っている。しかも被害が大きかったのだが、戦争のように家やインフラや企業や生産能力の損傷はない、すなわち即復興できるのが大きな特徴だ。意外だが世界的に金余り現象となっている、これも大きな特徴だ。戦後だから、今後はとんでもない技術革新や暮らしの激変が起きる可能性も出て来る。株価が意外に高騰しているのもその理由だ。新型コロナウイルスを体験した後の企業や人々の感覚は大きく変わる、第二次大戦前後の変わり方よりもっと大きいかもしれない。まあある意味経済的にも非常に大きな変化が生じるだろうが、進歩発展は諸刃の剣であることを忘れてはならない良いことだけでは終わらない。進化ということは非常にゆっくりの場合に良しとするが、あまりに速い場合は良いとは思わない、ところが人間はセッカチなのだ。その結果人間はそれについていけずに、かえった多くの矛盾をかかえてしまう。そして人間らしさを失い、悩み苦しむことになり、ついには国家や世界が崩壊へと進んでしまうものだ

そういう革新がかえって、ますます便利や贅沢や快楽や安易に走り、格差も広がる一方で巨大災害等大きな問題も表面化して来る。世の中が進歩することは私の体験でも良い事半分・悪い事半分だ。ダイナマイト・飛行機こういうものも便利にさせた効用はあるものの戦争で人殺しにも使われてきたと言ったことからもお分かりだろう。そういう中でよほど自分がしっかりしないと更に自分を失いかねない

私個人としては大都会を捨て滋賀県の田舎で地味に堅実に生きているが、大災害や困苦にもあわてないだけの予防や準備や覚悟をするつもりだ

ダーウインの進化論ではないが、生き物は環境に順応していく
人間は環境を選べるのに、真剣に自分にとって最適な環境を探し選び、状況を変えようとはしない、むしろかなり保守的だ
樂とか、儲かるとか、便利だとかを優先し、真に自分の成長に
役立つ最適な環境を選ぼうとする人はいない。その結果都会の悪い環境に暮らし続け、苦しむ人が多いように思う

戦後の東京でも今のような大都会ではなく街中でも田舎のようなたたずまいがあったほどだ、最近の過密な大都会暮らしなんて私が30歳くらいまでは存在しなかった。ところがその後異常に過密な都会へと急速に姿を変えて行ったのだ。私は「こんな所によくぞ住んでいる、とんでもない場所だ」と思う

私は55歳で大胆にも20年間の山暮らしと田舎暮らしをチョイスした。偶然かもしれないが私はそれ迄会社や住居や仕事を何回もチョイスし変えて来たが、55歳からの山暮らし挑戦はその集大成となった。だが苦しい戦いというより、新しい挑戦であったことは幸いだった

戦後東京浅草生まれ、24歳で大阪、30歳で京都、55歳で滋賀県、どっぷり都会暮らしの後に思いがけず20年の山暮らし、をすることになったが、貴重な体験なので何度もお話ししている。特別何かを目指した訳でも逃避したのでもないが、山暮らしの結果得たものはかなり大きい(偶然と言えども幸いというしかない)中途半端で遊びだけの田舎暮らしでなく、一人での山暮らしが、私にとってかなり良い影響を与えたと、後々気づかされる。僅かだが禅の基礎知識や経験があったのが良かったかもしれない

55歳という年齢もまさしくタイムリーだったと思うし、
それまでの会社を54歳で退職しコンサルタント会社に転職し、2年あまり療養中の妻が脳腫瘍でその年に他界した上、末の子が20歳の時で、3人の子供は家や下宿に、私は京都と滋賀の二重生活を始め、暮らしのスタイルをガラッと変わった。私の潜在的な心の中の思いが突如噴出してしまったのだろう。
山暮らしには厳格な先生もいなかったので、何もかも一人でやる。むしろそのほうが厳しいもので、独自修業的なものであった、一人山暮らし初体験であったが、どうやら順応出来たように思う

最今の田舎暮らしを観ていると金に余裕のある人が遊び感覚で手軽に楽しむ人が多い、変えるとか修業などの感覚は全くない。江戸時代以前の昔、都会人が山に一人篭ったのとは大きく違う。彼らは世を捨てる真面目な真剣な決断だったと思う。隠遁=世を捨てる+自分に降り積もった嘘誤魔化しを捨てる
それに対し現代人は、バーべキューや魚釣り等単なる遊びや楽しみに重点が置かれ、更に垢や汚れを上塗りし積み重ねるだけのこと昔の人には、山や田舎はごく身近な自分の原点だったのだろう。私は、昔の人のような厳しい田舎暮らしが正しいと思っている

田舎暮らしのレベルを5段階に分類すると、段階の分け方の基準は、どれだけ都会的な暮らしから離れ、自分を変えるかだ。便利な田舎とか楽しい田舎とか更なる贅沢を求める田舎なんて発想は禁物
 レベル1:完全な山暮らし一人暮らし
 レベル2:辺鄙な田舎で一人暮らし
 レベル3:ごくありきたりの田舎くらし
 レベル4:都会的な環境の田舎暮らし
 レベル5:都会と田舎を行ったり来たり

私がお勧めする田舎暮らしは1又は2だが、都会を捨てきれていない遊び半分の田舎暮らしの場合は、何の価値もない。山暮らしを体験してしまった私には、ひどく浅はかに見える。何のための田舎暮らしなのか?と常に問い続けねばならない。私のようにあれこれ変わって来た人間には、変わる事の意味や価値を掘り下げるのが癖になっている

都会は便利だがせわしい所、田舎はのんびり遊べる所という安易な考えは思い違い。ある程度暮らしてみると不便な都会・不自由な都会・危ない都会をむしろ実感します。田舎は町が空いている、家も庭も広い、どこでも無料駐車できる場所がある、家の周囲にも畑や空き地も十分ある。でも、ちなみに山は都会と違い、人はいない、夜は真っ暗、獣もいる。アメリカや海外もよいが、山のそんな暮らしを一生のうちに一回や二回は体験することを是非お勧めする

ちなみに海外生活の場合も同じようなことが言える。アメリカに暮らしても日本離れができていないようでは海外暮らしとは到底言えないであろうが、田舎暮らしも同様だ何にも言える事だが、綺麗さっぱり変わる事が大事だと私は考える。都会暮らしを捨て、山や田舎でしか出来ない暮らしをすべきである。「郷に入っては郷に従え」が基本である。私が京都に引っ越してからは完全に京都人になろうと努力してきた。私は、大阪に来て東京を捨て滋賀に来て大阪や京都を捨てたし京都の零細企業やロームに転職して松下電器を捨てたし都会や家族も捨てた(=離れたというか個々独立した)過去の生き方や考え方もほぼ完全に捨てた

単に都会から田舎へ暮らすというだけの田舎暮らしはミーハ―だ。都会と山奥や田舎は何事もほぼ正反対だから、暮らしのあまりの違いに、まず慣れる必要がある、誰も助けてはくれないのも特徴的、会社などの場合は、人事部門や先輩が手とり足とり教えてくれるが大部分の人は、都会を捨てきれてないレベルの単なる遊びに終わる。都会暮らしにどっぷり浸かって来た人の場合は、その程度だが、だからと言って私が文句を言う筋合いではないのだが残念である

「かわいい子には旅をさせよ」とか「他人の窯の飯を食え」と言うが、厳しい一人旅、頼る人はいない、一人でやって行かなくてはならない。人は人生で一回は大きく捨てることが必要だが、その認識のない人やそういうことが出来ない人ばかりで、一度も捨てることなく老いてしまう。捨てられない原因は、 ①捨てるタイミングと ②捨てるに適した場所  私は55歳から一人山暮らしによって、最高な機会を得たが、多分多くの人はその機会に出会えずに老いてしまうのだ

捨てないでは人生、何も始まらないと私は信じているが、人は捨てる機会に出会えない。そういう意味では室内の溜まった沢山のゴミ(不要物)をなかなか捨てられないことによく似ているところで最近自殺者が増えているというが、多くの前途有望な若者が都会で行き場を失って悩み苦しむ日々を送っているのだろうが、
私がやった山暮らし体験が出来る施設があればそういう若者を救い。立派な人間に導くことが出来ると思う。引篭もりや登校拒否やノイローゼの人の施設を山に造るのは望ましい

昔日本では、山は民を救う神の住む場所だったらしいが、山国日本も山に多くの悩む人を原基に戻すような施設をどんどん増やして欲しいものである。山は神様との考えがあるが、都会は神どころか多くの邪気で満ちている。昔は問題解決が簡単であった「こうすれば解決する」そういう時代は終わった、現代の都会における問題は複雑で解決しようとすればする。ほど新たな問題が沢山湧きだす。都会では昔は無かったような面倒な問題が次々に出てくる。都会は問題解決を複雑にし困難にする環境又は土壌なのであろう

現代の都会では問題が泉のように次々に湧き出るのだ、問題は一つづつゆっくり、冷静に解決して行けばよいが、何しろ欲張る・焦る・ウイルスのように次々新たな問題が増殖する。この愚かな・無駄な負の連鎖は都会人には、そう簡単には止められないものなのだ、苛めやネット上の避難中傷、パワハラ、ノイローゼ、自殺などがその結果である。欲望というものも無駄に際限なく増大していく、そしてそのことでまたまた悩み・苦しみが増える

30歳で引越した京都に入り込むのは難しかったし、まだ入れてない。ヨソ者は、まず入れない、独特の文化を持つ京都は高い壁があり、厳しい歴史的風土の地で気位は高いのは日本においても別格だ。入れないものを無理矢理入ろうとしたが、ひどく困難を感じた。観光者には優しいが、中に入ろうとするよそ者にはひどく厳しい。30年くらい住んできたが京都の友人は一人もいないのが現実だ関西の人に聞くと同様なことを言う人が多い

目下、住んでいる安曇川は、元々安曇川の人の集落と京都大阪から引っ越してきた人の新しい集落に分かれるが、地元の集落の中にはなかなか入り込めない、ここはここで、京都と違う文化的な壁がある。やはり田舎の人は質素倹約、真面目、厳しい自然と戦ってきた人とは都会出の人間は相いれないものがある。一人山暮らしでは、自然はがっちりと私を自然に受けとめてくれた。山は、入って来る人に対して壁もなく、完璧なまでに一切の差別もしない

一人山暮らしなんて馬鹿と言われそうだが”悔しかったらやって下さい”何でもやってみて初めてその難しさが分かって来るものだ。一般人がやらないことをやってみると、貴重なものが発見できるはずだ。たかが精神的なものだと言って本を読んだだけでは到底分かりはしない

私は山で何をやっていたかと言うと主に草木・土・石・川・など自然物との付き合いである、自然は良きにつけ悪しきにつけ万事が大らかである。森や道路の清掃、草抜き・ゴミの撤去、木の剪定・土木・家の修繕など人はいないので、煩わしい人間関係で心を汚すことは全くなかった。他人の目を気にしたり、心の軋轢もない、他人の事で思い悩むこともない

ところが都会ではあらゆる所に他人の目があり、いちいち反応してしまう。馬鹿げたことだが、阪神ひいきの人は阪神が負けるとがっかりする。自分以外の人のことで一喜一憂し揉め事や悩みが一日中絶えない。山の暮らしを15~20年もやり続けると対人関係は綺麗さっぱり汚れがとれ、全く新たな人間関係が始まるのは当然の結果であった。しかし町や都会の暮らしに戻った時に人間関係がリバウンドしないように注意はしている。また都会の人が近所付き合いや交際を減らし人間関係を極端に限定するのも困った現代の都会的な現象である

山では、物言わぬ自然物との向き合いによって身体も頭も一日中動き続けていたし、さわやかな疲れと食欲と睡眠があった。時には台風や大雨で付近一帯がひどく荒れてしまい、その復旧に数日過ごしたことが何度もあった、山では全部自分でやらねばならない

山はほぼ全部が自然、自然は優しいが、ひどく困っても手助けは一切してくれない、無論近所の人も役所も誰も助けてはくれない。そういう中で一人平然と暮らさなければならない、そういう所に長く身を置いてみると人間は逞しく成長するものだ、ところで振り返って約30年の京都暮らしも結構しんどかったが、多くの人に助けられていた。山暮らしは全てが自分の責任であり「他人が悪い」と言っても何の役にも意味も持たない、真の孤独であり、甘い過去との決別である。そういう山暮らしは、過去を全て捨て去るに十分なきっかけとなったと思う。自分であっても、すでに過去の自分ではなくなって、生まれ変わった

山暮らしで感じた事は都会での人間関係や人工物はただ人間の心を惑わせしんどくさせ、病まし、不快にするだけだった。人との付き合い、人間関係ほど面倒で汚れたものはないから、のめり込み過ぎないことだ。お金も才能も権力もあらゆるものは過度に依存してはならない。人間関係も同様にあまりにベタベタとのめり込んではならない

人間関係も諸刃の剣で、むしろ弊害ばかりの場合も多いのである。私は現在は、「人付き合いもほどほどに」をモットーにしている。よく「人間関係が多彩で広い」などと自慢する人がいるが、私は必しも羨ましいとは思わない。お金に使われるなお金は使うものだ、人間関係も同様である

人はもっとも厄介なもので未だに歴史的な悪人が続々でてきて、戦争だ迫害だ、暴力だ、苛めだ、暗殺だ、・・・と多くの悪事を働いているのだ。人は仏性を備えているが、現実は僅かの仏性もない人が多い。そういう怪しげな人や社会の影響を受けて育ってきたというわけだ。お金も必要で、そのためにあくせく稼がなくてはならないが、山は、空気や綺麗な水や草木や山菜やなどの恵みがあった。山での一人暮らしは、実態はつらく苦しいのだが、都会のように真綿でじわじわ首絞められるような苦しさに比べると、さわやかなものだった

私は東京を離れ、会社も4回変わって来た、第一回目は最盛期の松下電器を10年で辞めたが、当時「お前はアホか」と言われたが、そのとおり、その決断は、未熟でアホであったに違いないのだが、私が変わる決断がスッパリ出来るようになった原点がその時であり、私の心に過去に捕らわれず思い切り変わる精神がカチッと埋め込まれたように思う。一回目のバンジージャンプ成功みたいなものだ

駄目なものは駄目、変わるべきものは変わるという感覚になった。当時日本では会社を変わることは良くない事という印象だったが駄目男の私は、自分勝手に自分なりに区切りをつけ転職して来た。(ちなみに大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒京都ローム⇒大阪テクノ経営⇒関西ISOコンサルタントネットワーク自営⇒人生勉強会)

人は決断と実行が①早い人と ②遅い人と ③ほとんど出来ない人がいるが、私の経験では、初回の決断実行が上手く行ったかどうか第一回目の思い切った決断と実行が、大げさかもしれないがその人のその後に人生を決めてしまうと言ってもよい。バンジージャンプのように最初に飛び降りない人はその後もやらない。
「決断と実行はやらずに後悔するより、やって後悔せよ」である。
「鉄は熱いうちに叩け」である。
「まず入り口に立て、そしてその入り口を入れ」


55歳いきなり20年の山暮らしを決断実行したが、結果は良かった。それ以前は55年間、大都会で競争社会の真っただ中で暮らしてきた。高度成長のおかげで、それなりに家族やある程度の蓄えも出来たが他方で知らぬ間に、苦しみ悩み続けて来たように思う。同時代の人は気づかないかもしれないが、高度成長のひずみの中都会の束縛や不自由さや人間関係で苦しみ悩みを抱えたまま、日々無駄に格闘し、穏やかな日はなく、もがき続けて来たに違いない。戦後まもなく民主化し、高度成長に急ぎ突入したため自己の確立が伴っていなかったのだろう

ダーウインの進化論というより私の場合は都会で55年染みついた。ものをさっぱり削り落とすことで、進化というより、数歩戻るようなものだった。あまりに行き過ぎた歪んだ進歩・発展・進化をストっプしたことになるのだろう。時として人間の場合行き過ぎた進歩を止め、戻る事が、真の進化につながるのだ

人間としてあるべき生き方や本来やりたい事などは犠牲にしてきた。「いやそんなことはない、所得も増え、家や電気製品や自動車まで買い、豊かで便利さを十分満喫した」と考えたら、それは大間違いなのだ。パワハラ経営者や上司、社会に従って自分を押し殺し耐え忍んで生きて来た。当時としては、ごく当然の生き方だったと思うが、実にくだらん生き方を強いられてきた。その結果として、何となく不信感や不安感や自信喪失、充実感がない、生き甲斐を感じない、本質的に楽しくない、緊張ばかり、つらい・・・
自分でありながら自分でない生き方を55年間続けて来た、自分でないものを求め続けて来た、馬鹿バカしいと言えば実に馬鹿バカしかった。嘘誤魔化しの々、そしてその嘘誤魔化しで苦しみ悩み続けてきた

個性化時代と言うが、本当に個性的人間なんてほとんどいない。経済的発展にしがみつき、頼りない魅力のない人で溢れてしまった。日本はいかにも個性的になったように錯覚しているが、個性化なんてものは、とっくの昔、どこかに忘れて置き去りにして来たのだ。こともあろうに政治家や経営者に至るまでほとんどの人間が画一的で虚無的・自分勝手で、嘘誤魔化しで塗りつぶされて来た

いざ個性的になってよいと言われても、簡単に個性的にはなれない。退職したら思い切り遊ぼうなんて思っていた人が実際に遊べるかというと、現実にはそうはならない、遊び方を知らないのだ。欧米人のように趣味を持ち余暇や家族と夜を楽しむ習慣・努力もない。都会で人々のやり方や流行に流され、惰性的な暮らしを安易に選ぶ

山や田舎で自分を拘束するものがなく広い場所と自由な時間を与えられたら個性的なことが出来るかというとそうでもない。山にも都会の人が訪れてきたが、山での遊び方を全く知らない人ばかり、都会の人が週末田舎で野外生活をしているのを観るとやはり画一的だ日本では、都会の家もオフィスも狭い、その結果萎縮してしまう。都会暮らしは知らぬ間に自分を閉じ込め、自身に制約を課してしまう。本来当然な野菜つくりとか土木作業や大工なんて全く出来やしないし「それで当然だ」と言うからびっくりする。嘘誤魔化ししか出来ない。画一的というが、こんな恐ろしいものはない、中国や北朝鮮を観ればそれが嫌と言うほど分かろうというものだ
自由とか自分が思うままにとか自立とか自主ということが大事なのだ。そうなるには私のように20年もの山暮らしは大事だとつくづく思う。それほど都会で染みついた自己抑制・制約の観念が根強いのだろう

高度成長期に日本は世界一、その当事者としてがんじがらめに縛られ続け大きなストレスを増やし続けてきたように思う。自分が自分になり切れず、魂の抜けた幽霊のように生き続け、さほど楽しくも良いこともなかったように思う。物質的や表面的な豊かさの裏で、実際は自分として納得のいかない人生を過ごさざるを得なかったのだと、私は山暮らし以降少しづつ気づかされた。なぜならば時々京都に家に帰る時が何度かあったが、すごい違和感をその度毎に感じ、それが毎回強まって行ったからである

世の中は便利で豊になったようだが、実態はますます生き難くなっている。イケイケどんどん、使い捨て文化、売れないものは大量廃棄処分、ガソリンも電気も使い放題、海外や国内旅行そして爆買い・・・人間の心もだが温暖化や自然災害など地球環境やあらゆるものが急速に崩壊し始めた

55歳の私が、普通だったらそろそろ都会で便利さやもっと多くの楽しみを味わうべきところ、逆に、人気もない、味気ない、不便な、自然だけの都会に比べて何もない、面白くもない山暮らしに一人で突入してしまった。不思議なことに当時、私は山暮らしが良いとか悪いとか全く考えなかった。あまり難しく考えなかったことが逆に幸いしたと思っている。ここで下手に考えたり迷ったりしたら20年の山暮らしはなかった

人生とは不思議なもので、あまり考え過ぎないことが良いこともある。私などはセッカチなためか、即断即決の道を歩んでしまう傾向がある。多分筋書きとしては長年の都会暮らしに疲れ果て、ある日山のログハウスをみてハッとし「ここだ」と乙女のように惚れ込んでしまったのだろう「ビビット来た」あまり感じないタイプだが、感じる時は強く感じてしまう性格なのだ。その上、一度決断したら、新しい状況にはまり込むのも良くも悪くも私の性格である

さすが当初の5年間は当然、違和感や、不慣れや不便さを感じたがその苦労もそれほどつらくは感じなかったし、先生も同僚もいない、久々自分一人だけの日々を味わった、特に義務も課題もない、静かで、夜は真っ暗、まさしく何もない別世界と言ってよいだろう。でも当然のこと、寺の本格的修行と比べるとかなり楽なものだった

石の上にも3年というが、4年目くらいから山暮らしが板につき始め、それが10年15年と続けるうちに「ここだ、もう都会は無用だ」となった。無論大変なこともあったが、どうやら自力で克服でき、腕も上げた。山に一人で何もない暮らしをしただけなのだが、私は大きく変わった。変わったというより、何もしないうちに、自然と本来の自分に戻った

狐が落ちるわけはないが、15年も続けると「狐が落ちた」まさにその通りだった。「狐が落ちた」とは大きく環境を長い間で変えた時に脱落するという意味であろう。何もない山奥で過去の固定観念が日々、年々剝げ落ちていった。狐が落ちる=固定観念、思い込み、悩み、苦しみ、が禿落ちた、そういう感じが年々広がって行った。スローモーションで心身の汚れが落ちて行ったような実感がある。都会で必死に藻掻いても落ちなかったものが山暮らしでは勝手に落ちて行ったのだ

自由にせよ、自由に行動しろ、我慢するな、自由を楽しめ経営者や上司よ社員に不自由を強いるな、縛るな、押し付けるな。もし「自由にしろ」と言って自由に出来ない社員がいたら、駄目社員自由に出来ない社員は魅力ないが、なぜかそんな人を育てたがる。日本が世界一遅れている理由が画一的な人材の育成にある

日本では、有形無形のつまらん規則をやたらに作り、押し付ける。例えば田舎暮らしして会社に通うなんて社員は望まれない。私が55歳から山や田舎に住んで以来、周囲の日本人の多くが、予想外につまらない人ばかりということに改めて気づいた
管理技術・環境管理・経営コンサルタント・大工・木の伐採や剪定・野菜・水道や土木工事・水彩画・田舎暮らし・卓球・テニス・ブログ・草花育てる・剪定・アユ釣り、山菜取り何も知らないし、出来ない。例えば男の多くは炊事・洗濯・掃除など家事さえ満足に出来ない。私は、田舎の事も、山の事も、都会の事も、大企業の事も、零細企業の事も満遍なく何でも出来るようになったが、これが案外大きい。ちなみに田舎の人と付き合うと、田舎の若者は意外と田舎のことが出来ない。田舎の若者は都会以上に都会化しているのだ

都会で目にするのは、どこと言わずパソコンやスマホをいじる姿、都会は高層ビルが林立し、無機質で温かみが感じられない。他方、田舎暮らしをしている元都会人に何でも出来る人が多い事も知った

精神の断捨離だったのだろう、断捨離が難しいとはご存知だろうが、きっかけややり方が大事だということを思い知らされた。都会で家に引き籠ったり、遊びやつまらん慰めに浸っているのでは状況は何も良くはならないどころか、確実に悪化するだけである

それまでは
 人との会話も付き合いも避け篭りがち
 つまらんことを気にかけ
 怖がりでビビりで、心配ばかり
 ひ弱で何一つ自分で出来ず
 他人を批判し、自分に甘い
 自分が自分がと、やたらに自意識過剰
 自信もなく、信念もなく、目指すものもなし
 何事もくよくよ考え込む性格

だったが、だから全体的に何も出来ない、魅力のない人間だった。そういう長年悩んできたものが特に何もせずに20年の山暮らしで一挙に脱落してしまい、すごく楽になり、楽しくもなった

でも誤解のないようにしてほしいのは、55歳までの悩みだらけの生き方は、今となっては、むしろプラスに作用している、つらさが来ても受け止められる。昔の反省が今もってあるからである、反省と変革によって自分は旅立てた。今は誰とも付き合えるが一人でじっと仕事や作業や考えることも得意だ。むしろそういう時間も好きだ、どちらでも良いというのは精神的にも良い物事の両面が見える、分かる、経験している、偏らない、平常心を保てる

無論それで終わり、完成ではないことは言うまでもないが、迷い込み続けた55歳までの迷路からやっと脱出しただけ、束縛から解き放たれたレベルに過ぎない。でも私にしてみれば、55歳まで苦しんできただけに、あたかも自分が大きく成長したように感じてしまうほどであった

34歳で松下電器を辞めて近くの小さな会社に転職して以来55歳という年齢で山暮らしに踏み切ったのも良かったかもしれないし山に住みながら関西ISOシニアコンサルタントネットワークを自営していたのだが山暮らしの傍ら、経営コンサルタントで全国の多くの企業さんを支援、あれこれが偶然に同時にスタートしたのが幸いしたのかもしれない

でも55歳で山暮らしを始めなければ、大きく変わりはしなかっただろう。禅など厳しい修行をする僧侶もおられるので偉そうなことは言えない。普通の都会人では20年も山で暮らそうとは考えたり実行しない。レベルはあまりに違うが、山暮らしで生まれ変われたのは嬉しいかぎり多分無駄・無益なものが私の心身に、ビッシリこびり付いていたのだろう

禅の本に書かれているが、「厳しい修行の入り口に立つだけでも、容易なことではない」「入り口に立てば、ある意味大したものだ」/span>という事を聞く「大方の人は入り口にさえ立てない、立とうとしないのだそうだ」まあ禅の修行に限らず厳しい修行に入る場合は”やろうとする決断”がないことには先へ進まないのが当前である

その後72歳で山を下り、田舎町での暮らしを5年続けているが山とは違い田舎町の環境において、老人の私がきっちりやっていけるかが今後の課題だと思っている。この歳で元に戻れて嬉しいとは情けない話だが、55年間さんざいい加減な生き方をしてきたので、これが実態なんだろうと思う

山から町に降りてくると正直な話、山のようにはいかなくなる。町は俗界であり、いろいろごたごたしたものに関与せざるを得ない。でもそこでも泰然自若としていないようでは山暮らしで得た効用が消え失せてしまう、それだけはしたくない

立派な僧侶が到達目標ではないが、方向だけは目指している。野球に例えるとイチローにはなれないが目指はしている。禅において「一寸坐れば一寸の仏 」/span>というようなものだ。少なくとも、すでに過去の私と今の私では天国と地獄の差が生じたのは確か。私は、私のような状況を勝手にミニ悟りなどと言ったこともある。私の実感は、自分が少し見えてきたことや悟りもかすかに見えてきた。少し先方にかすかだが光のようなものが見えて来たのではあるがこれから本当に悟るのは容易なことではないがとりあえず入り口に立ったという程度で、それだけでも意味である

入り口に立てたのはすごい幸いだが、実は、その先が長い登山口に立ったが、それから本格的に険しい山を登るのだが入り口に立ち大喜びしたものの、現実にその後の進展は微々たる。ものでしかない。正直な話、私としては入り口に立ったことだけでも満足であり、78歳今更猛烈に頑張ろうとは思わない、年相応にゆったり、余生を健康で堅実かつ真面目に暮らせばよいと考えているが修業・修養は一生の取組みとする事は晩年の楽しみでもある。本格的な禅修業ではないが、自分なりにお勤めをやり続け、より人間としての自分を磨いて行こうと考えている

自分で考える、禅の教えを学ぶ、文書に起こす、偉い人の話を聴く、会話する、仕事・作業・身体を動かすこと、厳しい修養・訓練・鍛錬・挑戦なども大事だ

ところで入り口に立つということは大雑把にどういうことかと言うと私なりに分かり易く言うと次のような状況だと思っている
 ①基本原点に帰り、健康で正しい暮らし
 ②他人批判はしないむしろ他人賞賛、他人に教えを乞う
 ③自分がやってやった、自分が自分がという意識がない
 ④きちんとルールを定め、規則正しい暮らしを守り続ける
 ⑤何でも挑戦する、自分でやる
 ⑥できれば都会に住まず、不便や貧しい、地味な状況を受け入れる
 ⑦しっかりした自分の人生観や意見を持つ、社会に付和雷同しない
 ⑧創意工夫改善する
 ⑨誰とも付き合う、仲良くする
 ⑩整理・整頓・清潔・清掃
 ⑪欲ばらない、質素・倹約、格好良さも求めない、無理無駄や贅沢しない
 ⑫謙虚、喧嘩しない、争わない

こんなことが出来てから、やっと人間を磨く旅に出られるというもの基本的なことも出来ていないようでは何をやっても無駄・無理だ誰とも付き合えるようになったり、他人とごく普通に接せられる。ようになったり、他人の愚痴やお叱りも冷静に聴けるようになった。最近は自分を他人や社会に無理矢理合わそうとはしなくなった。すなわち、何か問題が生じてもそこからすぐに抜け出せる。都会の人は例えば人間関係で問題が生じると、人間関係をどうにかしようと問題をこじらせて悩み・苦しむ。発生した問題だけで終わらずに更にもう一つもう二つ別の問題を作てしまう傾向がある。ひどい場合は本来の一つの問題より後から生じた新たな問題のほうが大きな問題になることすらある、泣き面に蜂になるのだ

でも私は、そういうことはしなくなった、あくまで問題があるとすれば最初の一つだけ、しかもその問題自身も深刻に考えこまない。他人は尊重するものの、人間関係を複雑にしない、「自分はあくまで自分」を通すことが出来るようになった、何事もねちねちしなくなった

入口に立っていない人はあまりに沢山いるので今更紹介の必要はないが、一応例としてあげると
 ①不平不満、怒り易い、他人に厳しい
 ②整理整頓清潔や断捨離が出来ない
 ③身体を動かす家事や作業をやらない
 ④挨拶や会話や人との付き合いが出来ない、友人がいない
 ⑤趣味や技能や専門・得意などがほとんどない
 ⑥暗い、元気がない、病気がち、自信がない
 ⑦個性がない、自分で考えない
 ⑧自分の信念や意思表示がない
 ⑨貯蓄や収入が少ない
 ⑩勉強しない、学ぼうとしない、興味が薄い
 ⑪パソコン・テレビ・ゲーム・スマホ漬け
 ⑫創意工夫改善をほとんどやらない、成長進歩がない
  ※その他いろいろ


ところで友人は大事だとか言うが、私は人付き合いも会話も普通にスムースに出来るようになったが、友人や人付き合いはあくまで自分があっての友人であり、友人が最優先ではない。だから今でも、自分にとってマイナスの人とは、距離を置くのは
当然であり、それで格別寂しくはない友人には次のような人がいる
 1)遊び友達
 2)仕事上の友人
 3)単純に良い真面目な友人
 4)博学、技術・技能の持っている友人
 5)付き合いやすい友人
 6)昔の友人
 7)自分を教え、導いてくれる友人(大事な我が師)
友人が大事といっても1)~6)の人はあくまでそういう程度の人に過ぎない

人間関係は複雑なもので、仲良くなった、深く知り合い通じ合えたからと言って、その人間関係が良いとか良くなるとかは限らない、むしろ逆の場合も多い夫婦・親子・兄弟・親友がいつまでも仲良いとは限らない、人間関係は案外大きな副作用もあることを忘れてはならない。むしろ無理してまで他人と付き合う必要はないと思っている

「結婚は人生の墓場なり」と言うが一生で一番依存関係の強い夫婦になる。正に、すごい恐ろしいバンジージャンプのようなものなのだが、互いに誤魔化しあい何とか結婚してしまう、又は結婚させられてしまう。そしてその結果、最も困難な人間関係の道を一生歩むことになるのである。子供が巣立ったら、夫婦は一度長かった密な関係を解くのが私のお勧めだ。退職後もその困難な関係を続ける事は必しも心身ともに良いことではない。欧米で「愛しているよ」の甘い夫婦に離婚が多いのも私は納得する。気の弱い夫は、山に簡易別荘を造り、そこで別居同然に暮らすのもお勧めだ
夫婦関係とは人間関係で最も困難で悩ましいものであるが友人関係も同様であり上手く行かなければ距離を置いたほうがよい

人間関係を解決するのに必要以上に人間関係そのもので解決しようとすると大失敗することもある。あーだのこーだの余分な斟酌をしたり難しく考え過ぎないことだ。何があっても表情を変えず、いつも通りに振舞うことが人間関係で賢明なのだ。特に人間関係は壊れやすいガラスや瀬戸物のようなものだ、それを更に面倒なことにしてしまわないことだ

慰めの友、楽しい友、暇つぶしの友に過ぎない、そんな友人を親友、一生の友などと呼ぶ人も多い。例えば、友人とは相手に何らかの欠陥がある場合、どう言っても治らなければ、きっぱり忠告や行動することこそ親友である証拠である。友人は愛玩犬や猫ではない、私は成人後は犬猫を飼ったことはない。昨今、高齢女性が犬猫を可愛がるために飼うことが多いが、その程度のものだ。「可愛くて、きつい躾けが出来ない、盲目的に可愛がる」のはやりたくない。ある意味友人は諸刃の剣、ストレスを和らげ愚痴を聞いてくれる人ぐらいのも、そんなためだけの友人は所詮その程度の人として付き合うだけの意味しかない

本当に大事なのは7)自分を教え、導いてくれる友人だが、現実にそんな友人は万に一人もいないものだ。そこで自分を磨くのはやはり自分自身、自分次第ということになってしまう。自分自身が素晴らしい師にならないといけないのである。そういう自助努力をしなければ人生は永遠にくだらないものであり続ける。そして悩み苦しみから自由になることは出来ない

今の歳になって、今の私は、尊敬も好きにも、付き合いたくもない人とは
①都会に長く住んだ人
②大企業は無論同じ企業に長く勤めた人
③田舎に長く住んだ人
④歌手や俳優やスポーツマンや政治家など有名人
⑤先生・有識者・小説家(文学賞受賞作品は読む気がしない)
⑥専門家
⑦美人・美男
⑧頭でっかちや馬鹿
⑨金持ちのお坊ちゃんやお嬢ちゃん
⑩ダラシナイ人・文句の多い人
⑪働かない人、汗かかない人、努力しない人
⑫自分では基本的なことが何一つ出来ない人

例えば極端な例だがイチロー選手も大谷翔平などのような人は個人的には絶対
好きになれない,尊敬もしないし、自分自身決してそんな人にはなりたくない

世の中が乱れ始めると、いろいろなご利益追求の宗教が流行り出す。でもほとんどの信者は低次元の苦しみ悩みから抜け出したいだけの人であって、自己の成長や完成ではないそこで怪しげなマジナイ・念仏や多額なお布施や布教などがまことしやかに行われたり要求される。現代になって勃興した怪しげな新興宗教集団など私は絶対に係わらない。そういう人の話の大半はご利益についてで人間的な成長は二の次である。そんなことより自分をまず原点に戻し一から地道に出直すことである。怪しげな新興宗教に逃げ込むより、自分自身を地道に鍛錬することが大事なのだろう、友人によって自分が高められるのはほんの一部でしかない

自分の人生をどのような形にするか?それは自分次第、自分が考え、決断し、自分で実行するしかない。都会とか大企業とか家族とかに縛られていることを良しとせず、まず基本原点に帰り、自然や自分との対話から本来あるべき自分の生き方をみつけるべきだと思っている

昨今の新型コロナウイルスは”人々が基本原点に帰れとの天からの啓示・警告”であると思っている。時代は進歩しているというが、進歩というものに自分が振り回されてはいけない。新型コロナウイルスは都会の人間がいかにこの手の災害に弱いかを示した。決定的な弱点が分かったはずだが、多分都会人は政治家も含めて、本質を全く理解できていないまま終わりそうだ。今度の新型コロナウイルスが大事なことは世界中の都会人に「お前はアホか」をつきつけたことだ
・どうアホなのか
・何が根本原因なのか
・何をどうしたら解決するのか

その根本のアホな自分達をドーンと突き放して更に崖の下に突き落とす。くらいのことをしないと多分このアホは永遠に直らず人類崩壊へと突き進むのだろう、そうとしか考えられない。マスクに3密回避に酒や営業自粛、人流抑制、ワクチン接種それで解決・終わりでよいわけはない。もっと根本問題を真剣に考える専門家集団が必要だと私は思う。こういう問題を早く何とか処理してしまおうとするから問題は更に肥大化・複雑化するのだ

大都会の暮らしが当然良いなどと思い込まされていないだろうか?おかげ様でこの過密ではない畑の中の田舎町ではコロナウイルスはほぼ無縁であり、ひどい感染蔓延や実害は、ほとんどなかった

それにつけても生まれ故郷の東京浅草のgoogle地図航空写真を観ると安曇川田中に比べてあまりにビルが多くひどく過密なことに驚愕する

昔住んでいた東京都台東区浅草三筋町の今の状態、高層ビルが林立する昔はほとんどビルはなかった、「私としてはゾーとする」 「こりゃウイルスも蔓延するよ」都会の超過密な所に住む必要があるのか?

  安曇川町田中は同じ場所に数十軒の家しかない、これまたびっくりするほど少ない。一体都会の人はそういう事に気づいていないのか?それとも恐ろしさを感じないのか?私には信じられないことである。都会はある日突然ちょっとした引き金によって大崩壊しないか、私にはすごく恐ろしく感じてしまう

まかり間違えば都会は崩壊一歩手前、砂上の楼閣みたいなもので直下型大地震や巨大台風やテロなんか起きたら突然崩壊ですが、備えは何もない。ひょっとして限界集落は都会かもしれないのだ。都市にビルを林立させ、多額の金をつぎ込みインフラを作りこんだら、その弊害についてリスク分析が必要だと思う。私の住む田舎町なんかは良かれ悪しかれ全く必要を感じないが、もし東京が崩壊・大混乱したらコロナウイルス以上のことが起きかねない。私でさえ、そんな大混乱は覚悟はしておかないといかんと思っている

自分自身で考え自分の目指す方向を定め実行するしかない。それにつけても入り口に立っただけの未熟な私だが、まだ入り口にさえ到達していない人も多いことにも気づかされる。「何故そんなことで悩み、苦しんでいるのか?」と思うことも増えて来た。当時山暮らし6年目の2005年12月12日村上原基人生勉強会なるものを立ち上げホームページを掲載しブログも書き出したということなのだ

立派なことが言えるレベルの私ではないが、偉そうなことを言うなと感じられたらお許し願いたい。こんなことをくどくどとブログで言うのは、私がまだまだ駄目な人間だから
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508.原基:原点・基本に帰る・守ることの大事さ

2021-02-17 19:15:17 | 人生
<マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる 
 健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 
    村上原基
●努力して真剣に生きているが、どうやっても上手く行かない人はお越し下さい
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)  

村上原基人生勉強会   kazutakajiのtwilog      地図
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒
  東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒
テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
  東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀山中⇒滋賀田舎町

「やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心になっていると思うのは大きな錯覚だ
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず

*****************************
テーマ:原基:原点・基本に帰る・守ることの大事さ

私は山暮らしの最中に65歳くらいのときにふとしたことで村上原基人生勉強会を
立ち上げ、山暮らしを通じて自分なりに生き方や暮らし方を根本から変えて来た
変えて来たというより、山暮らしを続けたことで、自然に変わって来たというのが
正しいかもしれない。20年の山暮らしを通じて図らずも自分が結果的に大きく変わる
ことを幸いにも体験し思い知らされた
当初、私は自分が若い時の自分と変わって行くことの原因が全く分からなかった
でも相変わらずその後も自分は勝手に変わって行った。そして山を下りて田舎町で
暮らすようになって、何となく、これは山暮らしをしたことそのものが利いたのだと
分かって来たのだった。そうかんがえないとどうしても説明できないのである

田舎や都会で多くの人に交わって暮らすことは山暮らしに比べると
孤独・独立・自立があったとしても、それは中途半端なものでしかない
山暮らしでは、人との交わりはほぼない、自分や自然と向き合う日々となる
山暮らしを長く続けると、自然に自分で考え自分で行動するようになる
都会暮らしでは、自分自身で考え行動してはいない、大きなうねりの中に
巻き込まれ。右に左に受動的・従属的に動かされているだけに過ぎない
都会の様々な固定観念という亡霊がしつこく付きまとう
そんな亡霊は無視するか捨てきってしまえばよいのだがそれが出来ない
その亡霊に日々悩まされ続けるのであり、一生都会のその牢獄から出られない


ペットを除く人以外の生き物は、ほぼ私の山暮らしのように独立し自立している
ごく僅かな例外を除き生き物達は他に過度に依存しないで影響もあまり受けていない
人間はいつしか基本原点から大きく乖離して、あまりに依存し、何だかんだと
あらぬことを考え、行動してしまうのである
そのあまりにひどい乖離を矯正するために、原基が大事な鍵を握るのである
(ちなみに、せっかっく原基に生きようとしている自然の生き物を、勝手気ままに
愛玩ペットとして家に拘束し飼い慣らす行為は、私は非道だと考えている)

現在78歳の老いぼれ爺さんで暮らしは平凡だが随分と平和で快適かつ楽しい

村上原基人生勉強会の原基とは原点・基本に帰るという意味だ
しかも大事な本質的なことを原点基本に返すことが必要なんだが、
それでは普通の人にはあまりに分かりにくいので
私なりに具体的な身近な原基を紹介する
本来であれば、基本原点について具体例なんかを出すものではないが
基本原点について、少しでも分かって戴こうと、具体的例を挙げてみる
どれも当り前のことだが、それはそうで、原点基本はごく当り前の世界なのだ

・田舎に暮らす(人の少ない不便で自然が多い場所)
・過密な大都市には住まない
・安易に捨てない、再利用する
・無駄をしない
・贅沢しない、地味に暮らす
・お金を節約する
・神社や寺で願い事をしない
・炭水化物を大きく減らす
・肉・油を食べ過ぎない、野菜を多くする
・深酒をしない
・誰とも、どんな人とも会話する
・明るく笑顔
・あわてない、じっくり慎重に考え行動する
・10:30に寝て6:30に起きる
・やたらに観光旅行しない
・深くゆっくり呼吸する
・姿勢を正す
・顔や手足や口を含め身体全体を動かす
・毎日ラジオ体操・ストレッチ・筋肉労働
・家事は他人任せにせず自分でやる
・威張らない
・派手にしない・目立とうとしない
・相手の良い所を見出す
・引篭もらない
・心配し過ぎない
・厳しさを受けて立つ
・やるべきことは断固やり続ける
・反省する
・予防・緩和・事前準備しておく
・優しく仲良くする
・他人に学ぶ
・喧嘩しない
・何でもチャレンジする
・固定観念を捨てる
・住む場所や会社を適度に変わる
・きちんと調べて安全な場所に安全に住む
・いい恰好をしない
・各種道具を使い一日4回歯を磨く
・自動車に依存し過ぎない
・子供は実家から出す、独立させる
・結婚式や葬式は簡便に家族だけでする


きりがないのでこれくらいにする。なぜならばこんなことが沢山出来た
ところで別段大したことではないのだ

ところで私の実感では人間関係が一番厄介なことで、「やれこうだの、あーだの」が多い
私は山暮らしを通じて人間関係はきっぱり捨てきれ・割り切れ、原点基本に戻れたように思う
これは意外に大きな利益である、というのは人間というものが何やかんやと害を及ぼすから
、この点をクリヤーしておくのが原基道を進む大事なポイントになるように思うからである
その他では
欲望・固定観念・思い込み・社会通念・生老病死・名誉・好き嫌い・腹立ち・頑固なども厄介である
そういうものも原基に戻って捨てきれば、こんな良いことはない


しかし現実に多くの周辺の人々を観ていると、何でこんなことが出来ないのかと
不思議でならないことが多い、中には立派な国家指導者でも、とんでもないひどい
人間だったりしてびっくりする(北朝鮮・中国・ロシア・ミャンマー軍事政権など)
これらの国民は自国の恥ずべき指導者をそのままのさばらせておいてはならない
かつての第二次世界戦争時の最悪な日本の政治体制そのものではないか?
こんなひどい指導者を持つ国民は、平和な暮らしを将来を通して保証されることはない
なんとしても民主的な手続きによって、自分の利益だけを考える指導者を駆逐して欲しい

やって当たり前のことばかりで、確かに、基本原点に戻れた人には
当然のように伴ってくることではあるが、これらが出来ている人が必しも
完璧にきちんとした人であるとは言えない
もっと本質的に原基が身に付き、人間が出来上がって来ないといけない

以上書き出した事でさえも、そんなに簡単に続けられはしない
是非、自分は出来ているというものをチェックし個数を数えてみて欲しい
多分半分はおろか、ほとんどきちんと出来ていないのではないだろうか?
なかなか物を捨てられない断捨離のように、意外に上手くいかない
多くの人がまずは断捨離という仕事をやってみるのだが
一度断捨離が出来た所で、その人が断捨離を完全にマスターしたことには
ならないのと同じことなのだ
断捨離を根本から身につけないとまた以前のように物が増えてしまう
ダイエットが一二度成功しても、むしろひどいリバウンドをしてしまう
ようなものである
必死にあれこれやってもリバウンドが起きる(元に戻る&もとより悪くなる)では
何の意味も価値もない
ところが都会でいかなる立派な修業や勉強をしても必ずリバウンドしてしまう
リバウンドしないためには20年くらいの山暮らしをつうじて徹底的に自分を捨てきる
以外は良い方法が思い浮かばない
だから都会暮らしの人が偉そうなことを言っても私は信用しない

断捨離の話にやや脱線するが
「好きな飼い猫を捨てなさい」⇒多分多くの人が絶対に捨てないだろう
自分にとって大事な物を無用と切捨てられないようでは、まず何も出来やしない
断捨離というのは必要な物は取っておくという考えだが、未練がましい
気持ちが少しでもあれば、断捨離は進まないのである
断捨離とは言い変えると未練を捨てることだと思う
原基に戻るとは、自分を捨てることだと思う


そして基本原点に帰る場合は、相当に大変な決断をしなくてはならないのだが、
決断が出来ないので、基本原点に帰ることは最初から難しくなるのだ
自分が大事と思い込んでいるあれやこれやが自分を苦しめ悩ます元になる
すなわち原基自身が何かが分からない、どうしたら原基に戻れるかも分からない

もし断捨離を成功させたいと思うならば、他人にやってもらえばよい、
自分でやろうとすると、すぐに壁にぶち当たってしまう
すなわち自分自身の未練を捨て切れてないのだ
自分を捨てれば何でも意外と簡単なものだ

ところが自分を捨てるのは、そう簡単なんことではない

 ある程度やっているとか
 時々やるとか
 出来るだけやる

という程度の人が多いと思うが、当然だがそんなことでは駄目なのだ
基本・原点は何か?を常にいろいろな場面で問い続けなければならない
原基と言う意味はそういう意味であって、適当とかいい加減では話にならない
「今日だけはとか、これだけは特別許して」なんてことは絶対に駄目
例外はない、徹底して基本原点に帰る努力が必要なのだ

きちんと真面目に守る、もし守れなかったら、しっかり反省すること
「なぜ自分は基本原点を守れないのか?」「自分はまだまだ駄目だ」と
「そんな自分で良い訳がない、絶対に許さない」と問い・求め続けることだ

守れるようになると、「こんな簡単なこと」になるのだがやれない人には
すごく困難なことなのだ
素人には難しいことが、プロにとっては「こんな簡単なこと」になるのだ
そこまでやるかどうか、やるとなったらトコトンやるかが問題なのだ

さて原基に挑戦してみますか?
 簡単なようで難しい
 難しいようで簡単
私の場合は20年の山暮らしを通じて、それがやっと少しは出来るようになった

安曇川田中竹の里のわが家の隣の家100坪に100㎡の平屋の建設開始兎に角広い
あくまで勝手な推定ですが、土地250万円と家1550万円?合計1800万円かな?
わが家も、そこそこ広いと思うが50坪に62㎡の平屋、5年前中古で350万円で購入

ちなみに我が中古の家を京都で買うと1800万円では買えるぎりぎり
隣の家100坪に100㎡の平屋が京都であれば1億円はしそうだ
田舎町の当地で家を建てれば京都の1/5以下ということ
我が家の価格が本来そんなものであり、京都や都会の土地家が異常に高すぎるのだ
土地や家の価格も都会においては原基から大きく乖離しているという例かもしれない
何事でも、「一体何が原基なのか?」を問うことだ
現状肯定や既成観念に安易に従うことは大きな間違いに繋がり易い
いつも基本原点に戻り、面倒だがそこから考え直す習慣を身に着けることだ

都会の土地・家が異常に高いことを当然とせず、疑念を抱くべきではないのだろうか?
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501.何も苦しまない

2020-11-06 20:24:33 | 人生
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テーマ:何も苦しまない

次々に苦が襲い掛かる

必死にもがく、逃げる

苦しい事や苦手なことを頭から避ける

逃げるほど、苦がますます追いかけて来る

へとへとになる

私が観察すると、そういう人は一人で、もがいている、闘っている

失礼ながら私にしてみると笑うしかない

そんなオカシナ人が周辺に沢山いる

当然楽しくはない、ただただ、つらさが増すだけ

毎日が楽しくはなく、あるのは苦だけ

苦しめとも頼んでいないのにひたすら苦しみ続ける

***

私は何も苦しまない

単に苦しむことは何も私に与えてくれない

苦しみも楽しみとする

すなわち全てを楽しむ


苦より先回りして楽に変えておくこともある

つまらん物事をエイヤーと捨ててしまうこともある

楽しいと思い込むだけで、それで苦は消え去る

人は苦を苦だと脳が感じ過ぎる


苦が襲うのではない、何でもないことを勝手に苦と感じている

脳のスイッチを苦を楽と感じるように回路を変更すればよい

「つらい、しんどい」が口癖の人が多い、うんざりする

例えば、苦手な友人とは、付き合いを避けるし楽しまない

苦手な友人は,なぜか、いつも自分の頭から離れない、気に障り、自分を苦しめ続ける


苦を苦として受け止める無駄・無益な習慣・癖を捨てる

苦などという無駄で役にたたないものを断捨離

例をもう一つ

腰痛というのはつらい、その痛みから逃れようと必死になる

腰痛を楽しみにしようなどとは考えない

そしてやたらにあれこれ試す、もがく

だが一向によくはならない

それどころか、やってもやっても、ますます悪化する

そしてつらい日々が続く


秋、静かさの中、真っ赤な彼岸花はなにを思うのか?
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499.77歳私の趣味・仕事・暮らし遍歴

2020-10-26 09:39:51 | 人生
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会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる 
 健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 
    村上原基
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村上原基人生勉強会   kazutakajiのtwilog   地図
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒
テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設  東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀山中⇒滋賀田舎町

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テーマ:77歳私の趣味・仕事・暮らし遍歴

老人 趣味 仕事 暮らし遍歴
私が他人と違うその基本となった経験をリストアップしてみた
経験した趣味・会社・仕事・暮らし・病気・場所など
別段私が頑張ったのでも、優秀だったのでもない
ごく普通の人間として歩んできた私流の人生の足跡にすぎない
長く続けている事、一時のこと、生き方に強く影響を与えたこと等々
我が人生の歩んできた道を振り返って自分史まで行かないが
自分の遍歴を書き留めることも老後のその後の生き方を見直す
きっかけになるように思う
僅かだ大したことはないが77年で他人や兄弟や友人とはかなり
違う我が道を歩んできたと改めて実感できた

今77歳滋賀県高島市安曇川の田舎町に一人住まいしているが
心底、満足し平和で快適な自然豊な暮らしを満喫し、なおかつ
健康で人々とも楽しく交わり、あれこれ趣味も楽しんでいる
何かご感心があれば是非お越し戴立ち寄ってお話でもしに立ち
寄って下さい、お待ちしています
今年は、急遽大きな問題となった新型コロナウイルスで想定外の
つらい経験をしている人もいるでしょうが、
私の暮らしがいかにそのようなウイルスや洪水・津波・がけ崩れ・
台風・猛暑・などの影響が少ない安全な暮らしをしているかも
一緒に観て行って下さい

それでは、私の場合を例にして趣味・仕事・暮らし遍歴を列挙します

数を自慢するためでなく、まあこんな程度の低い私でも、このくらい
いろいろやって来たということを確認したかっただけ
多分私より頭脳が優れ行動的な人は私の更に数倍いろいろなことを
やっているだろうと思うが、
まあそんな優秀な人を目標にしようとしてもしんどいだけなので
私くらいのレベルが適当な水準だと思う次第

●幼少
 戦争末期昭和18年2月浅草寺裏の猿若町で誕生
 大病のジフテリアを病み、鼻の陥没や左穴の萎縮の後遺症が残る
 川越の田舎に疎開
 東京浅草に戻るが東京は一面焼け野原
 やっと僅かな都電や貧相なバスが走る程度、大半の道は土
 浅草蔵前近くの三筋町の実家で24歳まで
 食料危機・貧乏暮らし
 家電や便利器具もなく子供も家事手伝い

●小中
 不便で質素な昭和戦後の暮らし
 下駄ばき・ラジオ・都電・映画館
 ベーゴマ・めんこ・けん玉・トランプ・鬼ごっこ
 子供が多い時代で近所の子供が沢山集まって毎日遊びばかり
 野原や池や廃墟などが沢山あった
 家は庭などでつながっていて近所の家に入り込むのも当り前だった
 ハーモニカ
 萎縮した鼻の左穴切開拡張手術
 夏の湘南暮らし、親戚全員が集合

●高校・浪人1年
 軟式テニス部
 アイススケート
 ゴルフ
 長期民宿泊
 入試勉強・浪人
 東京工業大学・早稲田大学合格

●大学
 スキー
 自動車部
 バドミントン
 ボーリング
 ギター
 ウクレレ
 経営工学専攻
 民宿(長野や小豆島)
 成績はさほど芳しからず
 修士課程に進学し修了

●松下電器
 独身寮4人部屋生活
 座禅会
 禅の読書
 文書作成
 かなりの量の本を集中的に読書
 バレーボール
 管理技術研究と普及
 無駄取り・VE・IE・標準化
 VE・IE・標準化のテキスト作り

●京都自宅購入
 マンション購入
 子供3人
 ピアノ演奏
 京都巡り散策
 京都の暮らしに慣れていった

●E・・・工業
 旋盤など金属加工作業
 電気スウィッチ設計・生産
 図面作成・試作品加工
 会社再建支援
 自動車購入
 ジョギング

●ローム
 阪神大震災を京都で被災
 約40年京都人の中に交わるがなかなか溶け込めず
 京都弁はかなり上達していった
 長期住んだが京都の友人は一人もいない(なぜか他府県の友人ばかり)
 サーマルヘッド製造部
 生産管理
 経営情報分析
 事業計画予算編成
 パソコンExcel
 安全衛生
 自衛消防隊
 環境管理
 ISO14001(環境マネジメントシステム)
 ローム日本一
 硬式テニス
 マンション燐家購入・賃貸
 株取引⇒ネット取引
 バブル崩壊
 金現物積み立て、株式等資産運用開始
 脳内の癌摘出の妻の介護

●コンサルタント自営
 ISO14001審査員補
 環境法令
 経営コンサルタント
 妻の死、3人の子持ちシングルファーザーに
 自営ISO全般をサポート
 ホームページ作成、メール
 ISO14001支援で全国の会社訪問審査立ち合い
 確定申告(青色事業者)

●滋賀山暮らし:別荘購入
 過剰な人間関係断ち自然に交わる
 大工
 山暮らし
 20年の山暮らしを通じ人間改革
 山の長期大清掃・整備
 室内にダルマストーブ設置
 山の獣害対策
 前立腺癌摘出
 脱腸手術
 山の友人との毎日気軽な飲み会
 山の雑木林や庭の改造
 山暮らしブログ
 出来た出来ますブログ
 木の伐採・剪定
 シイタケ栽培
 生きた鳥のさばき
 50ccバイク(四輪自動車は処分)
 京都のワンルーム賃貸
 土木・水道
 野菜つくり
 山菜とり
 むかご・銀杏とり冥加栽培

●人生勉強会
 会話
 健康
 老後の生き方
 山暮らし
 ブログ
 SKYPE

●安曇川田中で平屋購入(52坪中古
平屋330万円)
 正しい歯磨き
 食事改革(脱炭水化物・野菜・発酵食品)
 LINE、ツウィッター、JMTY
 水彩画(延べ2年)
 サイクリング
 老人の健康暮らし
 町内の班長、町内の福祉活動
 町内の人との付き合い
 高島地域ドライブ
 卓球(4年)
 滋賀県高島市暮らし
 アユ釣り(3年)
 呼吸法(ごく最近)
 ダンベル・腹筋・握力・スクワットなど筋活
 毎日ラジオ体操

 結構出たでしょ!これだけあると会話でもネタに困ることはない
   皆さまも是非書き出して記録しておき、分析してみて下さい

 
以上から自分の生き方を纏めてみる
 ①東京から関西へそして京都に更に滋賀へとの住まいの変化
 ②松下電器からE工業からロームからテクノ経営からコンサルタント自営と会社の変化
 ③管理技術から設計製造から生産管理から環境管理など仕事内容の変化
 ④特に徹底した無駄取り・効率化 VE・IE
 ⑤東京大阪京都の大都会から滋賀の山暮らしそして田舎町へと住まい環境の変化
 ⑥スポーツもアイススケート・テニス・バドミントン・バレー・ジョギング・卓球と変化
 ⑦ハーモニカ・ギター・ウクレレ・ピアノなどの楽器演奏も下手ながらいろいろ変化
 ⑧健康・会話・読書・文章作成・ネット・パソコン・禅・資産運用・人生など幅広く追求
 ⑨野菜・野草・アユ釣り・大工・土木なんでも作業も幅広くやる
 ⑩Excel・ホームページ作成・ブログ・LINEなどに広くパソコンやネットを利用拡大
 ⑪健康については、運動・歯磨き・腸・筋活・散歩・ラジオ体操・サイクリングなど
 ⑫人付き合い下手・苦手から人付き合い上手楽しむように大きく変化


色々な場所に移り住み、いろいろな会社に勤め、いろいろな仕事をし
都会だけでなく山や田舎に暮らし、いろいろな趣味や作業をやり、
時には人との関係を断ち、しかる後にいろいろな人と付き合う
健康に気使い食事や運動や生活習慣を改め、新たなことにも挑戦する
禅の教を基本にし禅僧の生き方を学ぶ、みだらな欲を減らし、
人のうわさにも惑わされずに淡々と我が道を行く


  そして
   「俺が俺が」という意識は薄れ、つまらん事や屁理屈を考えず、
  拘らずに、淡々とするようになった。世間の噂や雑言に振り回されず
  田舎で自然に交わり、さしたる卑しい欲もないが
  お勧めや機会があれば何でも臆せずに挑戦し
  身近なことをあれこれやって、それを楽しみにして生きている


77歳田舎町で一人暮らしの私が
特に最近一年以内に重点を置いてやっていることの具体例を
抜き書きすると下記のとおり
 ①炭水化物大幅減、玄米食
 ②発酵食品
 ③肉魚も食べるが野菜食中心
 ④ラジオ体操
 ⑤体力作り(散歩・ストレッチ・筋活・サイクリング・脳活)
 ⑥毎週クラブで卓球
 ⑦デッサンと水彩画
 ⑧インターネット・ブログ
 ⑨野菜つくり、草木つくり・剪定、山菜とり
 ⑩規則正しい、きちんとした生活
 ⑪大工
 ⑫庭つくり、木や草花の剪定
 ⑬田舎暮らし・ごく普通の近所付き合い
 ⑭町内福祉活動手伝い
 ⑮断捨離


出来ない理由を挙げるのではなく出来るようにし、実行し続ける
為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成さぬは人の為さぬなりけり


若い人の長い人生、いろんな場所で異文化体験し経験をし人生を楽しんで欲しい

今年も銀杏が沢山とれました。娘やご近所にもお配りしました
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498.77歳私の老後の生き方

2020-10-19 10:54:19 | 人生
マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる 
 健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 
    村上原基
●努力して真剣に生きているが、どうやっても上手く行かない人はお越し下さい
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)  
村上原基人生勉強会   kazutakajiのtwilog   地図
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒
テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設  東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀山中⇒滋賀田舎町

*****************************

テーマ:77歳私の老後の生き方

1.辛苦味
2.最善尽
3.不諦停
4.歓来者
5.長継続
6.断捨離
7.不憤怒
8.動身体
9.正呼吸
10.正姿勢
11.正食事
12.捨自分
13.捨観念
14.楽趣味
15.楽対人
16.創意造
17.異文化
18.動頭脳
19.交自然
20.好挑戦
21.守規則


大工さんの友人が依頼によって古いボロのミニログハウスを解体し家の敷地に持ち込み
本当にボロボロな材料ばかりでしたが私も中盤だけお手伝いし、見事に美しく再生
こんな遊びというか楽しみもあるのです。田舎暮らしの楽しい一面です

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494.最近の77歳私の養生訓

2020-09-12 14:38:19 | 人生
マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる 
 健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 
    村上原基

   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会   kazutakajiのtwilog    地図
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設

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テーマ:最近の77歳私の養生訓

1.たべもの(注:稀に時々は食べると言う意味)
パン・菓子パンは食べない
洋菓子は食べない
和菓子は食べない
うどん・ソーメンは食べない
砂糖の入ったジュースは飲まない
即席らーめんは食べない
粉もんは食べない
酒・ビールは沢山飲まない
肉・牛乳は沢山食べない
タバコは吸わない
白米は食べない(玄米か和そば)
白砂糖は食べない
塩気は食べない
揚げ物は食べない

2.生活
朝一のうがい
朝一の水一杯
朝は野菜ジュースと野菜サラダ
乳酸菌・ぬか漬け・酢・甘酒
食後3回と就寝前の歯磨き
朝食後の排便とラジオ体操
朝食後の散歩
散歩後のストレッチ
1回に座る時間は30分未満
ブログ書く・LINE投稿
]
経済・株価ニュースに目を通す
昼一番サイクリング
大工、修理、手入れ

近所の人と会話
暇な時間にストレッチ
何でもやる、他人からの誘いにはのる

3.腸に良い菌(しかし取り過ぎは注意)
ぬか漬けはお勧め
野沢菜はお勧め
キムチはお勧め
甘酒はお勧め
ヤクルトはお勧め
ヨーグルトはお勧め
豆乳はお勧め
スイカはお勧め
チーズはお勧め
ブドー・トマトはお勧め
納豆はお勧め
山芋はお勧め
朝いちばんの水はお勧め
豆腐はお勧め
ゴボー・人参・キャベツはお勧め
オリーブオイルはお勧め
腸もみ

4.炭水化物削減
白米なんか沢山食べちゃダメ
ご飯は白米が主と言うのはダメ
お茶づけなんてのもダメ
白米を3杯も食べちゃダメ
腹を一杯にするのはダメ
米なら玄米一合を食べる
昼めしは米が主な弁当はダメ
昼はうどんとかラーメンなんてのもダメ
そば粉や和蕎麦蕎麦湯なんてのは良い
米や粉もんは主食なんて考えはまるでダメ

5.会話下手を卒業
笑顔がない
どちらかというときつい・暗い顔をする
笑いが下手
話が面白くない
挨拶しない
苦手な相手がいる
自分と相手を比較する
自分だけ一方的に話す
相手の話を聞かない
相手の話を誉めない
新しい話がない
離す範囲が狭い
自分の事ばかり話す
いつも同じ話する
やたら自慢話が多い
自己主張が強い、相手に負けまいとする
弱さを見せない
難しい話をする
良い悪いを言い過ぎる

6.倹約・節約
自分で大工する、業者に安易に頼まない
資材も古材を継ぎはぎして使う
家具も自分で作る
他人から貰う、安く譲ってもらう(ジモテイー)
無暗に外食しない
新聞とらない
散髪は自分でやる
スマホはなくガラ軽と光ネット
調べて安い店やネットで買う
炭水化物食べない
肉は食べるが少ない
酒も飲むが僅か
旅行はしない、都会へも行かない、高いホテルにも泊まらない
新幹線でなく高速バスを使う
見栄は張らない
冠婚葬祭は身内だけで簡素に
自動車もいらないのでバイクと自転車
高価なショーや劇場もいかない
夜の遊び場も行かない
自然豊かな田舎に住む、自然以外何もないが
物は大きく下がったら買う、上がったら売る
運動するが無理なものはしない
草花も他人から苗もらうか野原で採取する
田舎の自然な遊びを楽しむ

7.資産運用
経済情報を毎日読む
一社づつ会社を根気よく調べ知る
株価の割安な会社を見つける
将来性のある株を調べ出す
大幅に株価が下がったら大きく買う
大きな事態によって株価が大きく下がったらすぐに売る
株式相場の状況を読む
  上がり場・下がり場・上下場・上げどまり・下げ止まり
危険な取引はしない(例:商品先物)
外国債券は為替が大きく変動した時に大きく売り買いする
資産は4分割
 不動産・株式・債券・その他現物(金などの商品)
 (例:不動産1、株1、債券1、その他1、現金1)
 ※まず100万円だけとして株取引をしてみる(やってみることが大事)
資産運用が苦手で出来ない人は信託やEТFなど
十分の保証がない場合、高額な借金はしない
株も多数の会社に分散投資
人が買おうとしない資産でも将来性があれば安いうちに買っておく
お金を貯める人は金の無駄使いをしない
無駄使いをしない

8.宗教への向き合い方
神様なんか実在しない、偶像崇拝はしない
キリスト・仏陀・マホメットは人の子で神そのものではない
特に都会に神はいない、もしいても厳しい神がいる
神が人間を作ったのではない、あまり神に依存しない
人間の生きる目的は、生きること自体で十分
人間は死なない、自分は死んでも次世代に引き継いで行く
地上天国とは大規模な豪華な施設ではない、自分自身の周辺にある
一般の俗人が無暗に宗教を信じ、依存するのは危険
入信し経典を勉強すれば人間は幸せになれるとは限らない
人間は山など自然界で暮らすのが理想
人間はいかにいきるべきか?自然に交わり、自然に学ぶ、あくまで自然な暮らし方生き方をすべき
人間は神にはなれないが、仏教で言うように本来仏である
神は人を助けてはくれない、天は自ら助ける者を助ける
神に出会うとは自然に暮らし自然に生きること
一生懸命努力していれば神が見放すことはないのか?神は厳しい
都会で平和で物質的な豊かさや便利さにより、むしろ孤独・孤立に追い込まれる
都会で多くの人に交わり過ぎるのは悩みや苦の種

9.私が座右の銘にしていること
大農は草を見ずに草を刈る、中農は草を見て草を刈る、小農は草を見ても草を刈 らず(二宮金次郎)
衆生本来仏なり、人生の目標の一つは仏に近づくこと
本来一切無一物(常に、いつも基本・原点に帰れ)
成せば成る為さねばならぬ何事も為さぬは人の成さぬなりける
急がば回れ、急ぐ時ほどゆっくり落ち着いて
来る者拒まず 去る者追わず(来るもの拒み、さるもの追うな)
後悔先に立たず(先を読め・予防しろ・リスク回避せよ)
敵を知り己を知れば百戦危うからず(敵も知らず己も知らず)
会うは分かれのはじめ、別れは出会いのはじめ
他人に勝つより自分に勝て、行き過ぎた自己主張は我が身を亡ぼす
断捨離・守破離・整理整頓清潔清掃(必要なものだけをキチンとしておけ)
小事を馬鹿にして疎かにする者は、大事もそれ以上に疎かになっている
重要事項抽出・目標設定・計画・点検・評価・原因追及・改善・予防再発防止・監査
バランス・分散・配分・自然・調和(偏りは禁物なり)
”俺が俺が”でいい気になってはいけない(むしろ俺をまず捨てること)
過ぎるのもいかん、我慢するのもいかん(過ぎたるは及ばざるがごとし)
昨日まで良かったから今日・明日も良いとは限らない
変わりなさい・変えなさい・異文化を経験しなさい、固定観念を捨てなさい、柔らかくなりなさい
老いのせいにして何でも簡単に諦めない(老いの加速になる)

10.運動習慣(安全第一・無理しない・継続)
寝る時起きる前に寝床でストレッチ
座る時間は1回30分以内
きっちり毎朝ラジオ体操
ストレッチ(手・足・胴・肩・顔・口・目・耳)
朝一番涼しいうちに散歩
昼一番サイクリング

筋肉強化:腹筋やダンベルや握力やスクワット
座る時も歩く時も背筋真っすぐ
毎週卓球(無理な競技スポーツはしない)
足のむくみ解消、ふくらはぎもみ
お腹(腸)もみ
深呼吸
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485.小ぽけな人間とは自分の暮らしにどう表れるか?

2019-11-19 16:12:07 | 人生
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
講演例
  ・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達  ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・

   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設

出来た・出来ます

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テーマ:小ぽけな人間とは自分の暮らしにどう表れるか?
     小ぽけな人間とは例えばどんな人か

1か0でチェックしてみて点数を合計してみて下さい。
Yesが0点、noが1点 (※1点は良い)

合計点数が低いほど自分は、問題外~問題児です
自分の問題点を見つけ出し改善が必要です
しかし現実には、なかなか基本原点に戻るまでは、かなり低い点数にとどまるのが普通です
90点以上は大者、  80点以上は中者、  70点以上は小者、  
70点未満は問題有り、  60点未満は問題外
嘘誤魔化しがなく、しっかり人生観をつかんでいる人は、ほとんど1点のはずですが、
若い人や多くの人は0点ばかりでしょう

小ぽけな人間かどうかの点検リスト

番号 区分          項目                 点数
1 基本  仏教や禅又は同等の基本を知らないし体験してない
2 基本  古人の生き方に学ぼうとしない
3 基本  自分自身の人生感が定まってない
4 基本  捨てる・変える・基本に戻るということが出来ない
5 基本  嘘誤魔化しをする
6 基本  俺がやった、やってやったと考える
7 基本  何事も「良い・悪い」で判断しようとする
8 基本  人間、本来無一物を自覚していない
9 管理  整理整頓が下手だ、部屋が片付いてない
10 管理  最新技術は上手く利用しているが、深入りし過ぎる
11 管理  物事のバランスをとっていない
12 管理  一つに絞らず、物事を適切に分散していない
13 管理  リスク回避をきちんとしていない
14 管理  何かやり始めるが、続けられない
15 管理  きちんとした物書き、文章作成が苦手
16 住い  都会にしか住めない、田舎に住んだことがない
17 住い  親元の実家及びその付近から引っ越したことがない
18 住い  田舎などの不便な場所では生活できない
19 住い  家族を離れて一人暮らしが出来ない
20 精神  自信がない
21 精神  平常心を保てない
22 精神  無償の行為が出来ない
23 精神  苦しさに耐えられない
24 精神  苦手なことは、やろうとしない
25 精神  考えが浅い
26 精神  知恵や工夫が下手
27 精神  自分のやったことを大げさに吹聴する
28 精神  つまらんことでも、すぐに怒る
29 精神  大した事ない事でも、何かとすぐに心配ばかりしてしまう
30 精神  何だかんだと理由をつけて、簡単に諦めてしまう
31 精神  社会や他人からの有難みを感じない
32 精神  精神が不安定で良い時と悪い時の差が大きい
33 精神  人がみていないと悪いことを平気でやる
34 精神  美人とか秀才とか金持ちであることを自慢する
35 精神  勝ち負けにこだわる
36 精神  弱い者を虐める
37 精神  失敗や損害を早めに処置できないで被害を拡大させてしまう
38 精神  法律違反を平気でやってしまう
39 精神  観光旅行やドライブが異常に好きだ
40 精神  自分のほうが偉いと上目線になる
41 性格  口先達者でも自分はきちんとやってない
42 性格  理屈ポイ
43 性格  欲張り過ぎる
44 性格  しきたりや迷信や過去の決まりに拘る、縛られる
45 性格  恥ずかしがり、あがり症、人前は苦手
46 性格  異性に対して性的興味しかない
47 性格  熱くなりやすく冷めやすい
48 性格  頑固である
49 性格  自慢したがる
50 性格  衣服・化粧・持ち物が外見が派手だ
51 性格  他人の迷惑なことを平気でやる
52 性格  静かで、暗い、陰気
53 性格  やたらにうるさい、がなり立てる
54 性格  せっかち、落ち着きがない
55 性格  臆病だ
56 性格  ひいきチームやひいき俳優などをやたら追いかける
57 性格  辛抱強く出来ない
58 性格  自分に従わない者、批判的な人を避ける
59 経験  本を読まない
60 経験  経験が乏しい
61 経験  ピンチを乗り越えたことが少ない
62 経験  劣悪な状況では適切に対処できない
63 経験  世の中のあらゆることに、押しなべてあまり知識も経験もない
64 経験  専門分野がない
65 人間  外づら良し・内づら悪し
66 人間  知らない人や苦手な人に挨拶出来ない
67 人間  美や秀才や権力者や金持ちにペコペコする
68 人間  人と上手く楽しく付き合えない
69 人間  友人を作れない、友人が少ない
70 人間  人とじっくり語り合えない
71 人間  会話下手、会話のための話題が少ない
72 人間  どうでもいい、つまらん人との付き合いが多い
73 人間  相手のことを思いやったり相手を賞賛できない
74 家事  洗濯・掃除・料理など家事はほとんどしない、母や妻にお任せ
75 家事  家事以外の作業もほとんどしない
76 お金  貯金が少ない、借金がある
77 お金  貧乏でお金もないのに、家を借りている
78 お金  衝動買いする
79 暮し  虫や獣が苦手だ
80 暮し  家や仕事や趣味に引きこもる
81 暮し  パチンコ麻雀・などつまらん遊びに時間やお金をかける
82 暮し  暮らしが派手
83 暮し  質素・倹約できない、無駄使いが多い
84 暮し  自分の生活規則がない、あっても出鱈目
85 暮し  部屋が汚い、雑然とし効率も悪い
86 暮し  何でも、自分ではやらない
87 健康  潔癖症だ又は不潔症だ
88 健康  太り過ぎ
89 健康  足腰が弱い
90 健康  食後の歯磨きをしていない
91 健康  喫煙している、やめられない
92 健康  適度の運動習慣がない
93 健康  決まった時間にキチンと寝てない夜更かしや寝だめをする
94 健康  アルコールが好きで毎日かなり飲む
95 健康  野菜嫌いで野菜を食べない
96 健康  必要な栄養や食品及び水分をとらない
97 健康  痛むから運動や作業を全くしない
98 健康  ストレッチ・筋トレ・歩行を日課にしない
99 健康  防腐剤や着色剤・薬・有機溶剤を平気で取り込む
100 健康  甘いものや炭水化物を食べすぎる

ピラディスト今津の山頂から琵琶湖を望むブランコです
当日は朝から小雨で煙っていましたが、昼には晴れて琵琶湖が見えてきました
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