マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来ます 村上原基
会話 人付き合い 人生 老後 大工 田舎暮らし 自分を捨てる
健康 運動 趣味 管理 物忘れ防止 水彩画 異文化体験
●努力して真剣に生きてるが、どうしても上手く行かない人お越し下さい
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会 kazutakajiのtwilog 地図
「やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心になっていると思うのは大きな錯覚だ
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず
*****************************
テーマ:都会を捨て20年の山と田舎暮らしの効用:入り口に立て
すでにこのブログでしつこく何度も同じようなことを論じて恐縮
欲にまみれ、都会で嘘誤魔化しの暮らしを続けても真面目な話、
得るよりどんどん失うばかりだと認識して欲しい
昨今の新型コロナウイルスもその典型的な現れであり、その他にも、温暖化・旱魃・巨大台風・各地の紛争・中国の野望・
朝鮮問題・挙げたらきりがないが、多くの人は「問題の大変さは理解しているが、自分にはさほど関係ない」という感じがする。でも新型コロナウイルスはそういう甘さを完璧に切り崩した
私は新型コロナウイルスは
第三次世界大戦だと思っている。しかも被害が大きかったのだが、戦争のように家やインフラや企業や生産能力の損傷はない、すなわち即復興できるのが大きな特徴だ。意外だが世界的に金余り現象となっている、これも大きな特徴だ。戦後だから、今後はとんでもない技術革新や暮らしの激変が起きる可能性も出て来る。株価が意外に高騰しているのもその理由だ。新型コロナウイルスを体験した後の企業や人々の感覚は大きく変わる、第二次大戦前後の変わり方よりもっと大きいかもしれない。まあある意味経済的にも非常に大きな変化が生じるだろうが、進歩発展は諸刃の剣であることを忘れてはならない良いことだけでは終わらない。進化ということは非常にゆっくりの場合に良しとするが、あまりに速い場合は良いとは思わない、ところが人間はセッカチなのだ。その結果人間はそれについていけずに、かえった多くの矛盾をかかえてしまう。そして人間らしさを失い、悩み苦しむことになり、ついには国家や世界が崩壊へと進んでしまうものだ
そういう革新がかえって、ますます便利や贅沢や快楽や安易に走り、格差も広がる一方で巨大災害等大きな問題も表面化して来る。世の中が進歩することは私の体験でも良い事半分・悪い事半分だ。ダイナマイト・飛行機こういうものも便利にさせた効用はあるものの戦争で人殺しにも使われてきたと言ったことからもお分かりだろう。そういう中でよほど自分がしっかりしないと更に自分を失いかねない
私個人としては大都会を捨て滋賀県の田舎で地味に堅実に生きているが、大災害や困苦にもあわてないだけの予防や準備や覚悟をするつもりだ
ダーウインの進化論ではないが、生き物は環境に順応していく
人間は環境を選べるのに、真剣に自分にとって最適な環境を探し選び、状況を変えようとはしない、むしろかなり保守的だ
樂とか、儲かるとか、便利だとかを優先し、真に自分の成長に
役立つ最適な環境を選ぼうとする人はいない。その結果都会の悪い環境に暮らし続け、苦しむ人が多いように思う
戦後の東京でも今のような大都会ではなく街中でも田舎のようなたたずまいがあったほどだ、最近の過密な大都会暮らしなんて私が30歳くらいまでは存在しなかった。ところがその後異常に過密な都会へと急速に姿を変えて行ったのだ。私は「こんな所によくぞ住んでいる、とんでもない場所だ」と思う
私は55歳で大胆にも20年間の山暮らしと田舎暮らしをチョイスした。偶然かもしれないが私はそれ迄会社や住居や仕事を何回もチョイスし変えて来たが、55歳からの山暮らし挑戦はその集大成となった。だが苦しい戦いというより、新しい挑戦であったことは幸いだった
戦後東京浅草生まれ、24歳で大阪、30歳で京都、55歳で滋賀県、どっぷり都会暮らしの後に思いがけず20年の山暮らし、をすることになったが、貴重な体験なので何度もお話ししている。特別何かを目指した訳でも逃避したのでもないが、山暮らしの結果得たものはかなり大きい(偶然と言えども幸いというしかない)中途半端で遊びだけの田舎暮らしでなく、一人での山暮らしが、私にとってかなり良い影響を与えたと、後々気づかされる。僅かだが禅の基礎知識や経験があったのが良かったかもしれない
55歳という年齢もまさしくタイムリーだったと思うし、
それまでの会社を54歳で退職しコンサルタント会社に転職し、2年あまり療養中の妻が脳腫瘍でその年に他界した上、末の子が20歳の時で、3人の子供は家や下宿に、私は京都と滋賀の二重生活を始め、暮らしのスタイルをガラッと変わった。私の潜在的な心の中の思いが突如噴出してしまったのだろう。
山暮らしには厳格な先生もいなかったので、何もかも一人でやる。むしろそのほうが厳しいもので、独自修業的なものであった、一人山暮らし初体験であったが、どうやら順応出来たように思う
最今の田舎暮らしを観ていると金に余裕のある人が遊び感覚で手軽に楽しむ人が多い、変えるとか修業などの感覚は全くない。江戸時代以前の昔、都会人が山に一人篭ったのとは大きく違う。彼らは世を捨てる真面目な真剣な決断だったと思う。
隠遁=世を捨てる+自分に降り積もった嘘誤魔化しを捨てる
それに対し現代人は、バーべキューや魚釣り等単なる遊びや楽しみに重点が置かれ、更に垢や汚れを上塗りし積み重ねるだけのこと昔の人には、山や田舎はごく身近な自分の原点だったのだろう。私は、昔の人のような厳しい田舎暮らしが正しいと思っている
田舎暮らしのレベルを5段階に分類すると、段階の分け方の基準は、どれだけ都会的な暮らしから離れ、自分を変えるかだ。便利な田舎とか楽しい田舎とか更なる贅沢を求める田舎なんて発想は禁物
レベル1:完全な山暮らし一人暮らし
レベル2:辺鄙な田舎で一人暮らし
レベル3:ごくありきたりの田舎くらし
レベル4:都会的な環境の田舎暮らし
レベル5:都会と田舎を行ったり来たり
私がお勧めする田舎暮らしは1又は2だが、都会を捨てきれていない遊び半分の田舎暮らしの場合は、何の価値もない。山暮らしを体験してしまった私には、ひどく浅はかに見える。何のための田舎暮らしなのか?と常に問い続けねばならない。私のようにあれこれ変わって来た人間には、変わる事の意味や価値を掘り下げるのが癖になっている
都会は便利だがせわしい所、田舎はのんびり遊べる所という安易な考えは思い違い。ある程度暮らしてみると不便な都会・不自由な都会・危ない都会をむしろ実感します。田舎は町が空いている、家も庭も広い、どこでも無料駐車できる場所がある、家の周囲にも畑や空き地も十分ある。でも、ちなみに山は都会と違い、人はいない、夜は真っ暗、獣もいる。アメリカや海外もよいが、山のそんな暮らしを一生のうちに一回や二回は体験することを是非お勧めする
ちなみに海外生活の場合も同じようなことが言える。アメリカに暮らしても日本離れができていないようでは海外暮らしとは到底言えないであろうが、田舎暮らしも同様だ何にも言える事だが、綺麗さっぱり変わる事が大事だと私は考える。都会暮らしを捨て、山や田舎でしか出来ない暮らしをすべきである。「郷に入っては郷に従え」が基本である。私が京都に引っ越してからは完全に京都人になろうと努力してきた。
私は、大阪に来て東京を捨て滋賀に来て大阪や京都を捨てたし京都の零細企業やロームに転職して松下電器を捨てたし都会や家族も捨てた(=離れたというか個々独立した)過去の生き方や考え方もほぼ完全に捨てた
単に都会から田舎へ暮らすというだけの田舎暮らしはミーハ―だ。都会と山奥や田舎は何事もほぼ正反対だから、暮らしのあまりの違いに、まず慣れる必要がある、誰も助けてはくれないのも特徴的、会社などの場合は、人事部門や先輩が手とり足とり教えてくれるが大部分の人は、都会を捨てきれてないレベルの単なる遊びに終わる。都会暮らしにどっぷり浸かって来た人の場合は、その程度だが、だからと言って私が文句を言う筋合いではないのだが残念である
「かわいい子には旅をさせよ」とか「他人の窯の飯を食え」と言うが、厳しい一人旅、頼る人はいない、一人でやって行かなくてはならない。人は人生で一回は大きく捨てることが必要だが、その認識のない人やそういうことが出来ない人ばかりで、一度も捨てることなく老いてしまう。捨てられない原因は、 ①捨てるタイミングと ②捨てるに適した場所 私は55歳から一人山暮らしによって、最高な機会を得たが、多分多くの人はその機会に出会えずに老いてしまうのだ
捨てないでは人生、何も始まらないと私は信じているが、人は捨てる機会に出会えない。そういう意味では室内の溜まった沢山のゴミ(不要物)をなかなか捨てられないことによく似ているところで最近自殺者が増えているというが、多くの前途有望な若者が都会で行き場を失って悩み苦しむ日々を送っているのだろうが、
私がやった山暮らし体験が出来る施設があればそういう若者を救い。立派な人間に導くことが出来ると思う。引篭もりや登校拒否やノイローゼの人の施設を山に造るのは望ましい
昔日本では、山は民を救う神の住む場所だったらしいが、山国日本も山に多くの悩む人を原基に戻すような施設をどんどん増やして欲しいものである。山は神様との考えがあるが、都会は神どころか多くの邪気で満ちている。昔は問題解決が簡単であった「こうすれば解決する」そういう時代は終わった、現代の都会における問題は複雑で解決しようとすればする。ほど新たな問題が沢山湧きだす。都会では昔は無かったような面倒な問題が次々に出てくる。都会は問題解決を複雑にし困難にする環境又は土壌なのであろう
現代の都会では問題が泉のように次々に湧き出るのだ、問題は一つづつゆっくり、冷静に解決して行けばよいが、何しろ欲張る・焦る・ウイルスのように次々新たな問題が増殖する。この愚かな・無駄な負の連鎖は都会人には、そう簡単には止められないものなのだ、苛めやネット上の避難中傷、パワハラ、ノイローゼ、自殺などがその結果である。欲望というものも無駄に際限なく増大していく、そしてそのことでまたまた悩み・苦しみが増える
30歳で引越した京都に入り込むのは難しかったし、まだ入れてない。ヨソ者は、まず入れない、独特の文化を持つ京都は高い壁があり、厳しい歴史的風土の地で気位は高いのは日本においても別格だ。入れないものを無理矢理入ろうとしたが、ひどく困難を感じた。観光者には優しいが、中に入ろうとするよそ者にはひどく厳しい。30年くらい住んできたが京都の友人は一人もいないのが現実だ関西の人に聞くと同様なことを言う人が多い
目下、住んでいる安曇川は、元々安曇川の人の集落と京都大阪から引っ越してきた人の新しい集落に分かれるが、地元の集落の中にはなかなか入り込めない、ここはここで、京都と違う文化的な壁がある。やはり田舎の人は質素倹約、真面目、厳しい自然と戦ってきた人とは都会出の人間は相いれないものがある。一人山暮らしでは、自然はがっちりと私を自然に受けとめてくれた。
山は、入って来る人に対して壁もなく、完璧なまでに一切の差別もしない
一人山暮らしなんて馬鹿と言われそうだが”悔しかったらやって下さい”何でもやってみて初めてその難しさが分かって来るものだ。一般人がやらないことをやってみると、貴重なものが発見できるはずだ。たかが精神的なものだと言って本を読んだだけでは到底分かりはしない
私は山で何をやっていたかと言うと主に草木・土・石・川・など自然物との付き合いである、自然は良きにつけ悪しきにつけ万事が大らかである。森や道路の清掃、草抜き・ゴミの撤去、木の剪定・土木・家の修繕など人はいないので、煩わしい人間関係で心を汚すことは全くなかった。他人の目を気にしたり、心の軋轢もない、他人の事で思い悩むこともない
ところが都会ではあらゆる所に他人の目があり、いちいち反応してしまう。馬鹿げたことだが、阪神ひいきの人は阪神が負けるとがっかりする。自分以外の人のことで一喜一憂し揉め事や悩みが一日中絶えない。山の暮らしを15~20年もやり続けると対人関係は綺麗さっぱり汚れがとれ、全く新たな人間関係が始まるのは当然の結果であった。しかし町や都会の暮らしに戻った時に人間関係がリバウンドしないように注意はしている。また都会の人が近所付き合いや交際を減らし人間関係を極端に限定するのも困った現代の都会的な現象である
山では、物言わぬ自然物との向き合いによって身体も頭も一日中動き続けていたし、さわやかな疲れと食欲と睡眠があった。時には台風や大雨で付近一帯がひどく荒れてしまい、その復旧に数日過ごしたことが何度もあった、山では全部自分でやらねばならない
山はほぼ全部が自然、自然は優しいが、ひどく困っても手助けは一切してくれない、無論近所の人も役所も誰も助けてはくれない。そういう中で一人平然と暮らさなければならない、そういう所に長く身を置いてみると人間は逞しく成長するものだ、ところで振り返って約30年の京都暮らしも結構しんどかったが、多くの人に助けられていた。山暮らしは全てが自分の責任であり「他人が悪い」と言っても何の役にも意味も持たない、真の孤独であり、甘い過去との決別である。そういう山暮らしは、過去を全て捨て去るに十分なきっかけとなったと思う。自分であっても、すでに過去の自分ではなくなって、生まれ変わった
山暮らしで感じた事は都会での人間関係や人工物はただ人間の心を惑わせしんどくさせ、病まし、不快にするだけだった。人との付き合い、人間関係ほど面倒で汚れたものはないから、のめり込み過ぎないことだ。お金も才能も権力もあらゆるものは過度に依存してはならない。人間関係も同様にあまりにベタベタとのめり込んではならない
人間関係も諸刃の剣で、むしろ弊害ばかりの場合も多いのである。私は現在は、
「人付き合いもほどほどに」をモットーにしている。よく「人間関係が多彩で広い」などと自慢する人がいるが、私は必しも羨ましいとは思わない。お金に使われるなお金は使うものだ、人間関係も同様である
人はもっとも厄介なもので未だに歴史的な悪人が続々でてきて、戦争だ迫害だ、暴力だ、苛めだ、暗殺だ、・・・と多くの悪事を働いているのだ。人は仏性を備えているが、現実は僅かの仏性もない人が多い。そういう怪しげな人や社会の影響を受けて育ってきたというわけだ。お金も必要で、そのためにあくせく稼がなくてはならないが、山は、空気や綺麗な水や草木や山菜やなどの恵みがあった。山での一人暮らしは、実態はつらく苦しいのだが、都会のように真綿でじわじわ首絞められるような苦しさに比べると、さわやかなものだった
私は東京を離れ、会社も4回変わって来た、第一回目は最盛期の松下電器を10年で辞めたが、当時「お前はアホか」と言われたが、そのとおり、その決断は、未熟でアホであったに違いないのだが、私が変わる決断がスッパリ出来るようになった原点がその時であり、私の心に過去に捕らわれず思い切り変わる精神がカチッと埋め込まれたように思う。一回目のバンジージャンプ成功みたいなものだ
駄目なものは駄目、変わるべきものは変わるという感覚になった。当時日本では会社を変わることは良くない事という印象だったが駄目男の私は、自分勝手に自分なりに区切りをつけ転職して来た。(ちなみに大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒京都ローム⇒大阪テクノ経営⇒関西ISOコンサルタントネットワーク自営⇒人生勉強会)
人は決断と実行が①早い人と ②遅い人と ③ほとんど出来ない人がいるが、私の経験では、初回の決断実行が上手く行ったかどうか第一回目の思い切った決断と実行が、大げさかもしれないがその人のその後に人生を決めてしまうと言ってもよい。バンジージャンプのように最初に飛び降りない人はその後もやらない。
「決断と実行はやらずに後悔するより、やって後悔せよ」である。
「鉄は熱いうちに叩け」である。
「まず入り口に立て、そしてその入り口を入れ」
55歳いきなり20年の山暮らしを決断実行したが、結果は良かった。それ以前は55年間、大都会で競争社会の真っただ中で暮らしてきた。高度成長のおかげで、それなりに家族やある程度の蓄えも出来たが他方で知らぬ間に、苦しみ悩み続けて来たように思う。同時代の人は気づかないかもしれないが、高度成長のひずみの中都会の束縛や不自由さや人間関係で苦しみ悩みを抱えたまま、日々無駄に格闘し、穏やかな日はなく、もがき続けて来たに違いない。戦後まもなく民主化し、高度成長に急ぎ突入したため自己の確立が伴っていなかったのだろう
ダーウインの進化論というより私の場合は都会で55年染みついた。ものをさっぱり削り落とすことで、進化というより、数歩戻るようなものだった。あまりに行き過ぎた歪んだ進歩・発展・進化をストっプしたことになるのだろう。時として人間の場合行き過ぎた進歩を止め、戻る事が、真の進化につながるのだ
人間としてあるべき生き方や本来やりたい事などは犠牲にしてきた。「いやそんなことはない、所得も増え、家や電気製品や自動車まで買い、豊かで便利さを十分満喫した」と考えたら、それは大間違いなのだ。パワハラ経営者や上司、社会に従って自分を押し殺し耐え忍んで生きて来た。当時としては、ごく当然の生き方だったと思うが、実にくだらん生き方を強いられてきた。その結果として、何となく不信感や不安感や自信喪失、充実感がない、生き甲斐を感じない、本質的に楽しくない、緊張ばかり、つらい・・・
自分でありながら自分でない生き方を55年間続けて来た、自分でないものを求め続けて来た、馬鹿バカしいと言えば実に馬鹿バカしかった。嘘誤魔化しの々、そしてその嘘誤魔化しで苦しみ悩み続けてきた
個性化時代と言うが、本当に個性的人間なんてほとんどいない。経済的発展にしがみつき、頼りない魅力のない人で溢れてしまった。日本はいかにも個性的になったように錯覚しているが、個性化なんてものは、とっくの昔、どこかに忘れて置き去りにして来たのだ。こともあろうに政治家や経営者に至るまでほとんどの人間が画一的で虚無的・自分勝手で、嘘誤魔化しで塗りつぶされて来た
いざ個性的になってよいと言われても、簡単に個性的にはなれない。退職したら思い切り遊ぼうなんて思っていた人が実際に遊べるかというと、現実にはそうはならない、遊び方を知らないのだ。欧米人のように趣味を持ち余暇や家族と夜を楽しむ習慣・努力もない。都会で人々のやり方や流行に流され、惰性的な暮らしを安易に選ぶ
山や田舎で自分を拘束するものがなく広い場所と自由な時間を与えられたら個性的なことが出来るかというとそうでもない。山にも都会の人が訪れてきたが、山での遊び方を全く知らない人ばかり、都会の人が週末田舎で野外生活をしているのを観るとやはり画一的だ日本では、都会の家もオフィスも狭い、その結果萎縮してしまう。都会暮らしは知らぬ間に自分を閉じ込め、自身に制約を課してしまう。本来当然な野菜つくりとか土木作業や大工なんて全く出来やしないし「それで当然だ」と言うからびっくりする。嘘誤魔化ししか出来ない。画一的というが、こんな恐ろしいものはない、中国や北朝鮮を観ればそれが嫌と言うほど分かろうというものだ
自由とか自分が思うままにとか自立とか自主ということが大事なのだ。そうなるには私のように20年もの山暮らしは大事だとつくづく思う。それほど都会で染みついた自己抑制・制約の観念が根強いのだろう
高度成長期に日本は世界一、その当事者としてがんじがらめに縛られ続け大きなストレスを増やし続けてきたように思う。自分が自分になり切れず、魂の抜けた幽霊のように生き続け、さほど楽しくも良いこともなかったように思う。物質的や表面的な豊かさの裏で、実際は自分として納得のいかない人生を過ごさざるを得なかったのだと、私は山暮らし以降少しづつ気づかされた。なぜならば時々京都に家に帰る時が何度かあったが、すごい違和感をその度毎に感じ、それが毎回強まって行ったからである
世の中は便利で豊になったようだが、実態はますます生き難くなっている。イケイケどんどん、使い捨て文化、売れないものは大量廃棄処分、ガソリンも電気も使い放題、海外や国内旅行そして爆買い・・・人間の心もだが温暖化や自然災害など地球環境やあらゆるものが急速に崩壊し始めた
55歳の私が、普通だったらそろそろ都会で便利さやもっと多くの楽しみを味わうべきところ、逆に、人気もない、味気ない、不便な、自然だけの都会に比べて何もない、面白くもない山暮らしに一人で突入してしまった。不思議なことに当時、私は山暮らしが良いとか悪いとか全く考えなかった。あまり難しく考えなかったことが逆に幸いしたと思っている。ここで下手に考えたり迷ったりしたら20年の山暮らしはなかった
人生とは不思議なもので、あまり考え過ぎないことが良いこともある。私などはセッカチなためか、即断即決の道を歩んでしまう傾向がある。多分筋書きとしては長年の都会暮らしに疲れ果て、ある日山のログハウスをみてハッとし「ここだ」と乙女のように惚れ込んでしまったのだろう「ビビット来た」あまり感じないタイプだが、感じる時は強く感じてしまう性格なのだ。その上、一度決断したら、新しい状況にはまり込むのも良くも悪くも私の性格である
さすが当初の5年間は当然、違和感や、不慣れや不便さを感じたがその苦労もそれほどつらくは感じなかったし、先生も同僚もいない、久々自分一人だけの日々を味わった、特に義務も課題もない、静かで、夜は真っ暗、まさしく何もない別世界と言ってよいだろう。でも当然のこと、寺の本格的修行と比べるとかなり楽なものだった
石の上にも3年というが、4年目くらいから山暮らしが板につき始め、それが10年15年と続けるうちに「ここだ、もう都会は無用だ」となった。無論大変なこともあったが、どうやら自力で克服でき、腕も上げた。山に一人で何もない暮らしをしただけなのだが、私は大きく変わった。変わったというより、何もしないうちに、自然と本来の自分に戻った
狐が落ちるわけはないが、15年も続けると「狐が落ちた」まさにその通りだった。「狐が落ちた」とは大きく環境を長い間で変えた時に脱落するという意味であろう。何もない山奥で過去の固定観念が日々、年々剝げ落ちていった。狐が落ちる=固定観念、思い込み、悩み、苦しみ、が禿落ちた、そういう感じが年々広がって行った。スローモーションで心身の汚れが落ちて行ったような実感がある。都会で必死に藻掻いても落ちなかったものが山暮らしでは勝手に落ちて行ったのだ
自由にせよ、自由に行動しろ、我慢するな、自由を楽しめ経営者や上司よ社員に不自由を強いるな、縛るな、押し付けるな。もし「自由にしろ」と言って自由に出来ない社員がいたら、駄目社員自由に出来ない社員は魅力ないが、なぜかそんな人を育てたがる。日本が世界一遅れている理由が画一的な人材の育成にある
日本では、有形無形のつまらん規則をやたらに作り、押し付ける。例えば田舎暮らしして会社に通うなんて社員は望まれない。私が55歳から山や田舎に住んで以来、周囲の日本人の多くが、予想外につまらない人ばかりということに改めて気づいた
管理技術・環境管理・経営コンサルタント・大工・木の伐採や剪定・野菜・水道や土木工事・水彩画・田舎暮らし・卓球・テニス・ブログ・草花育てる・剪定・アユ釣り、山菜取り何も知らないし、出来ない。例えば男の多くは炊事・洗濯・掃除など家事さえ満足に出来ない。私は、田舎の事も、山の事も、都会の事も、大企業の事も、零細企業の事も満遍なく何でも出来るようになったが、これが案外大きい。ちなみに田舎の人と付き合うと、田舎の若者は意外と田舎のことが出来ない。田舎の若者は都会以上に都会化しているのだ
都会で目にするのは、どこと言わずパソコンやスマホをいじる姿、都会は高層ビルが林立し、無機質で温かみが感じられない。他方、田舎暮らしをしている元都会人に何でも出来る人が多い事も知った
精神の断捨離だったのだろう、断捨離が難しいとはご存知だろうが、きっかけややり方が大事だということを思い知らされた。都会で家に引き籠ったり、遊びやつまらん慰めに浸っているのでは状況は何も良くはならないどころか、確実に悪化するだけである
それまでは
人との会話も付き合いも避け篭りがち
つまらんことを気にかけ
怖がりでビビりで、心配ばかり
ひ弱で何一つ自分で出来ず
他人を批判し、自分に甘い
自分が自分がと、やたらに自意識過剰
自信もなく、信念もなく、目指すものもなし
何事もくよくよ考え込む性格
だったが、だから全体的に何も出来ない、魅力のない人間だった。そういう長年悩んできたものが特に何もせずに20年の山暮らしで一挙に脱落してしまい、すごく楽になり、楽しくもなった
でも誤解のないようにしてほしいのは、55歳までの悩みだらけの生き方は、今となっては、むしろプラスに作用している、つらさが来ても受け止められる。昔の反省が今もってあるからである、反省と変革によって自分は旅立てた。今は誰とも付き合えるが一人でじっと仕事や作業や考えることも得意だ。むしろそういう時間も好きだ、どちらでも良いというのは精神的にも良い物事の両面が見える、分かる、経験している、偏らない、平常心を保てる
無論それで終わり、完成ではないことは言うまでもないが、迷い込み続けた55歳までの迷路からやっと脱出しただけ、束縛から解き放たれたレベルに過ぎない。でも私にしてみれば、55歳まで苦しんできただけに、あたかも自分が大きく成長したように感じてしまうほどであった
34歳で松下電器を辞めて近くの小さな会社に転職して以来55歳という年齢で山暮らしに踏み切ったのも良かったかもしれないし山に住みながら関西ISOシニアコンサルタントネットワークを自営していたのだが山暮らしの傍ら、経営コンサルタントで全国の多くの企業さんを支援、あれこれが偶然に同時にスタートしたのが幸いしたのかもしれない
でも55歳で山暮らしを始めなければ、大きく変わりはしなかっただろう。禅など厳しい修行をする僧侶もおられるので偉そうなことは言えない。普通の都会人では20年も山で暮らそうとは考えたり実行しない。レベルはあまりに違うが、山暮らしで生まれ変われたのは嬉しいかぎり多分無駄・無益なものが私の心身に、ビッシリこびり付いていたのだろう
禅の本に書かれているが、「厳しい修行の入り口に立つだけでも、容易なことではない」「入り口に立てば、ある意味大したものだ」/span>という事を聞く「大方の人は入り口にさえ立てない、立とうとしないのだそうだ」まあ禅の修行に限らず厳しい修行に入る場合は”やろうとする決断”がないことには先へ進まないのが当前である
その後72歳で山を下り、田舎町での暮らしを5年続けているが山とは違い田舎町の環境において、老人の私がきっちりやっていけるかが今後の課題だと思っている。この歳で元に戻れて嬉しいとは情けない話だが、55年間さんざいい加減な生き方をしてきたので、これが実態なんだろうと思う
山から町に降りてくると正直な話、山のようにはいかなくなる。町は俗界であり、いろいろごたごたしたものに関与せざるを得ない。でもそこでも泰然自若としていないようでは山暮らしで得た効用が消え失せてしまう、それだけはしたくない
立派な僧侶が到達目標ではないが、方向だけは目指している。野球に例えるとイチローにはなれないが目指はしている。禅において「一寸坐れば一寸の仏 」/span>というようなものだ。少なくとも、すでに過去の私と今の私では天国と地獄の差が生じたのは確か。私は、私のような状況を勝手にミニ悟りなどと言ったこともある。私の実感は、自分が少し見えてきたことや悟りもかすかに見えてきた。少し先方にかすかだが光のようなものが見えて来たのではあるがこれから本当に悟るのは容易なことではないがとりあえず入り口に立ったという程度で、それだけでも意味である
入り口に立てたのはすごい幸いだが、実は、その先が長い登山口に立ったが、それから本格的に険しい山を登るのだが入り口に立ち大喜びしたものの、現実にその後の進展は微々たる。ものでしかない。正直な話、私としては入り口に立ったことだけでも満足であり、78歳今更猛烈に頑張ろうとは思わない、年相応にゆったり、余生を健康で堅実かつ真面目に暮らせばよいと考えているが修業・修養は一生の取組みとする事は晩年の楽しみでもある。本格的な禅修業ではないが、自分なりにお勤めをやり続け、より人間としての自分を磨いて行こうと考えている
自分で考える、禅の教えを学ぶ、文書に起こす、偉い人の話を聴く、会話する、仕事・作業・身体を動かすこと、厳しい修養・訓練・鍛錬・挑戦なども大事だ
ところで入り口に立つということは大雑把にどういうことかと言うと私なりに分かり易く言うと次のような状況だと思っている
①基本原点に帰り、健康で正しい暮らし
②他人批判はしないむしろ他人賞賛、他人に教えを乞う
③自分がやってやった、自分が自分がという意識がない
④きちんとルールを定め、規則正しい暮らしを守り続ける
⑤何でも挑戦する、自分でやる
⑥できれば都会に住まず、不便や貧しい、地味な状況を受け入れる
⑦しっかりした自分の人生観や意見を持つ、社会に付和雷同しない
⑧創意工夫改善する
⑨誰とも付き合う、仲良くする
⑩整理・整頓・清潔・清掃
⑪欲ばらない、質素・倹約、格好良さも求めない、無理無駄や贅沢しない
⑫謙虚、喧嘩しない、争わない
こんなことが出来てから、やっと人間を磨く旅に出られるというもの基本的なことも出来ていないようでは何をやっても無駄・無理だ誰とも付き合えるようになったり、他人とごく普通に接せられる。ようになったり、他人の愚痴やお叱りも冷静に聴けるようになった。最近は自分を他人や社会に無理矢理合わそうとはしなくなった。すなわち、何か問題が生じてもそこからすぐに抜け出せる。都会の人は例えば人間関係で問題が生じると、人間関係をどうにかしようと問題をこじらせて悩み・苦しむ。発生した問題だけで終わらずに更にもう一つもう二つ別の問題を作てしまう傾向がある。ひどい場合は本来の一つの問題より後から生じた新たな問題のほうが大きな問題になることすらある、泣き面に蜂になるのだ
でも私は、そういうことはしなくなった、あくまで問題があるとすれば最初の一つだけ、しかもその問題自身も深刻に考えこまない。他人は尊重するものの、人間関係を複雑にしない、「自分はあくまで自分」を通すことが出来るようになった、何事もねちねちしなくなった
入口に立っていない人はあまりに沢山いるので今更紹介の必要はないが、一応例としてあげると
①不平不満、怒り易い、他人に厳しい
②整理整頓清潔や断捨離が出来ない
③身体を動かす家事や作業をやらない
④挨拶や会話や人との付き合いが出来ない、友人がいない
⑤趣味や技能や専門・得意などがほとんどない
⑥暗い、元気がない、病気がち、自信がない
⑦個性がない、自分で考えない
⑧自分の信念や意思表示がない
⑨貯蓄や収入が少ない
⑩勉強しない、学ぼうとしない、興味が薄い
⑪パソコン・テレビ・ゲーム・スマホ漬け
⑫創意工夫改善をほとんどやらない、成長進歩がない
※その他いろいろ
ところで友人は大事だとか言うが、私は人付き合いも会話も普通にスムースに出来るようになったが、友人や人付き合いはあくまで自分があっての友人であり、友人が最優先ではない。だから今でも、自分にとってマイナスの人とは、距離を置くのは
当然であり、それで格別寂しくはない友人には次のような人がいる
1)遊び友達
2)仕事上の友人
3)単純に良い真面目な友人
4)博学、技術・技能の持っている友人
5)付き合いやすい友人
6)昔の友人
7)自分を教え、導いてくれる友人(大事な我が師)
友人が大事といっても1)~6)の人はあくまでそういう程度の人に過ぎない
人間関係は複雑なもので、仲良くなった、深く知り合い通じ合えたからと言って、その人間関係が良いとか良くなるとかは限らない、むしろ逆の場合も多い夫婦・親子・兄弟・親友がいつまでも仲良いとは限らない、人間関係は案外大きな副作用もあることを忘れてはならない。むしろ無理してまで他人と付き合う必要はないと思っている
「結婚は人生の墓場なり」と言うが一生で一番依存関係の強い夫婦になる。正に、すごい恐ろしいバンジージャンプのようなものなのだが、互いに誤魔化しあい何とか結婚してしまう、又は結婚させられてしまう。そしてその結果、最も困難な人間関係の道を一生歩むことになるのである。子供が巣立ったら、夫婦は一度長かった密な関係を解くのが私のお勧めだ。退職後もその困難な関係を続ける事は必しも心身ともに良いことではない。欧米で「愛しているよ」の甘い夫婦に離婚が多いのも私は納得する。気の弱い夫は、山に簡易別荘を造り、そこで別居同然に暮らすのもお勧めだ
夫婦関係とは人間関係で最も困難で悩ましいものであるが友人関係も同様であり上手く行かなければ距離を置いたほうがよい
人間関係を解決するのに必要以上に人間関係そのもので解決しようとすると大失敗することもある。あーだのこーだの余分な斟酌をしたり難しく考え過ぎないことだ。何があっても表情を変えず、いつも通りに振舞うことが人間関係で賢明なのだ。特に人間関係は壊れやすいガラスや瀬戸物のようなものだ、それを更に面倒なことにしてしまわないことだ
慰めの友、楽しい友、暇つぶしの友に過ぎない、そんな友人を親友、一生の友などと呼ぶ人も多い。例えば、友人とは相手に何らかの欠陥がある場合、どう言っても治らなければ、きっぱり忠告や行動することこそ親友である証拠である。友人は愛玩犬や猫ではない、私は成人後は犬猫を飼ったことはない。昨今、高齢女性が犬猫を可愛がるために飼うことが多いが、その程度のものだ。「可愛くて、きつい躾けが出来ない、盲目的に可愛がる」のはやりたくない。ある意味友人は諸刃の剣、ストレスを和らげ愚痴を聞いてくれる人ぐらいのも、そんなためだけの友人は所詮その程度の人として付き合うだけの意味しかない
本当に大事なのは7)自分を教え、導いてくれる友人だが、現実にそんな友人は万に一人もいないものだ。そこで自分を磨くのはやはり自分自身、自分次第ということになってしまう。自分自身が素晴らしい師にならないといけないのである。そういう自助努力をしなければ人生は永遠にくだらないものであり続ける。そして悩み苦しみから自由になることは出来ない
今の歳になって、今の私は、尊敬も好きにも、付き合いたくもない人とは
①都会に長く住んだ人
②大企業は無論同じ企業に長く勤めた人
③田舎に長く住んだ人
④歌手や俳優やスポーツマンや政治家など有名人
⑤先生・有識者・小説家(文学賞受賞作品は読む気がしない)
⑥専門家
⑦美人・美男
⑧頭でっかちや馬鹿
⑨金持ちのお坊ちゃんやお嬢ちゃん
⑩ダラシナイ人・文句の多い人
⑪働かない人、汗かかない人、努力しない人
⑫自分では基本的なことが何一つ出来ない人
例えば極端な例だがイチロー選手も大谷翔平などのような人は個人的には絶対
好きになれない,尊敬もしないし、自分自身決してそんな人にはなりたくない
世の中が乱れ始めると、いろいろなご利益追求の宗教が流行り出す。でもほとんどの信者は低次元の苦しみ悩みから抜け出したいだけの人であって、自己の成長や完成ではないそこで怪しげなマジナイ・念仏や多額なお布施や布教などがまことしやかに行われたり要求される。現代になって勃興した怪しげな新興宗教集団など私は絶対に係わらない。そういう人の話の大半はご利益についてで人間的な成長は二の次である。そんなことより自分をまず原点に戻し一から地道に出直すことである。怪しげな新興宗教に逃げ込むより、自分自身を地道に鍛錬することが大事なのだろう、友人によって自分が高められるのはほんの一部でしかない
自分の人生をどのような形にするか?それは自分次第、自分が考え、決断し、自分で実行するしかない。都会とか大企業とか家族とかに縛られていることを良しとせず、まず基本原点に帰り、自然や自分との対話から本来あるべき自分の生き方をみつけるべきだと思っている
昨今の新型コロナウイルスは”人々が基本原点に帰れとの天からの啓示・警告”であると思っている。時代は進歩しているというが、進歩というものに自分が振り回されてはいけない。新型コロナウイルスは都会の人間がいかにこの手の災害に弱いかを示した。決定的な弱点が分かったはずだが、多分都会人は政治家も含めて、本質を全く理解できていないまま終わりそうだ。今度の新型コロナウイルスが大事なことは世界中の都会人に「お前はアホか」をつきつけたことだ
・どうアホなのか
・何が根本原因なのか
・何をどうしたら解決するのか
その根本のアホな自分達をドーンと突き放して更に崖の下に突き落とす。くらいのことをしないと多分このアホは永遠に直らず人類崩壊へと突き進むのだろう、そうとしか考えられない。マスクに3密回避に酒や営業自粛、人流抑制、ワクチン接種それで解決・終わりでよいわけはない。もっと根本問題を真剣に考える専門家集団が必要だと私は思う。こういう問題を早く何とか処理してしまおうとするから問題は更に肥大化・複雑化するのだ
大都会の暮らしが当然良いなどと思い込まされていないだろうか?おかげ様でこの過密ではない畑の中の田舎町ではコロナウイルスはほぼ無縁であり、ひどい感染蔓延や実害は、ほとんどなかった
それにつけても生まれ故郷の東京浅草のgoogle地図航空写真を観ると安曇川田中に比べてあまりにビルが多くひどく過密なことに驚愕する

昔住んでいた東京都台東区浅草三筋町の今の状態、高層ビルが林立する昔はほとんどビルはなかった、「私としてはゾーとする」 「こりゃウイルスも蔓延するよ」都会の超過密な所に住む必要があるのか?

安曇川町田中は同じ場所に数十軒の家しかない、これまたびっくりするほど少ない。一体都会の人はそういう事に気づいていないのか?それとも恐ろしさを感じないのか?私には信じられないことである。都会はある日突然ちょっとした引き金によって大崩壊しないか、私にはすごく恐ろしく感じてしまう
まかり間違えば都会は崩壊一歩手前、砂上の楼閣みたいなもので直下型大地震や巨大台風やテロなんか起きたら突然崩壊ですが、備えは何もない。ひょっとして限界集落は都会かもしれないのだ。都市にビルを林立させ、多額の金をつぎ込みインフラを作りこんだら、その弊害についてリスク分析が必要だと思う。私の住む田舎町なんかは良かれ悪しかれ全く必要を感じないが、もし東京が崩壊・大混乱したらコロナウイルス以上のことが起きかねない。私でさえ、そんな大混乱は覚悟はしておかないといかんと思っている
自分自身で考え自分の目指す方向を定め実行するしかない。それにつけても入り口に立っただけの未熟な私だが、まだ入り口にさえ到達していない人も多いことにも気づかされる。「何故そんなことで悩み、苦しんでいるのか?」と思うことも増えて来た。当時山暮らし6年目の2005年12月12日村上原基人生勉強会なるものを立ち上げホームページを掲載しブログも書き出したということなのだ
立派なことが言えるレベルの私ではないが、偉そうなことを言うなと感じられたらお許し願いたい。こんなことをくどくどとブログで言うのは、私がまだまだ駄目な人間だから