村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

26.会社の受付の大切さ、一度自社の受付を見直しませんか?

2006-05-15 10:42:21 | 経営管理
会社様にお伺いすると、たいていの場合、受付があります。
まあ、受付がない会社さんもあって、どこから入ってどこで挨拶したら良いのかわからないことも結構あるのです。
正直言って、受付をきちんとやっておられる会社は皆無で、30点以下ですかね。大事なお客様が来られるというのに、受付がどこか、受付でどうしたら良いかがわからない場合が案外多いので、日本も気配りが欠けてきたなーと実感させられます。
少なくとも「受付してやっている」「そほど歓迎していない」というようなイメージはすぐにも是正すべきですね。中国ではありませんが「熱烈歓迎」のイメージを与えることが大切です。
ところが中には少ないのですが、きちんとした受付をされる会社さんもあります。しかし意外にも少ないのです。受付こそ企業にとってもっとも大事な場所の一つであるという認識を持つべきでしょうね。

①会社の入り口付近に、受付がどちらか、はっきり明示する
②受付場所はお客様を迎える場所にふさわしいものにリフォームする(構造・色彩・明るさ)
③受付では誰に声をかけるのかを明示する。
④会社の門をくぐられた時点で受付でアラームが鳴るようにする
⑤即座に担当の人が応対する
⑥明るく、大きな声で挨拶をする(ツーンとすましたりぶきらぼうの人は、むしろマイナスです)
⑦事務所と一体でもかまいませんが、その場合、お客様に不快感のないようなレイアウトや作りにする
⑧感じのいい絵画やお花、緑を置く(表彰状の額なんかは受付や応接には掲示しない)
⑨不要な物を置かず、あまりにゴテゴテせず、温かみや癒される空間にする
⑩お客様をお待たせすることがある場合は椅子を設ける
⑪応接室や会議室へは靴を脱がなくても入れるようにする
⑫予約のあるお客様の場合は、社名とお名前だけ確認し、すぐに処置対応する(予約してあるのにお客様にいろいろな手続きをさせる会社が多い)
⑬受付でお客様に、あれこれ書かす手間をなくす(パソコンさえあれば簡単にできる)
⑭受付は予約の内容(何時にどこのどういう役職のどなたが誰をどういう用件で訪れる)を完全に掌握しておく
⑮応接に入られたら飲み物の種類を確認する(お茶・コーヒー・ホットか冷たいのか)飲み物は2時間に一度お出しする
⑯エアコンは来客予定時刻10分前に入れておく
⑰最寄のバスや電車の時刻表を掲示しておく
⑱大事なお客様の場合は、幹部(部長以上)が挨拶に出る
⑲帰りには玄関の外までお見送りする
⑳応接や会議室にはパソコンとプロジェクター、TV、DVDなどを設置しておく。トイレも専用か近くに設置し場所も明示する(デパートなんかに、ありますね)
こういうお客様に対する気配りは、昔の日本では常識だったんですがね。社内では社員からお客様に「こんにちは」などの挨拶をすることも大事なことなんですが、できている会社・できてない会社・中途半端な会社がありますね。

まあ以上が昔私が勤めていた会社での受付のルールです。まだ10や20はあるのですが、細かいことはそれぞれ工夫して下さい。大事なことはお客様に対するまごころ、誠意、心配りです。
私の勤めていたその会社では、遠方からのお客様の場合は帰り際に、3000~5000円くらいの弁当と飲み物をお客様に差し上げていましたね。効果は絶大で安い販売促進費なんですよ。
なにも無駄に金かけると言っているのではありません。大理石で豪華でゴテゴテするなんてのは、かえって良くありません。
まあ以上やるかやらないかは、社長様次第ですが、「顧客重視」などと言っているわりに、社長様が意にかえさずの会社さんが多いですね。例は良いかどうかわかりませんが、廃棄物業者さんにお伺いして、汚れた会社のイメージを持っていざ訪問すると、受付が清潔で上記のようなきちんとした対応して戴く会社さんがこれまた意外に多いのです。たったそれだけのことですが、訪問者にとっては気分は良いですし、お客様からの評価やイメージはぐーんと上がるのです。
逆に、普通の企業さんやメーカーさんが意外に無頓着なのですが、会社にとっても社員教育の面でもすごい損だと思いませんか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

23.顧客と社員に恐喝・恫喝事件の東証一部アイフルは、京都の一流企業だ

2006-04-25 22:36:45 | 経営管理
最近バブル崩壊以後、全国的に役人や企業の不祥事が多くなっているようです。(不祥事@13HZ)(YAHHO不祥事)
でもとりわけ、京都では、なんとなく、こういった恫喝まがいの話や陰湿な事件や潜在的な状況が多く、内容も信じられないようなかなりひどいレベルのものが多いように感じます。東証一部の会社でも、社員への恫喝は当然のようにやられているというような話も聞きます。古都京都ということは素晴らしく、良い面も沢山あるのですが、京都以外の人は俄かに信じがたいことでしょうが、反面、悪い面もあるような気がしています。
関東と関西は、同じ日本人のように見えますが、それぞれのルーツは精神的にも肉体的にも全く違います。顔や目鼻立ちで、容易に関西人か関東人か見分けられます。私には大阪・京都は韓国・朝鮮系であり、東京・関東は蝦夷系北方系のように思えます。関西人特に京都は古い伝統や習慣・風習がありますから、人間関係も密接で複雑です。ですから、こういう到底理解できない事件や潜在的な状況が一流企業でも行われてしまうのでしょう。
私が東京から、大阪経由で京都に移り住んだ頃「同和問題」という東京出身の私には到底理解できない人権問題が真剣に取り上げられていることに吃驚したことがあります。その状況は「エッーそこまで何故やるのか????」みたいなすさまじいレベルでした。私のように京都に長年住んでみると、やはり京都という所は、身分や格式や学歴や出身地を重視するところで、住む場所・家系や気にくわぬとなれば阻害されることが日常茶飯事にやられていることを身に染みて実感しました。人種差別を許さないと言いながら、現実には、アメリカでも黒人差別が残っているのと似ています。
皆様、特に文化が180度違う関東の人が、もし京都に移り住む場合、最初は謙虚にかつ京都に馴染む努力と辛抱を相当長い期間かけてやり続けないと、一生かかっても生粋の京都人の仲間入りはできないことを理解すべきです。フランスの場合なんかも多分そうなんでしょうね。観光都市・やさしい京言葉・優美な町の装いとは裏腹に、よそ者や身分の違う者に対する手厳しさは、到底関東人の想像を絶するように思います。
私のように、京都に34年も住むとそういうものが、やっと少しだけ乗り越えて、むしろ京都を尊敬し、好きになってはいますが、そういうことが理解できるまで、その道のりは平坦なものではないように思います。京都に入り込むためには、フランス同様、少なくとも30年以上は、ご当地に住んで京都人に交わり、京都弁を使い、修行に近いものをやらないと入りこむことは不可能でしょう。私の実感ですが、生粋の京都の人と互角に付き合えるようになったら一人前ですよ。凡人には、それほど難しくもあり、ややっこしいのです。
日本の道府県を、単純かつ大きく明るい県と暗い県に分けるとすれば、皆様もご想像のように、京都は暗いほうの筆頭でしょうし、明るい筆頭は沖縄とか九州とか高知でしょうか?気候が寒く冬も雪が降る・資源が乏しい・伝統格式を重んじる古都などのどれかの要素を持つ県民は、まあどちらかというと暗いですね。話しかけても全然話をせず、顔の表情が乏しく、仲間意識が強く、物事に裏表があります。(明るいのが良いと言っているのではありませんが)
そういう土地柄のせいでしょうか?私の京都の大手一部上場企業での体験では、社内で会社幹部からの恫喝はすさまじいものでした。同様な話は、京都の他の一流会社の場合でも、聞いたことがありますが「嘘でしょ(アンビリーバブル)」と言ったものです。今回の話も、その他金融であるアイフルの特徴的な事件という側面だけでなく、京都の企業であるいう側面もあるように思います。無論多くの京都のきちんとした企業は、恫喝なんかやっているはずはありませんが、他府県と比較すると、京都では、恫喝まがいのことをするような一部上場の一流企業が多く存在しているような気がします。また個人的な付き合いにおいても、純粋に京都の人との付き合いは、かなり難しいと思います。私の経験でも、京都で仲良くなる人は、結果的に京都以外の府県の出身の人だったということが多いのです。仲間意識というのは、歴史が長い地域ほど、よそ者を中に入れません(関係者以外立ち入り禁止)。
京都では、あっちでも人権擁護、こっちでも人権擁護と、一見「人権優良地域」のように見えるのですが、そんなに大声で町中で人権を叫ぶところを見ると「この京都市というところは人権を侵害する風土が根強く残っており、現実は駐車違反やスピード違反のように真面目に人権擁護をやる気なんか爪の垢ほどもない」ということなんでしょう。京都市は多額の金や努力を傾注しているわりに、京都の企業は社員に対して、そして信じ難いことでありますが顧客に対してまで人権侵害をする風土がある街かもしれません?生粋の京都市民は一度そういうことを疑って・もしそういうことがあれば猛反省すべきなんですが、もし風土であれば簡単には直らないのかもしれませんね。
京都の文化を知るのは大変な努力が必要です。同じ日本人だからこそかえって、理解が難しい面があります。
アメリカ人の行動や考え方を見ていると最初は格好いいとか、はっきりものを言うとか明るいとか思うのですが、よくよく付き合い観察すると、日本人には到底受け入れがたい文化の持ち主であることがわかってきます。アメリカに行って、そこらにいるアメリカ人と結婚したら多分すごくしんど思いをすると思います。日本の男とコテコテのアメリカ人の女と結婚した場合なんか想像するとゾーとします。うまく行く確率は数%でしょうね。よほど互いの文化を理解し尊重している場合でないとうまくいくわけがありません。中国人と日本人、イギリス人やフランス人と日本人だと通常のケースでは絶対にうまくいくわけがありません。
同様に京都の人の考え方はその他の日本の地方の人には非常に難解なレベルだと思います。良いとか悪いとかでなく、京都には、人種的・地理的・歴史的に「イジメの文化」「排他的文化」があるような気がしています。34年も東京を離れ一人で暮らして来た私は現在は京都の文化・生活・生き方が好きです。厳しさ、きっちりした人間を育てる濃い文化のルーツがあるような気がするからです。
京都の文化は、非常に味わい深い、優れたものであるのですが、お話をまた、京都の悪い面に戻します。
私の京都の一流企業での経験がありますが、日本の先端的な会社でも、当時私を含め年齢が上がってくると「死ね」「首つれ」「辞表もってこい」「そのあげくは仕事をほす」「一方的に退職させてしまう」なんてことをやられたのです。ある日突然、「1週間でやめろ」と言われた時全く信じられませんでした。辞めさせられる正当な理由がないどころか、重要業務であり、私一人専任であり、十二分な業務成果もあげているにも拘わらず引継ぎ者もいない状況だったんですから。テレビや映画で見る京都の意地悪な陰湿な物語さながらの一面であることを実感しました。「死ね・首つれ」という必用な脅しの効き目がないので苦し紛れに最後の手を打ってきたというわけです。
その会社のように高収益で東証一部の一流企業でしたら普通常識的には、こういう場合、事前説明や段取りがあり、格別の配慮をして慎重に実行されるはずなんですが、そんなものは全くなく犯罪に近いものでしたね。今となってはそんな俗悪な社長や幹部のいる会社を辞めて良かったと思っていますが、まあそれに類したことは京都の他の一流企業でもあるやに聞いています。
今回の東証一部上場の高収益企業のアイフルの場合は、顧客が最大の被害者であるのですが、その前提に、会社幹部から社員への日々の壮絶な恫喝があったことが重要なポイントのようです。社員への恫喝がやられていて、それが外部へ漏れない、社員は内部告発しないで、悩み続けて会社幹部の言うとおり実行する。法律違反すること、それも暴力団や殺人や殺人未遂に近いことを無理やりやらされていたというのですから「そんなことが民主主義の日本の東証一部の大手企業にあるのか?」ということでしょうね。アイフルの社長のように恫喝をする社長というものは、表面的には誠実に振舞っていても「顧客・社員・株主の犠牲の上に自分さえ儲ければいい」という絶対にあってはならない偽経営者に堕落しているのです。
外部から見ると「そんな馬鹿な」「警察に言えばいいじゃないか」「マスコミに情報を漏らせばいいじゃないか」ということなんですが、特に京都ではそういうことは何故かやりません。
こういう恫喝の悲惨な状況に似た話は沢山あります。

①第二次大戦中日本でも天皇のため、非国民と言われないように決して戦争批判しませんでした
②北朝鮮で多くの餓死者が出ているのに、今のところ革命や暴動がおきません
③学校で相当ひどく苛められた子供が、先生や警察に訴えずに自殺しました
④親に食べ物も貰えず虐待されて衰弱死しました
⑤キリスト協会で牧師から多くの女児が性的虐待をうけていたが誰も訴えず、我慢していました
⑥暴利のヤミ金融業者から法外な利息をとられ理不尽な行為を受け続けたあげく、夫婦で自殺しました
⑦昔日本の家ではお嫁さんは、朝から晩まで働かされ、相当厳しい扱いを受けても我慢し続けました
⑧学校のクラブ活動で厳しい訓練やしごきで死んでしまいました
⑨猿の世界ではボス猿には絶対服従で、服従しないと群れから去ることを意味します
⑩村八分というのが昔の日本の農村にはありましたが暴力団まがいです
⑪暴力団では当然ですが、組を出るには指を詰められたり、相当の制裁を加えられます
⑫夫が妻や子供に信じがたいような暴力をふるい、大怪我をしても妻や子供は耐えるだけ

「なぜそんなことになるのか?」「絶対にありえない」ということが立派な企業や立場の人によって行われ、被害者は恫喝され、虐待され、つらいことに耐え、事件となって顕在化しても、当人は罪の意識もないような経営者や先生や僧侶や指導者がいるということです。特に京都の伝統・風土は超真面目なんです。その超真面目さが京都を発展させている一方で、その真面目さが嵩じて、本来超えてはならない一線を越えてしまうのでしょう。
そういう想像を絶するものは、そういうことをする本人自身の問題だけでなく、業界や土地の風土というものも原因していることを感じています。厳しい風土の業界や土地には、往々にしてそういう恫喝や人権無視の風習が、我々が知りえない所で、まだ当然のように存在しているようです。
地球環境問題が問題になっていて末期的な状況になっていますが、精神的なものの環境も民主化するどころか、益々水面下で悪化しているように思えてしかたありません。
そういう目に見えないことが土地や業界の風土としてやられるということを、一度経営者や指導者は、一斉に点検し反省しないと、またまたこういう事件が次々に表面化することになりかねません。そういうことのないように是非見直しをして下さい。今回の業務停止命令を喰らったことの張本人であるアイフルの幹部の記者会見でも、ヌケヌケと顧客恫喝や社内恫喝に初めて気づいたような謝り方に、非常におかしな感じ・異常な感じを抱いたのは私だけだったでしょうか?最近あったどこかのビジネスホテルの事件と一脈通じるものがあります。盗人猛々しいとはこういうことでしょうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10.神仏や法律の要求事項やルールを見直しましょう。ルールを定め厳格に守ること

2006-01-19 09:03:20 | 経営管理
世の中には、有形・無形のルールが存在します。多くの人はそれらのルールに従って日々行動しています。
ルールと一口に言っても、ルールには次のようにいろいろなものがあるのです。

①自分だけのルール・自分以外のルール
②文書化されたルール・されていないルール
③罰則を伴うルール・罰則のないルール
④全体的なルール・部分的なルール
⑤自然のルール・人工的なルール
⑥受け入れたルール・受け入れないルール
⑦一時的なルール・永続的なルール
⑧善のルール・悪のルール
⑨古来から続いているルール・新しい出来立てのルール
⑩楽しいルール・つらいルール
⑪他人に課すルール・他人から課されるルール
⑫組織のルール・個人のルール

またルールの守り方も人によって千さ万別です。例えば無法地帯とか無法者なんていうものもありますし、最近では、一流企業や政治家や先生や役人が法令違反すなわち犯罪を犯すなんてこともあるのです。また北朝鮮のようにやりたい放題人間の道や神の意思にはずれるような行為をやっていても周辺国家や世界は手も出せないなんてこともあるのです。最近では、インターネットのハッカーや俺俺詐欺や振り込め詐欺やリフォーム詐欺、大阪府などの役人の横領や搾取、聖職者の立場を悪用した性的犯罪などルールの盲点をついて悪いことをやる人間も増加しているのです。ルールを守ることが前提であり、ルールを悪用する人がいるとルールは弊害をもたらすのです。
またルールをめぐって血なまぐさい戦争やテロが頻発しているのです。
1ルールがない
2ルールがあっても守らない
3ルールの目を盗んで、むしろ隠れみのにして悪さを働く
4ルールのためにかえってうまく行かない
5ルールを巡って紛争や裁判がおきる
6ルールが実態に合わない
7ルールを厳密に守り過ぎて、硬直化する
8ルールが合わない事態がしばしば発生するが迅速な対応ができない
9ルールに縛られて自由や柔軟性や発展性を損なう
10ルールの解釈が人や立場によって異なる
11ルールが増えて理解できない
12ルールが難しくて理解できない(専門家が必要になるほど)

ルールは良い面を持つと同時に同じくらいマイナスの面を持つ可能性があるのです。
ルールによって生活や仕事がスムースに行くのでなく、かえって非効率になったりムダが生じたり、損害が発生することがあるのです。こういうことがルールの難しさなんです。
ファーストフード店なんかで、お客対応マニュアルをしっかり教育し、そのとおりやるのは良いのですが、応用動作ができないとか杓子定規になるとか、サービスの質がかえって低下するなどの欠点もあるのです。ルールを作った人がルールに振り回されというわけです。ロボットに人がこき使われるみたいなものなんです。

①ルールは自然の原理原則・神仏の意思に沿うものであること
②法律を順守していること
③人の幸福や正しい生き方に結びつくこと
④わかりやすいもの
⑤守れる環境整備・条件整備をすること
⑥厳格なものであること
⑦ルールによる副作用や抜け穴に注意すること
⑧言うだけでなく、文書化すること
⑨順守状況を定期的にチェックすること
⑩毎年1回は内容をきちんと見直すこと
⑪相応の罰則を伴うこと
⑫説明や指導を継続的に行うこと

・ルールは嫌いだ
・ルールなんか煩わしい
・ルールなんか守ると人間が小さくなる
とんでもないですよ、ルールを作り守り、ルールを直して、更に守るそういう積み上げによて、人間を成長させるのです。日本人は昔からルールを大事にしてきました。皆様は、ご自分でルールを作っては直し、作っては直しながら、厳格に守る良い習慣を身につけて下さい。大事ですよ。
そのためにまず、守るべきことを文書化してみて下さい。座右の銘などでも良いですよ。
お経なんてのもそういう意味では、是非馴染んでみて下さい。解説本もいろいろありますから。
http://www.meico.org/zayuunomei.html村上和の座右の銘)

1.神仏の意思(自然の法則)

2.法律・条例

3.組織の規則

4.個人の規則

ところで、今回のライブドアーの堀江もんや強度偽装の姉歯や銀行で何億円の金を流用した銀行員・・・・のように一見すると、きちんとルールどおりやっているように見えて、実際はそうではなく、ルールを隠れ蓑にして、巧妙に誤魔化していたということも最近かなり多いですね。『ルールというものはきちんと守るためにある』のですが、誤魔化すためにも使われることがあることを認識しておくべきなんです。ですから、頻繁に確認点検ということが必要なんです。「ルールは決めておきさえすれば、きちんと守られるはずだ」というような安易で簡単なものではないのです。
もう一つ
ルールが多くなり、複雑になり過ぎ、時代の進展が早くなると、ルールがかえって深刻な問題を作ってしまうことにもなりかねません。そして皮肉にもルールが、結果的に国家や組織の崩壊をもたらすことにもなるのです。たかがルールされどルールなのです。現代は、どちらにしろ、大きく変質してしまったルールによって社会や人間は押しつぶされそうになっているのが実情です。それはあたかも難病に著しく効く薬が、かえって新たな不治の病を生み出すようなものなのでしょうか?
まず現代人は、自分自身=自然の一生き物に立ち返って自然法則というか神のご意思というか、そういう根源的なものに戻って、自分の歩むべき道筋というかルールを立て直すべき時がきているようです。
羽目をはずした人間それをルールで縛ろうとする、そういういたちごっこによって益々ルールが多く複雑になり、守りにくく、守られなくなり、闘争がおき、多くの異常な状況が出現し、問題は解決するどころか、人間が考えれば考えるほど問題は深刻化し拡大するばかりなのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8.結果はどうでもよい、大事なのは過程(プロセス)だ、結果とはウンコなんだから

2006-01-06 22:06:39 | 経営管理
「結果が大事なのか?過程が大切なのか?」というようなことをよく言います。「結果と過程の関係は鶏とたまごの関係」だとも言います(鶏は過程たまごは結果です)。
目的・目標を掲げてチャレンジしろということを言います。ISO14001環境マネジメントシステムでも目的・目標の設定は重大な要求事項の一なのです。ISOでも、その目的・目標を掲げるだけでなく、達成するためのプロセスをきちんとすることを要求しているのです。

一般的に結果とは、次のようなイメージがあります。

①ゴール・終着点
②成果・業績
③目的
④とりかえしできない
⑤結論
⑥出来事
⑦終わり
⑧動かせない
⑨最終地点
⑩成功・失敗
⑪夢
⑫頂上

過程(プロセス)とは、次のようなイメージがあります。

①活動・作業
②作業
③手順
④工程
⑤業務
⑥システム、しくみ
⑦内訳・中身
⑧方法・手段
⑨一里塚・途中
⑩旅
⑪努力・がんばり
⑫道

「結果さえ得られば、結果さえよければ、プロセスなんかどうでもいいじゃないか」というのは極めて危険な落とし穴です。どちらかというと、昨今の考えは結果第一・結果重視主義(業績評価主義)なんです。国家や人類の破滅の原因になりかねません。
人間は、ライオンが獲物を追うのと同様に、結果を追求しますが、それは間違ってはいません。神様は生き物に欲求や目的を持たせ、それによって動いたり努力するように仕組んでいるのです。神様は結果・目的を餌・動機づけの手段にしているです。まあ結果とか目的・目標とかは、猿(人)回しの芸を仕込むための餌なんです。ところが人間や生き物は、悲しいことに、結果(餌)そのものを価値あるものと思いこんでしまうのです。人間も所詮、猿回しの猿と同じなんです。
例えば大金持ちになることは、単なる手段・一里塚なんですが、人間にとっては、目的・ゴールになってしまうのです。例えば試合に勝つとか負けるということは、本来どうでもよいのですが、人間は金メダルをとったのチャンピオンになったと喜び、、逆に負けてしまった、もう駄目だと顔を歪めて大泣きするのです。
悲しい・嬉しいがバネになるから、そういうことも、ある意味、良いのです。結果というのは、ゴールや終着駅でなく、本当はほんの一里塚、出発点に過ぎませんが、結果を求めて努力し続けることは素晴らしいことです。結果は新たな出発点です、大切なことは、ゴールしたらそれを次にどう繋げるかということなんです。人間は日々・年々結果を出していくのです。その結果をバネにして、あせることなく着実に、飛躍・成長していくのです。
ということは勝つことも大事ですが、負けることも同じくらい大事なことなんです。泣き喚くことはないのです。泣くなんてことは人間が未熟な証拠です、ひ弱な証拠です、根性なしの証拠なんです。人生・競争においてはだらしなく泣くなんてことは、やめるべきなんです。泣いても良いですが、すぐに泣き止み、頭を切り替え次のことを考えるべきなんです。

ところで人間や生き物と自然の違いは、

●人間や生き物は結果を求める
●自然は過程(プロセス)を求める

自然は過程を完璧にしようと永遠に努力し続けるのです。自然は結果には関心を持ちません。淡々としています。淡々と過程を遂行します。
一方、人間は過程より結果に関心を持ち過ぎるのです。過程(作業や努力)を好みません、結果だけ欲しがります。
人間だから、ある意味それでも良いのですが、私の言いたいことは、「プロセス重視」の生き方をしろということなんです。
もう少し具体的に言うと、貴方の一日の仕事・作業・家事・人付き合い・・・なんでもその過程を重視しなさいということです。過程を重視すれば、結果は必然的についてくるのです。
世の中には、何をやっても、どうやってもうまく行かない人が沢山おられます。そういう人の根本原因は、過程・プロセス・方法・手段・手続きを疎かにするからなんです。結果ばかりを求め過ぎているのです。

かの有名なイチロー選手が偉いのは、偉大な記録を達成しても、その次を着実に求めていくことと、日頃の行いが実にきちんとしていることです。彼を見ていると見てくれや結果を問うのでなく、見えない部分・裏の部分・地道な部分・プロセスの部分を大切にしていることです。彼は試合が終わると誰よりも早くあっという間にベンチを去ります。彼にとってはその日の勝ち負けは、もう終わっているのです。彼の気持ちはもう翌日のことを考えて次の行動へといち早く進めているのです。だらだら日本のサラリーマンのように残業したり、一杯飲んで仕事の愚痴なんかこぼす暇はないのです。

イチロー選手にとっては、「結果良ければ全て良し」なんかはとんでもない話なんです。彼にとっては、なんとなく結果が出ている時は、むしろ大きな問題なんです。むしろ彼は、「何故打ててしまっているんだろう?」と真剣に悩むのです。イチロー選手にとっては、ヒットにならなくても打ち方:プロセスが思い通りで納得するものであれば、それはそれで良いのです。
例えば、巨人ジャインアンツは、長年なんとなく勝ててきたチームなんです。何の疑問も持たなかったのです。あまり努力なんかしなくても投げ・打ち・とって・勝ててきたのです。
最近の巨人ジャイアンツの挫折は、そこに根本的原因があるのです。かつての阪神も逆の意味で結果に埋没していたのです。バブル崩壊直後の大企業も同様でした。大企業の経営者も社員も、自分たちは、非常にプロセスを大事にし、しっかりしていると信じ込んでいたのです。ところが彼らも結果満足に陥っていたのです。

一般的に大きな挫折を味わった人はプロセス重視型・そうでない順調な人生を歩んできた人は、結果重視になりがちです。「結果が良ければいいじゃん」となり、又は結果がよくないと、「こんなもんよ、しょうがねーよ」となりがちなんです。

私の場合、過去を振り返ってみると、松下電器時代は「松下はプロセス観念の乏しい結果主義(結果重視)の会社でした」エンゼル工業やローム株式会社は、日々プロセス(プロセス重視)ばかりでした。今自営している関西ISOシニアコンサルタントネットワークの仕事は日々、まさにプロセス重視のなにものでもありません。
結果満足の人というのは、世間に沢山います。そういう人はアイドルみたいな人なのです。一時期はスポットライトを浴びることがあっても、それははかない夢か蜃気楼にすぎないのです。
美人であることなんかたいしたことではないのです。美人であろうがそうでなかろうが、大事なことは、その人の中身、目に見えない部分なんです。ところが美人という結果に関して、女は必死に美人であることを追求し、ろくでなしの美人の女に男は目を奪われるのです。美人は、必死に美人にすがりつくのです、すがり続ける一生を送る運命にはまるのです。その点、むしろ不美人のほうが、ずーっと幸せです。そんな幽霊みたいなものにすがって一生を送らなくてすみますから。

結果を求め過程をいい加減にしたための悲劇的結末の例には次のようなものがあります。
①環境破壊.地球温暖化
②種の絶滅
③家庭崩壊
④高齢化&少子化
⑤学校崩壊
⑥バブル崩壊
⑦海岸線の破壊
⑧ダム建設による自然破壊
⑨役所・役人による出鱈目な赤字事業
⑩役人・役所の不正
⑪農村・島の過疎化
⑫大企業の急速な収益悪化
・・・・・・・・・・・・

『過程:プロセス』とは、最高の方法・手段・ルール・手順・システムのことです。株式投資の例をあげますと、株式を購入しますが儲からない人というのは、株式の買い・売りのためのプロセスが実にいい加減で、出鱈目なんです、安易です、思いつきです、エイヤーです、どんぶり勘定なんです。儲けよう儲けようと結果だけを求めて失敗を繰り返すのです。
結果は偶然に得ることもありますが、それは実は大きな失敗なんです。本人が勝手に成功したと大喜びするだけなんです。イチロー選手は言います「今日は4打数4安打だったが、今日は納得していない」とね。彼の素晴らしい所以ですよ。プロセスがいい加減でも結果が出たというのは、むしろ失敗した場合の何倍もまずいことなんです。「棚から牡丹餅」はいけません。
株式投資でも「結果として儲けりゃそれでいい」でなく「読みとおりに儲からない」人は結果的に大損する宿命なんです。素人の競馬・競輪も同様で儲かることはありません、最後は必ずかなりの損をしてしまうものです。人生も競馬・競輪と同様なんです。ほとんどの人が大損の宿命を持っているんです。人生も素人は大負けし、人生のプロだけが大勝ちするようにできているのです。

・結果主義=誤魔化し=その場しのぎ=甘い対応
・過程主義=真実探求=根本対策=厳しい対応

現代の日本の子供は作業をできませんし、ほとんどしません。ボタンを押せばテレビが見え・カードを出せば物が買えるからです、過程プロセスを知らずに結果のみを得る習慣が身についてしまっているのです。こんな恐ろしい話はないのです。動物園の猿以下で、いざという場合の生活力が全くないのです。
宝くじなんてのは、その最たるもので1億円に当選したなんてことは、その人の人生にとって、大不幸の何ものでもないのです。それを幸福と勘違いするのは、浅はかな人間のなせる業なんです。くれぐれも「棚から牡丹餅」はやめなさいよ。当たらなかったら「良かった」と思うべきなんです。自民党の杉村太蔵議員なんかは、まさしく棚ぼたで当選したんですが、典型的に不幸な人ですよ。マスコミにちやほやされ有頂天の彼がそのことに気づいているわけがありません。気づいていれば辞退すべきなんです。だって杉村君は、実力で勝ったのではないからです。棚ぼたの人、何かで当てて大儲けした人、成金の人は、はたから見ても足が地についていないのです。

結果は、過程の正しさを証明するもの又は間違いを指摘するものですから、結果・アウトプットはきちんと分析・評価することも大切です。汚い話で恐縮ですが、ウンコに血が混じる・ゆるい・硬すぎる・妙に黒い・色が悪い・臭い・詰まるのは結果が悪いのですから、プロセス(内臓)に問題があるのですし、赤信号なんです。ほっておくと”ウンノツキ”ですよ。「臭いものには蓋」というのがそもそも最たる結果主義であり、悪い結果に対して予防処置でなく、隠してしまえという最悪のものなんです。美人が化粧ばかりして自分の人格を誤魔化すようなものですかね。
女・子供というものは、甘やかすと結果主義に陥り、簡単に堕落し易いものなんです。男は過程主義が中心ですから結果主義で堕落する割合は本来少ないのですが、最近は男が女性化・子供化し、女・子供のような結果主義の甘い男が増えています。女・子供は元々結果主義ですからそうならないように手綱を絞めておかないといけないのです。昔日本の母親達は、手綱を厳しく握られていましたから、今思うとものすごくしっかりしてました。だから日本の国もかなりしっかりしていたんですが、男女同権や技術進歩、文化的生活などによって、一時に綱を緩めたものですから、その堕落は目に余るものがあります。その結果、日本の男も子供も、女諸共に、だらしなくなってしまい、取り返しができないくらい堕落・崩壊してしまったというわけです。
「結果」とは良くても悪くても、単なるウンコなんです。
人は、言ってみれば、ウンコを喜んでいるんです。ウンコは過程(プロセス)の良し悪しを評価するものでしかないのであります。

結果管理以上に、何倍もプロセスコントロール(工程管理)を重要視しないと結果はどんどんおかしなものになっていくのです。例えば年寄りの寿命が長くなって高齢化社会になっていくのですが、問題は高齢化によって少子化になっていくことです。過去、えんえんと人間が祖先から子々孫々に伝えてきたものが、大きく途切れようとしているのです。長寿という結果を求めたために、子孫の減少すなわち子孫への伝達というプロセスに多大な支障を生じているのです。寝たきり老人・草木に例えると枯れ葉・枯れ枝を大事にする一方で、種を蒔かず、新芽を踏みにじるようなプロセス管理しかなされてこなっかったということなんです。そのために、子孫を絶やすという不合理な結果が出てしまっているのです。
一般に少子高齢化というのは、年金問題とか税収不足とか労働力不足の問題として扱われますが、そんなことはどうでもよい問題なんです。老人が野垂れ死にするのは当たり前のことなんです。むしろ老人が長生きすることのほうが問題なんです。重要な問題は祖先からの文化や伝統などの諸々のものの子孫への伝達・伝承が途切れることなんです。日本の国家として、人口のプロセスが管理されておらず大きなゆがみを放置して、長寿世界一なんて結果に、単純かつ安易に大喜びしていたのです。国家も企業も個人も、結果だけを追い求め、工程管理(プロセスコントロール)をきちんとしてないと破滅するんです。

人は欲(結果)で操られ、欲をかいて、欲に振り回されて、最悪の人生を送る人が多いのです。真っ当な生き方をし、真から素晴らしい人生を送る人はほんの一握りなんです。
「山(結果)があるから登るんだ」ではないのです。「坂道(過程)があるから登るんだ」なんです。山(結果)なんて登ったら降りるしかないのですが、坂道(過程)は永遠にあるのです。少なくとも「山に登った」「勝った負けた」ということだけで、一喜一憂なんかしないことです。
禅の修業で、悟りを開いた高僧が言うことは「禅に悟ったということはない、死ぬまで永遠に修行が続くだけだ」禅僧は悟るという結果を求めているのでなく、修行という過程を求め続けているのだということです。
政治家も景気を良くしたり、年金問題を解決することもさることながら、そういう結果を出すこと以上に大事なことは、政治や役所のプロセスを継続的に改革することなんです。高度成長期には、結果が出ることをいいことにして、ずさんな政治や役所の仕事がまかり通ってきて、その膨大なマイナスのつけがまわされてきたのです。
結果を求めたあまりにも大きな代償・つけなんです。アメリカのブッシュ大統領も「結果主義の罠」にはまって抜け出そうと喘いでいるのです。

”結果・外見にのみ目を奪われて物事を判断するとババ引く”
”大切なのは、過程・プロセス・中身の良し悪しだ”
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする